第6話 ポリスメン殲滅禁止
少し長いですm(_ _)m
◇
数駅、電車なるものに乗り、古い建物が並ぶ街並みへ。
「あ、めぐちゃん、おかえり……って、あ」
玄関の奥から現れたのは、黒髪の清楚な雰囲気の少女。彼女はアビスへと視線を向けてくると、ぱちくりと目を丸くした。
「あ、あなたが、あの……」
「あら、めぐちゃん。お友達?」
奥からゆっくりと現れた老婦人が、柔和な笑顔を浮かべる。
めぐが勢いよく答えた。
「あ、はい! この子、アビちゃんっていうんです! その……魔界から来た魔王ってことみたいで……」
「あらあら、魔王!」
老婦人は少し驚くも、むしろ楽しそうに微笑んだ。
「めぐちゃんも金髪で驚いたけど、今度のお友達はさらにお洒落さんねぇ。そのツノみたいな飾りも素敵ねぇ」
その言葉にアビスは瞳をスッと細める。
「飾り? 笑止。これは我が魔力が顕現せしもの。我が我たる所以」
「まぁ、魔力。すごいわねぇ、頑張ってるのね。えーっと、中二病? ってやつかしら?」
「おばーちゃんってば!」と黒髪の少女・千佳が慌てて制止する。
老婦人はにっこりと優しく笑った。
「魔王のお嬢さん、お上がりなさいな。お腹空いてない?」
めぐが引っ張り、アビスはそのまま中に案内された。
居間にあったのは、低い木の机と、その周りに並んだ薄っぺらいクッション。
めぐと千佳がそのクッションの上に膝を折り曲げて座る。
それを見て、アビスは見よう見まねで同じ姿勢をとった。
(……なんだこの姿勢。動き辛い、罠か? 良い、暫くこのままでいてやろう)
暫くすると、老婦人が盆を手に現れた。
机の上に、木椀が三つコトリと置かれる。未知の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「なんだ、これは」
「お味噌汁よ。よろしければどうぞ」
アビスの脳内に電気が走る。
「今、なんと……?」
「え? お味噌汁、と」
「……御身ぞ、知る、と申したか?」
千佳が小さくむせた。
「お味噌汁で哲学する人、初めてみた……」
老婦人の目を見るも、老婦人は答えない。
御身ぞ知る――つまり、答えを知りたいのであれば、問うな。自ら知れということだ。
(……よい、その問いに、のってやろう)
アビスは御身ぞ知るを静かに手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。
瞬間。
鼻孔をくすぐる香ばしい香り。続けて塩味のある温かい液体が、身体に染み渡っていく。
「……うまっ」
自然と漏れた言葉に、自分でもあれ? っと驚く。
「そう。お口にあったのなら、よかったわ」
老婦人が、我が事のように嬉しそうに目を細めた。
「ここにいたら、毎日食べられるわよ?」
「……どういう意味だ?」
「千佳も嬉しいでしょ? めぐちゃんみたいに、泊まりに来てくれるお友達が増えるの」
「え、おばあちゃん、いきなり!」
千佳は慌てているが、老婦人は優しく笑った。
「だってこの子、いい子みたいだから」
まただ、またこの認知のずれ。アビスの脳裏に痛みが走る。
「……貴様らは、正気か? 魔王が、いい存在、とでも?」
老婦人は少しだけ目を丸くした後、優しく笑みを浮かべた。
「あら、そう? でも、こんな老人の味噌汁を『うまっ』て飲んでくれる子に、悪い子なんているのかしらねぇ」
隣の千佳は「……もう、味噌汁ほめられたらすぐこうなんだから」と苦笑を浮かべている。老婦人が続けた。
「でも、それこそ『いい存在』かどうかは……御身ぞ知る、かしら? 魔王さん」
めぐと千佳が再びむせた。
「ちょ、おばあちゃんまで! 大丈夫?」
「ほら、年取ると……ダジャレが好きになるっていうから……」
二人の言葉を尻目に、老婦人は微笑んだ。
アビスは、老婦人の浮かべる笑顔をじっと見つめる。
その瞳には、媚びの色もなければ、無知ゆえの曇りもないように見える。
(自らが、知る、か)
アビスは、老婦人へと顔を向けた。
「……ふん、いいだろう。その問い、とくと味わってやる」
アビスは空になったお椀を差し出し、その日何度もお代わりした。
◇
その夜。 小さな和室に案内されたアビスは、壁に背を預け、腕を組んで先ほどの夕食を反芻していた。
(……くそっ)
「御身ぞ知る」そんな老婦人の高尚な問いに、あえて付き合ってやったつもりだった。 だが、違う。
(「その問い、とくと味わってやる」……などと威厳たっぷりに宣言したが、結局うまかったから六杯もおかわりしただけではないのか、我は!)
アビスが魔王としての威厳を取り戻そうと、壁を睨みつけた、その時。
「はい、アビたんのお布団、完成!」
声に、ハッと我に返る。 見れば、めぐと千佳が、なにやら白い寝床らしきものをポンポン叩いていた。
「……なんだ、それは」
「布団だよ! アビたんの!」
アビスはその寝床らしきものを少しだけ触る。
適度な弾力と、ふわっとした柔らかい手触り。触っているうちにその寝床に吸い寄せられるようにして――ハッと我に返った。
(……まずい。これではまるで……)
アビスは、布団から飛びのくように立ち上がった。
(ただもてなされているだけではないか!!)
大げさに、首を振った。
「……駄目だ。これが策略か、単なる善意か。もはや詮索は無用。魔王たる我に食事を供し、寝床を用意したという事実――この借りは返さねばならん」
「うんうん、よくわかんないけど、おばあちゃん喜んでたから大丈夫だよ」
苦笑しながら相づちを打つ千佳に、アビスは向き直る。
「それでは我が誇りが……」
布団の上にごろんと寝転がっためぐが、のんきな声で言った。
「じゃあさー、おばあに何かプレゼントあげるとか!」
「プレゼント?」
めぐが自らの爪を見せてくる。
「そうそう……おばあにお返しするの。あたしもこないだおばあにキラキラネイル、してあげたんだけどー」
「あー、アレね。おばあちゃん、包丁持つとき困ってた」
「メッシュも入れたげたー」
「あれは笑ってた。けど、やっぱ困ってた感じだったよね」
「あ! じゃあカラコン!」
「めぐ……おばあちゃんは81歳だよ?」
アビスは二人の会話を真剣に聞き、口を開く。
「ふむ、であれば問おう」瞳に力を入れる。「この国では、何が最も喜ばれるのだ?」
めぐが天井を見上げて考える。
「うーん、やっぱり、お金っしょ!」
「お金……金貨のことか?」
「いやいや、これ!」
めぐが財布から取り出したのは「1000」と書かれた一枚の紙。
「ほう、これか?」
めぐから渡された紙を、じっと見つめる。
そして、紙に描かれている人物の肖像を指先でなぞった。
次の瞬間、インクが生きているかのように蠢き、闇色の粒子となって滲み出す。粒子は空中で集束し、元の紙と寸分違わぬもう一枚の紙へと“再構成”した。
「……」
「……」
めぐと千佳の動きが、完全に停止した。
「……ねえ、千佳」めぐが震える声で言う。「今、千円札、分身しなかった?」
「……した」千佳がこくこくと頷く。
「うそでしょっ!?」
めぐは二枚の札をひったくり見比べてから、アビスの肩を掴んでガクガクと揺さぶった。
「まって、ちょっとまって!? アビたんって……魔法使えるの!?」
「当然だ。我は魔界の支配者、アビス・ダークローズ。全ての闇を……」
「やばいやばいやばい!!!」
めぐは今度は千佳の肩を揺さぶる。
「千佳! ガチの魔王だよ!?」
「えっ、えっ、えっ!?」千佳も混乱している。「コスプレじゃなかったの!?」
めぐの瞳が輝いた。
「だったらアビたん……違う、アビたん様! これ……もっと作れる!?」
「当然だ」
「うひゃあ!」
めぐの目が輝き、千佳の目が困惑に揺れる。
「じゃあさ、これを100枚とか……」
「可能だ」
「うわぁああああ!!」
そしてめぐは、手に持つ千円札を見て、目をギラリと輝かせた。
「とりあえず貯金箱! 貯金箱!」
「……それはやめておいたほうがいい」
「なんで?」
アビスは小さく息を吐く。
「それがこの世界に“固定”されているのは、せいぜい数時間。我の魔力がなければすぐに霧散する」
「え、消えるの? じゃあ、ダメじゃん!」
「消える前に使えばよいだろう?」
その瞬間、千佳の表情から血の気が消えた。
「……ちょ、待って。それ……犯罪、じゃない?」
「犯罪、それがどうした?」
「だ、だめだってば! 警察に捕まっちゃう!」
めぐも青い顔をして付け加える。
「そ、そう! ポリスメーンに捕まる!」
「ポリスメーン? 何者かは知らぬが、殲滅すればよいだけだ」
「だ、ダメェッ!」
千佳が必死で説明する。この世界には警察という者たちがいて、捕まったらおばあちゃんが悲しむのだと。
アビスは腕を組み、少し考える。
「それは本末転倒だな……では、どうすれば……」
「うーん」めぐが首をかしげる。「じゃあ、普通にお金稼ぐとか?」
「稼ぐ?」
「そう! バイト!」
千佳も笑顔で頷く。
「そ、そそうだよね、それなら合法だし!」
「あー、でもその前に!」
めぐが目を輝かせる。
「この千円札、もうちょっと増やしとかな――」
「めぐ!」
その後、めぐは千佳にひたすら叱られていた。
その光景をぼんやりと眺めながら、アビスは思考を放棄する。
(……この布は危険だ……ふかふかすぎる……)
全てが心地よい混沌となって、思考が布団に溶けていく。
アビスは、かつて味わったことのないほど穏やかな眠りへと落ちていった。
◇
アビスが静かな寝息を立て始めた頃、隣の布団にいた二人は、興奮さめやらぬまま顔を見合わせた。
「ねぇ、千佳。ちょっと、隣の布団でガチの魔王が寝てるってやばくない?」
「うん、やばい。まだちょっと信じらんないもん。魔界って本当にあるんだ……」
「でしょ? 正直に言うとさー、最初『この子といればバズる!』って下心だったけど……」
「うん」
「なんか、そんなレベル越えちゃったよね。ちょっと色々聞かないと!」
「ほんとだよね。色々聞きたいー。あ、でもアビちゃん、魔界から飛ばされたとか言ってたんじゃなかった?」
「うん、そう! 帰れないって言ってたから連れてきた」
「だったら、聞いていいのかな? 」
「ん?」
「色々事情とかあるんじゃない?」
めぐがぽんと手を叩く。
「確かにー。アビたんが言ってくるまで聞かないほうがいいのかな?」
二人はしばらく黙るが、再びめぐが声を上げた。
「だったらさー、あたしらがまずこの世界のこと教えてあげようよ!」
「それいいね! まずは『人前で魔法を使うと警察に捕まる』ってことから教えないと」
「それな!あと、ちゃんとしたバイトとか、盛れるメイクの仕方とかも!」
「確かにー。あの銀髪……目立つしなー」
「水色のメッシュ入れない?」
「……まあ、それはそれで可愛いかも」
めぐがまたポツリと呟く。
「いつかアビたんに魔界のこと教えてもらったら、私たち、魔界行けるかな?」
「え、魔界なんて怖くない?」
「でもアビたんと一緒なら行ってみたくない? 魔界ってなんか映えそうだし」
「……確かに。背景とか紫っぽいし、SNS映えしそう」
「でしょ!?」
「でもめぐ、たぶんWi-Fiないよ?」
「確かに!」
その時、隣の布団からアビスのくぐもった声が聞こえてきた。
「ぽ……ポリスメン……せんめつ、きんし……」
その瞬間、二人は顔を見合わせ、声を殺して笑った。




