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第7話 貧乏勇者

◇◆◇◆◇


渋谷の午後。

あの悪夢のような渋谷転移から2週間後の夏の日。


レオナスは――109の段差に腰を下ろし、ため息をついていた。


「あぁ……」


ため息と共に、勇者の誇りが塵となってゆく。


身を包むのは、“LOVE & PEACE”のショッキングピンクのTシャツ。民を守る白銀の鎧がこの世界では「危険物」になると知った以上、他に選択肢はなかった。


だが、これが底ではない。居を構えたカラオケボックスには、魔王が「洗い替えに♪」と置いている予備のTシャツがあるのだ。


胸元には、こう書かれている。

『世界平和(仮)』と。


当の魔王は、目の前で『戦利品』と称したリップを塗り直している。


「勇者っち、このリップどう思う?」


銀髪をくるくると指に巻きながら、魔王が続ける。


「PR案件なんだよね〜。カワイイ感じ出てる?」


「……ああ……」もはや抵抗する気力もなく言葉が漏れる。「……似合っている、のではないか」


「だよね~! あたしもそう思った!」


満面の笑みを浮かべる魔王アビス・ダークローズ。


全人類を震撼させた千年の魔王は、今やトレンドを追うことに全力だ。

SNSは「今日のカフェ♡」「魔王ネイル、可愛すぎる問題」と無害そのもの。


──これが本当に、あの魔王なのか?


そんな疑念がもたげた時だった。


「やば! このコスメで限定品出てんじゃん! 勇者っち、これ買ってきて~!」

「……戯れ言を。勇者を使い走りにするつもりか?」

「え~? さっきファンに囲まれちゃって、売り場が混乱しちゃったし。おねがーい」


そのあまりに軽い言葉に、今まで張り詰めていた理性の糸がぷつりと、切れた。


「……魔王。我々は、こんな茶番を繰り広げるために、血を流して戦っていたのか?」


自らの声が、全ての熱を冷やすかのように重く響く。


その時、アビスの唇から――塗りたてのリップの色と共に笑顔の色が抜け落ちた。

残ったのは、無機質で冷たい真紅の瞳。


「……そうだよ」


氷のように冷たい声。


「茶番だからいいんでしょ? いつか全てが消える、その時が来るから」

「……っ……貴様……!」


聖剣の柄に手が伸びそうになる、その瞬間。

アビスがぱっと表情を明るくし、悪戯っぽく口角をあげた。


「って感じの事、言ってほしいんでしょ、勇者っちは! 勇者って人は欲しがるよねー? あたしずっと魔王やってきたから知ってるよ! あー、今の映えるわー」

「……」


その落差にレオナスの喉が詰まる。


「てか、魔王としてはさー、この平和を維持するために限定コスメが必要なんだよねー」


魔王、平和、限定コスメ。

脳内で、相容れない単語が殴り合いを始める。


「だから勇者っち! 人類のため、平和のために買ってきて!」


アビスは両手を合わせ、上目遣いで囁いた。


「お・ね・が・い☆」


その上目遣いが脳内を占めた瞬間、歴代の勇者たちが「マジ卍」「ウケる」と笑いながら光の粒子となって散ってゆく幻が見えた。


――胃が、痛い。


レオナスは腹のみぞおち辺りを手で押さえた。




「陛下! お願いがございます! ほんの暫し休暇を頂けないでしょうか!」


レオナスは、王都に連絡を入れながら、カラオケボックスの隅で布をかぶった"次元転移装置"に目をやった。


これは、魔王が飛ばされた転移魔法を再現する装置。起動に繊細な魔力制御を必要とするため、レオナス以外には使えない物だったが、使えば王都へと帰れる証拠でもある。


しばらく待った後、王からの返答が返ってきた。


「ほう、休暇だと? 手緩みの言葉を吐くか、勇者レオナスよ。魔王はどうする?」


レオナスは即座に応じた。


「あれは放置しておいても買い物しかしません。むしろ私の方が限界です。毎日魔王に『勇者っち、おねがいー☆』と言われるたび、胃が、いえ心が壊れていくのを感じるのです――」

「……報告に『勇者っち』とあるが誤記か? まぁよい。勇者レオナスよ、忘れたか。かの者は魔王。いかに変貌しようとも、その仮面の下には陰謀がある」

「私も初めはそう考えておりました。ただ今や魔王はこの世界に完全に馴染み、無害そのものです。“魔王”としての脅威は消え、監視の必要も薄いと判断します。ゆえに私は――」


ほんのわずか、綴る言葉が止まる。

これから綴ることは自分の本心のはずだ。だが……。


「……セイクリアに戻り、魔族掃討の任を優先すべきと考えます。魔王より切迫した脅威があるはずです」


しばしの時間の後、王からの通信が返ってくる。


「ふむ、勇者レオナスよ。汝の言は分かった。だが実を言えばな、魔王が姿を消して以降、魔族の動きが不自然なほど鎮まっておる」


レオナスは、驚きに目を大きく見開く。


『つまり、人類最大の脅威は――いまだ汝の目の前にいるものだ』

「……」

「忘れるな、レオナス。汝は聖剣が選びし人類唯一の剣。その役目は魔王アビスの裏を暴き、綻びを突くこと。魔王に滅びをもたらすこと」

「……かしこまりました」


魔法を閉じたあと、レオナスは絞り出すように息を吐いた。


視界の端で、拳が小刻みに震えていることに気づく。


(俺は……悔しがっているのか?)


魔族が鎮まった。それは人類にとって喜ばしい報せのはずだ。

だが胸を満たしたのは、重く沈む失望――帰還する大義名分が消えたことへの失望だった。


その自覚が、レオナスの心を冷たくえぐる。


(随分と落ちたな……)


レオナスは小さく息を吐いた。


「……もう一度、考えなおす必要があるな。自らがなすべきことを」


だったら、と。

自分に言い聞かせるように考える。


……ここでの生活基盤を整えねば。


腹を決め、動き出した。




先立つものはまず「金」だ。

王国から持参した金貨は、魔王が「日本円」に両替してくれた。ただ、それすら底をついた。


だからこそ……バイトをしなければならない。


「履歴書を書けと言われたが……」


手にしたペンが震える。

言葉は問題ない。異文化の言葉を理解する魔法を身につけている。


ただ理解してないものは分からない。特に少女たちの言葉は難解だ。『蛙化』『ハエ』『草はえる』などは、なぜ草むらの話が出てくるのか分からない。


ただ今は……内容が問題だった。


「職歴……」


(何を書くべきだ……)


嘘偽りを書くことは、騎士の、いや勇者の誇りが許さない。


レオナスは己が歩んできた道程を一文字ずつ刻み込んでいく。


『職歴:騎士団(4年)→ 勇者(2年)』

『討伐実績:魔獣27体(最上位種)』

『特記事項:魔王討伐 失敗』

『備考:魔王の予期せぬギャル化により』


そこまで書いて、手が止まった。


「……なぜだ。事実しか書いていないのに、涙が……」


せめてもの抵抗で、さらにペンを走らせる。


『再戦の機会あり(時期未定)』


──これで多少前向きになった気がする。


レオナスは履歴書を手に立ち上がった。




面接当日。

ファミレスの面接官は、口をぽかんと開いた。


「……ゆ、勇者? 役者さんとかですか?」


レオナスは小さく息をつく。


「違う。それを聞かれるのは十三回目だ。本物の勇者だ」

「そ、そうですか……で、接客経験は?」

「人質を取った盗賊に『お前の母が泣いているぞ』と語りかけ、投降させたことがある」

「接客……経験?」

「交渉術は最高の接客経験といえるだろう」

「……そ、そうですか……。あと、この『魔王討伐 失敗』って?」

「正確には、再挑戦の機会あり。時期未定だ」


店員の動きが止まった。


「……すみません、うちではちょっと……」

「なぜだ!?」


レオナスの履歴書は、丁寧に手元に返された。




レオナスは、住処も確保しなければならない。


「部屋を借りたいのだが」


レオナスは不動産屋を訪れた。


店員がチラリとレオナスを見る。


「ご職業は?」

「勇者だ」

「ご年収は?」

「ええと……金品になりそうなものは……今は聖剣くらいしか」

「……保証人は?」

「王様だ」


しばらく無言で器具に何かを打ち込む店員。


「すみませんが……うちでは無理ですね」

「なぜだ!?」

「……王様、保証人登録できませんので」




そして現在。

レオナスの居城は、いまだカラオケボックスの小さな一室だった。


バイト、不動産屋と連戦連敗。


その後、訪れたスーパーでは、セルフレジから流れる『バーコードをスキャンしてください』という音声を『バリアコードをスキャンしてください』と聞き違え、危うく障壁解析バリアコード・スキャンを放ちレジを壊すところだった。


戻ってきたこの宿も、安息の地ではない。


壁の向こうからは、絶え間なく音痴なラブソングが響く。

深夜には酔った客に「ウェーイ! 兄ちゃんも歌わねぇ?」と絡まれる。魔法で追っ払おうとも思ったが、魔王の言葉がよぎった。


「えー、知らないの? この世界で魔法使ったらポリスメンに捕まるんだよー?」


あの、口角があがった得意げな顔。


当の魔王は、インスタのフォロワー120万人を突破。「魔王系インフルエンサー」としての地位を獲得し、おしゃれなカフェでティータイムを楽しむ毎日だ。


「俺は……何と戦っている?」


レオナスは、ぼさぼさになったナチュラルモヒカンをかきむしった。




朝。

コンコン、と控えめなノックの音が響く。

ドアを開けると、いつもの店員が引きつった営業用の笑顔を浮かべている。


「お客様、お手数ですが本日も一旦、ご精算をお願いできますでしょうか」


レオナスは財布を開いた。中には千円札が二枚。これを支払えば、残りは小銭のみとなる。


その瞬間。


「おっはー! って、あれ、精算中?」


手をひらひら振りながら現れたのは、魔王アビス。


「何の用だ……」


魔王は店員に「あー、これで払っておいてー」と金色のカードを差し出した。

そして店員から紙幣を受け取り、渡してくる。


「……施しは受けん」

「はいはい、ツンデレ乙〜☆」


言いながら、隣のソファーに座り、机にビニール袋を乗せる。


「なんだそれは?」

「たこ焼きー。この部屋で食べようと思って」

「なぜこの部屋なんだ!」

「いやいやいや、勇者が栄養不足とかやばくない?」

「は?」


どうやら、時折見せる監視の姿が、日に日にやつれていくかららしい。


魔王は、ビニール袋をもう一つ置いた。渋谷のタピオカ屋のドリンクらしい。


「食べなよ、勇者っち! マジでおいしいから!」

「これは……食事なのか?」

「そー! これで元気出たらバイブス上がるっしょ?」


レオナスはカップを手に取り、ストローでタピオカを吸い込む。


「……なんだ、この弾力は」

「勇者っちの人生には、ちょっと甘みが足りてなかったんだよ☆」


レオナスは飲みながら、何の警戒もなく隣に座りケラケラ笑う魔王を見つめる。


(……もしかしてこの生活、監視されているのは俺の方じゃないか? いや、監視なんかじゃない。もっと悪いもの――まるで「保護されている」みたいな……?)


レオナスは魔王に向き直る。


「ま、魔王……恥を忍んで一つ教えてほしい」

「えー、なにー? 改まって」

「……この世界で……金銭を得るにはどうしたらいい?」


魔王はその言葉に目を輝かせた。


「あー! だよねー。あたしも最初はそうだった! めぐに色々教えてもらったんだけど……うーん、勇者っちはアゲな感じのバイトがいいかな!」

「いや、アゲはいらん。普通の仕事でいい。警備員とか――」

「ちがうちがう! 勇者っちにはもっとぴったりな仕事があるって!」


魔王が呟きながらスマホを弄り始める。


数分後。


「決まり! 今から面接ね! 異世界コンセプトカフェ!」

「……異世界?」

「そう、勇者とか魔王のコスプレして接客するやつ!」


レオナスの顔から、血の気が引いた。


「ま、待て。俺は本物の――」

「だから完璧じゃん! 経験者だし!」


魔王が無邪気に笑う。


レオナスは、もはや何も言えなかった。


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