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 ゴールデンウィークに入ると、美衣はすぐに家族でオーストラリア旅行に出かけていった。俺は毎日することもなく家でゴロゴロしていた。唯一出かける場所といえば、自宅から徒歩二分の位置にあるコンビニくらいだ。今日も恒例のスイーツチェックに行こうとシャツを羽織ったところで携帯が鳴りだした。小夜子からだ。折り入って相談があるから家に来てほしいと言う。本音を言えば断りたかったが、菜々子に暴言を吐いた上に母さんと西園寺を引き裂いたという負い目もあり、結局は行くことを承諾した。

 小夜子は門の前で俺を待っており、「わざわざありがとう」と頭を下げた。

「せっかくのお休みなのに、呼びだしちゃってごめんなさい。中へどうぞ」

「別にたいした距離じゃないし」

「交通費は払いますから」

「いいよ。それより相談って何?」

「菜々子が学校を辞めるって言ってて困っているんです。櫻井君に甘えるのはどうかと思ったんですけど、他に誰も頼る人がいなくて……」

「アイツまだ中学生だよな」

 小夜子は小さく頷き、ため息をついた。

「今は引きこもりです」

「いつから?」

「櫻井君が電話をかけた日から」

 西園寺家にとって俺は疫病神かもしれないと思った。

「パパ」

 小夜子が視線を向ける先には、西園寺が立っていた。今まで気づかなかったが、もしかすると最初からリビングにいたのかもしれない。

「悠君、悪いね。わざわざ来てもらって」

「いや別に」

「この前は醜態を見せてしまったな。反省してるよ。お母さんは元気かな」

「まぁ元気です」

「それは良かった。朱莉さんに会えなくて僕は寂しいんだけどね。メールも電話も取ってもらえなくて」

「そうですか」

 俺は気のない返事をした。

「パパ、菜々子の話は?」

 小夜子が催促するように西園寺に声をかけた。

「あ、すまんすまん」

「菜々子は二階にいます」

 小夜子は階段の上をちらっと見て言った。

「悠君、少しだけ話を聞いてやってくれないかな。君になら本音を打ち明けるかもしれない。相当お熱を上げていたようだからね」

 俺は当惑していたが、西園寺に背中を押されるままに二階へ上がって行った。コンコンと菜々子の部屋をノックする。

「何よ」

 中から尖った声が聞こえてきた。

「悠君だぞ。お前のために来てくれたんだ」

 西園寺がドア越しにそう告げると、中からカギの開く音がした。菜々子は机に座ったままでこっちを向こうとしない。小夜子の部屋と比べると、菜々子のは二、三畳ほど狭いように感じられた。ブルー系の小物が多く、ベッドカバーも水色で統一されている。窓際に置かれた茶色い木製の机に座った菜々子は、前よりも小さく、そして幼く見えた。

「よぉ、元気か」

「何か用?」

「学校はどうしたんだよ。最近行ってないんだろ」

「お姉ちゃんに呼び出されて来たの?」

「あぁ」

「まったくおしゃべりなんだから。私のことペラペラ人に言いまくって」

「反抗期だろ」

「何が」

「家出の次は引きこもりって……」

「関係ないでしょ」

「何が不満なんだよ」

「私の存在自体が不満なの!」

「そんな身も蓋もない……」

「ねぇ、どうしてだと思う? どうして私なんて産んだんだと思う? パパだってお姉ちゃんだってママが生きていた方が嬉しかったはずなのに」

 菜々子は俯いたまま、感情を高ぶらせて声を荒げた。

「パパはいつだってお姉ちゃんばっかり可愛がる。私の事なんて誰も見てないの。いつも一人ぼっちで寂しいのに」

 菜々子は小さな子どものように、嗚咽し始めた。

「この気持ち、お兄ちゃんならわかってくれると思ったのに。菜々子のこと守ってくれると思ったのに」

 俺は椅子に座る菜々子の頭をそっと撫でた。

「泣くな。もう泣くな。お前の気持ちはわかったから」

「本当に? 菜々子のことわかってくれる?」

「あぁ。俺も父親に捨てられたんだ。だから苦しいのはわかる」

「菜々子はね、ママの命を奪ったんだよ。誰もこのことは言わないけど、私にはわかる。みんな心の中で責めてるの。お前なんて生まれてこなければ良かったんだって。だからパパは一度も私を抱きしめてくれないの。お姉ちゃんばかり可愛がるの。菜々子もパパに好かれるように、いっぱいいっぱい頑張ってきたのに」

 菜々子は俺の腹のあたりにしがみつくと、大声で泣き始めた。その時、菜々子の面影に昔の母さんが重なった。途端に沸騰した熱湯のように胸の奥からぐつぐつと怒りがこみあげてきた。俺は菜々子の部屋を勢いよく飛び出し、西園寺の待つリビングへ走って行った。そして、奴の胸倉をつかみ思い切り突き飛ばした。

「ゆ、悠君?」

 西園寺は床に尻もちをついたが、ふらふらとした足取りで立ちあがった。

「父親失格だ」

 俺はよろけながらソファーの背にもたれかかる西園寺の頬を、無我夢中で殴った。自分の父親への憎悪をぶつけるように、馬乗りになって力いっぱい殴った。背後で小夜子の悲鳴を聞くまで、俺は我を忘れたかのように奴を叩きのめしていた。

「パパ! しっかりして! サツキさん、救急車を早く!」

 小夜子は青ざめた顔でサツキを呼んだ。床に点々と散らばった血跡が事の重大さを物語っている。俺は自分が空手部に所属していたことをぼんやりと思い出した。辞めてしばらく経つが、黒帯まで上り詰めた事実に間違いはない。カタンと音のした方を見上げると、菜々子が血の気を失ってへなへなと階段に座り込んでいた。「パパ、パパ……」とうわ言のように呟いている。数分で救急車のサイレンがけたたましく門の前で止まり、担架を持った救急隊員が家に乗り込んできた。

 この一部始終を俺はまるで映画でも観ているかのように見つめていた。あたかも自分は最初からただの観客でいたかのように。

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