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春のそよ風が優しく頬を撫でる。誰もいない屋上で胡坐をかいて座り、両膝の間に無造作に焼きそばパンを置く。紙パックの牛乳を慣れた手つきで開けると、そのまま上を向いて口に流し込んだ。
「悠、お前ってすっげぇのな」
クラスメイトの山川 洋人が、俺の名前を呼びながら重い鉄扉の向こうから顔を出した。洋人とは小学校時代からの腐れ縁で、今も同じクラスだ。昔から背が低いのが悩みで、毎日のように「何食ったらそんなにでかくなれんだよ」と突っかかってくる。洋人は切れ長の目をさらに細くして、俺の隣に腰をかけた。
「かっこいい奴はぜってー得だよな。俺もそんな顔だったら人生変わってたのに」
「はぁ? 何だよ」
俺は話の糸口が見えず、イラっとした声で聞き返した。外見のことで褒められるのは慣れている。母親は元モデルで父親は俳優。両親のDNAを引き継いでいるのに、見てくれの悪い子が生まれて来るはずもない。この世に生を受けた日から、俺は「かっこいい」という形容詞と共に人生を歩んできたのだ。だから、今さら外見を称賛されたくらいでは何も嬉しくない。むしろうざったく思えてしまう。
「悠の顔、借りちゃったよ」
「意味わかんねぇよ。お前の言ってること」
「聖マの女子からも友達になりたいってじゃんじゃんメールが来るんだよ」
聖マというのは、隣接している聖マヌエル女子高校の略称だ。
「メールってなんだよ? 俺何もしてねぇけど」
「なぁお前ってさ、携帯でネットとかやってないだろ?」
洋人は少し小馬鹿にしたような顔つきで俺を見た。
「携帯なんて通話しか使わねぇし」
「いまどきそれはないって。メールとかネットとか普通はするっしょ」
「俺には必要ない」
「悠、お前損してるよ。いくら光源氏でもなー」
「は? なんで俺が光源氏なんだよ」
「お前のあだ名」
「勝手につけんなよ」
「この前、古文で『源氏物語』やったじゃん。光源氏っぽいよな、お前って」
「いや、俺は女に興味ないから」
「もったいねぇな。その顔だけであんなに女子が集まるのにな」
「だから、さっきから何だよ。俺の顔を利用して何かしたのかよ?」
洋人は制服のジャケットから携帯電話を取り出し、俺の目の前に「これ」と差し出してきた。そこには、はにかんだように笑う俺の顔写真と簡単なプロフィールが載っていた。
所属:緑が丘第二高校 二年C組
血液型:A型
誕生日:1994年12月24日(17歳)
自己紹介:埼玉県所沢市に住んでます。帰宅部だけど、彼女募集中。ヨロシク!
「なんだよこれ」
「まぁ、慌てんなって。お前のこと書いたら、すっげー数のアクセスがあったんだ」
「個人情報の垂れ流しじゃないかよ」
「自己紹介ならぬ他者紹介、なんてな」
「嘘ばっか書いてんな。彼女なんて募集中じゃないし」
「悠、恋愛しろ」
「お前に言われたくない」
「好きな女でもできれば、その性格も直るだろ」
「俺は理想が高いんだよ」
「いいから聖マの女子と付き合っちゃえよ。あそこだって金持ちのお嬢様だらけだぜ?」
「早く消せよ」
「消すって何を?」
「俺の個人情報を消せって言ってんだよ」
「あーあ、つまんねぇの。Wデートでも実現するかと思ったのに」
「彼女もいないくせに何がWデートだよ。ったく、勝手に写真まで使われるし最悪だな」
思いっきり不機嫌そうな顔を浮かべた途端、洋人は逃げるように「じゃ、また教室で。遅れんなよー」と言いながら足早に去っていった。あいつは昔から俺の顔色を見て、いよいよヤバくなってくるとさっさと逃げる癖がある。俺はイライラする気持ちを抑えながら、ゆっくり立ち上がり四月の空を見つめた。細長い雲がゆらゆらと風に揺られて棚引いている。
――そうだ、今日はこのままサボろうか……。晴れた温かい日には昼寝の誘惑に負けてしまうことがある。大きく伸びをしてから、冷たいコンクリートの上にゴロリと寝転がった。少し風が冷たいような気もしたが、そのままうとうとと浅い眠りについた。