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「コラッ! 櫻井悠!」
耳をつんざくような甲高い声で名前を呼ばれた。
「また授業サボったんでしょ」
仰向けに寝転がったままうっすら目を開けると、茶色がかった二つの大きな瞳が俺を見つめていた。その距離、数センチ。何度かまばたきをしているうちに、俺の顔のすぐそばに立っているのが青木あかねだということに気づいた。
「あのさ、パンツ見えてるんだけど」
あかねはものすごい早さでスカートを両手で押さえた。そして、怒ったような顔で「ひどい」とか「冷たい」とかブツブツと文句を言い始めた。あかねとは幼稚園のころからの付き合いで、今でも母親同士がお互いの家に行き来してお茶を飲んだりしている。家族ぐるみでキャンプに行ったり、誕生日パーティなどを催したこともあった。さすがに俺たちが中学生になったころからは全員で集まることも減ってきたが、あかねの家族とは今でも会えば挨拶程度はしている。だが、一年程前に突然、あかねに「好きだ」と告白された。容姿は美人の部類に入るし、性格も快活で人懐っこく、友達やクラスメイトからの人望も厚い。これといってマイナス点はなかったのだが、俺はすぐに断った。どうしてと聞かれた時に「面倒だから」と告げた途端、その日から何をしても「冷たい人間だ」と言われるようになってしまった。告白をハッキリ断るのは、あかねの指摘通り冷たい人間のすることなのだろうか。はぐらかして蛇の生殺し状態にしておく方がよっぽど冷酷だと思うのだが。
「先生が探してた。櫻井はまたサボりかって。見つかったらかなり怒られるよ」
俺はあかねの方を一瞥し、無言のままで小さくため息をついた。
「悠って何に対しても興味ないよね? それって無気力症候群じゃないの?」
「これは生まれつきだから」
「無気力症候群って今若い人の間でも流行っているんだって。やる気とか目標がなくて、感情も乏しくなっていくらしいよ。うつ病とも共通点があるみたい。昨日、テレビで特集やってて見たんだ」
あかねは知識をひけらかしたいようで、早口気味で喋り続けた。
「本人も生きがいが感じられなくて辛いんだって。もし悠がそうなら早めに私に言って。あ、私じゃなくてお母さんとか誰でもいいから。ねっ?」
「あのさ、ちょっと頼みがあるんだけど」
「何?」
俺は人に頼みごとをすることが滅多にない。そのせいか、あかねは嬉しそうな顔を浮かべた。
「このプロフィール、消してくんない?」
「ちょっと見せて」
あかねは俺の手から携帯をさっと取り、慣れた手つきでカチカチとボタンを押し始めた。
「これ、悠が登録したの?」
「そんな訳ないだろ」
「じゃあ、洋人でしょ? あいつならやりかねないもん」
「とにかく消してくれよ。洋人にも言ったんだけど、どうせ忘れてそうだし」
「悠もさ、これを機に練習したら? いつまでも通話のみなんてお爺さんじゃあるまいし」
「ジジイで悪かったな。俺には通話で十分なんだよ。メールだのネットだのってメンドくせぇし」
六時間目の始業を告げるチャイムが鳴った。あかねはハッとした表情で「あとでね」と言い残し、鉄扉の向こうに消えて行った。