第2話 魔王、勇者 決戦前夜
――それから数時間後。
『魔王監視報告 於・東京都渋谷区』
レオナスは静かに王国への通信魔法を展開した。
虚空に浮かんだ魔法陣へ指を滑らせると、軌跡が光の文字となって綴られていく。
『本日、魔王アビス・ダークローズと異世界にて初遭遇。肉体・魔力量に変化なし。しかしながら、当方の知る情報と乖離した異常な行動を複数確認。何らかの精神汚染が疑われる。警戒レベルを最大に引き上げる』
レオナスはちらりと魔王に視線を送る。
魔王は今、ヒョウ柄の帽子を手に取り、「え、これ被ってプリ撮ったら、絶対盛れるくない?」と満面の笑みを浮かべていた。
(……盛れる、だと? いったい何を盛るというのだ……)
思考を振り払い、報告を続ける。
『魔王は現在「ギャルショップ巡り」なる儀式を繰り返しており、「イケてる」と称しながら、服飾・装飾品を次々と購入している。その資金源は不明。要調査』
『さらに「インフルエンサー」なる地位を確立し、「フォロワー」と呼ばれる信者を100万人以上使役している模様。「新たな魔王軍」の構築を図っている疑いが極めて濃厚である。なお、信者たちは「イイね」と呼ばれる精神エネルギーを魔王に捧げている模様』
レオナスの頭の中に、拒否感のような頭痛が走る。それを押し殺すように腕を動かした。
『現時点で、魔王が民衆に危害を加える兆候はない。しかし、それが永続的に続くとは考え難い。何より今の状況は異常であり、情報の把握と精査が急務』
書き終えたところで、レオナスは手を止めた。
「……これで伝わるのか? いや……無理ではないか?」
報告書に並ぶのは、「ギャルショップ」「イケてる」「フォロワー」「イイね」――勇者としての人生で一度も使ったことのない単語ばかり。
これを読んだ騎士団長は正気でいられるのか。いや、まず疑われるのは自分の頭だ。
「だが、事実は事実……」
レオナスが頭を抱えた、その時だった。
「ねぇ、勇者っち! これ着てみてよ!」
顔を上げると、魔王アビスが、目にもまぶしいピンク色のTシャツを突きつけていた。
胸元には、金色の糸でこう刺繍されている。
『LOVE & PEACE』
(LOVE……愛だと? PEACE……平和だと? 殺戮の化身が笑わせる! )
レオナスは魔王に向き直る。
「待て! その意図を説明しろ。これは俺の武装を解除させるための陽動か? それとも精神攻撃か……」
魔王は呆れたように笑うと、少女たちと顔を見合わせた。
「いいからいいから! ほら、試着室行こ!」
「いや、試着など……おいっ!」
レオナスは少女たち試着室へと押し込まれた。
試着室の外から、ひそひそと、しかし筒抜けの声が聞こえてくる。
「ねぇねぇアビたん、あの人、ずっとあんな感じなの?」
「そーなの。素材はいいのにマジお堅すぎ。だから、あたしがプロデュースしてあげようと思って」
「やば。絶対バズるじゃん」
「でしょ。勇者イメチェン配信とかしたら同接えぐいって!」
レオナスは鏡の前の自分を見る。
そこにいるのは――もはや勇者レオナスとは呼べない、他の誰かだった。
アイデンティティの一つであった白銀の鎧は消え去り、愛と平和を謳う桃色のシャツに変わっている。下は細身のジーンズ。首からは、なぜか銀色の鎖のようなものがぶら下がっている。
屈辱に血が上る。歴代の勇者が知れば、墓から蘇って自分を斬り殺しに来るだろう。
レオナスは死刑台へ向かう罪人のようにカーテンを開けた。
「「「きゃー! イケメン!」」」
少女たちの甲高い歓声が、フロアに響き渡る。
「勇者っち骨格ストレートのブルベだし、絶対似合うと思ってたー!」
「わかるー! ティンダーやってたら絶対即右スワイプだよねー!」
「コッカク……ブルベ……ティンダー……もうやめろ! 俺の頭を乱すな!」
レオナスは声にならない声で呻いた。
「もういい! 魔王、ここで決戦を――!」
「えー、まだ髪型が残ってるんだけど? あ、あそこのヘアサロン、今ならすぐ入れるみたい!」
レオナスは聖剣の柄に指をかける。ただ、視界の端に映ったのは、屈託なく笑いさざめく少女たちの姿。
(……駄目だ)
ここで剣を抜けば、無関係な民を巻き込む。
レオナスは奥歯を噛み締め、そっと柄から手を外した。
次の瞬間、美容室へと連行された。
◇
その夜。
「じゃ、明日早いからここで休んでて☆ おやすみー!」
魔王にそう言って押し込まれたのは、「カラオケボックス」なる謎の個室だった。
薄暗い空間に、テーブルとソファ。壁には巨大な鏡が取り付けられ、天井では色とりどりの光を放つ球体が回転している。
(……密室。防音か。壁は鏡張りで、常に監視されていると錯覚させる構造。おそらく尋問室の類だな)
一人残されたレオナスは、再び通信魔法を起動し、追加の報告を書き始めた。
『追記:本日、魔王の意向により私の外見が改造された。
白銀の鎧は「古臭い」の一言で取られ、代わりに「カジュアル」な装いを強要された。また、「ナチュラルモヒカン」なる髪型にも変更された』
レオナスは、鏡に映る自分の姿を見つめた。
襟足とサイドを刈り上げられた、すっきりとした髪型。耳には、魔王に無理やり付けられた銀色のピアスが光っている。
(……屈辱だ……。だが、任務は続いている……)
『特筆すべきは、この装いが周囲の警戒を解く”擬態効果”を持つ点だ。具体的には、街ゆく人々からの視線が、奇異なものから「イケてる」というものへと変化した。これは、潜入任務において極めて有効な戦術と言える。しかし同時に、こちらの武装を解き、精神を汚染しようという魔王の計略である可能性も否定できず、引き続き調査を要する』
レオナスは、ぐっと奥歯を噛み締め、屈辱に震える手で続きを綴る。
『追記其の二:明日は、「プリクラ」なる呪術的儀式への同行を強要されている。
聞けば、狭い箱の中で光を浴び、己の姿を美化した絵姿を生成する術式とのこと。魔王はこれを「盛れる」と称した。
目的は不明。だが、これも重要な情報収集。それゆえ明日、私は全力で――誰よりも"盛れて"みせる』
報告を送り終えたレオナスは、今日一日の出来事を思い返し、深くため息をついた。
(魔王に一体、何が起きているというのだ……)
すると、ブブッ、と短い振動。
魔王から強制的に持たされた「スマートフォン」なる通信板が震えた。
画面を見ると、魔王からのメッセージが。
『明日は原宿ね♪ プリ撮って、クレープ食べて、勇者っちにタトゥーシール貼って、最後はラップバトルでバズろ! あ、そうそう、さっきの勇者っちの写真、もうインスタで1万いいね超えw 映えすぎでしょ☆』
視線が、ひとつの単語で止まった。
「ラップ……バトル……?」
静かに息を吸った。
「そうか。バトルか……。ついに、来たな」
薄暗いカラオケボックスの中、レオナスの瞳に、かつての闘志が燃え上がった。
(やはり魔王は本性を隠していた。ラップとはどのような戦いだ? 剣か? 魔法か?)
来たるべき魔王との戦いに備え、レオナスは一晩中、瞑想を繰り返した。そして王国で習得したあらゆる戦闘技術を脳内でシミュレートする。
決戦の地は、原宿。
決戦の名は、ラップバトル。
聖剣を握りしめ、静かな決意を固めた。




