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 翌朝はいつもより20分ほど早く起きた。月に1回ほど回ってくる日直の当番が来たからだ。プリントを取りに職員室へ行くと、「おはよう」と担任の大山が声をかけてきた。

「あら、時間通りじゃない。前は日直なんてだるいって文句言いながら遅刻してきたのに」

「実際、だるいのは変わりませんけど」

「相変わらず正直ね。まぁそこが櫻井君らしさなんだけど。あ、悪い意味じゃないわよ。人には個性があるでしょ? それを大事にしないとね」

「前から聞こうと思ってたんですけど」

 ふと前から気になっていたが、どうしても聞けずにいたことが頭に浮かんだ。

「山川ってどうしたんですか」

「お母さんから風邪だって連絡が来てるわ。もう長いし私も気になって家庭訪問してみたんだけど」

「あいつ何やってんだ……」

「随分と長い風邪よね」

「まさか先生、それ信じてるんですか?」

「だってそういう連絡しか来ないんだもの」

「1ヵ月近くずっと風邪なんてあり得ます?」

「あるわよ、体力のない人なら。治りかけてぶり返したり」

「それはジジイでしょ。あいつ昔から身体だけは丈夫だったんですよ」

「じゃあお見舞いに行って様子見てきてあげたらいいじゃないの」

 大山はいとも簡単にそう言ったが、現実はそう単純ではないのだ。あの殴り合いの日以来、俺たちは一度も口をきいていない。

「はい、これプリント。ホームルームまでに全員に配っておいて」

 大山に渡された紙の束を持ったまま職員室を出て廊下を歩いていると、向こうからあかねがやってきて「手伝おうか?」と機嫌の良さそうな声を出した。

「いや、一人で十分」

「えー、なんか言い方冷たい」

「そうか?」

「私の目見なくなったよね」

 あかねは昔からズバッと痛いところを突いてくる。

「あの日からギクシャクしててやりにくいよ。お弁当だって毎日持ってきてるのに食べてくれないじゃない」

「それは……」

「悠と実行委員になれて私は良かったって思ってる。修学旅行まであと10日くらいしかないけど、それまではお昼も一緒に食べられるでしょ? 今日のお弁当はね……」

「あかねは心配じゃねぇの?」

「え?」

「洋人のこと」

「何言ってるの? 心配に決まってるでしょ」

「じゃあ俺と委員になれて良かったなんてそんな軽く言うなよ」

「なんで怒るの?」

「怒ってない。ただあいつが登校拒否だとしたら……」

「そんなわけないでしょ。洋人は強いもん」

「なんか変だよな。お前らしくない。洋人となんかあっただろ?」

「ないよ。何も。それに悠には関係ないし」

 あかねは急にムッとした表情を浮かべ、そのまま早足で教室へ入って行った。


 授業が終わると俺はいつになく上機嫌で一旦家に帰り、クローゼットの奥から物を引っ張り出して眼鏡を探した。さっき鼓太郎が電話で言っていた通り、いかにも真面目で大人しそうな高校生を装うことにしたのだ。鼓太郎によれば、「ガリ勉だと人畜無害に見えるから女の子の親は安心する」らしい。用意したのは中学の時に一時期使っていた黒縁の眼鏡。これをかけるだけで不思議と別人になったような気がした。

 約束の5分前に門の前に到着し、インターホンを押した。すぐに美衣の母親が玄関から顔を出し、人懐っこい笑顔で「今日からよろしくお願いしますね、先生」と言った。美衣の家族から先生なんて呼ばれると、なんだかくすぐったい気分になる。美衣の部屋の前に案内され、俺はゆっくりドアを3回ノックした。中から返答はない。金色の丸いドアノブに手を掛け少しだけ回すと、カチャリと音を立ててドアが開いた。机に座っている美衣の後ろ姿が見える。俺は足音を立てずにそっと近づき、美衣の両耳を覆っていたヘッドフォンを静かに取った。ギョッとしたような顔をして後ろを振り向いた美衣は、一瞬文句を言いたげな表情を浮かべたが、俺の眼鏡を指さすとぷっと吹き出すように笑い出した。

「それ面白い」

「ひでぇな。笑うなよ」

「なんで変装してるの?」

「してねぇって」

「じゃあその眼鏡は何?」

「友達に言われたんだよ。真面目そうにしてろって」

「櫻井君の真面目ってそれ?」

「いや、こうすれば人畜無害な男に見えるって」

 美衣は再度お腹を抱えて笑い出した。

「何それ、可笑しすぎる」

「こうしておけば親が安心すんだろ?」

「それも計画のうち?」

「当たり前だろ。お前こそ昨日は演技上手かったよな」

「演技?」

「俺の顔見て塾に戻りたいとか家庭教師は嫌だとか散々言ってたな」

「あぁ……」

「芝居だったんだろ?」

 美衣は首を横に振り、「そんなこと考えてる余裕なかった」と言った。そして自分の座っている椅子の隣にもうひとつキャスター付きの椅子を置いて「どうぞ」と言いながら座面を軽くポンと叩いた。

「うちのお父さん、頭に血が上りやすいのよ。一旦怒りだすと誰の手にも負えないの。だから、いつか私たちのことがバレたらって思うと怖かった。あなたが殴られたり怒鳴られたりする姿は見たくないもの。私だって外出禁止は嫌だったし、デートができないのかと思うと悲しかったけど……でもそんなことよりお父さんを怒らせて櫻井君を傷つける方が耐え難かったの。だから先生になるって話が出た時も嬉しい気持ちと怖い気持ちが綱引きしてた」

 俺は人差し指を折り曲げて、美衣の額にコツンと触れた。

「こん中で色んな葛藤があったんだな。でももう考えんな。お前はただ俺の言うとおりに勉強してろ。100点取らせて親父さんに認めてもらうから」

「え……100点? 何言ってるの?」

「絶対に取るんだよ。気合いだ、気合いを入れろ」

「ちょっと待って、櫻井君ってそんなキャラじゃなかったよね? いつから体育会系になったの?」

「今から」

 美衣は口角を上げてふふっと笑ったが、机の上にある教科書に目を落とすと途端に不安そうな声をあげた。

「自信ないよ。数学も化学もぜんぜんわからないのに」

「だから詰め込み式でやるぞ。ほら、ここ全部覚えて」

「音楽かけていい?」

 美衣は俺の返事を待たず、さっきヘッドフォンで聞いていたiPodtouchを机上のスピーカーに接続し始めた。

「変わってるでしょ? 昔から音楽がないと集中できないの」

「音楽?」

「うん。しかもクラシックとか静かなのじゃなくて、普通にロックとかも聞いちゃう」

「意外な所に共通点があるもんだな」

「え?」

「俺もロックで年号暗記したりするから」

「信じられない。今までそんな人周りにいなかったのに。なんか驚いちゃうね」

「普通は勉強って静かな所でするだろ?」

「そうそう。だから友達に言っても絶対わかってもらえないの」

 美衣の声に被さるように、ドアからノック音が聞こえた。そしてほぼ同時に「お茶が入りましたよ」と美衣の母親が紅茶とお菓子を持って部屋に入ってきた。

「ご苦労様。先生しっかり頼みますね。うちの子すぐに雑談したがるでしょ?」

「いや、今教えていた所ですよ」

 俺は普段はしないような愛想笑いを浮かべつつ、早くどこかへ行ってくれと強く念じた。それが通じたのかどうかはわからないが、「中断させちゃって悪いわね」と言いながら美衣の母親はそそくさと部屋から去って行った。ドアがパタンと閉まったのを確認し、俺は美衣の唇に人差し指をあてた。

「シッ。大きい声で話すなよ。彼氏ってバレたら……」

「大丈夫。あの様子だと疑ってる感じしなかったし」

「でもドア越しに聞いてるって可能性もあるだろ?」

「疑い深いね」

「お前が用心しなさすぎ」

「ねぇ、それより自分の勉強は大丈夫なの? 私に毎日教えに来てたら家で宿題とかする時間ないでしょ?」

「高校に入ってからは宿題なんて一回も家でしたことない。授業中にさっさとやっちゃうんだよな」

「え……信じられない」

「中学ん時、塾に東大通ってる先生がいて色々教えてもらってたんだよ。それこそ高校レベルか大学レベルの数学やら英語やらを」

「大学レベル?」

「先生曰くだけど。塾で勉強し足りない分は自分で大学受験用の参考書とかを買って家で解いてたな」

「中学生でも大学受験の問題ってわかるものなの?」

「実際、難しい方が面白いぞ。数学なんかは楽しくてやり始めると止まらなかった。あの頃はやたら勉強好きだったしな」

「もっとその話聞かせて。天才の勉強法ってどんな感じなの?」

「おい美衣、いい加減にしろよ。その手には乗らねぇぞ。早くここ覚えろ。終わったら次のページな」

「ちょっと待って」

「何だよ。話しかける暇があったらひとつでも暗記しろ」

「鳴ってるよ」

「ん?」

「携帯」

 よく耳を凝らすと、部屋に流れている音楽とは少し違うメロディーが俺のカバンから鳴り響いていた。

「もしもし」

「大変よ! 緊急事態発生よ」

「鼓太郎? 何かあったのか?」

「大ちゃんが……」

「何だよ、早く言えよ」

「死にそうなの」

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