28
久々にスイーツ倶楽部で集まろうという話になり、土曜の夜に俺たちは純喫茶と呼ばれる店に集合した。看板も何も出ていないまさに隠れ家と言うにふさわしい。鼓太郎は手慣れた様子でマスターと挨拶を交わし、「ずんだのパフェ」を4つ注文した。
「俺、実は仙台に何回も行ってるんや。この味懐かしいわ」
修太は上機嫌にそう言い、おしぼりで額をさっと拭いた。
「そうやって顔を拭くのってオヤジっぽい。やめなさいよ、格好悪い」
「オヤジ言うなや。暑いやろ。そろそろ気温も上がってきたし。お前こそあっつい日にジャケットとか着るなんてアホくさいわ」
「アタシわね、汗なんてかかないのよ。あんたみたいな野獣と違ってね」
鼓太郎と修太が口論をしている横で、虹色のポロシャツを着た大が「先輩、なんか色々迷惑かけちゃいましてすいませんでした」と申し訳なさそうに言った。
「別に。大したことじゃないから」
大は俺の言葉に反応し、ふるふると首を横に振った。
「誰かがあの状況を理解してくれた。そ、それだけで十分です。家族にさえ言えなかったんですから」
「お前って実はすげーよな。普通は無視とか我慢できないだろ。クラス全員プラス担任だからな。あれはキツイって」
「が、我慢ってどんどん積み重ねていくと突然プチって切れちゃうんですよね。もうどうにでもなれみたいに思っちゃって。本気で死ぬことを考えちゃいました」
「自殺未遂だけはやめてくれよな。すげー迷惑だから」
「ご、ごめんなさい。また先輩に迷惑ばかりかけてしまうところでした」
「そうだよ。マジで心配するから」
「心配……してくれたんですか? 僕なんかのために?」
「なんだよ、その質問」
「だって、僕なんか社会に必要ない人間だから」
「ネガ、ネガ、ネガ。あー、暗っ」
「ご、ごめんなさい」
「いい加減にしろ。謝るのもやめろ。イライラするから」
大は何かを思い出したように、背負っていた黒いリュックサックを手元に置くと、中をがさごそとまさぐった。そして、筍にまぬけな顔がついたキーホルダーを取り出し、俺の目の前に差し出してにっと笑った。
「何だよこれ」
「お礼です」
「は?」
「つ、つけてくださいよ、携帯に」
「こんなのつけるかよ」
「ストラップですよ。さ、櫻井先輩の携帯って何もついてないから。探す時大変じゃないですか?」
「こんなダサイのつけねぇよ」
「何? 何? これ、プレゼント? 大ちゃんから悠に?」
急に鼓太郎が身を乗り出して、筍を手に取った。
「可愛いじゃないの。いらないの?ならアタシにちょうだい」
「あ、ダメですよ。これは先輩へのお礼ですから」
大はさっと筍を奪い返すと、俺の目の前に置いた。
「これってもしかして……プレミアじゃない?」
「プレミアって何や」
「あれよあれ、あの昔CMでやってたやつ」
「あれあれってその年でもうボケたか。中年オネエめ」
「うるさい!」
ふたりの口論はまだ続いている。
「先輩、これプレミアムゴールドに入ってたストラップですよ」
「何だそれ」
「知らないんですか?キョリちゃんの……」
キョリちゃんという言葉で、ふと懐かしいCMを思い出した。子どもの頃、どうしてもプレミアムゴールド缶を当てたくて、何度も何度もキョリちゃんチョコを溜め買いしたことがあった。
「これ、幸運のストラップなんです。も、持っているだけでいいことがあるんです」
「その幸運筍ええなぁ。今一番必要なんは俺やわ」
修太がぼそっと呟いた。
「今マジでピンチでな。孕ました女の親が俺ん家に殴りこみに来た。責任取れって言われてな。けど俺はまだ学生やし、実家も大阪だから絶対無理やんか」
「向こうの言ってることは正論よ。女の子にとっちゃ大問題なんだから」
「それはそうやけど」
「父親になる気はないの?」
「ないな。無理や。俺にはそんなこと。まだ遊びたいし」
修太が放った「遊びたいし」という言葉に、俺の頭はみるみるうちに熱くなっていった。
「あのさ、親父がいない子どもの辛さって考えたことあるか? お前ん家は両親そろってるからわかんないかもしんねーけど、片親って大変なんだぞ。遊びたいとかマジにありえねぇし。そういうのマジにむかつくんだけど」
「悠の言ってることは正しいわ。修太もそろそろ遊びから足を洗う時期じゃない? これから産まれてくる子どものためにも、真剣にどうするか考えなさいよ。あんたは遊ぶことに逃げてるだけなのよ」
「せやけど、現実的には無理なんや。親に言ったら勘当されるに決まってる」
修太はふーっと深いため息をつくと、コーヒーの入ったカップにスプーンを突っ込み、意味もなくぐるぐると回し続けた。
「医者になる道も絶たれ、親には縁を切られ、親戚一同からは軽蔑される。そんなん耐えられへんわ」
「修太、あんたにとって一番大事なものって何?」
「わからん」
「まずそこを考えるのね。医者への道なのか、親との関係なのか、世間的な体裁なのか、それとも男のとしての責任なのか」
「多分、俺みんなに誤解されていると思うわ」
「誤解?」
「俺ん家、たしかにエリート家系やけど、全然恵まれてなんかないんや。いつも兄ちゃん、兄ちゃんって親は兄貴ばっかり可愛がる。あいつのほうが頭いいし、運動もできるし、何やってもそつなくこなすから親からも親戚からも一目置かれてた。俺は昔っから兄貴と比べられて、いっつもけなされててな。俺の方ができるんだって、いつか親に認めさせたかったんや。けどな、勉強も運動も結局は兄貴の方が上だった。良い遺伝子をもらってきたってことなんやろな。兄貴は関西で一番有名な心臓外科医の娘と婚約してる。すべては順調や。それに引き換え俺は、大学入れなくて浪人するわ、単位は取れなくて留年するわ、女は妊娠させるわ……。ルーザーすぎて話にならんわ」
「あんたがルーザー? ばっかじゃないの? アタシと比べてみなさいよ。必死に男のフリをしているオカマよ。将来性もない仕事に就いて毎日あくせく働いて。結婚もできなけりゃ子どもだってできない。お先真っ暗よ」
鼓太郎は修太の目をじっと見つめた。
「本当に大切なことは、見栄でも意地でもプライドでもないの。よく考えてみて。あんたにとって一番幸せなことが何なのかを。親に認められることが幸せなの?兄貴に勝つことが幸せ?それとも一生女遊びをしていることが幸せなの?」
鼓太郎は、俯く修太の肩をぽんっと軽く叩いた。
解散した後、駅に向かう途中で鼓太郎と2人になった。
「今日は修太のお悩み相談ばっかりだったわね」
「あいつ、プライドばっかり高いからな。負けず嫌いだし」
「そうなのよね。お兄さんに勝つことばかりにとらわれてて、周りが見えてないのよ。普通の家庭を持つことってそれだけでものすごく幸せだと思うけどね、アタシは」
「俺もそうだな。両親が揃ってるってそれだけですげー恵まれてるって思う」
「悠はお父さんがいないんだもんね」
「捨てたんだよ、あいつは」
「まだ顔覚えてる?」
「どうかな。写真がないからな」
「そう。小さいころの写真って処分しちゃったの?」
「あんまりないな。多分思い出したくないからって母さんが捨てたんだと思う」
「写真ぐらい残しておけばいいのにね」
「いや、いいんだ。あんな奴の顔なんて見たくないから」
「悠は優しいのよね。お母さんのことは絶対に責めないもの」
「それはさ、俺が責めたらあの人はきっと死んじゃうからだよ。小さいころから呪文のように言われてきたんだ。母さんを捨てないで、一人にしないでって。だから俺はそう洗脳されただけなんだよ」
「お母さんには新しいパートナーが必要ね。悠だって将来は結婚とかするんだろうし」
「それは困る」
「なんで?」
「もう傷ついてほしくないんだよ。母さんを痛めつけるような男は必要ないんだ」
「そんな……悠もおかしいわよ」
「おかしい? 俺が?」
「そうよ。親子でお互いにお互いを縛ってる。そんなの変よ」
「どういう意味だよ」
「だから、お互いの傷を舐め合うだけの関係ってこと。人間って傷つきながら成長していくものでしょ。それを、悠が防波堤になってお母さんを守ってるなんておかしいって言ってるのよ」
「じゃあ誰が守ってやるんだよ。母さんは一人じゃ生きていけないんだ」
「そんなことない。悠、あなたがそうさせているのよ」
「ちがう」
「お母さんとあなたはお互いにひとりの人間なのよ。死ぬまでずっと一緒にいるわけにはいかないのよ。どこかで切り離さないといけないわ」
「もう聞きたくない」
俺は鼓太郎の話を途中で遮り、ひとり駅に向かって走って行った。後ろから何か叫んでいるような声が聞こえたが、無視をして電車に飛び乗った。