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ゆりかご②

後編です。

 まさに4日に一度、ケースの中の溶液を入れ替えることだけが、少女に与えられた仕事であった。それまでの間は赤ん坊を見ていても良いし、見ていなくても良い。


 ハート型のこの透明ケースはシンプルな見た目ではあるが、安定した環境設計がされているそうで、下手に人が世話をするより余程安全であるらしかった。


 キャンピングカーは、昼間に走り、夜に休憩をとる行程で進んでいた。比較的涼しげな夜に移動する方が良いのではないかと少女が提案したが、コノハは首を振った。


「この車、雇い主からセンサー付きタイマーを設置されていてね。夜中に労働すると労働基準法に引っかかるからと禁止されているんだ」


「何それ。バカみたい」


「あはは、都の人間は現場のことを知らないからね、たまにこういう的外れな法律を例外にすべき人たちも適用してくるんだ」


 コノハは、皮肉を飛ばすとともに、意味もなくクラクションを鳴らしてみた。あたりに障害物も何もない道を走るのに、車に搭載しているこのクラクションも実は必要のない機能なのかもしれなかった。


 日が暮れてきた頃に、また無人のガソリンスタンドを見つけた。今日はここに車を止めて、早めではあるが休憩しようということになった。


 このガソリンスタンドも、駐車スペースの奥に屋内型のスタッフルームがあったが、ここには水などの物資は置かれていなかった。


「しけてるね、まあガソリンが入れられるだけありがたいけど」

 

「……あと何日かかりそうなの?」


「2日以内かな、大きなトラブルがなかったなら」


「そっか、よかったね」


 少女は胸に抱えたハート型ケースを揺らしてみた。赤ん坊は目を閉じたまま反応はしない。それでも、全体にまとった生の雰囲気から間違いなく生きていることを感じる。


 赤ん坊に語りかける少女を見て、コノハはポリポリと頭をかいた。


「この仕事をしてしばらく経つけど、そのケースを移動中、車外に出したのは初めてだな。落とさないように気をつけてね」


「わかってるよ、大事な荷物、なんでしょ?」


 少女は目を伏せた。わかっている、自分に言い聞かせるように。


 コノハは、飲みかけのボトルをキュッと閉めた。


「うん、大切だよ。私はその子を送り届けるのが使命だからね」


「一応聞いておくけど、この子の母親ってコノハじゃないよね」


「まさか!私に子供なんていないよ!」


 コノハは慌てて否定した。少女は、コノハにしては珍しく取り乱しているその姿にくすりと笑った。


「ふふ、私も子供は産まないと思うよ。同じだね」


「同じ、かな」


「うん、同じ」


 少女とコノハは、衣服についた砂を払って、車内へもどった。


 その夜、2人は同じ布団で寝た。今までは少女は遠慮して助手席で寝ていたのだが、今日はコノハに誘われて、居住スペースにあるベッドに入った。


 あと2日でおそらく別れとなる。2人はしっかりと存在を確かめ合った。


 ガソリンスタンドに寄ったばかりのコノハの体臭はどこか独特で、少女の記憶に強く刻まれたのだった。



 それから半日後だった。


 都まで後50キロの地点で、砂嵐に襲われた。


 フロントミラーの視界は全くの不良で、1センチ先も見通せない。一粒一粒は細かい砂が、一丸となって行手を阻んでいた。


 キャンピングカーは停車して、嵐が過ぎるのをただただ待っていた。


「これはひどいね」


 ため息をつく仕草をするコノハ。少女は不安そうに彼女に尋ねる。


「こういうこと、よくあるの?着ける?」


「たまに。マップがあるから道はわかるよ。後は車が壊れないかどうかだけど、それは運かもね」


「運、なんだ」


 少女は途端に不安になった。元は無謀な旅路を歩き始めた彼女だったが、ゴールが直前になると希望に縋りたくもなる。ここまで来て目的を果たせないなんて、諦めきれなかった。


 後ろの赤ん坊のことも気がかりだった。あのケースは頑丈だし、もし砂嵐の中に放っても、粒子にケースの表面が削られるだけで済んで、中の赤ん坊は無事に済む。でもこのまま立ち往生が、あるいは数日に渡って続けば。


 車内の自分達は水がなくなり干からびるし、赤ん坊も溶液を取り替えることができずに命を落とす。


 不安そうな顔をする少女の頭に、ぽんと手をおくコノハ。


「なるようになるさ」


「……うん」


 少女はコノハの手首を掴むと、そのままその手を自分の頬に持っていった。



 嵐は止まなかった。


 その間に、少女はコノハにいろんな話をした。


 自分がどこで生まれ、どのような環境で過ごし、どのような体験をしてきたか。

 

 これまでのことを話し終わると、今度はこれからの話もした。都についたらどうやって生きていくつもりなのか、拙くて不確かな計画を、少女は語った。


 コノハは安らかな表情で耳を傾けていた。車内を流れる時間は穏やかで、永遠に感じられた。


 くだらない話もした。妄想の話もした。嘘もついてみた。本当のことも言ってみた。意味なく怒ってみた。すぐに謝った。


 やがて、バッテリーも尽き、車のエンジンは停止した。昼夜もわからないが、何日も日を跨いでるのは確かだった。

 

 この時の砂嵐はかなりの規模であったのだ。運送業者も全てストップして、命を落としたく無ければ、砂漠に出るべきではないと、どんな素人も判断できるほどに最悪の災害だった。


 コノハは、少女より先に時間がきた。なんの前触れもなく、動かなくなったのだ。


 少女はそれを予想できていた。コノハに必要なエネルギーがそこらのガラクタと同程度なわけがないのだから、いくら省エネで過ごしても、当然枯渇するのも早いだろうと。


 少女は、赤ん坊に用意されていた溶液を飲んで生き延びた。大事な荷物である赤ん坊のため、溶液は多く用意されていたので、少女が飲んでもまだ赤ん坊の分は残っていた。


 それでもあと、2日も砂嵐が長引いていれば、少女は鬼になる決断を迫られていただろう。ケースを破壊してでも、水分を得るか。赤ん坊を殺して、自分が生き延びるか。


 そうならなかったのは、まさしく運であった。砂嵐は開けて、今や恋しくなった太陽が現れた。


 少女は動かなくなったキャンピングカーを捨て、赤ん坊の入ったケースを抱えて砂漠を歩き出した。


 みやこまでは歩いてあと少しである。


 都には、一体どんな人の皮を被った者たちが暮らしているというのだろう。


 できれば、なんの同情もできない鬼ばかりであって欲しい。

  

 少女は心が高鳴っていた。

終わりです。

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