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35

「お兄ちゃん?」

 電話の向こうから嬉々とした声が聞こえてきた。

「元気か?」

「うん、風邪もひいてないし元気だよ。心配してくれてたの?」

「心配っていうか、ちょっと気になって」

「前はガチャ切りしたくせに。そうだ、これから会わない? 久しぶりに顔が見たいなぁなんて。今どこにいるの?」

「駅前のカフェ」

「じゃあ行くよ。どうせ暇だし」

 20分くらい経って菜々子が姿を現した。大胆に肩を出した白地のタンクトップに紺色のミニスカート、そして同色のハイソックス。中学生とは思えない肌の露出の多さに目を疑った。菜々子は手をひらひらとさせ、満面の笑みでこちらへ近づいてくる。店内の視線が一気に菜々子に向けられた。

「見られてるぞ」

「知ってる。いつものことだから」

「もう少し長いの履けよ」

「男はみんなこんなのが好きでしょ?」

「おーい、菜々ちゃん」

 突然カフェの入り口から聞き慣れない男の声がした。

「あ、津々木さん。こっちだよ」

 菜々子は後ろを振り返り、男に手招きをした。

「何? 菜々ちゃんの知り合い?」

 男は俺を見てニタッと笑った。

「うん、前に話したお兄ちゃんだよ」

「ああ、お兄さんになる予定だったっていう?」

「そう」

 菜々子はくるりと俺の方を向いた。

「お兄ちゃん、えっと、津々木さんは彼氏なの」

 グレーのスーツを身にまとった35くらいの小太りの男をいきなり彼氏と紹介されても、俺の頭は混乱するばかりだった。

「菜々子の彼氏だって?」

「うん、1ヵ月くらい前から付き合ってるよ」

 ウェイトレスがやってきたので、菜々子はクリームソーダを注文し、津々木と俺はアイスコーヒーを頼んだ。

「ちょっとトイレ」

 菜々子はメイク道具の入ったポーチを持って席を立った。多分、中学生には見えないほどの厚化粧が汗で流れていないかチェックしに行ったのだろう。

「お兄さんと呼んでいいのかな? よろしく」

 津々木は慣れ慣れしく握手を求めてきた。

「兄じゃありませんからやめてください。それに付き合ってるってどういうことですか? 相手は中学生ですよ」

「真面目なんだねぇ。中学生と付き合うのがそんなに悪い?」

 津々木はポケットから煙草を取り出し、断りもなしに火を付けた。そして口をすぼませてふーっと煙を吐き出した。

「結局さ、暇つぶしなんだよ。お互いにね」

「それってどういう……」

「まぁ高校生のお坊ちゃんにはわかんないだろうけど」

「ガキ扱いすんなよ」

「怒らせちゃった?」

 津々木は目を細めて薄く笑った。

「菜々ちゃんは寂しがり屋だからな。一緒に時間を過ごしてあげているだけ。いわゆる彼氏彼女っていう関係じゃないんだよね」

「じゃあ遊びってことかよ」

「遊びねぇ。こっちは菜々ちゃんの呼び出しに付き合ってあげているだけなんだけど。むしろボランティア的な? カラオケ行ったり、プリクラ撮ったり、飯食いに行ったり。最後はホテルで泊まってさ。まぁ一通り菜々ちゃんが望むことをやってあげてるんだよね。最初はセフレみたいな関係でうまくいってたんだけど、感情移入されても困るしそろそろ潮時かなと思ってね。君から説得してほしいんだよ、僕のことは諦めるようにって。こっちから言って恨まれても嫌だからね。菜々ちゃんって急に怒り出したり泣き出したり、情緒不安定な所があるだろう? 刺されてワイドショーに出ちゃったりとかは勘弁して欲しいんだよなぁ」

「それぐらい自分で言えば? 自分でまいた種だろ?」

「でもさ、僕が言うと菜々ちゃんが余計に傷つくかなって」

 悪びれる様子もなく話し続ける津々木に俺は心底ムカついた。

「責任感の欠片もない奴が菜々子に手出してんじゃねぇよ」

 トイレから戻ってきて顔を硬直させている菜々子の手首をつかみ、「行くぞ」と強引に外へ連れ出した。

「何するの! 手離してよ」

「もう会うな、あいつは最低最悪だ」

「津々木さんの事を悪く言わないでよ」

「お前の事遊びだってよ」

「だから何? そんなこととっくに気づいてたよ」

 カフェの前の信号が青になるのを待ちながら、菜々子は小さく言った。

「でもいいの。津々木さんは私のことを拒絶しないから。どんな菜々子でも好きだって言ってくれたから。そのままでいいって言ってくれた。だからいいの。それで十分なの」

「だけど、あいつはお前の体だけが目当てで会ってたんだぞ。暇つぶしとか言って」

「私ね、おかしいかもしれないけど、狂っているかもしれないけど、裸で抱き合っている時が一番安心できたの。私を求めてくれる人がいる。それだけでこんな私でも存在していいんだって、そんなふうに思えたの。何の役にも立てない私だけど、服さえ脱げば喜んでくれる人がいる。それだけで幸せじゃない? 生まれてきた価値があると思わない? 地球上の誰か一人でも菜々子のことを思ってくれてる。一瞬でもいいからその実感が欲しかったの」

 俺は胸が苦しくなって、どうしようもなくなって思わず菜々子を抱きしめた。すると菜々子は堰を切ったように、俺のTシャツに顔を埋めて泣き出した。信号待ちのサラリーマンやOLが俺たちを好奇の目で見ていたが、そんなものはどうでもよくなっていた。

「辛かったんだよな。辛かったのに家族には吐き出せなかったんだよな」

 菜々子は嗚咽を上げ、何度も首を縦に揺らした。

「ごめんな」

 俺はただ菜々子を抱きしめ、謝罪の言葉を口にすることしかできなかった。

「ごめんな」

 ――きっとそれは過ちへの懺悔だったのかもしれない。菜々子が苦しんでいるのを知っていながら、見て見ぬふりをし続けてきた自分への。

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