第21話 監視報告
夜の闇が、六畳一間の安アパートを支配していた。
レオナスは、いつものように魔法陣を展開した。だが、その青白い光を前に、指一本動かせずにいた
王国への定期報告。
これまでどれほど奇妙な出来事があろうと、この義務を淡々とこなしてきた。
それでも今夜は、身体が言うことをきかない。
魔法陣の光が、まるで尋問の光のように、レオナスの視界を冷たく照らす。
その光が、脳裏に焼き付いた光景を、より鮮明に浮かびあがらせた。
友人に抱きしめられ、まるで拠り所を見つけた子供のように、ただ肩を震わせていた魔王の姿。
あの潤んだ深紅の瞳。威厳の欠片もないか細い声。
あれが演技だとは、到底思えなかった。
頭の中では、王国が求めるであろう報告書が、自動的に組み上がっていく。
『魔王アビス、依然として強大な魔力を保持。人類への脅威度は変わらず』
――違う。
『魔王アビス、精神構造に著しい変化。人間との交流を通じ、脆弱性とも取れる情緒を獲得』
――違う。
どちらも真実の一部であり、同時に、核心から離れた言葉だった。
この言葉を並べたが最後、遠く離れた王城の玉座からは、ただ一つの冷徹な結論が下されるだろう。『討伐せよ』、と。
自分のこの指が、報告という名をもって、あの存在を断罪する引き金を引くことになる 。
それが、できない。
理屈ではなかった。騎士の誉れや、人類の平和といった大義ですらない。
ただ、あの震える肩を思い出すと、指が動かない。それだけだった。
一度固く目を閉じた。
開いた時、そこに浮かぶのは迷いではなかった。これから犯す罪を、ただ静かに受け入れる。
指を、ゆっくりと動かす。
その動きは、まるで初めて剣を握った日のようにぎこちない。
魔法陣に一文が紡がれる。
『――特記事項なし』
それは、完全な嘘だった。
特記事項だらけだ。魔王は友人を本気で守り、そして、子供のように泣きそうになっていた。
そんな重大な変化を、『特記事項なし』という空虚な言葉で塗りつぶす。
レオナスは、自らの手で、騎士の誉れを汚した。
ただ、真実が知りたい。
あれほど誰かを大切に想える存在が、なぜ千年の間、人類の敵でなければならなかったのか。
その答えを知りたいという、あまりに個人的な『わがまま』のために。
その答えは、王城の玉座にも、聖剣の輝きの中にもない。ならば、この泥にまみれた手で掴むしかない。
短い報告を、王国へと送る。
騎士の誉れは地に落ち、罪悪感が嵐のように吹き荒れる。だが、それでも。
――魔王アビスは、本当に、討伐すべき敵なのか。
この答えを、自分自身の目で確かめる。
それが、己に課した自らの使命だった。




