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 6時間目の授業が終わりいつもの待ち合わせ場所に向かっていると、突然携帯が鳴り出した。

「ごめんなさい」

 電話先の声が暗い。

「どうした?」

「親にバレちゃった」

 美衣の声は震えていた。

「もしかして俺らのこと?」

「うん」

「やばい状況なのか?」

「かなり怒ってる」

「だろうな」

「ごめんなさい」

「謝んなよ。俺だって共犯なんだし。塾のサボリもバレたのか?」

「この前の小テストで成績落ちちゃって、親が塾にクレーム入れたの。その時、塾長がお宅のお子さんはずっと休んでますよって言ったらしくて」

「それはまずいな」

「先生には口止めしておいたんだけど、まさか塾長に電話がいくとは思わなかった」

「だからちゃんと勉強しとけって言ったろ?」

「デートした後は宿題する気になれなかったの」

「ったく困った奴だな。そんなに悪い点でも取ったのか?」

「数学も化学も赤点だった」

「赤点? お前が?」

「嘘みたいだけど本当なの。前より70点も落ちちゃった」

「テスト中ずっと寝てたんだろ」

「あ、ヤバい。お母さんが校門の所に来てる……とにかく今は切らなきゃ。あ、あとね、外出禁止令が出たからもうしばらく会えない」

「ちょっと待てよ」

 消え入りそうな声で「ごめんね」と言いながら美衣は一方的に電話を切った。俺はツーツーと機械音が流れる携帯を握りしめたまま、その場に立ちつくしていた。――目の前に突きつけられた事実をどう受け入れたらいいのだろう? 急に自分の身体の一部が切り取られたような妙な不安感に襲われた。

 俺は全速力で美衣の自宅へ向かって走り出した。毎晩のように家の近くまで美衣を送り届けていたから場所はすぐにわかった。だが、いざとなるとインターホンを押す勇気が出ない。目の前に美衣の親が出てきたら俺は何と言えばいい? 真剣に付き合っていると言ったところで火に油を注ぐようなものではないか? 俺のせいで美衣が余計に怒られるだけかもしれない。真剣に解決策を考えていると、またしても携帯が鳴った。画面には鼓太郎と表示されている。

「何?」

「悠ってばいつも機嫌悪そうに出るわね」

「今忙しいんだよ」

「あら、何かあったの?」

「色々と」

「何よ、教えなさいよ。アタシだってたまには人の役に立ちたいのよぉ」

「インターホンが押せない時はどうしたらいい?」

「え? 何?」

「指が震えてうまく押せない」

「どういうこと?」

「あいつの親とは初対面だし。しくじったら怒られんのはあいつだし」

「ちょっとそれって……あいつって……美衣ちゃんの親に会うの?」

「そういうこと。今から会いに行くんだけど、男関係にはかなり厳しいらしいんだよ。塾サボって俺と会ってたのも完全にバレたみたいだし」

「高校生なら親もうるさいだろうし、認めてもらうのは難しいわね」

「けど、放課後外出禁止なんて可哀想だろ」

「アタシなら今は行かない。ほとぼりが冷めた頃に出直すわ。でもねぇ、悠は一旦熱くなると手がつけられないタイプだし、待つなんて到底できないわよね。それなら当たって砕けろの精神で行っちゃえば? 若いうちにチャレンジしたことは全部糧になるわよ。大人になってから挫折するよりダメージも小さいし」

「何だよ、最初から失敗するような言い方すんなよ。怒鳴られたって頭下げりゃいいんだろ」

「あんたは人生甘く見てるからわかんないだろうけど、謝って済むなら警察なんていらないのよ」

「そのセリフ、すげぇ昔に見たドラマで言ってたな」

「何よぉ、またアタシのこと年齢不詳とか老けてるって思ってるんでしょ」

 鼓太郎のむくれ顔が思い浮かび、俺はぷっと吹き出した。

「ほら早く行きなさい。お姫様が待ってるわよ」

 鼓太郎に背中を押されるままにインターホンのボタンに触れた。明るい声ですぐに応答があり、白い門の向こうから花柄のワンピースを着た小柄な女が顔を出した。丸くて黒目がちの瞳が美衣にそっくりだ。

「どちらさま?」

「美衣さんと同じ塾に通っていまして……今日は休んでた分のノートを持ってきたんですが」

「あら、わざわざ悪いわね。どうぞ中に入ってちょうだい。今お茶を入れますからね」

 俺は自分の口から出てきた適当な嘘に内心驚いたが、平静を装ってクリーム色の布製ソファに腰を掛けた。家の中はさほど広くないが、綺麗に片づけられていて居心地が良い。大きな液晶テレビには料理番組が映し出されていて、キッチン横にある木製のダイニングテーブルの上にも読みかけの料理本が置かれていた。壁には広大な野原を描いたようなヨーロッパ風の絵画が掛けられており、天井は吹き抜けになっている。

 しばらくすると階段を降りてくる音が聞こえ、ボーダー柄のTシャツにジーンズを履いた美衣が青ざめた顔をしてリビングルームに現れた。

「どういうこと?」

「シーッ、いいから黙ってろ」

「どうして来たの? 今は何をしたって無駄よ。パパもママも許すわけない」

「やってみなきゃわかんないだろ? このまま逃げるのは嫌なんだよ」

 俺は何かを決意するように堅くこぶしを握った。その時、カチャと扉が開く音がして美衣の父親がリビングに顔を出した。公務員をしているという美衣の父親は毎日定時に帰宅すると言っていたがそれは本当らしい。

「お、お客さんか。珍しいな」

 美衣の母親は「塾のお友達だそうよ。わざわざ休んでた分のノートを届けに来てくださったの」とキッチンから大きな声を出した。

「せっかく塾に通わせているのに月謝がもったいないでしょう? これで休んでた分が挽回できるわね」

「いや、ノートじゃ再試験には間に合わないな。すぐにでも家庭教師を探そう」

「嫌よ。私は塾に戻る」

「ダメだ。放課後は外に出るなと言ったろ。先生に来てもらって勉強を見てもらいなさい」

「どうして? もう17なんだし彼氏がいるくらい普通でしょ?」

「お前にはまだ早い。大学生になってからだって遅くはないだろう」

「いまどきそんな厳しい親がどこにいるのよ」

「人前で喧嘩はよしなさい」

 美衣の母親が恥ずかしそうな顔を俺に向け、ふたりの仲裁に入った。

「あの、家庭教師を探しているなら俺が見ましょうか?」

「え?」

 美衣が目を見開いて俺を見た。

「でも君はまだ高校生だろう?」

 美衣の父親は腕組みをしたまま俺の方を向き、値踏みするような鋭い目つきになった。

「緑が丘第二高校の2年です」

「ずいぶん優秀なんだね。あそこは倍率も高いし入るのが大変だったろう。中学も地元かい?」

「はい。桜中です」

「そうか。でも君自身の勉強はどうするんだ。人に教えてる暇なんてないだろう」

「大丈夫です。勉強してもしなくても成績はキープできますから」

「県内一の高校でそのセリフ……たまげたな」

「ちょっと待ってよ。一人でできるから余計なことしないで。家庭教師なんて絶対嫌だから」

「お前はただでさえ数学と化学が苦手だろう? 一人でどうやって勉強するんだ」

「家庭教師つけるくらいなら死ぬ気でやる」

「あの、美衣さんにちゃんとした家庭教師が見つかるまでってことでどうでしょうか?」

 父親は少し考えてから、首を縦に振った。

「5日後に数学と化学の再試験がある。急ぐから明日から来てくれないか?」

 まさに“渡りに船”だった。ひとつの大きな任務を無事達成できたような喜びに俺は胸を震わせた。

 家に帰り、ひとりで冷凍ピラフを食べていると、鼓太郎から電話がかかってきた。

「心配してたのよ。どうだった?」

「奇跡的に向こうが起こした波に乗れた。カテキョになれたんだよ」

「カテキョ?」

「美衣の家庭教師」

「ちょっとそれって……堂々と会えるし最高じゃないの。どんな手を使ったのよ」

「向こうがカテキョ探してるって言うから、俺でよかったら教えますよ的なことを提案しただけ」

「でも高校生の男子が密室で教えるわけでしょ? 厳しい親がよく許可したわね。たとえ彼氏だってバレてなくても普通無理よね」

「そうか? 向こうは数学と化学で人生初の赤点取って、その再試がもうすぐあるらしいぞ。落ちれば内申にも相当ダメージあるらしいし。どんな奴でもとりあえず臨時で雇えればいいんじゃないのか?」

「いや、それはないわね。女の子の親ってそんな簡単に男を家に入れないわよ。とくに父親は娘に悪い虫がつかないように神経質になるものよ」

「ガードの固そうな家には見えなかったけどな」

「大人って装うのは上手いから外から見たってそう簡単にわかんないもんよ。ま、結果オーライで考えれば良かったわよね。美衣ちゃんは喜んだでしょ? これからは彼氏が家まで来てくれるんだからねぇ」

「その反対だよ。カテキョなんて嫌だとか自分一人でなんとか勉強するとかでかい声ですっげー拒否してたぞ」

「あなたを巻き込みたくなかったんじゃない? ほとぼりが冷めた頃に彼氏だってちゃんと紹介したかったのよ、きっと」

「そうかな。俺さ、カテキョになれば気兼ねなく美衣に会えると思ってすっげー嬉しかったんだけど、なんか一方通行な気がしてモヤモヤするんだよな」

「あ……でも、美衣ちゃんってもしかしたらすごく頭のいい子なんじゃない?」

「まぁな。あいつは努力家だからな」

「悠ったら嬉しそうな声出しちゃって……って違うのよ。勉強の方じゃなくて知恵が回るって意味。お父さんの考えを知っててわざと悠を拒否したんじゃないかしら。たとえばの話だけど、お父さんが学歴コンプレックスかなんかを持っていれば、なるべく肩書きのいい人を採用しようとするわよね。悠はその点、学校名でクリアしてるわけ。制服も着て行ってるから十分証明になっているし。あとは美衣ちゃんが目の前の男を思いっきり拒否すれば、そこに恋愛感情はないってことになる」

「あ、そうか」

「わかった? お父さんの心理を読んで美衣ちゃんも一芝居打ったってことよね。なぁんだ、やっぱり相思相愛なんじゃないの」

 電話を切った後すぐに自室に戻り、教科書を開いた。明日美衣の家に行って教える部分を入念にシュミレーションしておくのだ。失敗は許されない。絶対に俺が美衣の成績を上げてやる。そしていつかあの親に認めさせてやるんだ。美衣が選んだ男は間違っていなかったと。

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