第15話 冥王(厨二病)vs 本物の魔王
◇
フリースクール1日目。
「では、新入生の自己紹介をお願いします」
教壇の上で、先生が声をかけてくる。
アビスは勢いよく手を上げて、キラキラのネイルをわざと見せびらかすように手を振った。
「はーい! アビス・ダークローズ、アビたんでーす。魔界出身の"ガチ魔王"だけど、今は渋谷でギャルしてまーす♪ よろ~☆」
教室が一拍、凍りつく。次の瞬間、一気に声が沸いた。
「魔王……って、今どきそんなキャラ作り!?」
「てかあの銀髪、インスタで見たことある!」
「生アビたん! 本当に加工なしだったんだ!」
「あの角、リアルー」
視界の端では、レオナスがため息をついている。
「……勇者レオナス・シードです。この国を知るため、そして魔王を監視するため……」
レオナスが言い切る間もなく、女子たちから黄色い声が上がる。
「イケメンじゃん!」
「でも設定痛くない? アビたんに対抗してる?」
「むしろ痛いのがいいかも!」
その時、教室の最後尾でギシッと椅子が鳴った。
黒いマントを羽織った中肉中背の青年がゆっくりと立ち上がる。
「フッ……」
沈黙。そして低く響く声。
「貴様が魔王か?」
青年が、黒いマントをバサッとなびかせ、その右腕を露わにした。
そこには、黒い紋章のようなものが描かれている。
「所詮は上っ面の漆黒に過ぎん。俺の真の闇《漆黒の災厄》に比べれば児戯に等しい……!」
周囲から声が漏れる。
「あー、冥王院先輩の中二病!」
「腕にマジックで紋章描いてるヤツ」
その声を背景に、青年は再びマントを手で払いのけ、なびかせた。
「俺は冥王院カオル! 八つの魔王を統べるものだ!」
「……本物の魔王の前で何を……」
そう呟いたレオナス。見れば、盛大に顔をひきつらせていた。
ただ、アビスは――余裕の笑みを男に向ける。
「ふーん、冥王? 魔王を統べるなんて、イイ度胸してんじゃん?」
「うっ!」
冥王院と名乗った男が、アビスの視線に後ずさった。
アビスは口の端に意地悪な笑みを浮かべる。
「冥王なら力の証明できるよねぇ? あんたのその"ダーク・カタストロフ"、見せてみてよ☆」
「くッ……お、俺の力が見たいだと……!?」
「うん、アビたん、見たいー見たいー☆」
すると、教室の後ろから声が上がる。
「あはは、あぶなーい、アビたん気を付けて!」
カオルは手でを顔隠しながらつぶやいた。
「今日は準備が……いや、なんでもない」そしてマントをひらりと翻して続ける。「いいだろう平民ども、しかと目に焼き付けるがいい。俺のダーク・リサイタル……」
その時、先生がすかさず制止を入れてきた。
「あのー、ファッションショーなら校庭でやってくださいねー。ここ狭いし、机とか倒れちゃうからー」
暫くして。
校庭に集まった生徒たちの輪の中で、アビスはカオルと対峙をした。
カオルが足元に置いたノートPCを開くと、荘厳なオーケストラのBGMが流れ始めた。
「あのPC、めっちゃ高いらしいよ」
「BGMにしか使ってないのに、ウケる」
「マントも高級品らしい」
「どんなマントだよ」
野次のような囁きが流れてくる中、カオルは目を閉じる。
「今こそ封印を解く刻……!」
そしてマントをはためかせ、腕を天に掲げた。
「目覚めよ、《漆黒の災厄》! 我が腕に眠りしゼロなる力よ!」
そのまま右手方向に高速に回りながらジャンプをする。
周りの女子たちからの声が漏れた。
「あ、今のジャンプ、軸がぶれた」
「でも回転は伸ばしてきてるよね」
「採点7.5ってあたり?」
女子たちのツッコミに、カオルの動きが一瞬止まる。だが、すぐに立ち上がった。
「くくく……凡俗め! 貴様らに我が力が理解できるはずもなし!」
今度は両手を前に突き出しながら、
「《漆黒の災厄》 "ダーク・フレイム・インフェルノ・終焉刻(ジ・エンド!)"」
……言いながら、足でPCにタッチして、BGMを変更した。
周囲から失笑と、パチパチといったまばらな拍手が聞こえる。
そんな中、カオルは「このゼロの力はお前たちに見えないものだ……」とつぶやき「次は!」とアビスを指差す。
「次は魔王よ、貴様の力を見せるがいい……!」
「おいおい……」
観衆の輪の中からレオナスの声が流れてくる。頭を抱えて座り込んでいるようだ。
ただ――アビスはニヤリと笑う。
「へぇ……アタシの力を見たいって?」
その瞬間、アビスの周囲に黒のオーラが立ち昇り、真紅の光が交錯する。
その黒の光の中で——アビスはくるりと回転した。
「本物の魔王、アビたんでーす♪」
観衆がどよめいた。
「な、なんか光ってない!?」
「あのエフェクト、どうやってんの?」
「プロジェクトマッピング?」
生徒たちが湧き上がる中、レオナスのうめくような声が流れてくる。
「魔法はやめ……いや、これは魔法か? ただのポージング大会か?」
その瞬間だった。
校庭のフェンス付近から野太い声が響いてきた。
「なんだ? また変なコスプレ大会してんのか?」
五人組の学生らしき男たちがニヤニヤしながら、だらしなく近づいてくる。どうやら“派手に盛り上がるフリースクールの連中”が目についたらしい。
「おい、冥王院。相変わらずわけわかんねえ格好してんな。くそダッセぇ」
「何だそのマント? 闇? あー、くせぇくせぇ」
「おーそっちのギャル、初顔?」
不良たちが下卑た笑いを浮かべながらアビスへと近づいてくる。
「可愛い顔してんじゃん。俺らと……」
クラスメイトが「やば、絡まれてる」「ちょっと助けないと」と声を交わす中。
「あー、ないわー」
アビスの声に、不良たちはきょとんとした顔をした。
「闇がくせぇ? なんか闇をバカにした系? ちょっとだけイラっとしたからお返ししよっかな」
「おい、アビス、魔法は……」
「お前らの存在、ちょっとだけ重くするよ?」
レオナスが止める間もなく——
世界が変わった。
アビスを中心に現実そのものが歪む。、空気が粘り、重みを増して沈み込む。
校庭全体が、見えない圧力に押し潰されていくようだった。
「な、なんだコレ、息ができねぇ……!」
「か、身体が……動かない……!」
「たっ、助けてくれぇ!」
一人が叫びながら転倒し、他の男たちも這いつくばる。近くにいるカオルもその場に崩れ、小さく叫びながら地面をつかんだ。
圧の中心から少し離れた場所――クラスメイトたちの方へも、意図せず圧力が漏れてゆく。
「……ねぇ、なんか空気が変じゃない?」
「なんで? 息が辛い……」
その時。
「だから……やりすぎだ」
遠くから声が聞こえた瞬間、アビスの魔力が打ち消されるのを感じた。レオナスへと視線を向けると、何かしらの術を使った様子だった。
その生まれた隙に、不良たちは這うように逃げ出してゆく。
一番最後の不良も、途中で何度も転びながら、校舎の角を曲がって姿を消した。
「ま、ま、まさか? そんな……?」
カオルが青い顔で息を切らしながら見上げてくる。
アビスは……何となくフォローを入れてみる。
「ゴメンね、冥王院カオル。じょーだんだよ!」
「じ、冗談……? いや、あれが冗談……?」
カオルの手は大きく震え、マントを翻すことすらできない。
アビスはちらりと、逃げていった男たちの方へ目を向ける。
「あんたの闇の力で、あいつらに逃げてったねー。きっとあんたのマントの翻し方かよかったからかも?」
カオルは目を丸く見開いた。そして暫く呆然とした後……歪んだ笑みを浮かべた。
「フハハ……もしかして、そうなのか?」
震える声で笑うカオル。その表情に浮かぶのは、底知れない”恐怖”と……。
「もしかして……本当に、『そう』なのか? あなたは、本当に……?」
カオルの表情が恐怖から別の感情へと変わっていくのを、アビスはどことなく眺めた。
これは知っている感情だ。その目の色に映るのは、恐怖と、それとは別の感情。
――“崇拝”。
冥王院カオルが、アビスの足元に膝まづいた。
そして喉から絞り出すように、名を呼んだ。
「我が……魔王!」
少し離れた位置から、レオナスのため息が聞こえてくる。
「……まだ、初日なんだが?」
アビスは、レオナスに向けて手をひらひらと振った。
◇◆◇◆◇
その日の夜。
レオナスはフリースクールの校舎を出ながら、盛大なため息をついた。
「……疲れた」
フリースクールの初日は、冥王だの闇だの、中二病をこじらせた儀式を見せられた挙句、担当教師につかまって「あなた、真面目そうだから手伝って」と事務作業を手伝わされた。
「初日なのですが」と言ってみるも、「勇者でしょ?」の一言で流された。
どうも最近、みんな“勇者だから”で済ませてくる。
「……勇者、か」
レオナスは小さく呟いた。
そして門へと向かう道を曲がった瞬間。
「アビス」――その名が、風に混じって流れてきた。
自然と足が止まり、瞬間、音もなく路地へと向かう。
ゴミ置き場の裏手。その脇を、黒スーツの男が無言で通り過ぎた。
さらにその先、細い路地にあの不良たちの三人がたむろしていた。
「マジで、あの女、調子に乗りやがって……」
「軽くやれば大丈夫って言われてただろ、どうなってんだ……」
「いや、囲めば一発だろ。次は今度はちゃんとやる」
レオナスは、小さくため息をついた。
「懲りないな」
レオナスは音もなく、路地の入口に立った。
「よしておけ」
その一言に、不良たちがビクッと振り向いた。
「な、なんだよ、お前……」
「おい、こいつ、アビスと一緒にいたやつじゃねえか?」
男たちが立ち上がった瞬間。
レオナスはただ、一歩踏み出した。
空気が震えた。
レオナスがほんの僅か手をかざした瞬間——二人が身をのけぞった。
「……ぐっ!?」
二人が、まるで糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。その目を激しく震わせてはいるが、体は動かない。
残された一人だけが、息を呑んだままレオナスを見上げる。
レオナスは、まっすぐその男の額に手を伸ばした。
記憶探索の魔法を使う。
何も、記憶探索が目的ではない。その副作用である悪夢を見せるためだけに使う。
レオナスの手が、一瞬だけ止まる。
(……また、この魔法か)
聖剣を抜き放ち、神聖な光で悪を浄化する。それが勇者の戦いだった。
だが、今から使うのは違う。人の精神に土足で踏み込み、悪夢という泥を流し込む穢れた技。
ズキリ、と右手が痛んだ。まるで、腰の聖剣が拒絶するように。
(……この技を使うたび、魂に染みがつく感覚がする。聖剣の輝きが、俺から遠ざかっていく……)
それでもこの不良どもを放置すれば、次に動くのはアビスだ。そうなれば、あの魔王は躊躇なく魂ごと「溶かす」。
(大義も栄光もない。民の喝采もない。だが、これも守るためだ)
レオナスは自嘲を噛み殺し、昏い光を指に灯した。
その瞬間、腰の聖剣から放たれていた微かな光が、ふっと消えた。まるで、主の行いに目を閉ざすかのように。
目の前の男の瞳が大きく見開かれる。
その目がぐるぐると周り、口から断続的な息が吐かれる。
「……これでも、だいぶぬるい方だ」
男は地面に崩れ、息を荒くして震えた。その背を見下ろしたまま、淡々と呟く。
「アビスは、やめておけ、死ぬぞ」
男の表情が、完全に「折れた」ことを確認した後、レオナスは踵を返す。
そして再び校門へと向かい、短く息を吐いた。
「……今日一日、疲れた」
校門を出たレオナスが向かうのは――"出禁"にされていないほうのスーパー。
息をひそめてスーパーに入り、かごを手に取る。
惣菜コーナーの唐揚げを横目に、山積みにされた”おつとめ品”のカップ麺に視線が吸い寄せられた。
「……半額、か」
そのシールが、まるで聖なる光のように輝いて見えた。
レオナスはカップ麺を三つ手に取る。その瞬間、さきほど下した三人の不良の顔が頭をよぎった。
「……なにもアビスを助けたわけじゃない。あのままではあいつらが危なかった……」
そんな誰にも聞こえない声でつぶやきながら、カップ麺を見つめる。
カップ麺が三食。民を救うはずの勇者が、一日の糧を全て割引のカップ麺で賄うつもりか。
ふっと自嘲の息が漏れる。そして、せめてもの抵抗として、一つを静かに棚に戻した。
「……三つは、だめだ。何かに負けた気がする」
二つなら、まだ戦っていると言い張れる。そんな誰に聞かせるでもない言い訳を心の中で呟いた。
カゴを片手にレジへと向かう途中、ふと立ち止まる。
「あの路地……明日も、一応見ておくか」
自らに聞かせるためだけに呟いて、また歩き出す。
(勇者って、こんな雑務ばっかりだったか?)
そのままアパートへ帰ったレオナスは、机の上にカップ麺を置いてお湯を入れる。
そして無意識に聖剣を重しにしようと手を伸ばし――ハッとして手を引っ込めた。




