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どのくらいこうしていただろう。家を飛び出した俺は、公園で夜を明かそうとしていた。ベンチの上で寝ているホームレスがこっちをちらちら見ていたが、やがてベンチに段ボールを引き、新聞紙を体に掛け、いびきをかき始めた。暗闇の中でブランコに腰をかけていると、鼓太郎から着信が入った。
「もしもし?」
「さっき悠がすごい顔して走って行くのを見たんだけど。今どこ?」
「近所の公園」
「こんな時間に?」
そう言われて腕時計を見ると、すでに夜の11時を回っていた。
「ちょっと色々あって。今夜はここで野宿しようかななんて」
「あんたが野宿? 無理に決まってんじゃないの。今行くからそこで待ってて、いい?」
鼓太郎は一方的に電話を切った。俺に構うなという反抗的な気持ちと誰かが助けに来てくれるという安心感が交互に訪れ、なんだか複雑な気持ちになった。
「こんな暗闇の中でブランコ?」
鼓太郎の明るい声がシンと静まり返った公園中に響き渡った。
「悪いかよ。俺だって家に帰りたくない日くらいあるんだよ」
「ふぅん。何があったのか話す気はないの?」
「衝撃的過ぎて何から話せばいいかわかんない」
「ゆっくりでいいから。アタシは何時間でも聞くから」
鼓太郎の落ち着いた声に反応するように、俺は重い口を開いた。すべてを話し終えたところで、鼓太郎は息をのんだ。
「こんなことって……」
「どこまでが本当で何を信用したらいいのかわかんなくなった」
「悠はどうしたいの? 何を信じたいの?」
「俺? 俺の気持ちなんてどうだっていい。真実を突き止めたいだけだ」
「それで? 真実を知ってどうするのよ。もし本当に美衣ちゃんが妹だってわかったらそれで納得できるの? 余計に傷つくだけなんじゃないの?」
「わかんねぇよ。だけど本当のことは知りたい。そうじゃないと前に進めないから」
「どうしてもそうしたいっていうなら、DNA鑑定でも何でもしたらいいじゃないの」
「いや、でも……」
「やっぱり踏ん切りがつかないんでしょ?」
「何て言ったらいいんだろう……なんていうか……」
「怖い?」
俺は頷いた。鼓太郎の発した「怖い」という言葉が今の俺の全てを現わしている。そう思った。
「美衣だけは失いたくない」
「悠がお兄ちゃんかもしれないってこと、美衣ちゃんは知らないのよね?」
「多分」
「じゃあ真実なんて突き止めないでこのまま付き合えば?」
「そうしたいけど、わかんないよ。一応血のつながりはあるかもしれないんだし。俺だって男だから、一緒にいたら我慢できるかどうか自信ないし」
鼓太郎はお手上げというふうに両手を宙に上げると、急に話題を変えた。
「あ、そうだ。悠に言ってなかったことがあったの。大ちゃんね、転校するんですって」
「え?」
「この前の入院で色々考えたみたいよ。お母さんともよく話し合って決めたみたい」
「なんだよ、それ。結局あいつも逃げるのかよ」
「悠も厳しいこと言うのね」
「逃げ回ってたらいつまでたっても同じなのに。あいつも意気地無しだな」
「私も少し前まではそう思ってた。けどね、人生には逃げ道も必要なのよ。いくら頑張っても変えられないことだってある。いくら努力してみたって、自分の力じゃどうにもならないことなんてごまんとあるのよ。逃げちゃいけないってずっとそこで踏ん張ってたら、いつか心がポキって折れちゃうかもしれない」
「仮に逃げられたとしても、また新しいところで同じ目に遭ったらどうするんだよ」
「それはそれでいいじゃない。そこでまた立ち止まって考えればいい。人生なんていつも一本道じゃないの。たとえ間違えたって、遠回りしたって、後悔したっていいの。それも自分の人生じゃない? 経験をたくさんしてきた人が、最後には優しい人になれるのよ」
「甘い、甘すぎる。優しさだけじゃ生きていけないんだよ」
「そうかもね。この世知辛い世の中じゃ弾き飛ばされちゃうかもしれないし、踏みつけにされちゃうかもしれない。だけど、アタシそういう人が好きよ。本当に心から応援したくなる」
「俺は絶対に嫌だね。そんな人生。他人に踏みつけにされる人生なんて耐えられるわけがない」
「人間は弱い生き物だもの。踏みつけにされて平気な人なんていないわ。だけど、大ちゃんはこれまでの人生、ずっと周りの人間に踏みつけにされて生きてきたの。だから、解放してあげたいのよ。大ちゃんが新しい学校で再チャレンジをしたいって言った時、すごく嬉しかった。だってへこたれずにまたやろうって気になったのよ? すごいことじゃない」
「まぁな」
「あの子は新しい所で再挑戦をしようとしているの。だから応援してあげよう、ね?」
「そっか、わかった」
「悠も同じよ。真実を知ることだけに執着しちゃダメ。人生にはいつも色んなオプションがあるの。一本道じゃないってこと、忘れないで。そして自分を大事にして。苦しめないであげて」