第三話 袖振り合うも多生の奇縁
ツィルセンを発ち、一路ガルスへと向かう。
ただ問題は、ガルスまでの移動手段は「徒歩」だった。
ツィルセンからガルスに行くなら定期便が一般的であり、何も問題が起きなければ概ね一日程度でガルスに到着する。
しかし、それはあくまでも平時の状態に限った話。
比較的魔属の少ない内陸であっても都市間の移動には完全武装の傭兵や軍の護衛が付くのが常である。ツィルセンは魔属を掃討したとはいえ、未だ混乱の中にある。とても定期便を出せるような余裕はない。
そして機関は、調査任務程度にいちいち専用車を出してはくれない。
そうなれば、必然的に頼れるのは自らの二本の足以外にはない。
そんなこんなで、黄昏時のこの時間、僕たちはえっちらおっちら峠を登っていた。グリューは山岳に囲まれた国であるため、この先もこんな山道が続くと思うとげんなりしてしまう。
「レン~。疲れたぁ。おぶってくれぃ」
と、急に後ろからおぶさり、猫なで声を僕の耳元で呟いてくるアオイ。髪の甘い匂いがふわりと鼻孔をくすぐり、僕はしどろもどろしてしまう。
「あ、ああ、アオイの方が体力あるでしょ?勇者なんだから、じ、自分で歩きなさい!」
「ちぇっ。ケチぃ」などと口を尖らせながらすんなりと背中から降りるアオイ。早鐘を打ちだした心臓の鼓動には幸い気付かれずにすんだようだ。
「おいおい。そんなレンのひょろい背中なんか乗り心地が悪いぜ。ホレ、オレ様の鍛え抜かれた背筋という名のリムジンにお乗りあそばせマドモアゼル」
「そんなキショいものに乗るか!お前の汗臭さが移るだろうが!」
これから危険な地位域に向かうとは思えない、いつもどおりの賑やかで気の抜けたやり取りに思わず苦笑いしてしまう。
「しかしさすがに疲労も出てくる。ここらで少し休もうか?」
と、汗一つかかず、とても涼しい顔で言うギン。本人が疲れているようにはまったく見えないから、きっと僕の事を気遣っての言葉だ。こういうさりげない気遣いができるのも彼の良いところだ。
「なんだぁ?道場の息子はたったこれだけの道のりでへばったか?大したことねぇな」
「筋肉バカと一緒にするな。何なら山頂まで競ってもいいんだぞ?」
そしてクロウの空気をぶち壊してくれるタイミングの悪さは天性のものだ。
と、そんな二人のやりとりを無視して先を進んでいたアオイはトトトと駆けて引き返してくると、僕の袖を引っ張ってきた。
「何?どうしたのアオイ?」
「魔属がいる。そう遠くない」
険しい表情でそういうアオイに、僕は瞬時に緊張を高める。
勇者は魔属の存在を探知できる独特の感覚を有している。距離や精度は勇者によって差はあるが、アオイが「そう遠くない」と言うなら、せいぜい数百メートル以内に魔属がいるということだ。
「ホントかよ?あんまそんな感じじゃねぇけどな」
億劫そうに言いながらも、のっそりと得物であるチェーンソーを抜くクロウ。
でも確かに魔属が襲いかかってくるような気配はない。そもそもここは峠道のかなり上の方だ。魔属が近いならアオイでなくとも気付きそうなものだ。
「あれじゃないか?」
道の端から眼下を見下ろしていたギンが言う。
切り立った斜面の遙か下方の山間には、すでに日も暮れ始め、薄闇を湛えていた。その山間を舗装された大型道路が山間に伸びている。よくよく目を凝らすと、その路上には大型車両が数台停まっているのが見えた。その周辺では時折、閃光が明滅していることが確認できる。よく耳を澄ませば、その光に合わせて乾いた破裂音もしているのがわかる。
あれは間違いなく発砲時に銃口から発せられるマズルフラッシュ。
「まさか、魔属と戦っているのか!」
車列を中心に数十人が闇に向かって発泡している。そしてその車列を取り囲む、宵闇よりも遥かに濃い影が無数に蠢いている。
果敢に応戦しているようだけど、魔属群はみるみる包囲を狭めていく。まるで氾濫した川の濁流が、中洲に取り残された人々を飲み込もうとする様に見えた。
「すごい規模の魔属群だ……なんとか応戦してるようだけど、このままじゃあっという間に全滅――あっ!」
僕がそう言い終わるよりも早く、アオイは空中に身を投げ出していた。ほぼ直角に近い切り立った斜面を足場に跳躍しながら、みるみる崖下へと駆け下りていってしまう。
あまりに唐突な彼女の一連の行動に、口を開けたまま唖然としてしまう。
「制止する暇すらなかったな。考えるより先に体が動くのは昔から全く変わらんな、アイツは」
そんな僕の横から冷静に分析するギン。彼はどんなどきでも冷静だが、あまりに落ち着きすぎるのも考えものだ。
「そそそそそそ、そんなこと言ってる場合じゃないって!あんな数の魔属相手じゃさすがのアオイも危ないよ!」
「まぁ落ち着けよレン。まずは深呼吸だ。ほれ、ヒッヒッフー」
「いやそれラマーズ呼吸法だから。って、馬鹿なこと言ってないで二人共アオイを助けに行って!」
あまりに落ち着きを払っている二人に若干苛立も含みながら懇願すると、二人はやれやれと言った様子で肩を回したり、首を振りながら体をならし始める。
「ほいほい。んじゃま、必要ないとは思うけど、イノシシ勇者様の加勢に参りますか」
「アオイの心配は無用だろうが、一般人が襲われているのを見過ごす訳にはいかんからな」
そう言いながら面倒そうにクロウはぼやきながら僕を片手で担ぐと、崖を滑り下りていく。ギンも頷くと、クロウの後に続いた。
打算も下心もなく、なんだかんだ言いながらもいざとなれば躊躇うこと無く助けに駆けつけられる彼らの姿は勇敢で、やっぱり尊敬してしまう。
僕の誇るべき、仲間たちだ。
「ま、うまくすれば途中まで乗っけてもらえるだろう」
「あわよくばタダ飯にもありつけるかもな!」
打算だらけだった!
戦闘はアオイたちの介入によって瞬く間に魔属たちは駆逐された。
僕の心配も余所に、三人とも怪我一つ無いようでひとまずは安心だ。襲われていた人たちも全滅は免れたようで、今は破壊されたトレーラーから物資を回収し、無事だった方のトレーラーに移している。並行して、負傷者の救護も行われるが、動き回っている人数より、片隅に並べられた遺体の数の方が圧倒的に多い。
「しかし歯応えがなかったな。まさに怪獣一食とはこのことだぜ」
「鎧袖一触、かな……?」
クロウはあまり頭がよろしくないのに、たまに変に難しい言葉を使いたがるんだな、などと思ってしまうけど口には出さないでおこう。
「お前は馬鹿なのに時々変に難しい言葉を使おうとするな」
同じ感想の人いた!さすが幼馴染み。考え方も一言一句同じで、ますますギンに親しみを感じてしまう。
「でも、みんな無事でよかった」
「当然だろ。だからレンは心配しすぎだ。ハゲ――っ!」
得意げに胸を張ったアオイはしかし、キッと険しい形相の僕に睨まれ慌てて口を噤む。戦闘が終わってからさっきまで、僕はアオイにしこたま説教をしたのが効いている。
ミッションを受けた時といい、今回といい、アオイは人を助けることに躊躇いや保身を考えず飛び出していく。簡単なようだけど、これができる人間は実に少ない。だから怒りはしても、この美徳を失って欲しいとは思わない。
「あの……よろしいでしょうか?」
そんな雑談を交わす僕らに声がかけられる。言いながら歩み寄ってきたのは、白衣の痩せた中年男性だった。
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。私、ヴァーミリオン・エンタープライズのジョセフ・アーヴィングと申します。この度は危ないところをありがとうございました」
「あ、これはこれはご丁寧にどうも。僕はレン・シュミット……って、えぇぇぇ!?ヴァーミリオン!?」
「ん?どうしたレン。死んだおじいちゃんの生前の趣味が女装だったことを知ってしまったような声を上げて」
「どんな声だよ!そんなことより、ヴァーミリオン社だよ!?知らないの、アオイ?」
「え、あぁ。うん、知ってる知ってる。あれな。ゔぁーみよんな。旨いよなあれ」
「絶対知らないでしょ。知ったかぶりしても無駄だよ」
幼馴染の世間知らずについため息を吐いてしまう。
ヴァーミリオン・エンタープライズといえば、言わずも知れた世界有数の巨大複合企業だ。
意外にもその歴史はまだ浅く、先の大戦――約八〇年前の魔属大戦以前は新興の兵器開発メーカーであったが、画期的な数々の兵器開発で国連軍を始め各国の兵器受注を獲得し、一代で大企業を築いた。戦後は軍産複合企業となっての利点を生かし、技術の相互転用を行うことで急速に規模を拡大させていった。今やヴァーミリオン社とその製品は人々の生活と安全の両面に無くてはならない存在と言える。
ちなみにこのヴァーミリオン社。一般人もさることながら、勇者にとっても重要な企業でもあったりする。
どうやら僕たちは、そんな大企業の輸送団を助けたみたいだ。
「皆さんお若く見えるますが、勇者なのですか?」
「はい、そうです。彼女が勇者アオイです。まだ勇者候補ですが」
「アオイ・イリスだ」と名乗るとアーヴィングさんは手を取り、恭しく礼を述べる。
「彼らはギンとクロウ。見ての通り、二人共彼女の"従属"です」
「なるほど。どうりで勇者に負けず劣らずお強いわけだ」
ちなみに従属とは、勇者の活動をサポートする人員の総称だ。勇者と複数の従属で"ユニット"を組んで活動をする。
「失礼ですが、レンさんも従属なのですか?」
アーヴィングさんの疑問は、もっともだ。
今し方の戦闘でも、僕は直接参加していない。
従属と言えば、人間離れした卓越した戦闘能力で勇者に並び立つ戦士――というのが一般的な印象だろう。実際、勇者機関に正式登録されている従属の八割は戦闘要員だ。
しかし、悲しいかな僕にはそんな力はない。歯痒いけど、もっぱら戦闘以外でアオイたちのサポートが僕の役割だ。
「僕も従属です。もっぱら作戦立案や情報収集、戦闘における支援全般ですが、メインは聖剣鍛冶師です」
「ほぉ」と、意外にもアーヴィングさんは感心したように言う。
「するとアオイさんの聖剣はレンさんが?」
「いえ。まだ彼女の納得してくれる聖剣は作れていなくて。もっぱら、戦闘以外のサポートが僕の役割です。でもいつかは彼女のための聖剣を作るつもりです」
分析官や技術士など、僕が名乗るべき役割は他にいくらでもあるけれど、これは僕の譲れないこだわりであり、立脚点でもある。
「なるほど。いや、若いのに立派な事です。その日が来ることを、私も期待していますよ」
アーヴィングさんはなぜか親身にそう激励してくれた。僕の強い思いが通じた、というようには見えないけど……
「さて。それで実は、折り入ってお願いがありまして……ご覧の通り、今の襲撃で護衛部隊はほぼ全滅してしまいました。そこで、勇者であるあなたがたに我々の護衛を依頼したいのです」
と、改まった口調でそう切り出したアーヴィングさん。
確かに、今の状況では積み荷の輸送どころか、安全圏までの移動すら危うい。
車両も、トレーラーを除けば軽装甲機動車が一台のみ。魔属の襲撃にはあまりに心もとないと言える。
「支社に増援を要請はしましたが、そうすぐに到着することはないでしょう。さりとて、それまでの間身を寄せられるような安全な場所も近辺にはありませんので……」
行くも戻るもできないこの状況では、アオイに頼るのは当然の流れだった。
「よしわかった。最後まで私が守ってやる。安心しろ」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってアオイ」
二つ返事で頷くアオイを慌てて制す。昨日のやり取りから何一つ進歩が見られない。
「アオイは今何をしに行く途中だったか、思い出してみようか」
「もちろん、ミッションだ。何を言ってるんだレンは。ボケたか」
「それはこっちのセリフだよ……じゃあ護衛を引き受けちゃだめでしょ」
そこまで言ってようやくアオイは思い至ったのか、アオイはハッとした後、困った表情で唸り始める。
「むぅ。でも、だからって放っとけないだろ」
「それは……まぁそうだけどさ」
確かに、こんな場所に置いて去るわけにはいかない。とはいえ、他に事にかまけていられるほど僕達に時間的余裕があるわけでもない。
「僕らは今、ミッションでガルスへと向かっている途中でして。ひとまずは増援を待ちつつ安全な場所までなら――」
「奇遇ですね!実は私たちもガルスにある我社の開発研究所に向かっていたんです!」
こちら側の事情を説明すると、アーヴィングさんが言葉を被せてくる。
行き先が同じなら話はだいぶ変わってくる。こっちとしても目的地まで同乗させてもらえるなら好都合だ。
いつものように、三人の表情が異存なしであることを確認すると、僕はアーヴィングさんに了解の返答する。