イグラシオン家
ずんずんと先へ進むケンに、置いていかれないように俺も門を通る。私兵の方達は、奇妙な珍獣を見るような視線を浴びせてきた。当然の反応だ。俺の衣装は所々に血で染められている。こんな奴を通して平気なのか、と疑問に思うのも仕方ない。
開けた空間に出ると、正に圧倒された。
まず、屋敷がでかい。けれど、そこに成金趣味のような厭らしさは無く、西洋の文化遺産を間近で見ている気分になる。
そして、無駄に庭が広い。これを庭と言っていいのか? 中央にどういう理屈で作られ、どういう仕組みで成り立っているのか分からない噴水があり、ただただ困惑する。
「アニキ、ようこそ我が家へ!」
ケンはにこやかに屋敷の扉を開けるが、こっちはぎくしゃくした笑みでしか応えられない。笑い方を忘れてしまった。
「坊ちゃま、お帰りなさいませ」
「爺や、坊ちゃまは止せと言ってるだろう」
「ホッホッホ、残念ですが坊ちゃま、私にとって坊ちゃまは、いつまでも坊ちゃまなのですよ」
「まったく、相変わらず頑固だな」
やれやれ、といった仕草をするケンに、俺はどうしようもない疎外感を覚えた。
俺はケンを見誤っていたのか? 荒くれ上等、スラムがホームグラウンド、それがケンじゃなかったのか? いや、スラム云々はこっちの妄想だから別としても、お前はこんな上流階級に居て良い存在じゃないだろ。坊ちゃま? はぁ? イカれた目つきでボウガン撃ってた奴が坊ちゃま? 冗談はお前の名前だけにしてほしい。
「坊ちゃま、そちらのお方をご紹介下さい」
「ああ、そうだったな。俺の、いや、この家の恩人だ。丁重に迎えて差し上げろ」
ケンがこの家の恩人、と言った辺りで老執事がピクリと反応した。
俺が恩人? 何の話してんの? ごめん、まったく分からない。それよりもあの老執事、セバスチャンって名前してそう。
「まさか、あのジークの件ですかな?」
「そうだ爺や。あのクソッタレを討ち取ったのが、このアニキだ!」
だから、なんの話? ジーク? 知らねぇよ。クソッタレって事は、またあのジジイ関連か。ったくよぉ、本当に死んでからも迷惑掛けるよな、あのクソジジイ。
「何と素晴らしい! これでようやくザリゲニウム様も浮かばれることでしょう」
ザリ……なんて? またこれだよ。俺を置いてけぼりにして、話を進めないでほしい。
「ああ、やっとだ。父上や母上にも急いで報告を――」
「ケン! ごちゃごちゃ何言ってんの? 悪いけど俺は休みたいから、先に部屋を案内してくれる?」
ごめん、もうムリ。俺だって我慢したんだよ? だって、どう見てもいいトコの坊ちゃんであるケンに、俺がアレコレ指図するのは流石に無礼だからね。でもさ、限度があるよ。俺が恩人だって? だったら、恩人蔑ろにして話し込んでんじゃねーよ! そういうのは、俺が居ない所でやってくんない? どうせ俺が聞いたって、一割も理解できないんだからさ。まあ、理解するつもりもないけど。
「す、すいませんアニキ。爺や、アニキを来賓用の客室にお通ししてくれ」
「畏まりました。それでは私がご案内させていただきます……申し訳ございません、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「タロウです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願い致しますタロウ様、それではご案内させていただきます」
先を歩く老執事の後をボケっと付いていく。床は高級そうな絨毯が敷かれてあるが、何も言われないので、汚いジジイの靴でそれらを踏みながら進む。
途中で使用人と思しき人達とすれ違うと、頭を下げてくるので、俺もそれに倣って頭を下げる。
階段を上り、そうかと思えば下り、もうどこを通ってきたのか分からない。分かるのは、どこの通路も広々していて、清掃が行き届いていることくらいだ。
この老執事遠回りしてない? 俺が疑心暗鬼に陥ろうとした時、老執事がドアの前で足を止めた。
「こちらがタロウ様にご用意させていただいたお部屋となります。何かございましたら、部屋の中にある呼び鈴でお申し付け下さい」
そう言って、老執事がドアを開けた。
疑ってごめんなさい。俺は一礼をして中に入る。
「これは私事なので、聞き流して下さい。この度は誠にありがとうございました。イグラシオン家の者として感謝を申し上げます」
老執事はそれだけ言うと、一礼をし、ドアを閉めた。
イグラシオン家? まあ、この家のことだろうけど……ま、いっか。聞き流してくれって言ってたし。それよりも、この部屋だよ! 何だこの広さ! 一人で使っていい広さじゃないだろ。キャッチボールくらいなら余裕で出来そう。あっ! ベッドに天蓋が付いてる! マジかぁ、こんなゴージャスなベッド、現実でも使ったことないぞ。
ようやくだな。俺の冒険がようやく始まったな!
フハハハハ、と高い天井を見上げながら笑い声を上げていると、天井をすり抜け羽虫が降ってきた。
こいつ、何でもアリだな。逆に何が出来ないの?
俺の高揚した気持ちが、みるみる内に萎んでいった。




