断章
レンたちがヘリで飛び立った同じ頃。
マーレは苛立たしく表情を歪めながら、ただ緊急避難シェルターの狭い室内を行ったり来たりしていた。
護衛に守られこのシェルターへと逃げ込んだマーレであったが、この原因不明な状況に頭を悩ませていた。
「どういうことだ。あのサンプルたちは確かに非活性化処置を施されていたうえに、厳重に隔離されていたはず!それを一度ならず、二度までも!」
「わかりません。事前の報告では設備に問題はなかったそうです。二度もとなると、作為的に開放された可能性も……」
「この件が済んだら、なんとしても原因を突き止めなさい」
と、その時、部屋に備え付けられた無線通信機が鳴る。殲滅に当たった擬似勇者部隊からに違いない。
マーレは飛びつくように受話器を取る。相手は勇者ヴィルヘルムであった。
『施設内の魔属掃討は完了しました。残りは外へと脱走した模様です』
「そうですか。まぁやむを得ません。幸いまだ都市は警戒状態だ。逃げた方はグリュー軍に任せるとしましょう」
『ですが、少なからず被害は出るでしょう。このまま事が発覚した場合、責任を追求されませんか?』
「問題ありません。グリュー政府や軍の幕僚の中には友好な関係にある人物がいる。うまく取り計らってくれるでしょう」
自身の目的が、少なくとも現代においては異端であることは百も承知であった。だからこそ、彼は権力基盤の構築を自身の目的と同じくらいに注力してきたのだ。目的達成の障害を、できるだけ排除するために。
世界平和と国際協調を謳う一方で、打算と策謀、権力闘争で渦巻く国連という巨大組織。その中で今の地位を築いたマーレからすれば、こんな最果ての小国など取るに足らない。すでに根回しの算段は付けてあった。
研究施設をこの国に選んだのは、そういった隠蔽のしやすさも理由もあった。
「では、もうここを出ても?」
『はい。安全は確保いたしました。ただ、実は少し問題が発生しました』
『問題?なんですか?』
『それが言葉では少し説明できない状況でして……私には判断いたしかねます。こちらまでいらしていただけますか?』
マーレは護衛に守られながら、恐る恐るシェルターから出る。ヴィルの言うとおり、動いている魔属の姿はなかった。骸が転がる通路を進みながら、先ほどの部屋――サンプルルームへと足を踏み入れる。
そのつま先が踏んだのは、床一面を満たす血液であった。
マーレはその光景に息を呑む。魔属の骸が山と築きあげられ、むせ返るような血臭に満ち溢れていたその部屋は、まさに文字通り屍山血河であった。
骸の山を築いているのは魔属だけではない。黒一色の衣服と最新の銃火器類の装備を纏った人間たち、擬似勇者部隊員であった。
擬似であるとはいえ、カスパール社の中でもとりわけ実戦経験豊富な選りすぐりの傭兵で構成された彼らは並の勇者をも凌ぐ実力を有していた。下級種魔属程度に全滅させられる道理はない。
首を断たれた者。四肢を切り飛ばされた者。心臓を抉り取られた者。体を左右に分断された者……擬似勇者隊員の骸は、いずれも明らかに魔属にやられたものとは異なる傷を晒していた。
そんな中でただ一人、こちらに背を向けて立つ男。
「ようやく来たか」
血の滴る切っ先を下げ、振り向いたのは勇者ヴィルヘルム。
その足元には、首元を切り裂かれて絶命している擬似勇者隊員が転がっていた。まだ傷口からは血が溢れでており、今しがた斬られたばかりであること示していた。
瞬時に状況を察したマーレの護衛たちの行動は素早かった。
彼らもまた擬似勇者である。それぞれヴィルの左右に回り込みながら、まず先行した護衛の男が滑るように肉薄。細身の聖剣を片手に左手を翳し、能力を発動させようと構える。
だが微弱なスパークを残し、ヴィルの姿が視界から消える。瞬時に視線を周囲に巡らせるが、その姿は見当たらない。
そして男の左腕は肩口から切り飛ばされた宙を舞った。
血しぶきを噴き出す腕を見て狼狽の声を上げる暇もなく、下顎から突き入れられた切っ先に脳天を貫かれ、そのまま絶命した。
その隙に背後に回ったもう一人の護衛は腰の後ろに差したダガー型の聖剣を抜いて突進してくる。
が、結局それ以上の事はできなかった。
床に広がった血溜まりが突如蠢き、意思を持った生き物のように動き出して男の腹部を強かに打ち据えた。
慮外からの攻撃をまともに受け、苦悶に身を折って前のめりになったところに垂直の斬撃が振り下ろされた。あまりに鮮やかすぎる斬首は、首を撥ねられた本人がその事に気付かず、宙を舞う感覚を絶命する数瞬の間だけ実感した。
首なし死体は駆け抜ける勢いのまま床を転倒し、積み上げられた骸の山の一つに加わった。
「所詮は紛い物である君たちに負けるほど、ボクはまだ腐ってはいないよ」
転がる躯に吐き捨てるように言うとヴィルは視線を上げ、背を向けてこの場から逃走を図ろうとするマーレを見る。
無論、逃がすつもりはない。
勇者であるヴィルがマーレに追いつけない訳も無く、悠然とした歩みで追いつくと同時に背中から肩口を剣の切っ先で貫き、マーレを壁に縫い付けた。
激痛に悲鳴を上げるマーレは、もがきながら首を後ろに向けヴィルに問いかける。
「き、貴様っ!何のつもりだ?血迷ったか!?」
「そんな大仰なものではありません。ボクの目的に目処がついたので、あなたには用がなくなっただけのことです」
「目的だと!?貴様は、勇者に依存しきった今の体制に反対したからこそ、私に協力したのではなかったのか?」
マーレの問いかけに、ヴィルはほんの一瞬だけ遠い目をする。
まるで何かを思い出すように。
「そうですね。その点においてはボクもあなたも概ね一致していた。だが、逆に言えば一致しているのはそこだけだ。結局あなたとボクの目的は別のところにある。交わることはなく、いずれどこかで道を違えることは決まっていた」
「貴様の境遇に同情したからこそ、勇者である貴様を取り立ててやったというのに。人の善意に漬け込むとは、クラス:マスターの勇者ともなると良心の呵責すらも失うものなのか。犬畜生にも劣るな!」
「善意?ご冗談を。あなたはボクの勇者遺伝子を、ボクはあなたの研究する魔属の研究記録を欲した。我々は相互利益で成り立った、いたってビジネス的な関係だったはずだ」
肩をすくめ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「もっとも、もはやその関係も終わったと思っているのはボクだけでなくあなたも同じでしょう?勇者遺伝子の基礎研究には貢献したが、すでに数多の勇者を使い、疑似勇者計画はほぼ完結している。そうなればボクはもはや不要な存在だ。利用価値はない。まさか、忌み嫌う勇者を手元に置いておくほどあなたは情け深い人でもないでしょう?」
マーレは反論の言葉に詰まる。ヴィルの言うとおり、マーレは勇者であるヴィルを完全には信用していなかった。そして擬似勇者計画が軌道に乗った今、余計なボロが出る前になんとか処分したいと思っていたのも事実である。
「そうか。ならば勝手に出て行け!しかし、私の研究成果には指一本触れるな!」
痛みから脂汗を額に浮かべながらも、怖じけず毅然と言い放つマーレに、ヴィルは心底呆れたようにため息をつく。
「あなたお気に入りの擬似勇者ですか?あんなごっこ遊びの玩具に興味はありませんよ。ボクがほしいのは、あと一つだけです。そのために、わざわざご足労頂いたわけですから」
言いながらヴィルは、手首を軽く振った。何気なく、そしてあまりに素早い動作は、マーレが自分の右手首が刈り取られたことに数瞬の間を要した。
「ぐあぁァァァァァァァァァ!」
次の瞬間、駆け上がってきた激痛と水芸のように血を噴き出す断面からそれをようやく認識し、悲鳴を上げてうずくまる。
そんな彼を一切意に介すことなく、ヴィルは転がる手首を拾い上げると、彼の頭を鷲掴みにして部屋の最奥部まで引きずっていく。
最奥部にある巨大な扉を前にし、ヴィルは扉横に設置されたコンソールを片手で操作した後、右手に掴んだ彼の顔面を壁に乱暴に押し付けた。壁面に設置された虹彩認証装置が軽やかな電子音を鳴らす。続いて、先ほど切り落としたマーレの右手を、五指を広げて指紋センサーのパネルに当てる。
そうして最終ロックが解除されたことを示すクリアランスの音が鳴る。警告灯が点灯し、ごうんっ、という重々しい音を響かせながら、地獄の門の如き巨大な扉がゆっくりと上に開く。広大な空間内部に照明が灯り、中に鎮座するそれを照らし出した。
「これこそが必要な最後のピースにして、ボクの目的の要……わざわざ回収してくれて、感謝してますよ」
ヴィルが視線を向ける先。果たしてその先にあったのは、上級魔族――ブラインの遺骸であった。アオイたちが撃破してすぐにマーレがグリュー軍上層部に根回しをし、現場から持ち出されて今まで保管されていたものである。
足を踏み入れたヴィルは、ブラインの遺骸の前に立ち全身を見渡すと、一足で跳躍し、背中へと降り立つ。
そこには、最終炉心を貫く傷跡が晒されていた。
と、ヴィルはおもむろに[イーター]の切っ先を、その傷口に突き入れた。分厚い甲殻の奥、筋繊維をゴリゴリと刃を上下に動かして切り取っていく。程なく、拳大ほどの肉片を手にとったヴィルはしばらくそれを見つめる。
これから行おうとする行為への躊躇いが、瞬間、身を硬直させた。
――これは大きな賭けだ。
もし予想通りにならなければ、何が起こるかは想像できない。そのまま理性を失い、人間ですらなくなってしまうかもしれない。
が、そんな葛藤を内心で自嘲した。
今更それが何だというんだ。
今日まで、どんな行いに手を染めてきた?
今まで何を失ってきた?
もはやこれ以上何を失うものがある?
――もう大事なものは皆、失った。
そうしてヴィルは躊躇いを振り切り、勢いよくその肉片へとかじりついた。
歯を突き立て、咀嚼し、そしてこみ上げてくる吐き気ごとそれを嚥下する。
その一連の行為をマーレは自身の傷も忘れて愕然と見つめ、正気すら疑った。
さもありなん。本来、魔属の肉は毒性や人体への影響など様々な理由から食用には適さない。いや、そもそもそういった事情を抜きにしても、魔属の肉を食おうなどと普通の神経を持つ人間は思いもしない。そほどまでに本能的に忌避する行いなのだ。
「き、貴様はいったい何を……」
「これをもって、ボクの目的は果たされる。もっとも、あなたがそれを見届けることはできないですがね」
恍惚とした表情で語るヴィル。その言葉の最後は、人のものとは思えない声色に変化していた。
いや、変化したのは声だけではなかった。
目の前で変貌を遂げるヴィルの姿を、マーレは痛みも忘れて唖然としながら見上げていた。
そしてそれが、彼の見る最後の光景となった。




