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第13話 勇者でごす☆


夏の日差しが明るい午後。


レオナスは、借りたばかりのアパートの一室で静かに息を吐いた。

コンセプトカフェの店長が保証人になってくれたことで、ようやくカラオケボックスの生活から脱却することができたのだ。


六畳一間の畳の部屋。

小さな机の上には、ノートと、一通の茶封筒。中にはバイト代から工面した千円札が二枚入っている。

かつてアビスが肩代わりしたカラオケボックスの宿泊費を返済するためだ。


茶封筒を見ながら、レオナスは息を整える。


慣れない労働で得た金銭も、返済も……元を辿れば全て同じ元凶だ。全てはあの――


(……魔王、アビス・ダークローズ)


思考は自然と、詐欺師の一件へ飛ぶ。


アビスの使ったあの魔法。

あれは、レオナスが知るどんな魔法とも違っていた。

初めて魔王城で対峙した時にも見せなかった力。空間そのものを歪め、存在の定義を揺るがすほどの闇。あれがアビスの本質だとすれば……。


自分は今まで、魔王アビスのどこまでを理解していたのか。

あの時振るった聖剣は、想像以上に巨大な魔王の影を掠めていただけなのかもしれない。


だが、同時に奇妙な事実もあった。

アビスは自らに課した『殺さない』という約束を、捻じ曲がった解釈ながらも守っていた。

あの力を持ちながら、自ら定めた規律に、かろうじて留まっているのだ。


討伐すべき絶対悪か。

それとも、その身に持つ規律を信じ監視を続けるべき存在か。


その時。


軽快なインターフォンの音が鳴り響いた。


背筋が冷たくなる。この場所を知る人間なんて、ほとんどいない。


まさかと思いながらもドアを開けると、そこに立っていたのは、まさしく最も頭を悩ませる――元凶。


「お前……!? なんでここに!」


アビスが、紙袋を片手に手をひらひらと振っている。


「やっほー☆ 勇者っち。ちょうど通りかかったから!」

「いや、通りがかる場所ではないだろ!?」


アビスのキラキラした出で立ちと、脳裏に焼き付いた詐欺師の一件の残像が交互に映り、思考が混乱する。


「いやー、細かいことはおいておいて!」


アビスは髪をなびかせ、するりと横を抜けて玄関を突破した。


「お、おい、ちょっと待て! 勝手に入るな」


制止の声も虚しく、アビスは部屋の真ん中へと直行し、机に紙袋を置いた。


「だーいじょぶだいじょぶ! お邪魔しまーす☆ たこ焼きもってきたから食べよー」


レオナスは、ドアノブから手を離すことができない。


「うわー、ここってこうなってるんだ」


アビスは視線をぐるりと回す。そして、机の上に置かれた茶封筒で止まった。


レオナスの背筋が瞬時にして冷える。


アビスの指先が封筒に向かう前に飛び込み、茶封筒を奪取して反対側の壁へと張り付いた。


「え、何?」

「な、何でもない!」

「……必死すぎない?」


レオナスはそのまま壁際に待避する。ここが、今の自分に許された安全距離だ。


そんなレオナスの警戒心など気にも留めず、アビスがスマホを突きつけてきた。


「そういえばこの前の投稿、バズってさー。コメントも沢山来たんだよ」

「お前、それ……投稿したのか?」


あの地獄絵図を投稿する、やはり正気ではない。


「そう! なんか、色々ヤバイもの映ってるってダブルでバズったんだ☆ ほら、後ろのPCのモニターに。でも、だーいじょうふ。#ファンタジー ってタグ付けといたし」

「PCモニター? ヤバイもの?」


それは何だと問う前に、テンション高くアビスが続けた。


「でさー、勇者っちはクマのスタンプで顔隠してんだけど……」

「待て、俺まで投稿したのか?」


思わずスマートフォンを取り上げようとするも、アビスは手で防御しながら続けてくる。


「そう、で、みんなが『勇者様の素顔が見たい』ってコメントしてきてさ!」

「そんな無茶な……」

「いやいや、だって考えてみてよ? 魔王が渋谷に現れてみんな不安じゃん? そこに勇者様がいれば安心するってもんよ」

「いや……お前が言うのはおかしくないか? それに、民たちは俺たちを本物とは思っている訳では……」

「甘ーい! 民をナメちゃいけないよ! そういうのって何となくわかっちゃうんだから。だから勇者様が堂々と姿を見せて『皆の平和は私が守る』って言えばみんな安心する! それってまさに勇者の責任っていうか」


アビスは天井を見上げた。


「えーっと『民を導く者の使命』みたいな?」

「……民を導く者の」


分かっている、これは罠だ。レオナスの信条を人質に取ったアビスの罠だ。

ただ……魔王がその理屈を持ち出すなら、勇者であるレオナスが否定する訳にはいかない。

そんな複雑な想いを抱えながらも口を開く。


「……分かった、民の不安を拭うのは、勇者の務めだ」

「でしょでしょ! だからライブ配信、やろ?」

「ライブ……配信?」


アビスは嬉々とした様子でもう一つのスマホを取り出し、机の上に置いたスタンドにセットした。

そして画面を押す。


「はーい! 皆んなこんにちは☆ アビたんでーす! 今日は特に要望が多かった特別ゲストをお呼びしましたー! なんと今、そのゲストの部屋から中継していまーす☆」


スマホスタンドの前で完璧な『決め顔』を作るアビス。

レオナスには分からない。いつの間に『配信』が始まったのか。


「ほら、自己紹介して?」

「え? 自己紹介?」

「ほら、早く! みんな待ってるし! 勇者の使命!」


勇者の使命と言われると、やらない訳にはいかない。


「あ、その……我が名は勇者レオナス・シード。神より託されし聖剣の継承者にして闇を討つ――」

「ちょっと待って!」アビスが制してくる。「それ長すぎ! もっとサクッと!」


画面に、文字のようなものが流れ始める。


『あの勇者さん? イケメンじゃん!』

『てか、カッチカチやん!』

『この人、令和対応してないの?』


画面に流れる文字の羅列――コメント欄を見せてくる。


「ほら、みんな色々言ってるよ? ねぇみんな、勇者っちどんな挨拶にしたらいいと思う?」


アビスの呼びかけに応えるように、画面に文字が次々と流れてくる。


『「よーっす! 勇者でごーす!」とかでいいんじゃね?』

『勇者でござるとか』


アビスが真紅の瞳を向けてきた。


「ほら、勇者っち、みんなこう言ってるよ? 民からの期待だよ?」

「む……」


繰り返される『民の期待』。

違和感はある。だが、この世界に来て分かったことがある。


何事もやってみなければ分からない。


レオナスは息を吐き、ぎこちなく片手を挙げた。


「……勇者で、ごーす……」


一瞬の静寂。

そしてその空気を切り裂くように――コメント欄が嘲笑で埋め尽くされた。


『うわぁ、無理してる感じが痛いwww』

『でごす勇者w』

『中二の時の文集出てきた気分w』

『てか、こいつ、アビたんの男?』


コメント欄をスクロールしたアビスは、「でごす勇者」のところで吹き出した。


「……やはり、違っているのでは?」

「ううん、だーいじょうぶ。むしろ完璧!」


アビスは楽しそうに部屋をきょろきょろと見回した。


「ちなみにここは勇者っちの住んでる所でーす☆』

「おい、部屋まで……!」


アビスがスマホを近づけたのは、机の脇に置いた「履歴書の書き方」の本。続いて、窓際にある聖剣とカップ麺。


『え、勇者さんって職探してるの?w』

『勇者って、職業じゃなかったんだww』

『聖剣の横にカップ麺が積んであるのジワる』

『カップ麺の重しに聖剣使ってそうww』


レオナスは、とにかく慌てて履歴書の書き方を片付ける。そんな中アビスが明るく声をあげた。


「はい、ここで重大発表! 勇者っち、実は超貧乏なの!」

「違う! まだこの世界の経済システムに慣れてないだけだ!」

「そうなの。勇者っち、履歴書に"職歴:勇者2年"って書いて落とされたらしいの!」

「おい、それ以上言うな!」


レオナスは再びアビスのスマホを取り上げようとしたが、アビスがさっと身体でガードした。


次の瞬間、アビスの顔がぱっと明るくなった。


「あ! スパチャだ!」

「スパチャ?」

「お金くれるってこと。これ見て、今、千円投げ銭してくれた人がいるよ!」

「投げ銭? どこからどこに投げている?」

「ほら、コメントも読まなきゃ」


アビスは、コメントを読み上げた。


『勇者様、これでいいもの食べてw』

『聖なる力の一助となれば!!』

『僕の聖剣に力を込めてくれませんか?』

『カップ麺卒業記念スパチャ』


色とりどりのコメントと可愛らしいシンボルが次々と表示される。


「これが投げ銭? だが、直接金銭を受け取るのは……」


そんな中、コメントの中に不穏なものも目につくようになっていた。


『なんだ、アビスってやつ、ただのヤリ〇ンじゃねぇか』

『絶対あいつの聖剣()で、毎日〇〇ってんだろ』

『この女、詐欺グループ襲撃したヤツでしょ? 』

『あれはただのファンタジー画像。正解は、こいつが詐欺師』

『こいつ、魔王()とか言ってんだろ? とっとと魔界に帰れよwww』


瞬間、アビスの指先が一瞬だけ止まった。

ただ、何も気にしていないかのようにスルッとスマホをスクロールする。


「あ、そーだ。そろそろ現場にお返しよっかなー」


アビスが、スマホを机の上のスタンドに置きなおす。

そして先ほどと同じく『決め顔』とポーズを作る。


「はいっ、そんな訳でこちら現場のアビたんでーす☆ 今日はこの辺でおしまい。最後コメント欄、闇のバイブスが溢れちゃったのは、アビたんが魔王様だから☆ 次回も闇の炎に磨きをかけて待っててねー! じゃあまたねー!」


配信が切れると、スマホを机にぽんとおいた。

そしてアビスはふぅと息を吐く。


「あー、今回はマジ神回だったね! バズり確定じゃ……」


けれど、あの時一瞬だけ止まったアビスの指。

千の戦場を切り抜けた自らの目が、その一瞬を見逃すはずもない。


「……大丈夫、なのか?」

「は? なにが?」


アビスは無邪気に首を傾げた。顔は笑顔のままで。


「お前に対する悪意ある言葉だ。……気には、ならないのか」


アビスはなんどか瞬きを繰り返した。

そしてあっけらかんという。


「えー、あたし魔王だよ? ずっと魔王してきた存在が、炎上で何か?」


ただ、その言葉がどこか、ぎこちないようなものに聞こえる。


「だが、魔界での戦いとこの世界の悪意は、斬りつける場所が違うだろう」

「んー、アビたん、そういう難しいの、よく分かんない☆」

「いや、難しいとか……」


アビスは少し天井を見たあと、これ以上話をしたくないと言うように、「じゃあ、そういうことで!」と立ち上がった。


そして荷物をしまうと、有無を言わせぬ早口でまくし立てる。


「じゃあ勇者っち、あじゃじゃしたー! 次も配信よろしくーじゃあねー☆」

「おい、アビス——」


くるりと向けられる背中に声をかけるも、アビスは振り返ることなくバタンと扉を閉めた。


扉の向こう側で、アビスが今何を考えているのか。それを知る術はなかった。




◇◆◇◆◇◆


廊下にでたアビスは、「ふぅ」とため息をついた。

そしてドアに背を向け、カンカンと足音を鳴らしながら通路を通り階段へと向かう。


配信は上々だった。さらにフォロワーが増えるかもしれない。


そんな弾んだ気持ちを抱えながら、スマホの通知をチェックする。


ふと、再び指が一瞬だけ固まる。予想以上にひどいコメントが並んでいる。


「んー……」


小さく唸りながら、スマホの画面をスクロールする。


「……ま、でも、次はちょっとだけ、控えめにしないとかなぁ」


呟きながら、そそくさと階段を降りきり、おばあちゃんの家に帰る道を急いだ。





夕暮れの街並みは、夏の暑さが少しだけ和らいでいた。


いつものようにスマホで再生回数を確認しながら、めぐの投稿もチェックする。


毎日欠かさないリプライとイイね、それがお互いの日課だった。


「へぇ、めぐ、フォロワー1万いったんだ」


画面をスクロールすると、今日の投稿が目に入る。キラキラのネイルとシュークリームの写真。


コメント欄には『パパに怒られちゃった。パパの説教スキル、レベルMAX(汗)でもこのネイルで反射! ネイルは武装!』


そんな投稿にリプを送ろうとするも、ふと、指が止まる。コメント欄に見慣れない荒らしがいた。


『アビスの取り巻き』『こいつも犯人』


指が一瞬、反撃のコメントを打とうと動きかけた。


でも——やめる。めぐに迷惑をかけるわけにはいかない。

ここにコメントすれば、余計に炎上するだろう。


アビスは小さく息を吐き、スマホをポケットにしまった。


そして空を眺めながら電車に乗り、おばあちゃんの家へと向かう。


駅に着き、家にたどり着く道の角。


その角を曲がった時──前方の道に黒い服装の男がいるのが目に入った。


男は明らかに様子を窺うように、おばあちゃんの家を観察している。


「……」


アビスが視線を送った瞬間、男の肩がびくりと跳ねた。

慌てたように身を翻し、足早に道の向こうへと消えていく。


「なにあれ」


もう一度道の向こうを凝視する。


「ファン……ってわけじゃなさそうだけど」


アビスは、夕暮れの光を映す瞳を、すっと細める。

それだけで、辺りの空気がひやりと冷えた。


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