第14話 フリースクール JK魔王
夏の午後。
アビスはおばあの家の縁側で、一人、グラスの中の白い液体をぼんやりと眺めていた。
(……SNS……炎上……家の周りの男……)
そんな心のザラつきを振り払い、白いグラスへ集中する。水を注げば混ざり、味が変わる――ここはそれだけの絶対法則。
「……よし」
科学者のような気分で、瞳をクワッと見開き呟いた。
これこそ世紀の大発見になるかもしれないからだ。
「記録スタート☆ 魔王アビス・ダークローズ、カルピス濃度革命、第14回目!」
グラスの中の白い液体を覗きこむ。
「1.5倍濃縮は"惜しい"と判明。今回は2倍! 魔王的に言えば、"濃いカルピスこそ正義"ってやつ」
冷たい水を注ぐその時、
「あっ!」
脳裏に、革命的なアイディアが閃いた。
「……待って? はちみつで究極の甘さを追加して、レモン汁でキレを加える。いや、逆転の発想で醤油とか?」
台所へダッシュしながら思いつく限りの調味料をかき集める。
醤油、塩、ワサビ、はちみつ、レモン汁。手当たり次第にボトルを抱えて縁側に運ぶ。
気がつけば縁側が"調味料の祭壇"と化していた。
――その時、背中に視線を感じ、アビスは顔を上げた。中庭の垣根の向こうにセールスマン風の男がいる。
再びザラリとした違和感が心に湧く。
男が投げてくる「探るような目つき」は、明らかに普通ではなかった。
もしかして気にしすぎかもしれない。
あの詐欺事件以来、どことなく気分がピリピリしている。
だから、先日も「おばあの知り合い」と言ってきた男を追い払った。あとから聞いたらそれは本当に知り合いだったようだ。
「うーん……」
アビスは小さく唸る。
「あっ! 実験中だった!」
グラスの中の液体が、不思議な色に変化していた。
「うわ、黒くなってる! これやば! てかインスタに『闇レシピ☆』ってあげたらバズるんじゃない?」
言いながらも、ちらりと外を見る。
例の男は、またあの視線を投げてきた。
その時、男の耳に明らかにセールスマンらしくないインカムが光った。口元が微かに動き、誰かと話しているようにも見える。
「……」
アビスが真紅の目で男を射抜いた瞬間。
男は視線を外し、何事もなかったかのように踵を返し、足早に立ち去った。
「……」
おばあは今、自室にいる。
――今ならあいつを消してしまってもバレることはない。
その時、縁側にならぶ調味料のボトルが視界を遮った。
(はぁ……)
アビスは手元のボトルをチューブのワサビに変えた。
「ワサビ投入! 魔王アビス、未知の領域に突入!」
グラスの中身はもはや新しい領域に到達。緑とも黒とも言えない見たことのない色が渦を巻いていた。
このあと、この液体をしばらく放置していたら、おばあに「傷んでる」と勘違いして捨てられた。
◇
それから一週間。
アビスはとにかく、ずっと家にいた。
そして、ずっと縁側で実験に取り組み続けていた。
「よしっ、今日は2.5倍濃縮カルピス!」
その時。
玄関から音がする。
アビスは視線をそちらに向けた。
めぐと千佳だ。
いつもなら、二人で遊びに行く場合は声をかけてくれていたが、今日はなかった。二人だけで出かけたらしい。
ふーん、と思いながらもカルピスの空瓶をくるくる回すアビスに、めぐが目を向け、満面の笑みで駆け寄ってくる。
「アビたーん! この前、アビたんが絶賛してたシュークリーム買ってきたよー!」
「マジ!? テンション爆アゲじゃん! 」アビスは続ける。「じゃあ、カルピス入れるね。2.5倍でいい?」
めぐと千佳が顔を見合わせた。
「あたし……1.5倍で」
「私は……1倍でいいかな?」
「りょ☆」
それぞれの配合でカルピスを作り、ちゃぶ台に持っていく。自分の横には、醤油も置いた。
「あ、そういえばさー」千佳が言い出す。「最近、学校の漢字テストがめっちゃ難しくて」
アビスは相づちを打ちながら、グラスの中の液体が黒とも紫とも言えない色に変化していくのを観察していた。
「そうそう!」めぐも声をあげる。「漢字ってむずかしいよねー。でも私、フリースクールで勉強の仕方教えてもらってから、ちょっとコツがつかめてきたんだ」
千佳が一呼吸した後に言葉を重ねる。
「あー、そういえばめぐ、フリースクールにも行ってたこと、あったよね」
「うん、今はもう通ってないんだけど、とってもよかったよ!」
どこか硬い不自然な会話の流れに、少しだけ眉をひそめる。
ただ、今は黒カルピスとシュークリームをどうマリアージュさせるかのほうが重要だった。
その時、めぐが手をパンと叩いた。
「そうた、アビたんって魔界では学校とか行ったりしてた?」
「ん?」
顔をあげてめぐを見る。
「学校とかないよ、それにほら、あたし魔王じゃん? 魔族が逆にアタシに教えを請いに来いって感じー?」
「そうなんだー。通ったことないのかー」
その時、千佳がめぐに「続けて」とでも言うように視線を送った。
アビスはさらに眉をひそめる。
「だったら興味とか湧かない? 例えば、JKっぽくスクールライフとか?」
千佳が続ける。
「あー、いいよね、JKっぽいスクールライフ!」
まただ。会話の継ぎ目がどこかぎこちない。まるで、あらかじめ決められた順番でセリフを言っているかのようだ。
その時、台所にいたおばあからの視線がちらりと流れてきた。
それを感じながらアビスは口を開く。
「JKかー。確かにJKは興味あるな―」
「でしょー!!」
さらに声を明るくしためぐが付け加えた。
「JK魔王、絶対インスタ映えすると思うんだよね!!」
千佳も、どこか不自然なハイテンションで付け加える。
「それにさ、ずっと家で実験してるより映えるよね、きっと!」
アビスは手元の黒カルピスに目を向ける。
「えー、世紀の実験なのに?」
「あっ、うん、それもすこい実験だよね」
千佳の声のトーンが落ちる。
「ええっと、でもアビちゃん、こないだの事件があってから、この国のこと知らないといけないなーとかも言ってたしなーって」
その声に、アビスの身体が少しだけこわはわった。
(……この空気、知ってる。魔界で、あたしに何も言えない魔族たちが遠回しに何かを伝えようとする、あの空気だ)
「それにほら、ずっと家にいるのも、ね? 外の空気は気分転換にいいよ? フリースクールだったら住民票もいらないから、気軽だし!」
おばあがもう一度、どこか心配そうな視線でこちらを見た。
普段ならしないような、仕草。
(……なるほどねぇ)
おばあの視線。めぐと千佳のぎこちない連携プレー。妙に具体的なフリースクールの情報。
バラバラだった話が、頭の中でつながった。
結論は一つ。
(もしかして、アタシがずっと家にいるの、迷惑だったのかね)
アビスは手元のカルピスに目を落とした。あれから醤油を追加したせいか、黒い液体がドロドロと渦巻いている。
(そりゃあたし魔王だしな。おばあのために、勝手にここを守るって思ってたけど……それも、うっとおしかったのかな?)
考えてみれば、ここ三日、怪しい男は現れていない。
であれば、自分がずっとおばあの家に張り付くのも、歓迎されるものではないのかもしれない。
「あ!」
空気を変えるように、アビスは声を弾ませる。
「これ、カルピスにクリーム入れてみたらどうなるんだろ? てか、フリースクールって何? もうちょい詳しく教えてよ」
めぐと千佳が顔を輝かせた。
◇
最近得た知識によれば、この国には“小学校”や“中学校”という学び舎がある。
ただ、フリースクールという言葉は初めて聞いた。
「んで、フリースクールって何?」
「んーとね、色々やるよ。絵を描いたり、歌をうたったり、勉強したり」
「うんうん、この国のルールも少し教えてくれる」
「少し?」
千佳が少しだけ困った顔をした。
「うん、この国、ルールが多いから……」
「ふーん。あ、でも」
千佳が首をかしげた。
「どうしたの?」
「いやさー、アタシがルール知ったら、ヤバくね? ほら、あたし魔王だし、そんなことしたら全知全能になるじゃん?」
「そうそう、全知全能! バズること間違いないっしょ!!」
「だよねー」
笑顔で続ける。
「バズ超えて、世界征服でもしちゃおっかなー。あたし魔王だし」
「それいいじゃんー!」
その時、千佳が小さく吹き出した。
「どしたの?」
「うん、この会話、勇者さんが聞いたらが怒りそうだなーと思って」
「あー、勇者っち、真面目だしなー」
「確かに。そうはさせん! とか言って剣振り回してきそう」
めぐが架空の剣を振りまわす。それを見て、三人で笑った。
突然、アビスの脳裏に天才的な案が浮かぶ。
「あ! そうだ! ……勇者っちも誘お!」
「え?」
「だってさ、勇者っちもこの国のこと知らないでしょ?」
「まあ、そうなの……かな……?」
アビスは指を立てながら続ける。
「うん、この前なんて、スーパーのレジに魔法使って壊しかけたらしいし!」
「え!?」
「あと、履歴書に"職歴:騎士団4年、勇者歴2年"って書いて落とされたって!」
「それは……酷いね……」
アビスはスマホからレオナスにメッセージを入れる。
「『勇者っちもこの国のこと知らないでしょ? だから一緒に学校行こう☆』……っと」
数秒後、スマホが震える。
「返信きたー。えーっと……『は? なぜ学校? なぜ勇者が?』……って」
千佳が覗き込む中、アビスは返信を入れる。
『だって、スーパーで魔法ぶっぱなしてレジ壊そうとしてたよね? 店員さんに怒られてスーパー出禁ってえぐいっしょ! それに履歴書の職歴、勇者2年で落ちたよね? 勇者っちにも学びが必要なんだよ。あたしの監視ついでに来なよ☆』
今度はスマホが五回震える。
[大爆発するヒヨコのスタンプ]
[剣を振り回すウサギのスタンプ]
[倒れこむクマのスタンプ]
[涙目で正座するタヌキのスタンプ]
『分かった』
アビスはドヤ顔でスマホを掲げた。
「ほらね、これが魔王の交渉術よ☆」
千佳が半ば呆れ顔でつぶやく。
「……勇者さん、スタンプのセンス、独特すぎない?」
「スタンプのセンスも教えなきゃねー」
みんなで笑った。




