第20話 続 魔王と勇者の共同戦線
レオナスは、アビスと並走するように空を駆けていた。
山の向こうに沈みかけた夕陽が見える。
もう東京の喧騒は遠く、眼下に広がるのは森と、まばらな集落だけ。まるで世界の終わりに向かっている気がして、どこか落ち着かない。
地図で見た長野県との県境に差しかかった瞬間、ふいに並走するアビスが止まった。レオナスも合わせるように速度を落とす。
アビスが空中で手をかざす。
次の瞬間、アビスの魔力が空気中に広がっていく。目の奥がズキリと痛むほどの魔力量――そんな目に見えない圧力が、水面を渡るように一帯に広がっていく。
レオナスは息をのむ。力任せではない。静かで、だが異様な魔力の広がり。
それは、空間ごと何かを“探っている”ように感じられた。
「見つけた!!」
アビスが叫び、次の瞬間には風のように加速していた。
「待て!」
追うように声を上げるが、アビスの姿はすでに見えないほど小さくなっている。
レオナスは、とにかくスピードをあげアビスを追った。
到着したその施設。
空から見下ろすその建物は、巨大な倉庫のようだった。無機質なコンクリートの壁が、落ちてきた太陽の光に照らされている。
「……屋根を吹き飛ばす」
その言葉に、レオナスは思わず厳しい視線を送る。
「……まて、さっきから全然約束が守られてないだろ」
「あっ……ちょっと、忘れてた」
「忘れてた、ってレベルじゃないだろ……」
レオナスは疲労を感じながら大きくため息をつく。
「いいか」諭すような気持ちで口を開く。「屋根を吹き飛ばしたいのはやまやまだが、めぐが怪我をしたら困るだろ?」
アビスは一瞬考え込むような仕草をし、小さく頷く。
「……その通りだ」
アビスがふとレオナスへと目を向ける。
「あんたが頑丈だから忘れてた」
「……」
レオナスは何とも言えない気持ちで息をつき、周囲を見回す。
「なら裏口からだ」
レオナスは上から建物を見回し、裏にある小さな鉄製のドアを見つけた。そして音を立てないように慎重に降り立つ。
ドアに手をかざす。開錠の魔法をかけると、鍵が音もなく開いた。
「なんか……あんたって、地味に便利な魔法使うよね」
背後からかけられた言葉に、レオナスは振り返る。
アビスの声には、いつもの軽やかさが戻りつつあった。表情も少し和らいでいるのが見て取れる。めぐの生命の気配を感じ取れたからだろう。
レオナスは自身も緊張の糸がほどけるのを感じながら、小さく息を吐いた。
「……まぁ、魔法を応用するのは得意だからな」
「へぇ。そういえばこっちの世界に来たのも、あたしの魔法を解析したからなんだっけ」
「……そういうことだ」
続いてレオナスは、追加で魔法を展開する。
視界を周囲から遮るための『鏡の魔法』だ。
「ねぇ……勇者っち」
「……なんだ」
「昔、盗賊でもやってた?」
レオナスは一瞬動きを止め、少しだけ口の端をあげた。
「いつもの調子に戻ってきたな」
暗い廊下を進みながら、いくつかの部屋を確認する。そして、最奥の一室から漏れる、微かな光と話し声に足を止めた。
レオナスはアビスの前に手を出して、制止の合図を送る。そして音もなくドアに近づき、中の様子を窺った。
コンクリートが剥き出しの部屋には、腕と足を縛られためぐ。そしてめぐを取り囲むように、ナイフや銃らしきもので武装した男たちが五人、トランプに興じている。
「めぐ……!」
アビスが、喉の奥から絞り出すように呟いた。
その声に、中の男たちが一斉にこちらを向き、刃や銃口を向ける。
「何だ、てめぇら!」
その瞬間。
アビスの瞳から、すっと光が消えた。まるで、思考も感情も、全てが一言に集約されているかのように。
――殺す。
純粋な殺意が、アビスの全身から魔力となって溢れ出す。
「――やめろ! めぐがいる!」
叫びながらアビスの肩を強く叩く。その一瞬、アビスの瞳が色を取り戻したのを見て、床を蹴った。
一歩目。銃を持った男の指が、引き金を絞りにかかるのがスローモーションで見えた。その懐に滑り込み、手首の神経節を指先で打つ。男の顔に苦痛が浮かぶより早く、その手から力が抜け、銃が床へと滑り落ちてゆく。
二歩目。振り返りざま、鞘に収まったままの聖剣の柄で、二人目の男の首筋を打ち据える。急所を捉えた一撃に、男は悲鳴を上げる間もなく意識を失い、崩れていく。
三歩目。残りの三人がようやく状況を理解し、武器を構え直そうとする。だが遅い。頭の中で展開していたごく低位の「縛りの魔法」を三条放つ。男たちの足が、まるで床に縫い付けられたかのように縫い止められ、驚愕の表情のままその場に凍りついた。
静寂。
一秒。あるいは、それ以下。
武装した五人の男たちは、あるいは意識を失い、あるいは金縛りにあったかのように動けず、ただ無力に転がった。
その瞬間。
「めぐ……!」
アビスがめぐへと駆け寄った。
膝をつき、震える指でめぐの縄をほどく。
その動作は、どこまでも繊細で、優しかった。
「アビたん……!」
めぐが、震える瞳でアビスを見つめかえす。
アビスが震える指でそっとめぐの頬に触れた。そこには、痛々しいほどの赤い痕があった。
レオナスは二人に近づき、そっとめぐの頬へと手をかざした。
淡い青白い光が指先から溢れ、その傷を包み込んでいく。
「回復魔法だ。直ぐには治らないが、じきに収まるはずだ」
めぐは驚いたように頬に触れた。
痛みが和らいでいくのを感じたのか、少し安堵の表情を浮かべる。
「ありがとう、勇者っち」
レオナスは微かに口元を緩めながら、無言で頷いた。
そして一呼吸おくと、床に転がした男の一人が落とした拳銃に目を留める。
(……これは、この世界では一般人が取り扱わない武器のはずだ。それを、こいつらが?)
レオナスは床に縫い付けた男たちの中から、リーダーと思しき男の胸倉を掴み、引き起こす。
抵抗しようとする男の瞳を見つめながら、レオナスは一切の感情を思考から切り離した。
目の前の男を「人間」としてではなく、ただ「情報を引き出すべき対象」として認識する。
男の瞳の奥が、恐怖に揺らぐのが見えた。
「なぜめぐをさらった。お前が知る全ての情報を、今ここで吐き出せ」
問いではない。命令だ。記憶探索の魔法が、抵抗する男の精神をこじ開けていく。
「あ……ああ……分からない……上からの命令……だ」
男は額に汗を滲ませ、声を絞り出すように震え始めた。
「上? うえには誰がいる?」
「分からない……俺らは実行犯……でも、取り纏めは……別の企業」
レオナスは小さく舌打ちをした。
武器からして個人の仕業ではないと予想していたが、それでも歯がゆい気持ちになる。
「その企業について知っている事を全て話せ」
「分からない……でも漏れて聞いたのはサイバーブレイン……」
「サイバーブレイン?」
「そう、広告代理店の、サイバーブレイン……それが表の顔……本当のボスがそこにいると……」
「そんな奴らがなぜめぐをさらった」
「その女のせい ……そいつが投稿した写真と……つぶした社長のせいで……サイバーが切り捨てられそうに……だから穴埋めのため……穴埋め……アナ……」
その男は、泡を吹いて倒れた。
瞬間、アビスが踵を返す。
「行ってくる」
「やめろ」制止の声が低く響く。「そのサイバーブレインの人間の中から、どうやって黒幕を探しだす?」
アビスが、輝く深紅の瞳をレオナスに向ける。
「勇者っちも言ってたよね。こういうものは首長が糸を引いているもんだって」
「だからその首長が誰かをどうやって調べる? 表に出ているやつだとは限らない。まさか首長らしき奴を全員殺す気か?」
レオナスは小さく息を吐き、アビスの視線を受け止めながら答える。
「そしてまためぐを同じような危険な目に合わせるのか?」
「勇者っち!」
その言葉にめぐが非難の声を上げた。ただ、アビスはゆっくりと動きを止めた。
アビスは瞳を落とす。
「……じゃあ、どうすればいい?」
「今は、まずこの世界のルールに従うんだ。でなければ再び同じことが起きる。その間に、調べるしかない」
「……」
アビスは歯を噛みしめながら頷いた。
「……分かった」
その時、めぐが駆け寄り、アビスを抱きしめた。
「アビたん、ごめんね……」
アビスの深紅の瞳が揺れる。一瞬、まるで泣きそうな、そんな表情にもみえた。
レオナスはその光景を見つめながらも、動くことができない。
あの魔王が。
人類をいともたやすく蹂躙した、災厄そのもののような存在が――今、たった一人の少女に抱きしめられて、肩を震わせている。
あまりにも、脆く見えた。
まるで普通の、ただの人間のように。
レオナスは視線を切る。
そんな姿――見たくなかった。
見てしまえば、もう。
視線を、逸らす。
あの姿を、これ以上見てはいけない。
腰の聖剣がずしりと重い。まるで初めてこれを授けられた日のように。いや――違う。あの頃は、もっと輝いて見えたはずだ。
聖剣の重みを抱えるように、拳をきつく握る。
「めぐ」
かすかに震えるアビスの声が、耳の奥に響く。
「家に、帰ろう?」
レオナスは二人へと視線を戻す。
めぐが、目に涙を浮かべながら安心したかのように笑った。
「うん……帰る……。でも、ここ、どこ?」
同時にアビスの張りつめた表情が、静かにほぐれていった。
アビスはそっと笑顔を浮かべる。
「えっとね、なんかね、長野県ってとこらしいよ」
「な、長野!?」
「うん、長野。あたしもよくわかんないけど」
めぐが腕をぎゅっと掴み、小さな声で呟く。
「……そんなとこまで連れてこられたんだ。今日、帰れるかな……」
その呟きに、アビスがニヤリと笑った。
「それなら!」
アビスが指を立てて、胸を張る。
「あたしの力で、空からひとっ飛びだよ!」
「えっ?」
「今日だけ、特別に飛んじゃお? インスタ映え、間違いなし☆」
めぐの目が輝く。
「ほ、本当に!?」
「だめだ」
レオナスは即座に制止を入れる。けれども、アビスは意地悪そうに笑った。
「あー、そっか。勇者っちには内緒にしとこ?」
「見てるんだぞ」
「見なかったことにしてよ。ね?」
アビスが強い視線で笑って言ってくる。
めぐも「お願い、勇者っち!」と懇願するような目を向けてきた。
レオナスは……大きくため息をついた。
「……今日だけだぞ」
「やった!」めぐが飛び上がる。「私、空飛べるの!?」
「そうそう!」アビスも同じく笑顔になる。「109の上の渋谷の夜景、最高だよ。あ、でも写真はやめたほうがいいかも。SNS映えしすぎて、面倒なことになっちゃう」
レオナスは呆れながらも、小さく嘆息した。
魔王が人間の少女を守るため奔走し、そのまま夜行飛行をプレゼントする。
しかも、それを自分が見逃している……。
こんな茶番、誰が信じる? 王都に報告したら、正気を疑われるに違いない。
アビスがめぐに手を差し出した。
「じゃ、行こっか」
めぐも目を輝かせてその手を取る。
「アビたんの特別クルーズ開幕! 今夜は特別に、めぐに魔王の力を体験していただきます☆」
自問自答しながらも、何か言う気には到底なれなかった。
ただ、自らの腰に掛けられた聖剣が、意味を問うかのように鈍い光を放っているように見えた。




