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 病院へ駆けつけると、大が青白い顔でベッドに横たわっていた。顔に怪我をしたような痕跡はなく、ただ静かに眠っているようにも見えた。横には、1000円均一のワゴンにありそうなピンク色のTシャツに細身のジーンズを履いた大の母親らしき人物が立っていた。中肉中背であまり特徴のない顔だが、丸い鼻やふっくらとした頬が大にそっくりだ。俺と同じようにこの人も走って駆けつけたのだろう。まだ呼吸が荒く、脇の下と背中に大きな汗じみが浮かんでいる。

「どちら様?」

 大の母親は俺の方に視線を向け、疲れた声で言った。

「もしかして同じクラスの子?」

「その子は違います。同じ学校ですけど、大ちゃんの先輩です」

 突然背後から聞き慣れない低い声がした。振り向くと、鼓太郎がドアの近くに立っていた。雰囲気がいつもと180度違う。オネェ言葉に慣れていたせいか、普通の喋り方に妙な違和感を覚えてしまう。

「あなたとはどういったお知り合い?」

「趣味仲間とでもいいましょうか。スイーツとお喋り好きの集まりです」

「スイーツねぇ。あの子、家ではそんなにお菓子は食べないのに。昔から炭水化物ばかり欲しがるのよ」

 病室の白いカーテンが風で舞い上がり、ひらひらと行ったり来たりしている。俺はそれを目で追いながら、二人の会話を黙って聞いていた。

「あの、実は言わなきゃいけないことがあるんです。さっき仕事帰りにコンビニで買い物をしていたら、大ちゃんから電話が来たんです。泣きそうな声でお金を貸してほしいって。何に使うんだって聞いたら、靴を買うと言ってました」

「靴?」

「はい。でも僕はその時ちょうど持ち合わせがなくて。3000円でも足りる?って聞いたら、『いつもの河原で待っています』って言われて電話も切れてしまいました。急いで駆けつけると、大ちゃんが芝生の上で体育座りをしていたんです。靴下を真っ黒にして」

「靴下で? 靴は履いてなかったの?」

「そうです。靴は失くしたって言ってました。だからお金を借りて新しい靴を買わなきゃいけないんだって。でも僕はこう言ったんです。『失くしたんじゃなくて捨てられたんだろう』って」

「学校で捨てられたってことなの?」

「僕の言葉に頷いていたので、そうだと思います」

「どうしてあの子ばっかりこんな目に……」

 大の母親は、ポケットからくしゃくしゃのティッシュを出して目元を拭いた。

「担任に相談して犯人を探してもらった方がいいって言ったら、大ちゃんは無言でただ寂しそうにうつむくばっかりで。でも僕の気持ちを察したのか、ありがとうって無理に笑ってみせるんですよ。僕はなんだか耐えられないような悔しいような気持ちになって、そんな奴らに負けるな。犯人を探して真っ向からぶつかっていけ。逃げるだけの人生でいいのか? 男なら闘わなきゃダメだろうって言ってしまったんです。大ちゃんはきっとこの言葉に傷ついたんだと思います。急に立ち上がって走って行ってしまいました。僕は心配になって後を追いかけたんですけど、よく左右を見ずに勢いで道路に飛び出してしまって……」

 鼓太郎は声を詰まらながら話していたが、ついに堪え切れなくなったのだろう。涙が頬を伝った。

「泣くのなんて卑怯ですよね。ごめんなさい。本当にごめんなさい。僕が全部悪いんです」 

 鼓太郎はうな垂れたまま硬直して動けなくなっていた。

「そうよ、あなたさえ助けなければこんなことにならなかったのよ。うちの息子に何かあったらどうしてくれるの? 責任取れるの?」

 このキーキーした声、自分勝手な言い草。俺は全てに腹が立ってきた。

「ちょっと待てよ。あのさ、責任が全部コイツにあるわけじゃないだろ」

「この人が道路に飛び出さなかったらうちの息子が交通事故に遭うことだってなかったのよ!」

 大の母親が甲高い声で怒鳴った瞬間、病室のドアが開いた。皮ジャンにサングラスのいかつい男が現れ、「やめろ。落ち着けよ」と声を荒げた。

「だってこの人が……この人が大をこんな目に遭わせたのよ。ひどいと思わない? ねぇあきらだってそう思うでしょ」

「母ちゃん、あれは事故だったんだよ。大は自分の意志で助けたんだ。一番悪いのは大をいじめた奴らだ。そうだろ? こんな所で責めるのはやめろよ」

 陽の正論に圧倒されたのか、大の母親は不機嫌そうに窓の外に目をやった。

「いやぁ、すいませんね。母は弟のことになるとすぐに興奮してしまうんです。昔からいじめられてばかりだから心配が尽きないんですよ」

 陽は深々と頭を下げると「コーヒーでもどうですか。私のおごりで」と俺たちを休憩室に誘った。

 白い壁に囲まれ、白いテーブルにつく。もちろん椅子も白い。病院というのはなぜ揃いも揃ってこんなに白いのか。休憩所の家具くらいカラフルな赤や黄色にしたってバチは当たらないだろうに。

 陽はサングラスを外し、脱いだ皮ジャンを椅子の背に掛けた。サングラスなしだとぐっと雰囲気が変わる。とくに柔和そうな目元や丸い鼻先といったパーツに大の面影を感じた。

「さっきはありがとうございました。大ちゃんのお兄さんですよね?」

 鼓太郎は相変わらずこわばったままの表情で口を開いた。

「あ、自己紹介していませんでしたね。私は兄の陽です」

「お兄さんにも迷惑をかけてしまって本当にすいませんでした」

「私こそ母の代わりに謝らせて下さい。あんな言い方をするなんて家族として恥ずかしいですよ」

「今回の事故は僕に全面的に責任がありますから、お母さんが怒るのも当然です」

「そういうのはナシにしましょう」

「でも……」

「最近、弟は人が変わったように明るくなりました。今までアイツには友達がいなかったんです。他人とコミュニケーションをとるのが苦手なんですよ。すぐ人との間に壁を作る。そして他人には決して本音を語らないんです。白井さんはそう感じませんでした?」

「あぁ……確かにそういう面はあったかもしれません」

「今まではアイドルの追っかけやアニメ一直線で他人に興味を示すことはなかったのに、少し前、私が働いている店で出しているお菓子のレシピを教えて欲しいとまで言い出して。理由を聞いたら、大事な友達ができたから皆の誕生日に最高に美味しいケーキを贈りたいって言ってました。弟の口から“友達”という言葉が出てくるなんて夢にも思いませんでしたね。ここ1ヵ月くらい、よく白井さんの話をしていましたよ。それに櫻井さんの話や大阪弁の桐野さんの話も。あんなに人を避けていた大がいつの間にか成長したんだなって思うと、兄として本当に誇らしくて嬉しくて。それと同時に、白井さんや櫻井さん、桐野さんに直接会ってお礼が言いたいって思っていたところなんです。幼いころから弟の事はずっと気がかりでしたから」

 話を聞いていると、心に何かじんわりしたものが浸み渡っていくような不思議な感覚になった。大の魂の奥底に流れている陽だまりのような温かさに触れた気がした。

「そういうことですから、白井さんを責める気はありません。むしろ弟の友達になってくれて感謝したいくらいです。うちの弟は丈夫だから心配いりませんよ」

 陽は夏に咲く向日葵のように、ニッと白い歯を覗かせて笑った。

「そろそろ母の所に戻ります。お二人はどうぞごゆっくり」

 テーブルに置いていたサングラスを手に取ると、陽はキビキビとした動きで病室へ戻って行った。

「アタシ、許されるの?」

「もういいだろ。原因はお前じゃないんだし」

「そうかもしれないけど……」

「あいつの怪我、大したことなさそうだったぞ。俺の所見だと全治1ヵ月ってところだな。骨折なんてすぐ治るよ」

「所見って、いつから医者になったのよ」

「興味本位で中三の夏に医学書読みあさってた」

「受験勉強そっちのけで?」

「あの頃は医学部志望だったからな」

「悠にも夢があったのね」

 鼓太郎はふっと息をついてぬるくなったコーヒーを飲み干した。

「決めた」

「何よ急に」

「大の無念を晴らすんだよ。靴を捨てた犯人は俺が見つける」

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