第三話 ここは、天国?
少し一話あたりは長いですかね?ご要望、ご意見がありましたら是非コメント欄まで。
深い森の静寂の中、馬の蹄の音だけが規則正しく響いていた。
「……殿下、あそこに誰か倒れています!」
先遣隊の騎士が声を張り上げる。
漆黒の毛並みの馬を止めたアルフレッド・フォン・ラグナートは、鋭い眼光をその先に向けた。
国境付近の街道。冷たい土の上に、一人の女性が横たわっている。
アルフレッドは馬を降り、足早に歩み寄った。
「おい、しっかりしろ。……生きているな」
抱き起こしたその女性――リリアーヌの体は、驚くほど軽かった。
泥に汚れた旅装束。手は荒れ、目の下には消えない隈がある。だが、その顔立ちは美しく、どこか不思議なほど清廉な空気を纏っていた。
「殿下、平民の娘のようですが……こんなところで野垂れ死ぬとは、よほど困窮していたのでしょう。警備隊に預けますか?」
騎士の問いに、アルフレッドはリリアーヌの右手をそっと持ち上げた。
指先には、ペンを握り込み、魔法陣を書き続けた者にしかできない独特の「たこ」があった。ただの平民ではない。
「いや、我が城へ運ぶ。この娘は、死なせていい人間ではない気がする」
アルフレッドは彼女を軽々と抱き上げ、再び馬に跨った。
◇
「……っ」
次にリリアーヌが目を覚ました時、視界に入ってきたのは、真っ白で清潔な天井だった。
柔らかな羽毛の布団。部屋には微かにラベンダーの香りが漂っている。
(……私、死んだのかしら。ここは、天国?)
体を起こそうとすると、わずかに節々が痛んだ。
「お目覚めですか? 無理をしてはいけませんよ」
落ち着いた低い声が響き、リリアーヌは弾かれたように顔を向けた。
そこにいたのは、燃えるような銀髪に、吸い込まれそうな蒼い瞳を持つ、恐ろしいほど整った顔立ちの男性だった。
「……あなたは……」
「私はアルフレッド。ここはラグナート王国の王宮だ。君が国境付近で倒れているのを見つけて、保護させてもらった」
ラグナート。隣にある、鉄の規律と高度な魔法文明を持つ強国だ。
リリアーヌは混乱した。自分は「偽聖女」として追放された身だ。もし正体がバレれば、他国への不法入国や、外交問題に発展しかねない。
「……あ、あの、ありがとうございます。私は……その……」
「名前を聞いてもいいかな?」
リリアーヌは一瞬迷い、そして唇を噛んだ。
「リリアと言います。……ただの、行き倒れの平民です。」
聖女の肩書きも、公爵令嬢の身分も、もう捨てたのだ。
アルフレッドは彼女の言葉を疑う様子も見せず、静かに頷いた。
「そうか。リリア、顔色がまだ悪い。君の体はひどく衰弱していた。まるで何年も休まずに働かされていたかのような状態だったが……心当たりは?」
「それは……」
図星だった。だが、リリアーヌはそれを飲み込んだ。
「……少し、忙しいところで働いていただけでございます」
「ふむ。ただの平民が、騎士団の高級な護身用短剣を持ち、指にこれほど深い執筆だこを作っているとは、妙な話だが……今は追求しないでおこう」
アルフレッドの蒼い瞳が、優しくリリアーヌを射抜く。
「しばらくここで休むがいい。身寄りがなく、行く当てがないのなら、体が治るまでこの城で侍女として働いても構わない。給与も出すし、衣食住も保証しよう」
「……いいのですか? 私のような、何も持たない者を」
「何も持っていないかどうかは、私が決めることだ」
アルフレッドは立ち上がり、扉へと向かった。
「まずは食事を摂れ。話はそれからだ」
彼が去った後、リリアーヌは運ばれてきた温かいスープを一口啜った。
じわじわと体に熱が染み渡る。
冷遇され、罵倒され続けた三年間。
誰かにこうして「休め」と言われたのは、、初めてだった。
「……おいしい……」
一滴の涙が、スープの中に落ちた。
一方、その頃。
リリアーヌが去った元の王国では、異変が起き始めていた。
「おい! 昨日の決算書類はどこだ!? 騎士団の備品が一つも届いていないぞ!」
エドワード王子の怒声が響くが、執務室の机には、処理の仕方がわからない書類が山のように積み上がり、雪崩を起こしていた。
「殿下、そんなことより私のドレスの予算を……」
ぶりっ子令嬢ミスティの声も、もはや苛立ちを隠せない。
彼らはまだ知らなかった。
自分たちが捨てた「偽聖女」が、どれほどの重さでこの国を支えていたのかを。
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