第1話 最凶魔王、ギャルになる
千年の魔王城。
魔王アビス・ダークローズは真紅の瞳を退屈そうに細めた。
「……くだらぬ。ここで終わらせてやろう」
迎え撃つは人類最後の希望、勇者レオナス・シード。
「そうだな魔王。ここで終わらせてやろう」
次の瞬間――魔王の掌から、重力の塊が放たれた。
「!」
レオナスは聖剣で受け止めるも、床が重力で砕け散る。
続く追撃は跳躍でかわし、反撃の一閃を放った。
それを片手でいなした魔王の瞳に、わずかな火花が宿る。
「……退屈な過去の勇者とは違う、か」
「無論だ、ここで終わらせる」
真紅の瞳が、愉悦に歪む。
「久々に胸が躍るではないか。良い! ならば我が新たなる力で遊んでやろう!」
手のひらに凝縮した黒い球体。先ほどとは比べ物にならない重圧に、空間そのものがきしむ。
「来い、魔王!」
球体が放たれる――その刹那。
ぺりり。
ゆで卵の殻が割れるような、場違いな音が響いた。
「ん?」
見れば、球体に不可思議な“裂け目”が走っている。まるで重力が臨界を超え、空間そのものが自壊したかのように。
次の瞬間。
「げっ」
魔王の口から、威厳の欠片もない声が漏れた。
球体の裂け目が穴と化し、吸引を始めた。壁が、床が、次々と引きはがされ飲み込まれていく。
「え? ちょっと待て?」
魔王の顔から、色が引いた。
「す、吸い込まれる、なにこれ勇者!?」
「は? 知るか! お前の魔法だろうが!」
「だ、だけど! 新技で、制御がわから……」
魔王の身体はすでに半分以上呑まれていた。
「おい! 逃げる気か魔王!」
「違う! 勝手に吸い込まれるんだって! なにこれ勇者!」
「だから俺に聞くな!」
「や、やだこれ、なんだこれ、勇者、助けろ、いや、た、助けてぇぇぇぇっ!」
漆黒のドレスの裾が翻り、銀髪が虚空に吸い込まれ、穴が閉じる。
後に残されたのは、半壊した魔王城と、聖剣を握りしめたまま呆然と立ち尽くす勇者。
その口から漏れたのは、ただ「えぇ……」という間の抜けた一言だけだった。
◇
「……いった……」
アビスは、冷たい地面に叩きつけられ、目を覚ます。
顔を上げた瞬間、呼吸が止まった。
見慣れた魔界の空はない。そこにあるのは、ひしめく無数の塔。塔の壁面では意味不明な光が明滅している。
(……なんだ、この世界は!?)
そして何より――世界にあるはずの魔力の流れが一切感じられない。
(まさか、我が魔力も……!?)
一抹の不安に駆られながら意識を集中させると、指先にふわりと闇色の魔力が灯った。
(……ふん。魔力は我が身。湧き出る力は変わらぬか)
ならば街全体を沈黙させてやろうと、指先に魔力を収束させていく――その瞬間。
「え、ヤバ」
目の前から、高い声が響いてきた。
見れば、金髪の少女が、蝶のようなまつげをぱちぱちさせていた。
「そのコスプレ、ヤバくない?」
「は?」
ヤバ? コスプレ?
意味不明な単語に、手の中の魔力が霧散する。
「ちょーカワイイ! 神ってる!」
「……神、だと? 我を、魔界の王と知っての戯言か?」
「うわ、キャラ作り込みすご! プロみたい」
「プロ……? 何を言っている」
会話が噛み合わない。この少女は、まさか自分のことを知らないのか。
「ねぇ撮っていい? これ絶対フォロワー増えるって!」
「とる? ……我が命をか?」
「ぎゃははっ、キャラ設定、半端ない!」
少女は手をひらひらさせて笑うと、アビスの隣にぴたりと立ち、懐から取り出した”光る薄い板”を掲げた。
パシャッ! と乾いた音がする。
「いやー、これ絶対バズる! メンション付けて載せていい?」
(バズる……? メンション……人間の言葉のはずが、どれ一つ意味が取れぬ……!)
輝く瞳を向けてくる少女に、アビスは口を開き、閉じ、また開いた。
少女は構わず続ける。
「そだ、名前教えて! アカウント名!」
「アカウント名?」
アビスは絞り出すかのように聞き返す。
「そう、名前。インスタの名前でもいい!」
「……ほう。我に名を問うか。ならば聞くがよい。我こそは闇を統べる魔界の王、アビス・ダークローズ!」
「すご、名乗りもリアル!」
少女は感心したように手をたたくと、今度はアビスの頭を指差した。
「その角もすこくリアル。どこで買ったの? 109(マルキュー)にもこんなクオリティのやつなくない?」
「……魔宮だと?」
真紅の瞳をスッと細める。
「……聞き捨てならんな。この地に、魔宮が存在するというのか?」
「うん、あるよ? てか、知らないの?」
魔力を感じぬこの地に、魔の力が渦巻く魔宮が存在する。
そのことに魔王である自分が気づいてないとは。
呟きながら考えていると、少女がじっとこちらを見つめ、何かを察したように笑った。
「……よく分かんないけど、そんだけ気になるなら、行ってみたらよくない?」
少女はぱっと笑い、当然のようにアビスの手をつかんだ。柔らかな感触に、アビスの肩がびくりと跳ねる。
「今から行こ。ね、アビたん」
(アビ……たん……?)
千年以上、恐怖と絶望の代名詞だった名が、ずいぶんと気の抜けた響きになっている。
そのことに衝撃を受けている間に、身体が少女の腕に引かれていく。
(ま、待て、我は魔王だぞ……。しかし、魔宮の正体は確かめねば……)
目的地は、”魔宮”――SHIBUYA109(マルキュー)。
最凶魔王の、意図せぬ東京生活が始まった。
◇◇ 三か月後 ◇◇
異界の王都。
「ようやくこの日が来たか……」
地下研究室で、レオナスは完成した魔法装置を見つめていた。
あの日から三ヶ月。
レオナスは王都の地下で実験を重ね、ついに魔王が見せた転移魔法を再現する装置を作り上げた。
「魔王……この手で、全てを終わらせる」
レオナスは装置を起動させ、空間に裂け目を生み出す。
そして迷うことなく中へと飛び込んだ。
◇
レオナスが降り立ったのは――渋谷スクランブル交差点。
群衆が、突然現れたレオナスに視線を向ける。
「え、ナニコレ? 撮影?」
「てか鎧すごくね? ウケる」
けたたましい喧騒と視線に、思わず剣の柄に手をかけた――その時。
全ての雑音を貫いて、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
その声に、レオナスの心臓が凍りつく。
「アビたん、見て見て! 新作のネイル、超かわいくない?」
「えー、マジやば、それ109の3階の……って、あ」
人だかりの向こうから現れたのは、確かに魔王アビス・ダークローズだった。
だが――
長い銀髪に入れられた、淡いブルーのメッシュ。
肩と腹を露わにした上衣に、膝上までしかない下衣。
そして、首から下げられた「109ガールズ公式インフルエンサー」と書かれたバッヂ。
「ま、魔王!?」
その瞬間、魔王がレオナスに気づき、目を見開いた。そして、桃色の唇をゆっくりと開く。
「あ! 勇者じゃん! やっば! タイミング神☆ ちょっと聞いて、この前センター街でイケてるスカート見つけてさー」
「……は?」
ピシリ、と。頭蓋の内側で何かが砕ける音が響いた。
三ヶ月間、不眠不休で積み上げてきた魔王との再戦への執念。
その全てが――目の前で「やっば! タイミング神☆」と笑う水色のメッシュに砕け散った。
レオナスの脳内に、鋭い頭痛が走る。
(討つべき敵――が、斬気すら鈍る。こいつは一体……)
レオナスの周りに目を輝かせた少女が集まってくる。
「え、アビたんの知り合い?」
「てかイケメン! 元カレ?」
「えー、そんなんじゃないしー」
魔王は、銀髪を指でくるくるさせながら、悪戯っぽく笑う。
「アタシ、昔この人とバトってたんだけど、そのせいでミスって渋谷に飛ばされちゃったの」
「えー超ウケるんですけど! 魔王と勇者とか尊い~!」
(ウケる……尊い……? 一体何を言っている?)
呆然とするレオナスの隣に、魔王がニヤリと笑って立ち、光る板を掲げた。
「ハイチーズ! 魔王アビたん、勇者っちと仲良しツーショ☆」
「なっ……仲良しだと!? ふざけるな! 貴様は世界を恐怖に陥れた宿敵……!」
その言葉に、周囲の少女たちが首をかしげる。
「てか、仲良し設定じゃないの?」
魔王が軽く笑う。
「まぁあたし、こないだまでこの人に聖剣で追いかけ回されてたからなー」
「ええっ、それってストーカー!? 変質者?」
レオナスは言葉を失った。
魔王から“仲良し”と言われ、少女たちからは“変質者”と言われる。
ここの世界は一体どうなっているのか。
その時、別の少女が思いついたかのように言った。
「あ、じゃあいっそのことバトっちゃう? 運命の戦い☆って」
"戦い"。
その単語に、レオナスの勇者の本能が反応した。
(まずい! ここで魔王が力を解放すれば民たちが!)
「下がれ! 危険だ!」
周囲の状況を瞬時に把握。
民間人、約三十名。魔王との距離、一メートル。
逃がせる。展開すれば、全員を守れる。
聖剣に手をかけ、とっさに防御結界を張ろうとした時。
魔王が、期待に満ちた瞳で言った。
「え、戦うの? じゃあまずヘアメからじゃない? 戦うならビジュ完璧にしなきゃだし」
「……は?」
「やっぱその前にプリクラ撮ってからでしょー!」
「いやいや、カフェでミーティングして企画詰めるのが先じゃね?」
レオナスが答えるより早く、わっと集まった少女たちが両腕を左右からつかんだ。
そして、無理やりどこかへ連れ去ろうとする。
そんなレオナスの視界の端で、少女の分厚い靴のつま先がレオナスの聖剣の鞘を「ガツン」と跳ね上げた。
「あ、ごめーん」という悪意のない声が、レオナスの鼓膜を打つ。
……今、聖剣が蹴られた。
メキリ、と。
今度こそ、頭蓋の中で何かが砕けた。
それは、魔王討伐の使命感か、王国への忠誠か。いや、もっと単純なものだった。
歴代勇者の血と祈りを吸ってきたこの聖剣が、道端の石ころみたいに蹴っ飛ばされたのだ。「あ、ごめーん」という、マシュマロのように軽い謝罪と共に。
レオナスの脳裏から”勇者の矜持”という文字が、街の光に溶けて消えていくのがはっきりと見えた。
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