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第19話 魔王と勇者、共同戦線


◇◆◇◆◇


日が傾き始めた時間帯。

空中から見下ろす渋谷の街並みは、ネオンサインが徐々に輝きを増している。


レオナスは背中に冷たい汗を感じながらも、アビスを追い、雑居ビルへと降り立った。


冷静に、冷静に対応が必要だ――そう自分自身に強く言い聞かせながら、対峙するように魔王アビスに向かった。


魔王アビス、その深紅の瞳には焦燥と苛立が浮かび、両手は拳となり握られている。


「勇者……」


アビスのかすれた声が、夕刻の空に響く。


「頼む……協力してほしい」


言いながら、アビスの顎が引かれ、銀髪がさらりと顔にかかる。

永劫の間、誰にも下したことのない魔王の頭が、まるで見えない力に軋むように、ゆっくりと下がっていく。

それは、千年の矜持をその身一つでへし折る、悲鳴にも似た所作だった。


レオナスは、呼吸を忘れた。

世界から音が消え、ただ目の前の絶対者が初めて地に伏す光景だけが、視界に映る。

あの絶対者、魔王アビス・ダークローズが、たった一人の友人のために誇りを折り、宿敵である自分に懇願している。


「お前が……頭を、下げるのか……?」


その言葉は、自らの意思とは関係なく漏れ出ていた。隠そうとする考えすら、浮かばなかった。


「うるさい! そんなことはどうでもいい!」


アビスの声が震えている。

それは怒りよりも、焦りと不安が混ざり合った声のように感じた。


「……めぐが、めぐが消えたんだ。どこにもいない。今朝からずっと! ネットの変な噂だと思ってた。ロッカーがどうとか、ただのキモい陰謀論だって……でも、もし本当だったら!? 109のヤツが何か知ってるかもしれないし、裏でこそこそ動いてるヤツもいる! でも、もうあたしには分からない! だから、お前の力を貸してほしいんだ!」

「まて、落ち着け、アビス」


要領を得ないアビスの説明。

レオナスはなるべくアビスを落ち着かせるような声を出す。


「うるさいっ! 私は落ち着いている! そんな事よりめぐがどうにかなってたらどうするんだ!」


全然落ち着いていないだろ……その言葉を飲み込みながら、レオナスはゆっくりと呼吸し、静かな声を出すよう意識する。


「わかった。めぐを探す協力はする。だから、状況を教えてくれ。何があったか、順を追って話してほしい」


アビスは、まるで自らの混乱を落ち着かせるように深呼吸をした。

そして、震える指を隠すように固くこぶしを握り締め、途切れ途切れに語り出す。


千佳のこと、めぐの父親のこと、109でのこと、そして「陰謀論」のことと、探索のことを。


アビスの魔力での捜索――想像以上に広範囲なその魔法に嘆息しつつも、同時に疑念も沸き上がる。


(そこにいなければ、めぐはどこにいるんだ?)


アビスは、右手で自分の左手首をぎゅっと握りながら口を開く。


「……109の奴が関係なければ、めぐの父親、それが駄目なら別の奴、そいつらに聞いて見つけないと」


レオナスは静かに頷いた。


「分かった。ただし条件が……」


言いかけた言葉を遮るように、アビスは即答した。


「条件はなんでも飲む。指示にも全て従う。だから今は、お願いだ」

「……分かった」


レオナス自身、自分の耳で聞いた言葉を信じられなかった。幾世代にもわたり人類を絶望の淵に沈めてきた魔王が、「全て従う」と。これは天変地異か。それとも――。

混乱する脳裏で、しかし、アビスの瞳に宿る焦燥だけは本物だと、自らの心が告げていた。


レオナスは、短く、強く息を吐いた。

腹を決める。


「お前は……俺の指示がない限り力は使うな。今回の条件はそれだけだ」

「分かった」


その素直な返事に、さらに驚きを覚える。


「……では、行こう」


レオナスが身体を浮かせ飛翔しようとした時、アビスが焦った表情で問いかけてきた。


「おい、飛ぶのも力だけど、それはいいのか?」


その問いかけに、自然と動きが止まる。

魔王の誇りを捨て、自分の言葉に縛られようとする魔王アビスの姿を前に、レオナスは、目の前の世界が揺らぐような奇妙な感覚を覚えた。そこにいるのは、これまでの魔王という言葉の定義では捉えられない『何か』だった。






夕暮れ時の109。

まだ営業中の館内に、レオナスはアビスと共に足を踏み入れた。


「あ……」


アビスの姿を見た店員たちの表情が強張る。


「アビスさん……だからここには……」


店員の声が震える。アビスは店員の言葉を遮るように詰め寄った。


「マネージャーはいる?」


その声は低く抑えられていたが、深紅の瞳が異様な光を放っている。

店員たちは一歩後ずさった。


「マ……マネージャーは、今日も、いないよ」

「どこにいるの?」


店員は、お互い顔を見合わせた。その瞳に映るのは”拒否”か、”恐怖”か。ただ、二人は小さく震えるも答えない。


アビスはレオナスの方へ視線を向けてくる。

その視線には、明らかな懇願の色が浮かんでいた。

記憶探索の魔法を使ってほしい――その想いは一目で分かった。


だた、脳裏に浮かぶのは、この魔法を使った後の魂が抜け落ちたような人間の顔。アビスから話を聞く限り、この店員は無関係だ。無関係な民に、あの悪夢を見せるのか?

レオナスは、アビスから目を逸らすように、ゆっくりと首を振った。


次の瞬間、アビスは俯いた。恐らく何かを我慢しているのだろう。その時。


「あの……」


店員の一人が、周囲を確認するように目配せをしながらアビスへと距離を詰めた。


「……ちょっと待ってください」


店員は震える手で、それでも確かな意志をもって、名刺の裏に何かを走り書きした。

そして、アビスの手に何かを託すように、その名刺を強く握らせた。


「これ……?」


見れば、店員の名刺の裏に、手書きの住所が記されていた。本社事務所の所在地だ。


「マネージャーなら、きっとそこに……」


店員は声を潜め、言葉を途切れさせる。アビスの表情が、僅かに明るくなった。


「……ありがと」


不安と希望が交錯するような笑顔だった。





渋谷区雑居ビル、401号室。雑踏の音に包まれる中、レオナスはその扉の前に立った。


レオナスは既視感を少しだけ感じる。けれどそこに感じるのは、懐かしさではなくより切迫した重圧。


隣にいるアビスが扉を睨んだ。


「とりあえず突っ込む」


レオナスはアビスの前に手をかざし、制止する。


「待て、無理はやめろ」

「じゃあ……あんたがやってよ、あれ」


アビスは当然のように言う。


「……あれ、とは?」


既視感からして思いつく候補はあるが、できれば避けたい気持ちが先走り……わざと怪訝な表情を浮かべてみる。すると、アビスはレオナスを鋭い瞳でにらみつけた。


「あれ! 早く!」

「……分かった」


レオナスは扉のインターホンを押し、僅かに緊張しながら声を発する。


「……お荷物のお届けです」


数秒の沈黙の後、扉の向こうから声が返ってくる。


「荷物? 今日なんかあったか……?」

「えっと、急ぎのものらしいです。確認してもらえませんか?」


さらに声を絞り出すと、数秒後、扉がガチャリと開いた。


現れたのは、スーツを着た中年の男。その男の視線がアビスを捉えた瞬間、男の表情が瞬時にして青ざめる。


「お、お前……!」


男は一歩後ずさりし、額に汗を滲ませた。


「へぇ、面白い反応するじゃん」


アビスは不敵な笑みを浮かべながら前に出る。


「ねぇ」その声が氷のように冷たく響く。「記憶探索なんていらないかも。この反応見て分かっちゃった」


深紅の瞳が男を射抜く。


「やっていい?」

「待て、アビス」


レオナスは声のトーンを落とし、アビスを制止する。


「ダメだ。約束だろう?」


言いながら、男に手を向け、即座に記憶探索の魔法をかける。アビスの魔法にかかるよりよほどマシだろう、そう考えての事だった。


「話せ」


男は光に抗うことができなかった。口元から、泡と言葉が零れ落ちる。


「わ、分かった……何でも話す……でも、俺は……」


レオナスがその言葉を切る。


「めぐはどこだ?」


レオナスが尋ねると、隣でアビスが息を飲む気配を感じた。

男の精神は恐怖で飽和しており、記憶の奔流は濁流と化している。その中から、必要な情報だけを正確に釣り上げるのは至難の業だ。


「……倉庫……新潟港への中継……長野の飯山……」


言葉が、泡のように断続的に浮かび上がる。


「なぜ、そんな所に?」

「……見せしめ……ボスからの命令……それに北に売れば、金に……」

「売る!?」


その単語が、最後の引き金を引いた。アビスの怒りは殺意という生温い感情を超え、ただ全てを消滅させる純粋な「破壊」へと変貌する。部屋の壁がミシリと悲鳴を上げた。

レオナスは舌打ちし、空いた手でアビスの肩を強く抑えつける。


「大人しくしてろ! 集中できん!」


叱咤されたアビスが、屈辱に唇を噛む。レオナスは再び男の濁流のような意識に集中した。


「その倉庫の正確な場所を言え!」

「……長野の……クロスレート物流、第三倉庫……」


ようやく、意味のある情報が繋がった。


「無事なの!?」


そんなアビスの叫びを、レオナスは代わりに男に問う。


「危害は、加えてない……はずだ」


その言葉にほんの少しだけアビスか息を吐く。


「……なぜめぐを狙った。答えろ」

「……アビス本人には……手が出せなかった。監視、先に潰された……」


その瞬間、レオナスの記憶の片隅に、不良と共にいた怪しい男の記憶がよみがえる。


「だが、あの女は違った……だから見せしめと、実益を兼ねて……」

「実益……だと……?」


レオナスの問いに、男は恐怖に駆られ、堰を切ったように情報を漏らし始めた。


「そうだ……あいつのせいで潰れた取引の穴埋めに、ちょうどよかったんだ……!」


その時、ゾッとするほど低い声で、アビスうなりをあげた。


「そんなくだらない理由で……」


アビスの周囲に膨れ上がる魔力を見て、レオナスは再びアビスの肩を強くつかむ。

アビスは、一瞬レオナスに怒りを滾らせた瞳を向ける。ただ、それでも小さく息をしながら少しずつその魔力を自らの身体に納めた。

それを見たレオナスは、再び男へと向き直る。


「……逆恨みか」

「仕方ない……グループの社長、頭おかしくなった……取引先、漏らした……せめて穴埋め……」


男の瞳が震えだした。限界が近いのだろう。レオナスは手短に詰問する。


「では、ボスについて知っている限りの情報を話せ」

「分からない……俺が知っているのは、表の企業にいる……それだけ……」


レオナスは、小さくため息をつく。そして「これ以上やるとこいつの精神が崩壊する」とアビスに伝え、手を離そうとする。

アビスは焦ったかのような瞳で、慌てて問う。


「まって、めぐの父親とはどういう関係?」


レオナスは嘆息し、手短に問う。


「……伊藤めぐの父親に……アビスの悪評を入れた……失踪時、アビスのせいだと思わせる……」

「……」


アビスが黙り込む。それを見ながらレオナスは、男から手を放した。


「今の情報で十分だ。とにかくめぐを追おう」

「分かった」


その言葉にレオナスは少しだけ息を吐き、踵を返す。

ただ、その瞬間。


「な、なんだこれは! ひぃいぃっ!」


背後から男の絶叫が聞こえた。振り返ると、男が失禁して床に崩れ落ちている。


「おい、約束は」と怒りで口を開きかけた瞬間――その言葉は、アビスの顔を見た瞬間に霧散した。

いつもの不遜な笑みはそこにはない。あったのは、必死に激情を押し殺そうと耐える顔。


(……これ以上、こいつを追い詰めるのはまずい)


咎めるべきだという正義感と、これ以上追い詰めてはいけないという本能がせめぎ合う。

やがてレオナスは、自嘲するように短く息を吐いた。


「分かってない……じゃないか」


絞り出した声は、壁に吸い込まれるように消えた。


アビスは何も返さず、レオナスの横をすり抜け、扉の向こうへと消えた。

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