第12話 魔王、地獄の底で、インスタ映え
レオナスは小さく息を吐いた。
背中の緊張が、かすかにほどける。
アビスは"殺さない"と約束した――けれどもそれは、単に今、ぎりぎりの均衡が保たれているというだけだ。
次の一手を間違えれば、また地獄が始まる。
だからこそ今は、詐欺師から情報を引き出すことに集中すべきだった。
レオナスは、自らの内に宿る魔力を組み上げ、半身を起こした男に向ける。
「……くっ」
男が、苦しげな表情を浮かべた。
「記憶探索の魔法だ。嘘をつこうとすればするほど痛みを感じる」
手から放たれる淡い光が、男の額に触れる。
「組織の場所は?」
「西新宿の……裏通りの雑居ビル……803号室……」
「で、そこには誰がいる?」
「社長と……手下の連中が……」
白目を剥いた男を、アビスが冷ややかに眺めた。
「へぇ。ずいぶんと簡単に話すもんだ」
「簡単ではない。この魔法、失敗すれば、弾き返されるだけでは済まん」
アビスが冷たく笑う。
「へぇ、はじき返されたらどうなるの?」
「この魔法をかけられた相手は、副作用で強烈な悪夢を見る。だがもし魔法が弾き返されれば……何倍にもなって返ってくる。術者の俺に」
アビスが心底愉快そうに、口角を上げる。
「へー、ちょっとしたアフターサービスも込みってことか。面白い。んで……社長ってやつは今日もそこにいんの?」
レオナスは、アビスの質問をそのまま男に伝えた。
「あ、ああ……今日の夜……売り上げを持って行く予定が……」
「ラッキーじゃん。で、どんな顔?」
「丸顔で……つり上がった目つきで……」
「は? 分かんないんだけど」
不満げに言ったアビスに、レオナスは答える。
「大丈夫だ、俺にはそいつの姿形が見えている」
「え、ずるくね? アタシにも見せろ」
アビスは手をかざすが、とたんに不機嫌な顔になった。
「無理だ。記憶探索は共有できない」
アビスは余計に不機嫌な顔になり、レオナスに言う。
「じゃあ描いてよ」
「え?」
「だから、記憶の中の顔、描いてよ」
描く……その言葉に、どこか追い詰められたような気分になる。
「いや、俺は剣は得意だが……」
「いいから早く!」
無茶を言う。そう思いながら渋々、魔法の光で地面に輪郭を描き始める。剣筋は正確無比を自認しているが、絵心は絶望的だった。
描き終わったのは、歪んだ円と、申し訳程度の点と線。
「……え、スライム?」
「人間だっ!」
アビスの呆れたような視線が突き刺さる。顔が熱くなるのを感じながら、レオナスはそっと魔法の線を消した。
アビスはそれを見つめた後、一言だけ呟いた。
「結局は、突っ込むしかないってわけね」
◇
一時間後。
西新宿の雑居ビル前。
レオナスはアビスと共に803号室のインターフォンの前に立つ。
「どうする?」
「私がやる」
アビスがインターフォンを押した。
「こんにちわぁ♪ お届け物でーす☆」
突然の猫なで声に、レオナスは思わず「は?」と漏らす。
まるで別人かのような甘い声で、アビスが続けた。
「えっとぉー、飯塚って男の人から荷物預かってるんですけどー、お渡ししたくてぇ」
飯塚は先ほどの詐欺師の男の名前だ。
その名前を語りながら、ドアスコープに向けてアビスが可愛らしくハートサインを作る。
「……何だ、それは」
アビスはハートサインを崩さないまま決め顔をしている。
その時、ガチャリと鍵が開き、ドアが空いた。
その男がアビスの視界に入った瞬間。
「あ、この人。勇者っちの絵に比べたら全然マシな顔してるー♪」
「……それは別人だ」
そこには、屈強な男が二人立っていた。
「飯塚からの荷物……?」
「そうそうー、社長さんに直接渡したいんだけどぉ、社長さんいる?」
男が困惑した表情を浮かべる中、アビスはゆっくりと一歩、中へと入る。
「いるよね? 奥に」
一瞬前まで甘く弾んでいたアビスの声から、一切の温度が消え失せた。氷の刃のような声が、部屋の空気を凍てつかせる。
「な、なんだてめぇ……」
その時、部屋の中の蛍光灯が点滅し始めた。
「で、電気が……?」
男たちが異変に周囲を見回す中、アビスはさらに部屋の中へ。レオナスも部屋の中に入る。
奥のデスクには、太めの中年男性が座っていた。つり上がった目の、どこか狡猾な雰囲気を漂わせる男。
社長だ。
アビスの声が明るくなった。
「あ、あなたが、社長サンですぅ?」
アビスの周囲に黒い霧が沸き上がる。
次の瞬間、その黒い霧の中から――深紅の目が無数に見開かれた。
男が、悲鳴をあげる。
「ちょっとだけ社長サンに、『地獄』がどんな感じか見せてあげる☆」
アビスの声が、甘く響く。
しかしその声には、人の世界のものとは思えない不気味な響きが混ざっていた。
レオナスはすぐさまアビスに向かい、声を張る。
「おい、やりすぎるな」
アビスは肩越しに振り返り、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「わーってるわーってるって。約束したでしょ?」
言葉と同時に、生まれた無数の目がそれぞれに動き始めた。
何かを"測る"ような、魂そのものを覗き込むような視線を送りながら。
「ひ、ひぃぃぃ!!!」
男たちは、尻もちをつき、身体を引きずりながら必死にアビスから遠ざかる。
「大丈夫、これは単なる夢よ。目が覚めることのない、とーっても怖い夢」
次の瞬間――部屋の空気が "存在" を失い始めた。
暗闇が、"暗闇" という概念を超えて広がる。深紅の目が次々と開かれる度に――闇が暗闇を超えて広がっていく。
レオナスは一瞬、躊躇した。背筋に冷たいものが走るのを感じる。これまで何度も戦った魔王の気配が、かつて感じたことのないほどに "深く" なっていくのだ。
「大丈夫だって」アビスの声が優しく続く。「ただのお遊びだから」
アビスの声は、もはや声ですらなかった。
それは "意味" そのものが溶解していく音。男の目の前で、現実が剥がれ落ちていく。
「面白いでしょう?」アビスが無邪気に問いかける。「存在の『意味』が少しずつ溶けて、消えていく感じ」
空間が捻じれ、 "在り方" を失っていく。そして "失った在り方"が螺旋を描き、堕ちてゆく。底なしの、理解を超えた深淵へと。
レオナスは小さく舌打ちした。
舌打ちしたのは魔法そのもに対してではない。この深淵にさらされ続けると、男たちが廃人になるだろう事に対してだ。
レオナスは聖剣を抜き放つと、聖なる力を注ぎ込んだ。狙うはアビスではない。アビスが生み出した「地獄」と「現実」の境界線。
光の刃が空間を切り裂くと、悪夢が覚めるように、世界に重力と色彩が戻った。
男たちは、遠くを見ながら身体をガタガタと震わせている。
レオナスは聖剣を鞘にしまうことなく、そのままゆっくりとアビスへ向き直る。
「……やりすぎだ」
声に含んだ怒気にも、アビスはけろりとした顔で肩をすくめた。
「え、どこが? 約束、守ってんじゃん」
「何……?」
「殺してないって。心臓も止めてないし」
まるでゲームのルールでも確認するかのような軽い口調。
確かにそうは言った――その言葉の解釈に、レオナスは反論する気力すら失った。
一つ、長い溜息を吐いてから、聖剣を鞘に収める。
「駄目だ、次からは加減しろ」
「はーい☆」
アビスは返事しながらも、目の前の「社長だった」男に近づき、耳打ちをする。
「ねぇ。アタシ、おばあのお金を返してもらいに来たんだけど、どう思う?」
「はぃ……返します……返させてぃただきます……」
「ん、いい子♪」
アビスが社長の頭を撫ぜた。
それを見ながらレオナスは、言葉を継ぐ。
「ついでに悪事の全てを警察に自首するんだな。でないと……この目がまたやってくるかもしれない」
「ひ、ひぃぃぃぃっ!」
男たちは失神してその場に倒れた。
それを見て一呼吸。
アビスは笑顔を浮かべた。
「よし。はい、お仕事完了っと☆」
達成感に満ちた表情で、アビスはポケットからスマホを取り出した。
続けて部屋の片隅へとセットして、タイマーを起動する。
「おい、アビス?」
アビスは急いで部屋の真ん中に戻り――ピースサインを決めた。
「おい⋯⋯」
スマホのシャッターがおりた。
アビスは次々と色んなポーズで写真を撮る。
「……何をしている」
「え? 写真だよ! 魔王と失神した詐欺師とか神じゃない? バズるかなって」
ピースサインを決める元凶を前に、本気で頭痛を感じる。
数分前まで、この空間は存在の意味すら溶ける地獄の底だった。
「頼むから……これ以上、俺の常識を破壊しないでくれ……」
レオナスは、倒れた男たちに聖なる魔法をかけて回復させる。
そしていまだに色んな角度で写真を撮り続けるアビスを見ながら、こめかみを強く抑えた。
◇◆◇◆◇
翌日。
アビスは縁側に腰を下ろし、カルピスをストローで吸いながら、スマホで適当にいろんな記事を眺めていた。
そのとき、テレビから流れるニュースが耳に引っかかった。
アビスはゆっくりと顔を上げる。
「次のニュースです。都内で活動していた特殊詐欺グループが昨日、警視庁に相次いで出頭、事件の全容を明かしました。このグループは主に高齢者を狙った詐欺を行っており、被害総額は約4億円にのぼるとみられています」
アナウンサーの声が続く。
おばあちゃんが台所から顔を出し、テレビ画面を見ながら驚きの表情になる。
「グループの代表者は、被害者リストを警察に提出。被害金の返還の意向を示しています。また、出頭の理由について『このままでは生きていけないと感じた』と、説明しているということです」
「あらあら、もしかして……これって……」
アビスはカルピスのストローをくわえながら、笑った。
「ほんとだ! よかったね、おばあ。お金が戻ってくるかもしれないよー?」
おばあちゃんは「そうねぇ」と微笑んだ。
そして、頬に手を当てて疑問の表情を浮かべる。
「でも、このままでは生きていけないって……なにかしら」
「さあ?」
アビスは足をぶらぶらさせながら、気の抜けた声でつぶやいた。
「きっと、ポリスメーンってやつが怖かったんじゃない?」
アビスは悪戯っぽく笑い、カルピスの最後の一口をちゅーっと吸った。
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