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 美衣に出会ってから、俺の行動は少しずつ変わっていった。最近の一番大きな変化は、あれほど面倒臭いと思っていた男子スイーツ倶楽部のオフ会に出席する決意をしたことだろう。昨夜鼓太郎から電話があり、「絶対に来てよね。新メンバーも紹介したいし」とプッシュされ、俺はNOと言えなくなった。以前なら無言で電話を切るか、最初から着信自体を無視していたはずなのだが……。

 所沢駅から歩いて十分くらいの場所に「黒猫モジャカフェ」はあった。看板が表通りに出ていないので、裏路地に入らないとわからない造りになっている。カフェの入り口にかかったすすけた木の小さな看板には「黒猫モジャカフェ」という手彫りの文字と、ネコらしき絵が添えてあった。手で押してドアを開けると、チリンチリンと鈴の甲高い音が中に鳴り響いた。店内は広くない。手狭なカウンター席、二人掛けのテーブル席がふたつ、そして四人掛けのテーブル席がひとつ。カウンター席に常連らしき初老の男が一人座り、文庫本を読みながらコーヒーを飲んでいた。約束の時間より五分ほど早く着いたせいか、まだ誰も来ていない。四人掛けのテーブル席に俺は腰を掛けた。「いらっしゃいませ」という声と共に、白いコットンシャツの上に黒いエプロンをかけた五十代くらいの男がカウンターの奥から出てきた。飲み物でも頼もうか迷ってると、入口から鈴の音が聞こえてきた。鼓太郎だ。満面の笑みで近寄ってくる。

「元気そうね。足はもう平気?」

「最初からたいした怪我じゃなかったから」

「そう? もっと責められるかと思ったわ。覚悟して今日は来たのよ。」

 鼓太郎は人の顔色をうかがうような様子で向かい側に座り、まじまじと俺を見つめた。

「やっぱり何度見てもイイ男だわ。芸能界デビューでもしたら?」

 俺は無言のまま、大きくため息をついた。

「あ、ごめんなさいね。顔の話をされるのは嫌なのよね。忘れてたわ。もうー、テンション上がっちゃってどうしようもないのよ。うふふ」

 鼓太郎はベージュの細身のジャケットを素早く脱ぎ、椅子の後ろに掛けながら言った。

「この場所よくわかったわね」

「電話で言ってたろ? その通りに来たんだけど」

「アタシの説明じゃわかりにくかったでしょ。たいていの人は迷うのよ」

 その時、テーブルの上の携帯から着信音が流れた。鼓太郎は「ほらね?」と言いながら電話を取り、早口でここまでの道順を説明し始めた。すると、一分もしないうちに厚着をした男が現れた。もうすぐ五月だというのに、膝まである紺色のダッフルコートを着込んでいる。額から汗を流し、黒ぶちの眼鏡をかけた小太りの男は、俺に熱い視線を投げかけながら俺たちの座るテーブルに向って歩いてきた。

「あなたが大くんよね?」

「あ、は、はい、小倉大おぐら だいと申します」

「こちらが櫻井悠くん。そしてアタシが男子スイーツ倶楽部管理人の白井鼓太郎よ。こうちゃんって呼んで」

 鼓太郎は素早く右手を出し、大に握手を求めた。ところが大はそれを拒否し、「た、大変申し訳ないのですが無理です」と言い放った。そして、おもむろにダッフルコートを脱ぎ、白いTシャツ姿になった。Tシャツにはアニメのキャラクターのようなものがプリントされている。

「いやだぁ、大くんってそういうキャラ?」

「キ、キャラとは?」

「だーかーらぁ、オタク系キャラってやつでしょ」

「あ、あ、あの、今日は握手会だったんです。アニメも好きですが、今一番ハマってるのは桃香ちゃんで……桃香ちゃんのホンモノの手にさっき触れてきました」

「それで? 手を洗わないで過ごすつもり?」

「は、はい」

「そんなんじゃお風呂にも入れないじゃないの。不潔ねぇ。インフルエンザにでもなりそうだわ」

「い、いいんです!」

 俺は大のオタク臭溢れる話し方に悪寒が走るのを感じた。君子危うきに近寄らずということわざがあるが、その通りだ。俺は面倒な人間には出来る限り近づかないようにして生きてきた。今までもこれからもそれを変えるつもりはない。

「大くん、あなたどうして男子スイーツ倶楽部に入ろうと思ったの? そもそもアニメ系でもないオフ会なんて、オタク系の子が喜んでくるような場じゃないでしょ」

「僕、実は……実は……」

 急に大の様子がおかしくなった。俺の隣にちょこんと座り、赤面してどもり始めたのだ。

「どうしたの? 具合でも悪い?」

「ぼ、僕も櫻井先輩と同じ高校に通ってます。近所だから昔から知っておりまして……いつも先輩の事見ててずっと憧れてました。少しでも先輩に近づきたいと思いまして、この倶楽部に入らせてもらおうと」

「もしかしてそっち系?」

 俺は嫌な予感がして、大の方を見た。

「あ、あの、そっち系とは?」

「この人、話が通じないわね。悠はあんたがゲイなのかどうかを聞いてるのよ」

「はい?!」

「そういうのマジ困るんだけど」

「そうよ、この部はスイーツ好きの男子が集まる倶楽部なの。恋愛目的はご法度。もってのほかよ」

「ま、待ってください。そういうのじゃありません。そもそも僕はBL漫画に出てくるようなカッコイイ男でもないし……。あ、いや、そういう意味じゃなくて……。ただ、その……櫻井先輩みたいに成績優秀で何でも器用にこなせて、それにいつも冷静で何にも動じないような強い人間になりたいんです。ただそれだけです」

 大は興奮した様子で喋り始め、圧倒される俺らにはお構いなしで話し続けた。

「あ、あとそれから甘いものも大好きです。ぼ、僕の兄は、渋谷の洋菓子店でパティシエをしておりまして。一応、賞とかも取っています」

「パティシエ? お兄さん、スイーツ作ってるの?」

「ええ」

「すごいじゃない! どうしてそれを先に言わないのよ。じれったいわね」

「僕は自分に自信とかそういうの、全然ないんです……。現実社会で生きていくのが怖くて。でも、ある日兄ちゃんに『人生に目標を持て』とか『誰か目指したいと思う人はいないのか』って聞かれて。すごく悩んで考えました。一週間ぐらい真剣に考えて、僕は櫻井先輩みたいになりたいって思ったんです」

「俺はただの無気力人間だぞ。冷静というよりは、人間に興味がないだけだ」

「それでいいんです。僕もバカな人間たちに右往左往したくない。いつも人目を気にしてビクビクして、イジメられてばかりの人生でした。自分を守るために厚い壁を作ることに精いっぱいで」

「大変ね。かわいそうな大くん。イジめる奴なんて悠が懲らしめてあげなさいよ」

「加害者にも被害者にも俺は興味ないんだよ。あいにく助ける気はない」

「そんなのってヒドイわ、ねぇ大ちゃん?」

「いいえ、とんでもないです! 櫻井先輩がそんな……。僕みたいな奴が先輩とこうして話ができるだけで光栄極まりないことですから。ぼ、僕はとにかく先輩みたいに一匹狼で強くなりたいだけなんです」

「だから、俺は強いんじゃなくて生物一般に興味がないだけ。わかんないかなー? そこんとこ勘違して憧れとか持たれても迷惑なんだよな」

「まぁいいじゃないの。悠には同性にも好かれる魅力があるってことよ」

「あ、あの、それに先輩は女子からモテモテですよね。正直、かなり羨ましいです」

「それが嫌なんだよ。女なんてウザイだけだし」

 その時、ドアの方から鈴の音がして、黒い皮ジャンに細身のジーンズを履いた二十代前半くらいの茶髪の男がカフェに入ってきた。三白眼で鼻が高く、頭の良さそうな雰囲気を醸し出している。しかも190センチはあろうかというほどの長身だ。いかにもフレンドリーそうなこの男は、片手を軽く上げながら笑顔でこちらへ歩いて来た。

「もしかしてニックネーム“ドクターS”? たしか医学生の……」

 鼓太郎は椅子から素早く立ち上がり、ぎこちない笑顔を作って言った。

「そうや、太平大の医学部に通ってる。本名は桐野修太や、よろしくな」

 桐野修太は早口で関西弁を喋り、なれなれしい態度で俺の斜め向かい、つまり鼓太郎の隣に腰を掛けた。太平大といえば、都内では一位、二位を争う有名大学だ。とくに医学系は高い実績もあり、社会からの信頼も厚い。席に着いた途端、鼓太郎が「関西出身なん?」と親しみを込めた言い方で修太に聞いた。「そうや。アンタもか?」と修太。

「ちゃうちゃう、東京生まれの東京育ち」

「じゃあなんで関西弁喋るん?」

 修太の質問は的を得ている。俺もちょうど同じことを思っていた。

「うふふ、アタシって影響されやすいのよ」

「はい?」

 俺は思わず間の抜けた声を出した。

「アタシね、沖縄旅行に行った時は沖縄語を喋ってたし、京都に修学旅行に行った時は京都弁だったわよ。そうそう、北海道にスノボ旅行へ行った時も北海道弁を喋ったわ。『なまら寒~い』とかね」

 鼓太郎はひとりでベラベラと句読点なく話し続けた。

「おもろいオネエ系やなぁ」

 修太は腹の底からくっくっくと笑った。

「あのぉ、何も頼まなくて宜しいんですか? お水だけで長居っていうのも……」

 大が額に汗を掻きながら、おずおずと申し訳なさそうな声で言った。

「あ、忘れてた。マスター、いつものパンケーキ四つ」

 鼓太郎はハッとして、カウンター越しに立っているマスターに声をかけた。しばらくしてマスターがパンケーキを四つ持ってきて、俺たちの目の前に置いた。パンケーキは顔の半分くらいの大きさで、三枚積み重なっている。パンケーキとパンケーキの間からは木苺のハンドメイド(らしい)ソースがたっぷり浸み出てきている。本場カナダの香り高いメイプルシロップと、トッピングされた生クリームが品良く一番上のパンケーキに乗っかっている。

「これはおいしそうですね」

「アタシのお気に入りよ。まずは食べてみて」

 俺たちは言われるまでもなく、一秒でも早くパンケーキを口に運ぶため、無言でナイフとフォークを動かした。

「生クリームが全然くどくないですね。メイプルシロップの甘さにも嫌味がないですし。最高の組み合わせです!」

「たしかに旨いな」

「ホンマにイケるわ」

「悠先輩、もう一皿注文させていただきたいのですが」

「おいおい、まだ食うのかよ」

 俺は思わず大に突っ込みを入れた。

「大ちゃん、これ以上太ったら憧れの先輩には近づけないわよ。外見の改造計画なら私に任せて。超スーパーハンサム大ちゃんになって、女の子をブイブイ言わせる作戦よ」

「ブイブイって……。実はこうちゃんさんって若いフリして中年ですか?」

 大はぼそっと呟くように言った。

「エセ関西人のオネエ中年か! そりゃウケるわ」

 修太もゲラゲラと大声で笑い始めた。

「なによ、ヒドイじゃないの! あたしを年寄り扱いしないでちょうだい! それに“こうちゃんさん”って何よそれ。中国人留学生みたいじゃない」

 三人のやり取りを聞いているうちに、俺の口元にも自然と笑みがこぼれた。こんな風に腹の底から楽しいと思えたのは何年振りだろうか――。

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