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数日後、美衣からメールの返信があった。“明日の放課後会えませんか?”という内容に、俺は即答で“どこで会う?”とメールを返した。その間、一分足らず。いつもは行動の遅い俺も、この時ばかりは自分で自分を疑うほどに決断が早かった。近ごろは、メールを知らせる着信音を聞いただけで胸が高鳴ってしまう。俺は明らかな心の変化に少し怖じ気づきながらも、四六時中美衣のことを考えていた。
美衣の通うお嬢様学校の校門の前に立っていると、学校帰りの女子中学生・女子高生がキャーという黄色い声を上げながら俺の横を通り過ぎていく。まるで芸能人を目撃したかのような反応が俺にはうっとおしく感じられる。数十分突っ立っているだけで何十人の女子に話しかけられたかわからない。メアド教えてくださいとか、彼女いるんですかとか、だいたい聞かれることはいつも同じだ。こういう話を洋人にするといつも羨ましがられるが、俺にとっては迷惑以外の何物でもない。静かに、いや普通に暮らしたいだけなのに、それすらも叶わないのだ。考えてみれば昔からそうだった。物心がついた頃には、周りから美形だとかカッコイイとかイケメンだとかそういうことばかり言われていた。最初のうちは自慢の息子だと喜ぶ母さんを見て誇らしく感じていた。でも、中学校に入った頃から、だんだんと嫌気がさしてきた。外見なんて所詮、ただの被り物でしかない。綺麗な色のウェットスーツを着ている人もいれば、すすけた色のウェットスーツを着ている人もいる。自分の好みも反映されるだろう。虹色を見て「美しい」と褒める人もいれば、「色が多すぎてクドイ」と感じる人もいる。中には破れたウェットスーツを着ているせいでキモいグループに分類されてしまう人だっている。俺はたまたま万人から愛されるデザイン、そして多くの人を魅了する色のウェットスーツを着て生まれてきた。ただそれだけの薄っぺらいことで周りから称賛される。正直、そんな毎日には疲れてしまった。
「待った?」
美衣が後ろから声をかけてきた。一気に心拍数が跳ね上がり、頬が紅潮するのがわかった。
「いや、来たばっかり」
本当は20分くらい待っていたが、口から出てきた言葉はそれを否定するものだった。俺はただ目の前に美衣がいてくれるだけで何とも言えない嬉しさに包まれた。俺たちは美衣の通うお嬢様学校の校門を離れ、川沿いの土手を並んで歩くことにした。
「すごい声掛けられてたね。教室の窓から少し見てたんだけどビックリしちゃった」
「あぁ、いつものことだから」
「なんかすごいなー。慣れっこって感じ?」
「そういう意味じゃなくて」
「わかってる。苦手なんでしょ? そうやって逆ナンみたいにされるのが」
「外見のことでギャーギャー言われたくない」
「中身で評価しろって? 性格には自信あるの?」
「いや、それは……」
俺はしどろもどろになった。自分の性格が良くないことくらいわかっている。
「私、嫌いじゃないよ。櫻井君には独特の魅力があると思う」
魅力があるという美衣の言葉に俺の心臓はドキっと跳びはね、一瞬足がぴたっと止まった。美衣は半歩ほど前を歩いていたが、俺の方を向いて照れたように口を開いた。
「櫻井君を初めて見た時、不思議な気持ちがしたの。なんていうか、どこかで会ったことがあるような気がした。ずっと前から知っていたような……」
「マジで?」
「あれ? 私だけ? お互いにそうだったら運命の出会いかなーなんて思ったのに」
美衣はガッカリしたような表情を浮かべ口を尖らせながら、ゆっくりと前に歩き出した。その時、無性に美衣を愛しいと思った。気がつくと、俺は衝動的に美衣を後ろからぎゅっと抱きしめていた。ふわりと舞い上がるシャンプーの香り。髪の毛と髪の毛の間から覗く白い首筋が少しピンク色に染まっていくのが目に映った。
「櫻井君……」
美衣は抵抗する様子を見せなかった。それをいいことに、俺は美衣の体を自分の方へ向くように回し、そのまま顔を近づけていった。そしてゆっくり目を閉じ、美衣の赤い唇に自分の唇を重ねた。オレンジ色に染まる夕日の中で俺たちは数秒間、お互いの唇を求めあっていた。まるで時が止まったかのように、周囲の音など何も耳に入ってこなかった。ただ本能の赴くままに、二人だけの世界に浸っていた。
美衣の小さく息を吸う音で俺は我に返った。
「ごめん」
「どうして謝るの?」
「いや、いきなりだったからビックリしたよなって」
「キスしたこと後悔してるの?」
「恋愛したことないからわかんね」
「自分の気持ちがわからない? 好きか嫌いかもわからないの?」
「それはわかる」
「じゃあどっち?」
「……」
俺は押し黙ってしまった。好きと言えたら楽なんだろうけど、そんなこと恥ずかしくて言えるはずがない。
「私のこと嫌いなのにキスしたの?」
「嫌いだったらできるかよ」
「じゃあ好きってこと?」
俺は無言で頷いた。これが精いっぱいだった。
「櫻井君のこと、彼氏って紹介してもいい?」
「お前の好きにしろよ」
「名前で呼んで。お前なんて嫌。あと最低でも週に三回はかならずデートね」
「注文が多いなー」
「だって彼女だもん」
美衣はふわっと笑って、俺の目の前でピースサインをした。この笑顔を見ていると、すぐにでも抱き寄せてキスをしたくなってしまう。
俺はこの時すでに、美衣に完全に心を奪われていたのかもしれない。