第十一話 開放の涙
ちょっと内容が急ですかね。
隣国ラグナートにおいて、リリアの存在はもはや「一人の侍女」や「有能な治癒術師」という枠を完全に踏み越えていた。
アルザス地方での奇跡以来、国民たちは彼女を敬愛を込めてこう呼ぶようになった。――**『ラグナートの守護女神』**と。
「リリア様! 女神様! どうか、この子に祝福を……!」
「ああ、リリア様が微笑んでくださった。これで今年の一家は安泰だわ!」
王宮のバルコニーにリリアが姿を見せるだけで、広場に集まった人々から地響きのような歓声が上がる。彼女が微笑むだけで、絶望していた者たちが涙を流して立ち上がるのだ。
だが、その日の午後。王宮の私室に戻ったリリアは、震える手で窓のカーテンを閉めた。
追いかけてきたアルフレッドは、彼女の異変に気づき、静かに背後から声をかけた。
「どうした、リリア。民たちの喜びの声が怖くなったか?」
「……いいえ、そうではありません。ただ……」
リリアは力なく首を振り、自身の荒れた手のひらを見つめた。
「あんなに温かい目で見られるたびに、思い出してしまうんです。前の王国で、私が浴びせられ続けた言葉を」
リリアは唇を噛み、絞り出すように告白した。
「実は、私と隣国で聖女として、そしてエドワードの王子の婚約者として働いていたんです。そして、あちらでは……私は、**『偽聖女』**と呼ばれていました。どれほど祈っても、どれほど書類を片付けても、エドワード殿下は『お前は魔力を持たない無能な偽物だ』と。国民もそれを信じ、私に石を投げました。……私は、自分の存在そのものが嘘なのだと、ずっと思って生きてきたんです」
三年間、心の奥底で化膿していた傷口を、彼女は初めて他人に晒した。
「だから、ここで『女神』と呼ばれるたびに、怖くなるんです。いつかこの光が消えて、皆さんが『やっぱり偽物だった』と怒り出すのではないかと……」
言い終える前に、アルフレッドの強い腕が彼女を抱き寄せていた。
彼の胸の鼓動が、驚くほど力強く伝わってくる。
「リリア、辛い過去を打ち明けてくれてありがとう。いや、私を見ろ。……君に石を投げた者たちは、太陽を見て『暗い』と叫ぶ愚か者だ。だが、私の国の人々は、君がもたらした光で実際に救われた。それを『偽物』と呼ぶ権利など、神にだってありはしない。それにしても驚いたよ。君が聖女だったなんて。」
アルフレッドは彼女の顎をそっと持ち上げ、蒼い瞳で真っ直ぐに射抜いた。
「君を『偽聖女』と呼んで捨てたあいつらが、間違っていたのだ。君は偽物などではない。……私にとっては、命を懸けて守るべき、唯一の本物だ」
「アルフレッド、様……」
三年間、一度も乾くことのなかった心の砂漠に、温かな雨が降ったような気がした。
リリアの目から、大粒の涙が溢れ出す。それは悲しみではなく、ようやく「自分」を認められた解放の涙だった。
◇
しかし、その感動を切り裂くように、海の向こうから醜悪な執念が迫っていた。
「……報告します! 隣国ラグナートに現れたのは、ただの聖女ではありません! 『女神』とまで呼ばれる存在……あ、あのリリアーヌ様です!」
密偵の報告を聞いたエドワード王子は、顔を真っ青にして椅子から立ち上がった。
「女神……だと? あの、魔力すらろくに使えなかった『偽物』の分際で!」
エドワードの足元には、真っ黒に腐りかけたパンと、泥水のようなワインが置かれている。リリアが去ってから、王国の食料生産は半分以下に落ち込み、宮廷料理人さえ逃げ出していた。
「……ふざけるな。あいつは、我が国のゴミ捨て場で泥水を啜って生きるべき女だ。隣国で崇められるなど、許されるはずがない!」
エドワードの瞳に、狂気じみた執着が宿る。
「おい! 全騎士団に告ぐ! 隣国へ潜入し、あの女を奪還せよ! 拒むなら、力ずくでも構わん。あいつを再び王宮の地下に繋ぎ、死ぬまで魔力を絞り出すのだ!」
かつて自分が「偽物」と呼んで追い出した光を、暴力で奪い返そうとするエドワード。
女神として愛され、癒やされ始めたリリアの背後に、黒い執念の影が忍び寄っていた。
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