ゆりかご①
1話分にまとまらなかったので前後編くらいにわけて投稿します
お題
「未来型ももたろう」「百合(女×女)」
本日の気温は40度。コートの隙間を掻い潜って入り込む温風が、気色の悪い感触を生み出して不快であった。
雲は太陽を隠すことなく、検討外れな位置で漂っているため、直射日光は容赦なく降り注いでくる。早く日陰に入らなければ命に関わる。そう焦燥感に駆られながら、この広大な砂漠地帯を歩いてはや2時間。
ようやく見つけたのは寂れたガソリンスタンドだった。
ライトなど照明設備は一切灯っておらず、経営しているのかは疑わしい。しかし、スタンド全体を覆う大きな屋根は、太陽から身を守ってくれるオアシスに違いなかった。
崩れるように、屋根の下の駐車スペースに座り込んだ。全身から滴る汗が、コンクリートの地面を黒く変色させる。
「……」
2時間分の疲れがどっと押し寄せてきて、途端にその場から体がぴくりともうごかなった。熱に浮かされて、ぐるぐるとしていた脳内回路が、次第にクールダウンして、まとまった思考を形成し始める。
まずは、このガソリンスタンドに生存に必要な物資があるかを探ろう。それが合理的で、適した次なる行動の一手である。
しかし、わかっていても体が動かない。体力が残っていないのか、あるいはやる気が潰えたのか。彼女は、駐車スペースの奥に見えるスタッフルームを眺めることしかできなかった。
「休んだら、休んだら動ける」
そう自分に言い聞かせると、彼女はからだを傾け、そのまま地面に伏した。
16歳の小柄な少女の形が、コンクリートに魚拓のように染み込んだ。
気づけば空には星が浮かんでいた。
数時間、胸を地面に圧迫していたため、起きた時は少し息苦しかった。
瞼を擦ると、まつ毛にこびりついた砂の塊がパラパラと落ちる。
夜は太陽がない分マシだが、それでも暑苦しかったので大汗をかいていた。びっしょりとした衣服がだるくなり、日差し対策に着込んでいたコートやその下のシャツをその場に脱ぎはじめる。
裸体を外に晒すことには、一瞬躊躇があったが、昼間2時間歩いて誰ともすれ違わなかったことを思い出し、羞恥心も同時に脱ぎ捨てることに決める。
さあと吹いた風が、顕わになった上半身を撫で、解放感を味わう。
一息ついて、ふと周囲に気を配った。
すると、駐車スペースには、昼間はなかったはずの車両が一台停まっていた。
「……っ!?」
慌てて、胸元を両手で隠す。誰かがいる。迂闊だった。砂漠の中のガソリンスタンドなんて、だれもが目指す中継地点に決まっているではないか。
車両は、真っ白なキャンピングカーであった。大きさはそれほどではない。中で4人過ごせるかどうかの一般的なサイズである。
誰か乗っているのか、じいっと視線を向けていると、気配を感じたのは、真後ろからであった。
「やあ、寝苦しい夜だねお嬢さん」
振り向いた時、ドリンクボトルを片手に立っていたのは、ポニーテールの女であった。
油が染み込んだ作業服をクールに着こなした女は、ウィンクを飛ばした。
「一緒にくるかい?」
少女は、胸を隠しながら、こくんと頷いた。
太陽が上りきらない早朝のうちに、キャンピングカーは出発した。運転席でハンドルを握るポニーテールの女は、名前をコノハと名乗った。
「それで、君はあの街から飛び出して、2時間かけてここまで辿りついたってわけだ。ははは、とんだ根性だねこの灼熱の中。無謀とも言える」
助手席に座る少女は、ぷいと顔を背けた。車に乗せてもらった手前、ある程度は事情を明かすのが筋だとはわかっていたが、しかし自分の話をするのは苦手だった。
「まあわかるよ、あの街にいても未来はない。若いなら『都』に向かわなきゃね」
コノハは、うんうんと頷いた。
テクノロジーのとどまることのない進歩と反比例するように、国土の砂漠化は加速的に進んでいた。今や都から離れた都市は、いづれ酸素すら自給できなくなるだろうとすら言われている。
「……コノハは?なんで」
少ない言葉数で少女は尋ねた。街を出て、都へ向かう人間は限られている。国から移動制限が敷かれているからだ。
砂漠を移動する者は、少女のように訳ありか、あるいは運送業者くらいなものだった。コノハの運転する車はどう見てもキャンピングカーである。何かを運んでいるわけではないのなら、前者に当てはまるはずである。
すると、コノハは包みかくさずペラペラと話した。
「ああ、私は『子供』を運んでいるんだよ。ゆりかごって聞いたことないかな」
「それは、……そう、なんだ」
少女の心には嫌悪感がよぎったが、批判する立場にないことを理解していたので、口をつぐんだ。
都に暮らす人間は、人体構造が変化しており、生殖機能を失っている。そのため、跡取りとして養子や、あるいは他のあらゆる事情で子供が必要となった時、彼らは都の外からそれを取り寄せるのだ。
法律的には禁止されている人身売買の類だが、都の人間たちにとって法律とは自由に解釈ができるただの形骸化したルールであった。
コノハは、苦笑する。
「あはは、ごめんね刺激が強かったかな?でも都に行ったらこんなことよりももっと汚い現実が待っている。慣れていかないとね」
少女は口を結んだ。悪鬼に染まるつもりはない。だが、生き残るためならいつかは変わってしまうのかもしれない。
車窓から覗く乾いた土地には、何も芽吹いていなかった。
彼女たちが出会ってから4日間。車は砂漠を変わらず走り続けていた。都は遠い。さらに道は砂の被った悪路であり、思うように進まなかったのだ。
少女は、コノハにもらったグラス一杯の水に口をつけた。生ぬるいが、これがなくては人間は生きていけない。大事に少しずつ喉を潤した。
コノハも、隣でボトルを傾けている。対照的にいい飲みっぷりであった。
「きみと出会ったガソリンスタンドで見つけた水さ。無人だったからいただいてきた。あまり余ってるから遠慮せず飲みなよ」
「でもコノハの分がなくなっちゃう」
「いいんだよ、私はしこたまガソリンを仕入れたからね。あそこでの目的は果たせた」
少女はそういうことではない、と不機嫌になった。施しばかりを受けるのも居心地が悪かった。
それを察したのか、コノハはこう提案する。
「だったら、君、子守りをしてくれないかい?見ているだけでいいから」
ともに旅をして4日、疑問ではあった。子供を運んでいるというのに、なぜ一度も顔を見ていないのか。最初は夜自分が寝ている間にコノハが世話をしているのかと思っていたが、しかしなき声の一つも聞こえないのはやはり不可思議だった。
「ほら、この子だよ」
それを見せられて、少女は納得した。これなら確かに逐一世話をする必要もない。
キャンピングカーの居住スペースには、ベビーベッドが置かれていた。
そのベッドの中、布団に包まれていたのは、スイカほどのサイズの、ハート型の透明なケース。中は水で満たされており、マスクをつけた小さな赤ん坊が目を閉じて浮いていた。
「生命維持に必要な栄養たっぷりのお水が入っているんだ。母体と同じような環境を再現してある。喉が渇いても、このケースから水を飲んじゃだめだよ?まあ飲んでも人体に影響はないんだけどこの子の分がなくなっちゃうからね」