21
ゴールデンウィーク明けの登校日、あかねが俺の席までやってきて申し訳なさそうに口を開いた。
「おはよう。あの、この前はごめんね」
「何が?」
「洋人と殴り合いの喧嘩になっちゃったでしょ、聖マの子がどうのこうのって」
「あぁ、あれか」
「まだ怒ってる?」
「いや」
「そう、良かった」
あかねはホッとしたように微笑むと、顔の前で両手を合わせて「お願いがあるの」と言った。
「実行委員になってくれない?」
「何の?」
「修学旅行。あと1ヵ月もないでしょ」
「俺が? 洋人はどうしたんだよ?」
「あの日から学校休んじゃってるでしょ。代わりに委員が必要なの」
「ただの風邪だろ。出てくるまでお前一人でやってれば?」
「それがね……思ったよりも複雑なのよ。風邪とは思えないし。ゴールデンウィーク中に何回か家に行ったり、電話をかけたりしたんだけど、部屋にこもったまま出てこないの。電話も無視されてる」
「なんかあったのか?」
「知らない。話もできない状態だから」
「それで? なんで俺に白羽の矢が立つんだよ。他に誰かいるだろ」
「私は悠とやりたいの」
「断る」
「放課後に居残りなしで、話し合いは昼休みだけ。あとは私が全部引き受ける。面倒なことは一切頼まないって約束するから」
「責任あるポジションには就きたくないんだよな。何かあったら……」
「だから私が全部被るって言ってるでしょ。悠はただいるだけでいいの。名前だけ貸して」
「名前だけか……」
「悠が実行委員ってだけでうちのクラスの株があがるのよ。ねぇお願い。一生のお願いだから。人助けだと思って、ね?」
修学旅行実行委員の仕事は引き受けたその日に始まった。出発日まであまり時間がないということで、昼休みはあかねと打ち合わせを兼ねて一緒に過ごした。屋上のいつもの定位置に二人並んで座り、あかねの手作り弁当を広げる。少し錆ついたフェンスにもたれながら、思いっきりおにぎりをほおばった。
「これ美味いな」
「でしょ? 今日はタラコにしてみたの」
「昨日は何だっけ、あの凝ったやつ」
「あれは鶏ごぼう」
「お前いつの間に料理の腕上げたよな」
「ふふ、嬉しい」
「ま、貧乏舌だから何でも美味く感じるんだけどな。めっちゃ腹減ってたし」
「相変わらず一言多いなぁ。そんな風に言うならもう食べさせないから」
あかねは俺の手から半分になったおにぎりをもぎ取ろうとした。
「ウソに決まってんだろ? 最後まで食わせろよ」
「ホントかなー?」
「マズかったら最初から手つけねぇよ」
「出た出た、悠の直球。普通は女の子にお弁当作ってもらったらたとえ不味くたって褒めるでしょ」
「俺は褒めない。不味いもんは不味い」
「ひどっ。女の子の気持ちって考えたことないでしょ?」
「お世辞より真実だから、俺は」
「でも傷つくよ、不味いとか言われたら」
「そもそもお前が弁当食えって言ってきたんだろ。俺はパンで十分」
「素直じゃないなー。本当は嬉しいくせに」
あかねは小学生の時によくしていたように、俺の耳たぶをつかんで横に引っ張った。
「痛ってぇな」
「悠のお母さん忙しいし普段からあんまり手料理食べてないんでしょ? パンじゃ栄養足りないよ。私これでもちゃんと緑黄色野菜とか考えて入れてきたんだよ。かぼちゃの煮物でしょ、ホウレン草の卵焼きでしょ、ニンジンのソテーでしょ。どれも今朝お父さんに味見してもらったんだから」
あかねは白い歯を覗かせてにっこり笑い、箸でニンジンを挟むと俺の口元まで運んできた。
「やめろよ」
「しかめっ面しないで。いいじゃない、幼馴染なんだから」
「よくねぇよ。食いにくいし」
「なんでよー。今更照れないで。私たち何年の付き合いだと思ってる?」
「腐れ縁だよな。幼稚園からだから……」
「私誰よりも自信があるの。悠の事なら何でも知ってるって」
あかねはそう言うとくるりと背を向け、フェンスの向こうの空を見上げて言った。
「幼稚園の頃に悠が好きだったアミ先生ね、結婚して今はお母さんになってるんだよ。高校の同級生とずっと付き合っててこの前ゴールインしたんだって。私も結婚するなら好きな人とがいいな」
俺はあかねの話を上の空で聞きながら、ホウレン草の卵焼きに手を伸ばした。
「フラれても諦めたくないんだ。私ってこう見えてすごく一途なの。他に好きな人を作ろうとしたけど、いくら頑張ったって無理だもん」
ふと他の事を考えていた俺は「確かに」とテキトーな相槌を口にした。その瞬間――。急に視界が暗くなり唇に柔らかい何かを感じた。目の前には瞳を閉じたあかねの顔がドアップで映り込んでいる。俺は慌ててあかねの身体から離れ、自分の腕でごしごしと口元を拭いた。
「お前何やってんだよ」
「食べ物は粗末にしちゃいけないよ」
俺は驚いた拍子に、手に持っていた卵焼きを地面に落っことしていた。
「今のは何だって聞いてんだよ」
「キスのこと? 私の気持ちだよ。フラれてもまだ好きってこと」
「お前バカか?」
「初めてのキスは悠にあげたいって思ってた。だから後悔してない」
「お前はいいかもしんないけどこっちは困るんだよ」
「どうして? 聖マの子と付き合ってるから? 浮気になるから?」
「そうじゃない」
「じゃあ何? 私のことは眼中にないの? 恋愛対象として見れない?」
「質問責めにすんな」
「キスされてどう思った?」
「どうって……」
「良かった? それとも吐きそうだった?」
「なんだよ、その選択。おかしいだろ」
「おかしくない。私は真剣なの。人生一回きりなんだよ? 体当たりでぶつかっていって何が悪いの?」
あかねの気持ちはわかっていたが、突然こんな形で表現されても受け入れることは難しい。
「ダメだ。やっぱ無理だ」
「どうして? そんなに私が嫌い?」
「女として見れない」
あかねは今にも泣きだしそうな顔を浮かべたが、涙を隠すように下を向き、俺のブレザーの袖をぎゅっと握った。
「それでもいい。だから遠くへ行かないで。私の見える所にいて欲しいの」