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西園寺家の門の前で足がぴたりと止まった。自分は今どうしてここにいるのか? 何度考えてみても、論理的な答えは見つからなかった。
「どちら様ですか?」
家政婦の声がインターフォン越しに聞こえた。
「櫻井です」
「ああ、あの時の。少しお待ちになってくださいね」
俺だとわかると、家政婦の声質が急に変わった。歓迎されていないのがトーンでわかる。門に寄りかかって少し待っていると、中から淡い水色のワンピースに白い半袖のカーディガンを羽織った小夜子が現れた。
「お久しぶりですね」
「中に入っても? 母のことで大事な話があるんだ」
小夜子はリビングに俺を通し、書斎にいる父親を呼んだ。
「悠君か。もしかしてあの時のことを謝りに来たのかい? でももう済んだことだ。私は怒ってないから気にすることはないよ」
「あの人は悪魔なんだ。西園寺さんを必ず破滅に導く」
「何だって?」
「俺はあの人に17年間の人生を奪われた。薄っぺらな嘘のせいで」
「どうした? 熱でもあるのか?」
「あの人は自分を悲劇のヒロインだと思い込んでるんだ。そして周りの人間を思い通りに操るんだよ。これまでずっと俺は心のどこかで可哀想なあの人を必死で守ろうとしてきた。でも、一番かわいそうなのは俺だったんだよ。都合のいい操り人形だったんだ。なんて皮肉なんだろうな」
「朱莉さんはどんな嘘を?」
「俺は人生で初めて人を好きになった。絶対に失いたくないと思ってた。でも、その子は俺の妹だった。正式には腹違いの妹。つまり、あいつの娘だったんだよ」
「ますます混乱してきたな」
「母さんは俺にこう言った。俺たちは父さんに捨てられて離婚をしたんだと。父さんには浮気相手がいて、その女に子どもができたと。でも、それは嘘だった。浮気相手は母さんの方で、しかもストーカーで接近禁止令まで出されていたんだ」
西園寺は目をまん丸くさせて、瞬きもせずに俺の顔を見つめた。目には驚きが浮かんでいる。
「子どもの時に父親だと思ってた奴は一体誰なんだか。あーあ、情けないよな。母親の嘘を全面的に信じて生きてきたんだ、バカな俺は」
「ひどい話だな」
「そういうことだから、あの人には近寄らない方がいいですよ。きっと西園寺さんも遅かれ早かれ被害者になる」
「わざわざ忠告をするためにうちへ来たのかい?」
「これ以上被害者を増やしたくないですから」
「そうか。それは礼を言わないといけないな」
「別にそんなことはいいんです。俺はただ……」
「もういいから。とにかく今日は家まで送ろう。車を出すから下で待っててくれ」
西園寺は車を運転しながら「あまりお母さんを責めない方がいい。後で自分が苦しむことになる」と言った。でもこの時の俺は、この言葉の意味をよく理解できないでいた。