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真実を知った日から数日経ったが、あの人とは顔を合わせていない。正確に言うと、顔を見なくて済むようにずっと避けている。あの人が仕事から帰ってくる時間に合わせて2階へ上がり、仕事に出かけたタイミングを見計らって下へ降りて行った。トイレもシャワーも風呂もすべてあの人がいない時か寝ている時に済ませるようにした。顔を見てしまうと、俺はきっと取り返しのつかないことを言ってしまうだろう。自分自身をコントロールできなくなるのが怖かった。
携帯が美衣からの着信を知らせる。あれから毎日電話が鳴るのだが、普通どおりに会話ができる自信もなく、ただ留守電のメッセージが溜まっていくばかりだった。
その夜、俺は西園寺透に呼ばれて近くのカフェに来ていた。平日の夕方という時間もあってか、学校帰りの学生や仕事帰りの社会人で賑わっている。待ち合わせ時間きっかりに到着すると、すでに奥の席に西園寺が座っているのが見えた。
「やぁ。よく来てくれたね。それにしても今日は暑いな。すっかり夏らしくなった」
西園寺は額に汗を浮かべながら、陽気に話しかけてきた。
「その後、お母さんとはどうだい? 何か話したのかい?」
「いいえ」
「一言も?」
「顔を合わせてないので」
「そうか。実は私も同じような状況でね。相変わらず娘が口を聞いてくれないんだ。昼間は引きこもって夜になると出て行くんだよ。毎日朝帰りさ」
西園寺は自らを嘲笑するように苦笑いを浮かべた。
「正直、もうお手上げでね。どうしたらいいかわからないんだ。長女の、小夜子の言うことも聞かないようだし。そこでお願いなんだが、菜々子に会って話を聞き出してもらえないかな。悠君のことはかなり慕っているようだから」
「会って話すだけならいいですよ」
「本当かい? 本当にいいのかい?」
「引き受けますよ。でもその代わり、俺の頼みも聞いて欲しいんです」
「ああ、私にできることなら協力しよう」
「DNA鑑定をしてください」
「DNA鑑定だって?」
「はい、宮川との親子関係を調べてもらえませんか」
「私に調べろと?」
「西園寺さんにしか頼めないんです」
「だけどね、相手の……」
「俺が欲しいのは真実です。人の言葉は信用できません。もうこんな嘘まみれの毎日は嫌なんです。母さんの言葉を信じるべきか、宮川の言葉を信じるべきか、ハッキリさせたいんです。俺はまだ母さんの嘘が嘘であって欲しいとどこかで願っているんでしょうね。嘘つきじゃないって信じたいけど信じられない。だから真実を知る必要があるんです」
「でも納得する答えが得られるかどうかはわからないぞ」
「いいんです。俺はただ自分が何者なのか、自分の正体を知りたいんです。虚構に満ちた人生に別れを告げるためにも。」
「そうか。決意は固そうだな。一応確認だが、菜々子の件も約束してくれるね?」
「もちろんです。これからすぐに連絡を取ってみます」
「わかった、引き受けよう」
「じゃあこれ。この前宮川の家で洗面所を借りた時、歯ブラシを貰ってきました」
「貰って来たんじゃなくて盗んできたんだろう?」
西園寺はニヤリと笑った。
「何とでも言って下さいよ。真実を知るためなら何でもやりますから」
「準備に抜かりなしか。さすが頭のいい悠君だな」
「DNA鑑定に備えて持ってきた歯ブラシがこんなに早く役に立つなんてね。西園寺さんが弁護士の資格を持っていて助かりました」
「いいんだか悪いんだかね。こりゃあ朱莉さんに後で恨まれるな」
「男モノの整髪料の所にあった歯ブラシがこっちで、宮川の娘、美衣のがこっちです。両方とも調べてください」
「両方とも?」
「宮川の娘が腹違いの妹なのかどうかも知りたいんです。費用はいくらかかっても払いますから。カテキョのバイト代とかお年玉とかほとんど使ってないんで、100万くらいならすぐ下ろせますよ」
「費用のことはまた後日。結果が来たら知らせるから。君も菜々子の事をくれぐれも頼む」
西園寺は「仕事に戻る」と言い、コーヒー代をテーブルに置いて足早にカフェを去って行った。