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 深夜、家の前に立って入ろうかどうか迷っていると、急に玄関のドアが開いた。

「悠ちゃん! 悠ちゃん、帰って来てくれたのね。母さんが変なことを言ったから家出したのかと思ったわ」

「家出なんて。ガキじゃあるまいし」

「悠ちゃんが無事で良かった、本当に良かった。あと少し待って帰ってこなかったら警察に連絡しようと思ってたところだったのよ」

「警察なんてやめてくれよ。ゲーセン行ってただけなのに」

「でも……」

「余計な心配はしないでほしいんだよね。こうやって夜中まで起きていられるのも迷惑だし、不倫とか浮気とかくだらないことを聞かされるのも迷惑だから」

「怒ってるのね? そうよね、当然よね。私が全部悪いんだから」

 メソメソ泣き始めた母さんを見ていると、無性に腹が立ってきた。被害者は俺なのに、なぜ加害者の方が同情を買おうとしているんだ? こんなのフェアじゃない。

「ああ、そうだよ。母さんが全部悪いんだよ。あんな男に浮気されて、子どもまで作られて情けないじゃないか!」

 俺は泣きじゃくる母さんをリビングに置いたまま、2階へ駆けあがった。


 翌日、俺は美衣の家へ向かった。鼓太郎の言葉が胸に引っかかったが、それでも真実が知りたいという気持ちを止めることはできなかった。美衣の母親は、「もう少しで帰ってくるから居間で待っててね」と微笑み、クッキーと紅茶をテーブルに出した。美衣は新しい家庭教師と二階で授業中だと言う。美衣の母親は申し訳なさそうな表情で、俺の方が教え方が上手かったのにとお世辞を言った。しばらくすると美衣の父親が帰宅してきた。俺の顔を見るとぎょっとしたような表情を浮かべたが、すぐに気を取り直し「こんばんは。何か用ですか?」といつもの口調で言った。

「ちょっと聞きたいことが」

 俺はポケットから、最近の母さんの写真を取り出した。

「この人知っていますよね?」

 美衣の父親はわざとらしく「うーん」と首を捻った。美衣の母親はキッチンの奥で不思議そうな顔を浮かべ、俺たちのやり取りに耳を傾けている。

「職業柄、色んな人に会うからね。いちいち覚えてないな。そんなに特徴のある顔でもないし」

「本当にそうですか? よく見てください」

「いや、記憶にないな」

 俺はもう一枚の写真をポケットから取り出した。昨夜、クローゼットの奥にしまってある古いアルバムから見つけた貴重な一枚だ。

「じゃあこれは?」

 若いころの母さんが赤ん坊の俺を抱いている写真を目の前に差し出した。

「これは……」

 明らかに顔色が変わった。

「上の書斎で話そう」

 美衣の父親は、困ったような表情を浮かべていた。

「もうやめないか」

「何をですか?」

「気づいているんだろう」

「最初は嘘だと思いましたけどね」

「私も本当に驚いたよ。君がまさかあの時の子だったとはね」

「さっきは知らん顔でしたよね」

「悪かった。妻と娘にはまだ言ってないんだ。さっきは台所で妻が聞き耳を立てていたから……」

「浮気相手と結婚するために僕たちを捨てたんですよね? よくそんな事をしておいて一言の謝罪もなく生きていけますね」

「ちょっと待ってくれ。お母さんから何て聞いたんだ?」

「浮気相手との間に美衣さんが生まれたと。そしてその女と結婚するために、うちの母さんと離婚したって聞きましたけど」

 美衣の父親はため息をつくと、大きく首を横に振った。

「違うんだよ。そうじゃないんだよ」

「どういうことですか?」

「朱莉、いや、君のお母さんとは最初から結婚なんてしていなかった」

「え?」

「私の妻はずっと変わっていない。一度も離婚はしていないんだよ」

「じゃあ、美衣さんのお母さんとはずっと結婚したまま……?」

「そう。朱莉とは当時テレビで共演したことから仲良くなったんだ。何度か恋の相談を受けているうちに、一度だけ深い関係になってしまって……。当時、彼女は私の大ファンでね。いつの間にか家の前で待ち伏せをしたり、無言電話を繰り返すようになった。あの時、私は今の妻と結婚間近だったから、マネージャーがスキャンダルをもみ消すために、君のお母さんに多額の慰謝料を払って接近禁止令を出したんだよ」

「つまり、浮気相手は母さんで、しかもストーカーだった……?」

「言いにくいんだけど、それが事実なんだよ」

「そんな……」

「悠君の存在は知っていたよ。ある日、朱莉から手紙が来てね。君のことが書かれてあった。そしてこの写真が入っていたんだ」

 美衣の父親は、机の上にある写真立てを指さした。この前割ってしまった写真立てが違うものに新調されていた。

「最初は信じられなかったけど、ほら、目元なんか私にそっくりだろう? 耳の形も私と瓜二つだ。君の姿を一目見ようとして、何度か幼稚園や小学校の周りをウロついて警官に職務質問をされたこともあったな」

 美衣の父親は目を細め、柔らかい笑顔で俺を見つめた。

「悠君にはちゃんと謝らないといけないと思っていたんだが。こんな形になってしまって本当にすまなかった」

「僕はこの17年間、騙されて生きてきたんですね。そういうことですよね? 母さんの話を鵜呑みにして、あなたをずっと憎んできた。僕たちを捨てた冷血人間だって、そういうふうに母さんは話していたんですよ? この気持ちをどこへ持っていけばいいんですか? 僕は母さんを許せません。薄っぺらな嘘で僕の人生をめちゃくちゃにしたんだ。あの人は天使の仮面をかぶった悪魔なんだ」

「悠君、まずは落ち着いて。お母さんを許せない気持ちはわかるよ。だけど、きっと朱莉にも嘘をつかなければならない理由があったはずだ」

「僕の人生は、僕の人生は……捨てられた怒りに満ちていました。恨んでも恨み切れなくて、憎んでも憎み切れなくて。そんな気持ちを抱いてずっと過ごしてきたんです」

「悠君、悪かった。こんな辛い思いをさせて、本当に申し訳ない」

 これまで父親に向けられてきた全ての怒りの矛先が今母親へ向かっている。胸の奥を渦巻く許せないという気持ちがマグマのように噴火し、俺の胸を支配し始めていた。

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