25
ついに修学旅行の出発日が来てしまった。特に楽しくもなんともない、義務的に参加するだけの団体旅行。俺にとっては面倒な学校行事のひとつに過ぎなかった。
飛行機で北海道に移動する際の座席は、高校生にとって死活問題らしい。最後の最後まで誰が誰の横に座るか、誰が真ん中の狭い席になるかで揉めていたが、いったん席順が決まってしまえば文句を言う者は誰もいなかった。
「今日から5日間、よろしくね」
横の席から声をかけてきたのはあかねだ。そう、俺たち修学旅行実行委員はなぜか隣同士に座ることになっていた。他愛もない話を句読点なく話すあかねに適当に相槌を打ちながら、俺は大や鼓太郎のこと、そして美衣のことを順番にぐるぐると考え込んでいた。あかねが朝ご飯に何を食べたとか、お母さんがハンカチを入れ忘れたとか、修学旅行のお小遣いが少なすぎるなんて話は、バカバカしくてどうでも良かった。
空港に到着し、バスで札幌市に向かう。班に分かれて適当に観光を済ませると、あっという間に夜になった。今回泊まるのは市内のホテルで、部屋は男女分かれて基本的に4人部屋となっていた。うちのクラスの女子は12人ちょうどで、欠席者もいない。だからちょうど4で割り切れるのだが、問題は男子だった。全員で16人なのだが、洋人は修学旅行に来なかったし、太田寛治も風邪だか何かで欠席をしていた。つまり、今は14人だから2人だけ余ってしまうのだ。同部屋のメンバーは、俺と洋人、太田そして枡野だから……2人で4人部屋を占領できるってわけだ。
担任の大山にその旨を告げると、手帳に何かをメモる手を止めて俺の顔を見た。
「櫻井君の班でまさか2人も休みが出るとはね」
そして次の瞬間、大山は急に大きな声を出した。
「誰か櫻井君、枡野君チームと同じ部屋になりたい人いる?」
こんな聞き方ってあるかよ! と思わず突っ込みを入れたくなったが、ほとんど全員の女子が即座に手を挙げた。
「女の子はダメよ。男子で。誰かいない?」
何本かの手が挙がっているのが見えたが、俺は構わずに続けた。
「このまま2人でいいんですけど。わざわざ班をバラバラにする必要はないと思いますが」
「え? そうなの? なぁんだ。2人じゃ寂しいのかと思ったのよ」
大山のお節介ぶりは変わらない。
体育会系で野球部のキャプテンをしていた枡野とはこれまであまり話をしたことがなかった。夕食が終わって自由時間になると、枡野は外へ行かないかと誘ってきた。「夜のススキノに行ってみたい」と、小さな子どもがこれから冒険でもするみたいなキラキラした表情を浮かべている。
「ススキノのどこ?」
「まだ決めてない」
「ふぅん。酒目当て?」
「櫻井は酒飲んだことある?」
「ある」
「で、どうだった?」
「どうって……」
「酔っぱらった?」
「いや、酔わなかったな」
「つまんねー。俺さ、酔ってみたいんだよね。一回どんなふうになるのかやってみたい」
「お前は酒乱っぽい」
「ひでぇー」
枡野は口を尖らしたかと思うと、急に顔をくしゃっとして目を細めて笑った。
「なんか嬉しいなぁ」
「急になんだよ」
「櫻井ってミステリアスじゃん。クールで近寄りがたいんだよ。クラスの連中も、女子はキャーキャーって感じだろ? 男子はそれを羨ましいって目で見てる」
「ミステリアス? 俺のどこが?」
「何考えてるかわかんないし、複雑そうっていうか……」
「あー、よく言われる」
「俺なんて超単純じゃん。だから、共通の話題なんてあるのかなって修学旅行前からずっと考えてたんだよ」
枡野は急に小声になって、耳打ちをするように言った。
「実際、青木は櫻井のこと好きだろ? いいよなぁ」
「あかねとはただの幼馴染だから」
「俺だって幼馴染はいるけど、告白されたこととかないし」
枡野は布団の上に置いてあった枕を胸に抱え、頬杖をついた。
「青木の事、俺はけっこうマジだったんだよな。ちょっと前に告白したんだ。そしたら好きな人がいるからってソッコーでフラれちゃって。カッコ悪いよな」
枡野はふーっと大きく息を吐き出し、布団の上にあぐらをかいて座る俺の方へ枕をポンと投げた。
「あいつがお前を好きだってことは薄々気づいてたんだよ。俺だってそんなに鈍感じゃないし。でもさ、聖マヌエルの子と付き合いだしたって聞いた時は、俺にもチャンスがあるんじゃないかなって思ったわけ」
「それどこから聞いたんだよ」
「学校中の噂だよ。あのカワイイ子、名前はえっと、たしか……宮川美衣ちゃん?」
「マジかよ……なんで名前まで知ってるんだよ」
「まぁそんなに深刻な顔すんなって」
「いや、噂になっている事自体知らなかったから」
「そんなもんだって。知らないのは本人だけってな。あ、宮川美衣ちゃんってお父さんが元俳優らしいね。お母さんも芸能界で何かやってた人らしいよ。だからあんなに顔の整った子が産まれるんだろうね」
「元俳優?」
「ああ。でも売れなかったらしい。だから今は辞めて真っ当な仕事をしているとかなんとか」
「俳優か……」
「どうしたんだよ? 俳優がどうかしたのか?」
「いや」
俺は妙な引っかかりを感じていた。一種のトラウマ的なものかもしれないが、俳優という職業を聞くだけで悪寒が走る。
「ススキノ、行かねぇよな?」
枡野はサイフを尻ポケットに突っ込み、野球帽を被りながらもう一度俺の顔を見た。
「ああ、遠慮しとく」
俺はひとりになった広い部屋で、適当にひいた布団の上に大の字で寝っ転がった。気がつくといつの間にか少し寝ていたようで、戸を叩く音で目が覚めた。ノック音が部屋中に響き渡る。俺はすぐに枡野がカギを忘れて閉め出されたのだと思った。
「今開けるから待ってろ」と言いながら、ノロノロと立ち上がり、ドアにかかっている鍵をカチャリと回す。
「遅ぇよ。人が寝てんのに起こすなよな」
文句を言いながらドアを開けると、そこには青木あかねが立っていた。
「なんでお前がいるんだよ」
「眠れなくって」
「そういう問題じゃないだろ。女子がここにいるってわかったら大変なこ……」
「悠って実は真面目なんだよね。そういうとこ昔から変わってない」
あかねは俺の顔を指さしてコロコロと笑い始めた。
「なんだよ、バカにすんなよ」
「してないよ。だって事実じゃん。人には冷たいフリして、俺はクールな男ですって感じで振舞って。でも、本当は全然そうじゃないもん」
あかねは喋りながら、スリッパを脱ぎ、ずかずかと布団の上に上がってきた。そして顔を近づけてくる。その瞬間、プンと強いお酒の匂いがした。
「飲んだ?」
「何?」
「酒飲んだだろ」
「飲んでませんよー」
「嘘つけ。匂いでわかるんだよ。お前、酒臭ぇよ」
「あはははははは」
あかねは急に大きな声で笑い始めた。
「シーッ! 今大声を出すのはヤバイって。大山が飛んでくるぞ」
「いいじゃん、別に。私はみんなに公言しちゃうから。悠の事が大好きです。だから襲われに来ましたって」
俺は慌ててあかねの口元を手で押さえた。あかねは取り乱す俺を楽しむかのように、ニヤニヤ笑っている。
「もう帰れよ」
だんだんと疲れてきて、俺は一刻も早くこいつを追い出したくなった。
「嫌。今夜はここで寝る」
「枡野が帰ってくるし、絶対に無理だって。そういう冗談は止めてくれよ」
「そんなこと心配してんの? 枡野は帰ってきませんよーだ」
「え? 帰ってこない?」
「さっき告白されたから言ってやったの。私は櫻井悠が好きだって。それでね、今夜部屋を出てくれるなら、1回デートしてあげてもいいって」
頭の中でさっきの枡野の言葉が蘇ってきた。
「ちょっと待てよ。告白って枡野がお前に?」
「うん。同じグループで札幌時計台とか回ってる時に」
「で? 今夜部屋を出ろって言ったのか?」
「そう」
「ちょっと待てよ。じゃああいつは今どこにいるんだ?」
「他のホテルにでも泊まったんじゃない?」
「お前……」
俺はあまりの事態に言葉も出なかった。
「ひどい話だな」
「だって今夜しかないじゃない。既成事実でも作れば、私達ずっと一緒にいられるでしょ?」
「狂ってる」
「狂ってる? 私が?」
「いいか、まず冷静になれ」
「愛は人を狂わすのよ。私の目の前には悠しかいないの。こんなに好きなのに。これだけ愛しているのに。私は小さい時からずっと悠だけを見つめてきたのに。私じゃなくてどうして宮川美衣なのよ!」
「いい加減にしろよ。この話はもう終わったはずだろ?」
「私が欲しいのは悠だけなの。それなのにどうして枡野君なの? どうして洋人なのよ……」
「え? 洋人?」
俺は、ハッとした。まさかあかねは洋人にも同じような台詞を言ったのではないだろうか。
「洋人はずっと私の応援者だと思っていたのに。それなのに、悠なんか諦めて俺と付き合わないか? って言うのよ。無理に決まってるのに。だから私言ったのよ。洋人と1日デートする代わりに宮川美衣の情報を集めてきてって。それを条件にして何回かデートをしたわ。でも、1週間くらい経って洋人はもう限界だって言ってきた。宮川美衣のストーカーだと思われたみたいで、警察に通報される寸前だったんだって。あの女の親にもこっぴどく怒られたらしいわ。でもバカよね。どうして私のためにそこまでするのよ。悠の事が好きだって言ってるのに、どうして私に構うのよ。あんなバカ、もう知らないんだから。もうどうにでもなればいいのよ」
俺は布団の上ですすり泣くあかねを置いたまま、制服のジャケットをハンガーから素早く取り、荷物を持って部屋を後にした。