断章
横一閃の斬撃にその異形は醜悪な姿を一刀両断され、石畳に赤紫色の血と臓物をぶちまける。
最後の一体を仕留めた青年は、周囲に素早く視線を走らせ動くものがないのを確認すると、細く長い溜息を吐きながら血を振り払って長剣を鞘に納める。
通りを埋め尽くしていた異形――"魔属"の群れは、その青年ただ一人によって全てが骸と成り果てた。
周囲を見渡せば目に映るのは黒煙を上げ燃え落ちる家屋、立ち込めた鼻をつく血臭、石畳を流れる大量の血、路傍に転がる人、人、人――。その全てが物言わぬ死体であることは一目瞭然であった。
地獄絵図という言葉がふさわしい光景の中に、青年はふと一人の少女の姿を確認する。少女の衣服はボロボロでしかも血で濡れているのが気になったが、彼女自身が負傷している様子は見られず、ひとまず安堵の息を漏らす。
その少女は立ち尽くし、目に大粒の涙を流して泣きじゃくっていた。
こんな状況では無理もない。
そう思い、青年は少女に歩み寄ると、屈み込んで同じ視線になって話しかけた。
「もう大丈夫だ。魔属はいなくなった。どこか怪我はしてないかい?」
安心させようと優しくかけられた言葉に、少女は首を横に振る。
「たすけられなかった。みんな、みんなしんじゃった」
「そうか。ボクが遅くなったばかりに、すまなかった……」
「そうじゃない!わたしは、"ゆうしゃ"なんだ!」
「なんだって……?」と青年は一瞬、驚いて眉根を吊り上げた。
にわかには信じられなかったが、こんな少女が生き延びられたのも、少女の衣服が血に濡れているのに本人に目立った傷が見当たらないことも、彼女が勇者なら納得できる。
そして青年はそこで初めて、彼女が手に剣を握っているのを知った。
それはおもちゃなどではなく、武器として使用できる両刃の刀剣で、刀身は赤紫色の血液でべっとりと濡れていた。何より、それがただの剣ではないことを青年は一目で見抜いた。
「もしかして君は魔属と戦ったのか?」
少女がコクリと頷き、青年は先程以上の驚きを表情に表した。
(到着した時、すでに倒された魔属を何体か見たが、まさかこの子が……?)
青年はまだ記憶に新しい、初めての実戦を思い出す。当時一六歳の自分ですら、魔属を目の前にした時、恐怖でまともに動くことができなかった。
あの醜い姿と圧倒的な暴力を前にして恐怖しない人間などいないのだ。
それをこの少女は耐えたばかりではなく、勇者として剣を手に取り戦ったのだ。泣いている理由は恐怖ではなく、失われた命と、守れなかった自分の非力に涙しているのだ。
「わたしはゆうしゃなのに、だれもまもれなかった!」
「アオイ……」
少女の後ろから気遣わしげにかけられた声。そこにもう一人子供がいた。
少女が背中に庇うようにした、同じ年頃に見える幼い少年。気弱そうな表情を涙と鼻水でくしゃくしゃにし、恐怖と不安に震えているのがわかった。まともに言葉が交わせる様子に見えなかったので、「彼は?」と少女に問いかける。
「レン。わたしのいちばんのともだち」
「レン君か。君は無事なんだな?」
少年はアオイと呼ばれた少女の背に隠れながら小さく頷いた。
「レンひとりしかまもれなかった……」
「君はレン君を守るために必死に戦ったんだな?」
「うん……」
「なら一人しか守れなかったんじゃない。君はレン君を守ったんだ。それは勇者として立派なことだ。胸を張っていい」
青年は少女の頭を撫で勇気づけるように、そして心から敬服しながら言った。
「でも!ほかのともだちも、せんせいも、みんなみんなたすけられなかった。ゆうしゃはみんなをたすけなきゃいけないのに……」
「最初から強かった勇者はいない。今日、君は一番大切な人を守れたんだ」
「たいせつ、な……?」
青年の顔を見上げて呟くアオイは無意識にレンの手をぎゅっと握り、レンもまた彼女の手を握り返した。
「大切な人を守ることは勇者以前に、人として大事なことだ。それを忘れちゃいけないよ」
「でも、みんないってた。ゆうしゃはせかいじゅうのひとをすくわなきゃいけないって……」
「その心がけは立派だが、そんなのは無理だ。ボクにだってできない」
青年は少女にもわかるよう、言葉を選んで伝えようとするが、少女は納得できない様子だった。
「よし、ならがんばって君が今より少し強くなったら、次は二番目に大切な人を守れ。その次は三番目に大切な人を……そうやっていけばいつか"君にとっての世界"の人を救えるはずだよ」
青年は笑顔で、言い含めるように言った。
その後、駆けつけた国連部隊の救出班により二人は保護された。
別れ際、少女に問われ、青年は自分の名を名乗った。
以後、その名は彼の言葉と共に、少女の胸に深く刻み込まれることとなる――