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 真っ白い空間にいると、息が苦しくなる。考えてみれば昔からそうだった。俺は病室という場所が何よりも嫌いだ。

「本当に申し訳ありませんでした」

 母さんは俺の目の前で深々と頭を下げた。紺色と白色のボーダー柄の長袖カットソーに細身のジーンズという簡素な出で立ちでやってきた母さんは、西園寺の横たわるベッドの側でうなだれている。

「もういいんですよ。朱莉さん、頭を上げてください」

 西園寺は白いガーゼを頬や唇、額に貼られ、いかにも病人という顔をしている。

「うちの子がこんな怪我をさせてしまって……」

「大したことありませんから。気にしないでくださいよ」

「何かあったんでしょうか? 息子は暴力なんて振るう子じゃないんです。私、信じられなくて」

「僕にもわかりませんよ。なぁ悠君、どうしてあんなことしたんだい?」

 西園寺は俺の方に顔を向けた。

「何か言ったらどうなの。なぜ黙っているの」

 母さんがせっつくように俺の袖を引っ張った。だが俺は黙ったまま窓の方を向いていた。

「西園寺さんにきちんと謝罪して」

 母さんはそっぽを向いている俺に懇願するように言った。

「私が何か怒らせるようなことをしたかね?」

 西園寺は冷静に、だが怒りを含んだような声で問いかけた。

 俺は奴と目を合わせることもなく、病室を出た。後ろから母さんが何か言いながら追いかけてきたが、俺の耳には何も入ってこなかった。――謝る? 俺が? 誰があんな奴に頭なんて下げるもんか。

 病院を抜けバス停に立っていると、美衣から携帯に電話がかかってきた。

「今オーストラリアから帰って来たの」

「おぅ、おかえり」

「うん、ただいま」

「今日これから会おうか」

 待ち合わせの公園でベンチに座っていると、七分丈の白いコットンシャツに紺色の膝丈スカートを履いた美衣が大きく手を振りながらやってきた。頬が少しピンク色に染まっているのは小走りで来たせいだろうか。はぁはぁと荒く吐く息が小さな唇から漏れている。

「走ってきたのか?」

「うん、ちょっとね。横断歩道で信号待ちしてたら櫻井君がちらっと見えたから」

 一刻も早く会いたくて走ってきたんだろうか。美衣の気持ちを想像しただけで、ふっと頬が緩んだ。

「そんなに俺に会いたかった?」

「ちがうよ。待たせたら悪いかなって思ったの。ただそれだけ」

 美衣は照れたような顔を浮かべ、慌てて下を向いた。後ろでひとつにまとめたポニーテールがよく似合う。

「向こうでも寂しかったんだろ? 俺がいなくて」

 美衣は首を大きく横に振ると「そんなことない」とツンとした表情で答えた。

「じゃあなんで走ってきたんだよ」

「走ってないよ」

「ホント? こんな所に汗かいて」

 俺は鎖骨の上に光っていた汗の玉にそっと触れた。美衣は一瞬身体をビクっと硬直させた。

「可愛いヤツ」

 俺はふっと笑った。

「またそうやって人をからかう」

 美衣は小さく唇を突き出し、頬を膨らませ怒ったような顔をした。そして、ブーツのつま先で何度も小石を蹴りながら美衣は言った。「ズルいよ。自分の気持ちは言わないくせに」

 俺は美衣の頬を両手で挟み、ぐいっと上を向かせた。一瞬抵抗されるかなと思ったが、そのまま自分の強い気持ちを表すかのようにキスをした。

「……ちょっと、どうしたの?」

 美衣が戸惑ったような表情を浮かべた。

「何が?」

「なんか変だよ。いつもと違う。うまく言えないけど……」

「違う? どこが?」

「何かあったでしょ」

 美衣の声に呼応するかのように、ポツリポツリと俺は今日起こった出来事を話し始めた。そしていなくなった父親のこと、母さんが受けたDVのことも口をついて出た。美衣は真剣な表情で黙って聞いていたが、母さんの話になると急に声を発した。

「櫻井君って冷静で他人に興味がないようなフリをしてるけど、本当はそうじゃないのよね。胸の内にすごく熱いものを持ってる。菜々子ちゃんって子のことを放っておけなかったんでしょ」

「俺は自分のためにやったんだ。子どもの心を平気でナイフで切りつけるような奴には制裁が下るんだよ。テメエの子どもぐらいちゃんと面倒見ろってんだ」

 美衣は再びしばらく黙っていたが、「……そういうのいいと思う」とこともなげにさらりと言った。

「暴力反対って言われると思ったけどな」

「私にはわかるの。あなたはとっても優しい人だって」

 美衣は冷たくなっていた俺の手をぎゅっと握った。

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