第18話 魔王、夜の渋谷に思う
アビスは雑居ビルの屋上に腰かけ、街を見下ろした。
ネオンと広告スクリーンの光が織りなす夜景が視界に映る。
「うーん、どうしたもんかなー」
足をぶらぶらさせながら、この数日の出来事を整理していく。
まず、おばあの家の周囲に現れた怪しい男。これは数日でいなくなった。
次に、SNSでの炎上。何かを気にするわけでもないにしろ、小さな異変ではあった。
そして、109の店員たち。普段は笑顔で迎えてくれるはずの彼女たちの目に浮かんでいた申し訳なさと……わずかな"恐怖"。
何より気になるのが、めぐと千佳の変化。特にめぐ。きっとめぐの家に何かが起きている。
アビスは小さくため息をついた。
これらの異変が全て関連している証拠はない。けれども――感覚は「繋がっている」と告げていた。
何が起きているか確認しなければならない。
だとすると、直ぐに確認できる相手は……109の店員だ。
ただ、強引な手は使えない。レオナスのような記憶探索の魔法が使えれば早いが、アビスはあの魔法を使えない。
「うーん」
立ち上がる。髪がふわりと肩から落ちる。
「……普通に聞くしかないな」
時計を見る。21時10分。
109の閉店時間は21時。今なら魔法で飛べば、店員たちの帰宅時間に間に合うはずだ。
「……」
――魔法を使っちゃダメ。
そう言っていた、めぐ。
少し困ったように笑ってた千佳。
そして、アビスの魔法を見て、強く制止してきたレオナス。
……少しだけ小指で脚をトントントンと叩いたあと、夜空に向かって飛び立った。
109に降り立つ。
ビルの影に紛れ、裏口の社員出口を見つめる。
程なくして、二人の店員が出てきた。いつもフレンドリーに接してくれる店員だ。
「ねぇ……アビスさんのこと、どう思う?」
「うーん……」
「私、怖くないと思うんだ。あの人、いつも楽しそうだし」
「うん。でも、上からはあんなこと言われちゃったし……」
アビスはゆっくりと足を進め、明るい声を出すよう心がけた。
「やっほー☆」
二人は驚いて振り返った。目に恐怖の色はあるものの、逃げ出そうとまではしない。
「あ、アビスさん……」
優しい声で話しかける。相手を驚かせないように、甘く柔らかいトーンを意識して。
「ちょっとだけ、お話聞かせてほしいな~」
本題に入る。
「えっと、なんか変なこと、誰かに言われたりした感じ?」
年上らしき店員が、もう一人の顔を見た。
少しの沈黙の後、頷く。
「……ごめんなさい……マネージャーがどこからか電話を受けて、アビスさんと関わるなって」
「そうなんだ」
「うん、でも、マネージャーも困ってて。だって、アビスさんのおかげでお客さん増えてるのに……」
アビスは話を聞き続ける。
マネージャーに電話がきたのは三日前らしい。アビスのSNSの炎上が始まる頃だ。
「電話の相手は?」
「それが……分からなくて。ただ、電話の後マネージャーがすっごく青ざめてて……」
アビスは少しだけ目を細める。
脅されたのだろう。
ただ……何のために?
「マネージャーはいる?」
「ううん、しばらくこっちにはいないです……」
沈黙するアビスに、年上の店員が遠慮がちに口を開く。
「ごめんなさい。私たち、アビスさんのこと困らせちゃって……」
「あたしたちも、ちょっとどうかな……とは思ってるんですが……」
二人はそれ以降、口をつぐんで下を向いた。
アビスは笑顔を意識する。
「教えてくれて、ありがと☆」
その時、裏口から声が聞こえてきた。
「早く締めたいんですがー」
清掃員らしき男性の声だ。
「ありがと、もう行って」アビスは二人に囁く。「今日のことは何も聞いてないしー、何も見てない」
二人が頷き、急いで立ち去る。
アビスは二人の背中を見ながら考える。
であれば聞くべきはマネージャーか。
ただ、ここにいない以上、今は手がかりは得られそうもない。
静かに息を吐いて、夜空へと飛び立った。
渋谷の街が眼下に広がる。
ネオンサインやビルの明かりが、まるで星空のように輝いていた。
(……結局、誰が裏で動いてるのかわからない)
(SNSで噂を流して、109に圧力をかけて、めぐの父親にも何か言った……?)
(なんで裏でこそこそ動くの?)
深紅の瞳をゆっくりと細める。
「めんどくさいなぁ……」
裏で動いている羽虫のようなもの……その何もかもがめんどくさい。
「全部……壊しちゃえばいいのに」
自然と、アビスの周りに魔力があふれだす。渦を巻く闇の中で、世界が紅い血の色に染まってゆく。
その瞬間――脳裏を焼いたのは、赤い魔界の玉座ではなかった。ちゃぶ台を囲む柔らかな光、安っぽいプリンの甘さ、おばあの味噌汁の湯気、そして「アビたん」と笑う二人の声。
「……めんどくさい」
アビスは苦笑するように呟き、そっと魔力を霧散させた。
「あー、もう帰ろ。おばあ、明日早いっていってたしなー」
呟きながら、夜空へと飛翔した。
◇
次の日。
「まだ、めぐから返信ない……」
スクランブル交差点の人混みの中、アビスは携帯画面を見ながら立ち尽くしていた。
昨日交わした、たった数行の会話が頭の中でよみがえる。
フリースクールが終わってから、ネイルの話をするはずだった。
「めぐ」
——めぐが、父親から言われたこと。
——109の店員たちが圧力をかけられたこと。
——誰かが仕掛けたSNSの炎上。
——おばあの家の周りの怪しい影。
ひとつひとつは、たいしたことじゃない。
けれども今はそれらが、"返信がない"ことへの不安を強くする。
「めぐ」
信号が変わり、人の波が押し寄せる。アビスは人波に流され、向こう岸へと渡る。
その時、スマホが震えた。
千佳だ。
「ねぇアビちゃん、めぐと一緒にいる?」
アビスの指が、画面の上で止まる。
「え、いないよ。アタシもめぐを待ってるんだけど」
「そっか。ありがとう」
「どしたの?」
「めぐが、今朝からいなくなって……」
千佳の言葉が、目に届いたその瞬間。
――ぷつり、と。世界から音が消えた。
信号の点滅も、人の流れも、109のネオンサインも、全てが一枚の絵のように静止する。さっきまで感じていたアスファルトの熱も、何も感じない。
(めぐ)
アビスは周囲の警戒すら忘れ、地面を蹴り一気に空へと飛翔した。遠くから通行人の「今の何……?」という声が聞こえるも、それすらも意識の外へと流れてゆく。今はただ、めぐを見つけることだけが重要だった。
渋谷の街が眼下に広がる。
アビスはビル群に向かって手をかざし、魔力を開放した。
薄い魔力の膜が、空間に溶けるように拡張していく。光も音も人の気配も全て透過して、アビスの意識に触れてゆく。
はじめに渋谷、次いで原宿、新宿、池袋へと到達。ビル群を透かし、地下鉄を貫き、あらゆる生命が放つ固有の輝きをアビスの意識に映し出してゆく。
しかし、そこに「めぐ」という名の輝きはなかった。
奥歯をギリと噛みしめ、魔力を最大限に注ぎ込む。魔力は六本木、お台場を越えて、数十キロ圏内の空間にまで広がっていく。
それでも――
「いない……?」
このなかにめぐはいない。
それを認識した瞬間、脳裏に教室で聞いた言葉が蘇る。
――『ロッカーに、女性の名前』
――『すっごい高額』
自分には関係ないと笑い飛ばしたノイズ。
それが今、心臓を握り潰すような冷たさをもって蘇る。
(まさか)
(そんな、はずは)
脳内で、無機質な鉄のロッカーに『MEGU』というプレートが貼られた光景が浮かぶ。
「そんな、はずは」
声は、自分でも分かるほどに震えていた。
ただの陰謀論だ。そんなはずはない。でも。
心臓が、不安で波打ちはじめる。
アビスは、構成に多少の無理を強いて、最大限広範囲へ魔力を広げる。
ただ、それでもめぐの波動は見つからない。
(なんで?)
息が、詰まる。
……そんなの、ありえない。もっと範囲を――。
「アビス」
低い声が響く。アビスは振り返る。
同じ高度にまで飛翔したレオナスがそこにいた。その目には明らかな警戒と緊張が宿っている。あそこまで魔力を広げたので、当然か。
「何をしている?」
「構わないで」
今、余計な時間を割く余裕は一切ない。
けれどもレオナスは、聖なる魔法を展開しながらゆっくりと、まるでアビスを絡め取るかのように距離を詰めてくる。手には聖剣。そんな態度に、胸の内で抑え込んでいた感情が一気に膨れ上がる。
「邪魔をするなら」
自ら生み出した黒い力を感じながら。
「数瞬で消す――!」
魔力を解放した。空間が歪み、黒い光が周囲を照す――その直前、ふと脳裏にある記憶がよぎる。
――記憶探索魔法。
人間の記憶を探る魔法。
それを使えば、めぐの情報を持っている者から記憶を探ることができる。
恐らくそれが……めぐを探す最短の手段だ。
アビスはギリと歯を食いしばる。
続けて深呼吸し、解放した魔力を収めた。
顔をレオナスへと向け、完全なる迎撃姿勢をとるレオナスの青い視線を受け止めた。
「……すまない、今のは、私が悪かった」
瞬間、レオナスの目が大きく見開かれる。動きが完全に停止した。
まるでアビスが発した言葉の意味を、レオナス自身が理解することを拒絶しているかのように。
「……何が、起きた?」
「事情がある。助けが必要だ」
再びレオナスの瞳が揺れた。
しばらくしてレオナスは、その浮かんだ感情の動きを隠すかのように、目を細める。
レオナスの聖剣を鞘に納める音が、静かに耳に響いた。
アビスは胸に手を当てながら、震える口を開く。
「勇者……頼む……協力して、ほしい」




