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 美衣からの連絡は約一週間後にあった。“猫飼えますか?”という一文に画像が添付されていた。真っ白い子猫の写真だ。画像には “拾いました”というタイトルがついている。バス停で最悪の出会い方をした俺たちは、お互いに携帯のメールアドレスの交換をしていた。だが、俺は自分からメールを送る勇気はなかった。もう一度会いたいという気持ちは増していくばかりだったのに。だから美衣からメールをもらった時は、思いっきり大声で「よっしゃー!」と叫んでしまうほどに嬉しかった。このメールは俺だけに宛てた特別なものではないだろう。いろんな人に同じ文章を送っているのかもしれない。でも、俺にとってはまさに渡りに船といった感じで、最高のタイミングだった。俺は何度も何度も推敲しながら、小一時間かけてやっと“一度猫を見てみたい”という短い文を送ることができた。まるでひとつの重大ミッションを完遂したかのような達成感を感じた。


 翌日、学校から帰ってきたら珍しく母さんが家にいた。普段は仕事で家にはいないことが多いのに、今日は鼻歌を歌いながら二階のベランダで洗濯物を取りこんでいる。俺は制服のブレザーを脱ぎ捨て、乱雑にネクタイを緩めるとソファーに腰を掛けた。一度大きく伸びをして立ちあがり、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出す。一口飲んだところで、母さんの声が聞こえてきた。二階へ行くと、主寝室のドアを開けたまま着替えをしていた。背中が大きく開いた膝上10センチくらいのサテンの黒いドレスを着ている。形の良い長い脚がスラリとスカートから伸びていた。

「悠ちゃん、背中のファスナーを上げて欲しいの」

 俺は無言のままで母さんの後ろへ回った。背中まであるストレートの黒髪を手でそっとまとめ、ファスナーをゆっくりと上へあげていく。昔から母さんは仕事柄ドレスを着ることが多かった。俺は母さん専属のファスナー上げ係りに任命されていたし、ドレスの扱いは手慣れたものだ。

「この年でこんなミニスカート履いてたら可笑しいかしら?」

「母さんは若いよ。スタイルもいいし」

「あらやだ。やけに優しいのね。なんかいいことでもあった?」

「いや」

「好きな子でもできた?」

「んなことないよ」

「ふぅん。お母さんにはナイショなのね。つまんないの」

「だから違うって」

「あ、そうそう。悠ちゃん、今週末は空いてるわよね?」

「なんで?」

「誕生日パーティをするのよ」

「誰の?」

「西園寺さん。ご自宅に呼ばれたの。土曜の夜よ」

「俺は行きたくない」

「いいじゃないの。きっと楽しいわよ。みんなで夕食を囲んでゲームもするの」

「めんどくさいんだよな、そういうの」

「どうせ予定ないんでしょ? 一晩くらいいいじゃない、ね?」


 西園寺透は穏やかな頬笑みを浮かべ、「よくぞいらしてくれました」と言いながら、手厚く俺たちを招き入れた。西園寺家はかなりの金持ちなのだろう。小高い丘の上に建つ大きな豪邸に住んでいる。遠くから見ても目立つほどの立派な洋館で、門から玄関までの距離が50メートルほどある。

「今夜はお招きいただいてありがとうございます。これ、たいしたものじゃないんですけど」

 母さんは手作りのお菓子を差し出した。昨晩、三回も失敗してやっと成功したシュークリームだ。俺もカスタードクリーム作りを手伝わされ、木べらで小鍋の中をぐるぐるかき回していたのだ。

「これは美味しそうだ。私の大好物がよくわかりましたね」

 ケーキ箱の中をのぞいて、西園寺は上機嫌に言った。

「パパ! オーブンの中で何か焦げてるわ」

 ベージュの膝丈ワンピースにピンクのファーがついたカーディガンを羽織った少女が大慌てでこちらに向かって走ってきた。西園寺はマズイという顔を浮かべ、「失礼」と小さく言うと少女と共に小走りでキッチンの方へ消えていった。

「こんばんは」

 声のする方を見ると、紺色のセーラー服に身を包んださっきとは別の少女が、小さくお辞儀をしながら上目遣いで俺の顔を見つめていた。

「私のこと覚えてる?」

「あぁ、たしか菜々子って名前だっけ?」

「当たり!」

 菜々子は顔をほころばせ、小さくジャンプしてみせた。

「あのね、お願いがあるの」

「何?」

「これから兄妹になるんだし、悠くんのことお兄ちゃんって呼んでいい?」

「は?」

「パパと朱莉さん結婚するんでしょ? だったら、菜々子のお兄ちゃんってことだよね」

「いや、俺聞いてないし」

「菜々子ちゃん、私たちまだ結婚するって決めたわけじゃないの」

「でもパパは……」

「こら、菜々子! 余計なことを言うんじゃない」

 キッチンから西園寺が再び小走りでやってきて、次女をたしなめた。菜々子はふてくされたような顔つきになり、「せっかくカッコイイお兄ちゃんができたと思って喜んでたのに」とつぶやいた。

「櫻井君、こんばんは」

 西園寺の長女が螺旋階段から降りてきて、微笑みながら口を開いた。

「こんばんは」

「菜々子がこんなに懐くなんて珍しいわ。ところで私の名前は忘れちゃいました?」

「えっと……」

 俺は首を横にひねりながら懸命に思い出そうとした。しかし、まったく出てこない。長女の視線を痛いほどに感じ、何とも言えない罪悪感を感じた。

「お兄ちゃん、あとで二階に来て。見せたいものがあるの」

 菜々子は声を弾ませながら、俺の耳元でささやいた。断ろうとして口を開いた瞬間、菜々子は俺の唇に人差し指をくっつけてきた。「何も言わないでとにかく来て。私が合図するから」 

 焦げかかった鶏の丸焼きも含めた豪勢な夕食が終わると、お決まりのゲーム大会が始まった。周りは当たっただの勝っただのとかなり盛り上がっていたが、俺はゲームなんて負けても勝っても同じだと思っている。どうやら西園寺の長女もそう思っているようで、貧乏くじを何度引いても動じている様子はなかった。一方、菜々子はゲームで自分に不利な状況になるたびにギャーギャー大騒ぎをしている。まさに正反対の姉妹だ。人生ゲームに引き続き、トランプ大会が始まった。母さんと西園寺は“大人チーム”、俺たち高校生と中学生組は“子どもチーム”になり、グループ戦になった。

「お兄ちゃんマジ最強キャラ! 同じチームで超ラッキーって感じ」

 菜々子は勝手にお兄ちゃん呼ばわりをしながら、俺を褒め続けた。西園寺は母さんの肩に手をかけ、慣れ慣れしく「あかりちゃん」と呼び始めた。さっきまでは「あかりさん」だったのに、ワインを飲み過ぎたのかかなり大胆になっている。俺は二人の姿を目の当たりにして、妙な気分になった。西園寺の汚らしい手が母さんの肩や腕に触れていると思うだけで、胃の辺りに不穏なものを感じる。

「お兄ちゃんって頭いいんだよね? 菜々子、数学でわからない所があるの。宿題手伝ってもらえない?」

 西園寺は困ったような顔を浮かべ「勉強ならお姉ちゃんに聞きなさい。悠くんに失礼だろう」ときつい口調で言った。俺は勉強を教えるなんて面倒だと思っていたから、西園寺の一言には正直助けられた。だが、ホッとしたのもつかの間――母さんが間髪入れずに「悠ちゃん、手伝ってあげなさいよ。中学生の数学なんて簡単でしょ」と横やりを入れてきたのだ。「うちの子、昔から理数系が本当によくできるのよ。数学は中学からずっと5だったし、それに他の科目だって……」

 母さんの息子自慢は止まらない。これ以上聞いているよりはマシだと思い、俺は仕方なく菜々子の後ろへついて二階へ上がっていった。

「菜々子の作戦なかなか良かったでしょ。本当は勉強なんて教えて欲しいわけじゃないんだ」

「数学ってのはウソか」

「今は勉強なんてしたくない」

「じゃあ何なんだよ」

「お兄ちゃんだけに見せたいものがあるの」

 そう言うと、菜々子は突然着ていたセーラー服のリボンに手をかけ、横のファスナーを下した。

「何やってんだよ!」

 俺はあまりに驚いて、思わず大声を張り上げた。

「シーッ」

 菜々子は人差し指を俺の唇の前に持ってくると、「大きな声を出したら下に聞こえちゃう。お兄ちゃんが菜々子を襲ったって思われちゃうよ。いいの?」と言い、俺を試すような顔つきで見つめた。ゆっくりとセーラー服を脱ぐと、ピンク地にチェック柄の下着が露わになった。

「ねぇ、菜々子の体どう思う? お兄ちゃんは魅力的だと思う?」

「やめろよ。人をからかうのはよせ」

「からかってなんかない。菜々子は本気だもん。お兄ちゃんに好きになってほしいの。愛してほしいの」

 菜々子は熱っぽい瞳で俺の顔をじっと見つめると、俺の履いているジーンズの留め具に手をかけた。俺の心臓は、今にも破裂しそうに高鳴り始めた。菜々子は自ら制服のスカートのホックを外し、ついに上下ともに下着だけの姿になった。

「裸になって欲しい? お兄ちゃんが愛してくれるなら、菜々子の全部をあげる」

 濃いメイクが施された菜々子の顔を見ていると、相手が中学生だなんてことは忘れてしまいそうになった。俺はクルリと後ろを向いて息を整えると、前に向き直ってハッキリとした口調で菜々子に告げた。

「服を着ろ」

「え……」

「一人で暴走すんな。俺がいつお前を抱きたいなんて言った?」

 俺は下に落ちていた制服を集めると、その塊を菜々子の胸のあたりに押しつけた。

「どうして? 菜々子じゃダメなの?」

「お前に興味はない。だから裸を見たいなんて微塵も思わないんだよ。むしろ勝手に服を脱がれて迷惑だ」

「ひどい……。菜々子はお兄ちゃんに愛してほしいだけなのに……」

「それはお前の勝手だろ。俺には関係ない。女から襲ってくるなんて浅ましすぎるだろ。ってか、男なら誰でもいいからヤリたいのか?」

「そういう言い方ってひどすぎる。お兄ちゃんのバカ! 大バカ野郎!!」

 菜々子は顔を真っ赤にして怒り出し、俺の背中をぐいぐい押して外へ追いやった。そしてすぐ後ろで、バタンと大きな音を立てて部屋のドアを閉めた。

「悠ちゃんどうしたの? 今すごい音がしたけど」

 母さんが心配ような顔で階段を上がってきたが、俺は無言のままドアの前に立ち尽くしていた。悪いことをした覚えはないのに、なんだかひどく心が重かった。

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