第二話 『偽聖女』なんかじゃない
第二話です。ここからリリアーヌは新天地へと向かいます。
王宮の勝手口。夜の闇に紛れて城を去ろうとする私の前に、人影が立ちはだかった。
エドワード殿下の追手かと思い、私は一瞬身を強張らせる。
「……リリアーヌ様。本当に行ってしまわれるのですか」
震える声の主は、近衛騎士団長のガイルだった。その後ろには、メイド長のマルタや、泥にまみれた見習い騎士たちの姿もあった。
「皆さま、どうしてここに……。殿下に見つかったら、お叱りを受けますわ」
「そんなことはどうでもいいのです!」
普段は冷静なガイルが、声を荒らげた。彼は私の前に跪き、拳を握りしめる。
「我々騎士団が、今日まで五体満足で戦ってこられたのは、誰のおかげだと思っているのですか。殿下は『俺のカリスマが士気を高めている』などと抜かしていますが、戦場で傷ついた我々を、深夜に人知れず癒やして回っていたのは、あなただ……!」
「リリアーヌ様、これを持って行ってください」
メイド長のマルタが、ずっしりと重い袋を私の手に握らせた。中身は、金貨と保存食、そして丁寧に畳まれた一着の旅装束だった。
「これは、私たち使用人一同で出し合ったものです。聖女予算を削って私たちの給料を守ってくださったこと、みんな忘れていません。……あなたは『偽聖女』なんかじゃない。私たちにとっての、唯一の光です」
視界が、急に熱くなった。
三年間、一度も泣かなかった。どれだけ罵倒されても、どれだけ不眠不休で働いても、「無能」のレッテルを甘んじて受け入れてきた。それが私の役割だと自分に言い聞かせて。
けれど、今、初めて胸の奥が震えた。
「……ありがとうございます。でも、私が行かなければ、あなたたちが殿下に何をされるか……」
「ご心配なく。我々も、いつまでもあのような暗君に従うつもりはありません」
ガイルは顔を上げ、決然とした目で私を見た。
「リリアーヌ様。どうか、これからはご自分のために生きてください。誰かの影ではなく、あなた自身の光で、世界を見てきてください。我々はここで、あの方が犯した過ちの報いを見届けることにします」
ガイルは腰の短剣を抜き、その鞘を私に差し出した。
「これは私の私物です。護身用にお持ちください。……いつか、あなたが本当の意味で笑える日が来ることを、心から祈っております」
私は、震える手でそれらを受け取った。
「……さようなら。皆さんのことは、決して忘れません」
私は深く、深く頭を下げた。王妃になるための儀礼的な礼ではなく、一人の人間としての、心からの感謝を込めて。
顔を上げると、見送りの人々も皆、涙を堪えながら私に敬礼していた。
こうして私は、初めて王宮を、そして国を捨てた。
重い城門を抜け、暗い街道を一歩、また一歩と進んでいく。
背後にそびえる王宮を見上げると、エドワード殿下の寝室がある塔だけが、傲慢なまでに明るく輝いていた。
明日から、あの場所で何が起きるのか。
山積みの書類。
更新の途絶えた魔導結界。
治療を待つ負傷兵。
そして、何も知らない「本物の聖女」様。
(……もう、私の知ったことではありませんわ)
私は前を向いた。
どこへ行くかも決めていない。身分も、地位も、家も失った。
けれど、不思議なほど足取りは軽かった。
私は歩き続ける。
夜が明け、朝日が昇り、道端に咲く名もなき花が露に濡れているのを見つける。
そんな些細な景色が、三年間、窓のない執務室に籠もっていた私には、何よりも美しく見えた。
だが、現実は甘くない。
不眠不休のブラック労働で削り取られた私の身体は、思っていた以上に限界を迎えていた。
深い深い森の中で、急に視界がぐにゃりと歪む。
「……あ……」
膝から崩れ落ち、冷たい地面が頬に触れる。
重い瞼を閉じながら、私は遠くから聞こえてくる馬の蹄の音を、夢心地で聞いていた。
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