君に捧げる○のウタ(後編)
こちらは前編の続きの後編となっております。
どうぞ最後までお読み頂けると嬉しいです。
34
……。
…………。
………………。
……………………。
35
左頬に衝撃。
電流が走ったような鋭い痛み。
気付けのビンタでもされたか?
だが、そのおかげで俺の意識は覚醒しようとしていた。
「〜〜〜……」
「……〜〜〜……」
前? 後ろか? 何か聞こえるが、まるで耳に厚いフィルターを覆われてるかのようになっていて、一体何て言ってるのかは分からない。
「……」
すでに後頭部の痛みは無いが、頭の中に余分な重みを感じる。凄く不快だ。
『〜〜〜……では続いては、この方にお話しを伺いたいと思います。空巻市の希望の星、笹森芝行市長です!』
これは前の方だ……。
さっきの声とは少し違う、何かのテレビ番組でも観てるのか?
呑気だな……。
この辺りで顔を上げてゆっくりと目を開ける。
最初は視界にモヤが、徐々に鮮明に見えてきた。
放置された古びた廃工場の中といったところか。
照明が点いちゃいるが、光量が足りないのか、室内はお化けでも出てきそうなくらい薄暗い。
予想通り、テレビが置かれてた――俺の視界の奥、ちょっと右寄りの位置に、見るからに型式が古そうなテレビから映像が流れている。
『笹森市長と言えば、前市長の収賄疑惑を告発し、一連の大騒動の後、そのまま周囲の後押しもあり出馬。現市長として当選して現在は3期目。市の財政を抜本的に見直し、そのための政策では改革的で斬新的な施策でもって財政難を乗り越えた救世主と讃えられております』
『ははは、いやいやそんな大層なものではありませんよ。これもひとえに空巻市民皆様からの厚い支持により成し遂げられたに過ぎません……』
『ご謙遜を……ゆくゆくは八重雲県知事、果ては総理の座も狙っているとお聞きしますが?』
『いやいや、そこは特に考えておりません。今は何よりこの街の残されている問題を片付けなくてはなりませんからね』
『なるほど……そういえば、笹森市長には御子息がお二人いらっしゃるそうですが、そちらは政界にご興味は?』
『長男の芝逸が少しね……。私としてはまぁ頑張れと声を掛けていますよ。反対に次男の芝次は政治に興味が無いようで、大学で経済学を学びながら、一般企業への就職希望ですね』
『なんというか、失礼ですが想像してたより普通のお父さんですね……』
『はは、色々と持ち上げられておりますが、私もただの人の親ですよ』
地方のローカル局、八重雲県内でのみ放映されているニュース番組のインタビュー映像と言ったところだろうか――何でそんなものを流してるのかは知らないが……。
思わず見入っちまったが、おかげでさっきよりも意識がハッキリしてきた。
次は自分の状況確認を――
「――素晴らしい方だろう? 私も投票したんだ。彼ならこの国を変えられるかもしれない」
テレビの映像が切られ、思考を遮るほどにはくっきりとした声。
俺の目の前、キャスター付きの肘付きメッシュチェアにずっと座っていた女。
さっきまではテレビの方を向いていて、ずっと微動だにしなかったから、てっきりマネキンでも置いてたのかとシカトしてたが、どうやら違ったようだ。
ゆっくりと椅子を回転させてこちらを向く。
襟付きのジャケットとテーパードのパンツ――この上下は濃いネイビーで統一されており、インナーは襟付きの白シャツとなっている。
まさしくレディーススーツって感じだ。
下ろしたら背中あたりまで掛かりそうな黒の長髪は、ポニーテールで結っている。
顔面は非常に整っており、特に狐目で、右の目の下の泣きぼくろが特徴的だ。
……正直な話、結構タイプだ……。
こんな状況じゃなきゃ人生初めてのナンパをしたい程には。
「君もそう思うだろう?」
「……悪いが、初めて見たよ市長の顔……」
「若者の政治離れは深刻だな……」
やれやれと首をわざとらしく振って、心底嘆かわしそうな表情をする女。
「イマドキだろ?」
……。
安いパイプチェアに腕も脚も縄でキツく縛られてる――無理矢理引きちぎって拘束を解除とかは難しそうだ。
「……怖くないのかい?」
「泣き叫んで漏らした方がいいのかよ?」
「いいや、時間の無駄だな……」
「だろ? さっさと始めようぜ」
嘘です。
メチャクチャ怖いし、心臓が飛び出しそうで、今にもゲロもウンコもというか身体中から体液を撒き散らしそうなくらい怖いんですが……。
帰りたい。
「とはいえ、物事には順序というものがあってね。さて……どうしようか……」
少しの沈黙と唸り、そしてこめかみ辺りをトントンと叩いてから、
「こうしよう」
パンッ、と手を打ち。
「私が質問して、君が素直に答える。質問の意図や意味が理解出来なかった場合にのみ、君からの質問を許可する。それ以外――質問に素直に答えない、茶化す、誤魔化す、嘘を吐いた場合には相応の罰を与える。どうかな?」
……?
「……どうかな?」
「……単純で好きだ……」
「だろう? さぁ始めよう」
女は改めて足を組み、その上に結んだ手を置き、ゆっくりと口を開いた。
「君の名前は?」
「……王城ロイド」
「年齢は?」
「今年で18になる」
「家族構成は?」
「父と母と妹の4人家族」
「バイトはしてるのかな?」
「叔父の探偵事務所で助手で働いてる」
「叔父ということは陽平の甥か?」
「そうだ」
「叔父はどこにいる?」
「海外に出張してる……」
?
何だこの質問?
俺のことはすでに知ってるだろうに、何だって回りくどく聞いてくんだ?
……。
「うん……次に進もう……」
向こうは何かに納得したかのように頷いている。
「私が誰か分かるか?」
……。
ここからが本題か?
…………。
少しかますか……。
「すげー美人」
「……」
女が軽く右手を挙げる。
次の瞬間、これまで全く気配を感じなかったが、俺の左後方にずっと控えていたであろう男が目の前に現れた。
刀傷のような痕が、左眉上から鼻根を通り、右頬まで伝っており、何ともおぞましいツラをしている。
「――」
男は何も言わずに俺の右頬に拳を一発入れてきやがった。
「――ッ!! ……つぅ……!!」
痛ぇよボケ……。
口の中が切れちまったようで、鉄っぽい味が染み出してきやがった。
「罰を与えると言っただろう?」
「……褒めたんだぜ?」
「褒めたからだ。貶してたらそこのハンマーで左脚を折ってやった」
……。
下手に茶化すのはやめた方が良さそうだ。
「もう一度聞く。私が誰か分かるか?」
「……どういう意味だ?」
「難しく考えなくていい。私の正体、私が勤めている、いや務めているかな? ……とにかく、職業とか業種とかそんな話だ」
「…………」
「君の所感で構わない」
「……人気のない廃工場に未成年を拘束して拉致監禁。それらを特に気にもしない。気にも留めない」
「……」
「こっちを気にかけて労ったかと思えば、舐めた態度を取ったら平気で殴ってくる。そんな変な線引きでヤバイ連中と言ったら、思い当たるのは一つ……ヤのつく自由業さんですか……?」
俺の指摘に女は微かな笑みで応える。
「素晴らしい。良い観察眼だ」
「クソ……」
ホントは当たってほしくなかったよ……。
「予想通り。私は獅子門暁音。藤丸組の若頭をやらせてもらっている」
「……女がヤクザやんのか?」
「今は男女平等社会、多様性の時代でね。極道にも変化は付き物さ」
「……さいですか」
「んじゃ、次にいこうか」
どうもというか、やっとここからが本題らしい。
元より細い目をさらに細めて言う。
「どういうつもりだ?」
……。
…………。
………………?
「ハァ?」
「聞こえなかったかな?」
「あ、いやえっと……」
バッチリ聞こえたから戸惑ってんだよ。
どういうつもりって、何がどういうつもりだ?
?
??
???
意味分からんし、意図分からんし、疑問符しか出ねえよ。
えっ、何が? どういうこと?
俺の目的は仙導レナだって知ってんだろうが。
「國塚」
女――獅子門に促され、國塚――俺をさっき殴った男が再び俺の前に出てくる。
「ちょ、待て、待てって、ちょっと待てオイ」
「うん?」
「質問を理解したい。少し時間くれ……」
「……分かった……3分やろう」
そう言って獅子門は腕時計を見つめてカウントを開始する。
俺史上最悪の3分クッキングの始まりだ。
……さて、何から考える?
コイツさっきなんて言った?
『どういうつもりだ?』
どういうつもりだって何だよ? 何がだよ? 意味が分かんねーよ。
俺が何かしたのか?
いやしたけど、襲撃者を返り討ちにしたけど……。
いやでもむしろ俺が今は現在進行形でされてんじゃねーか。
お前らのターンだろうが。
どういう事? どういう事だ?
いやマジで意図が分からん。
何で何で何で?
……ダメだ、冷静になれ、落ち着け……。
流石にパニクってるけど、時間がねぇ。
とにかく、俺が何かしたんだ。そこは変わらない。だからコイツもそれに対して質問してる。
でもそれはたぶん襲撃の事じゃない。そっちじゃないんだろう――俺がその『何か』を知らねえけど……。
違和感だ。
違和感だらけだ。
話が繋がらない。
あべこべ、すれ違ってる。
思えば最初から意味不明だった。
最初の質問、俺に関する質問。
こんなの聞いてどうする?
俺のことはもう知ってるだろうに、何で聞いてきたんだよ?
というか質問じゃなくて脅しじゃねえのかよ?
もうこれ以上関わるなって……。
もしくは変な話、とっとと問答無用で俺を殺せばいいのに。
そうすりゃ一発なのに……。
そもそも俺の根底には、コイツらが先日の襲撃者の正体だと思ってた。
コイツらが真犯人――黒幕だって。
黒幕としちゃ格上も格上。
これ以上無いくらいの最強のラスボスだろう。
ヤクザだぜ? ヤクザ。
でもこれじゃ……コイツの言い方じゃ……。
まるでコイツらは無関係じゃねえか。
……。
…………。
………………。
?
無関係なのか?
襲撃者=コイツらじゃない?
じゃあ最初の質問――最初の質問だ……。
《「叔父というのは陽平の甥か?」》
叔父を知ってる。
だから質問した、確認した。
そう、確認したんだ。
俺と叔父の関係性を。
そして次の質問。
《「私が誰か分かるか?」》
叔父を知ってるから次のステップに進んだ。
だからコレは叔父から聞かされてるかの確認。
だけど俺は知らなかった。そう答えた。
たぶんこれまでの叔父の依頼か何かでコイツらは関わってたりしたんだろう。何度か接触や交流があったに違いない――俺が知る叔父はどうもあまり関わっちゃいけない世界に入り込んでいたようだ。
とはいえ叔父は俺にその存在を悟らせないようにしたんだろう。語らないようにしたんだろう――まあそもそも、俺が手伝ってた依頼内容とかを聞かなかった、興味を示さなかったってのもあるが。
とはいえ、その確認をした。
そして最後の質問。
《「どういうつもりだ?」》
これまでの流れを踏まえて考える。
まずは叔父との関係性。
次にコイツらの存在を認知してるのかの確認。
最後はこの質問。
……。
叔父が関わってるのかを知りたいのか?
と言うよりも、
俺がどう関わっているのかを知りたいのか。
だから俺を拉致した。
だからこうしてキツく尋問してる。
コイツらの気に食わない事をした俺を測っている。
じゃあ俺が答えなきゃいけないのは……。
「3分だ」
獅子門は顔を上げて俺を見て言う。
「答えを……」
言わなきゃいけないのは……。
これだ。
「俺は敵じゃねえ、叔父は関係ねえ、だけど、アンタらの役に立てるかも」
無害であり、有用である事を伝えること。
何よりも誤解を解く事。
「…………」
獅子門の瞬きもしない目が俺を突き刺すように見つめてくる。
これで合ってるはずだ。
他にはもう思いつかねえ。
……。
…………。
………………。
「「「……」」」
「「「…………」」」
「「「………………」」」
誰も何も言わない。
喋らない。
完全な無音の世界。
もはや虚無に近い。
そんな永遠にも思える沈黙を破ったのは――
「――congratulations! 完璧な回答だ」
獅子門だった。
立ち上がり、俺の回答に対する健闘を讃えるようにハッキリとした拍手を送る。
良かった……。
良かったぁ……。
俺は安堵したように深呼吸をして、そしてそれを全て吐き出した。
「大丈夫かな?」
「嬉しくない拍手は生まれて初めてだよ……」
「ふふ、ここで軽口とは恐れ入るな」
「……言ってろ……。それよりもコレ、取ってもらってもいいか?」
「あぁ……」
獅子門の合図に國塚が近づいて縄を解く。
圧迫されていた手首を労わるように揉みながら俺は口を開いた。
「……一つ訊いても?」
「どうぞ」
「何でこんな回りくどい事を?」
「……人は恐怖の中でこそ、真実を語る……」
「……持論か?」
「経験則に基づいた真理だよ」
「……」
「さて、本当の本題に入ろうか」
獅子門は再び座るように手で促した。
俺は背後に控えた國塚を警戒しながらも同様に席に着く。
「もう罰は御免だぜ?」
「もちろん。今度は対等だ。私の知りたい事に君が答え、君の知りたい事に私が答える。それでどうかな?」
「……オーケーだ……」
「よろしい。では私から……襲撃者の正体は知ってるか?」
「知らねえ、誰だアイツら?」
「ブルーバタフライ、通称は“BB”。八重雲を中心に埼玉の都市部や東京の首都圏で売春組織を仕切ってた半グレ集団だ」
半グレ……まあそんな感じのナリはしてたか……。
ん? 仕切ってた?
「2週間ほど前。今はもうすでに壊滅状態。組織としての体も残っていないはずだ」
こちらの疑問に察したのか先に答える獅子門。
「じゃあ何で――」
「――おいおい、次は私の番だ。本当に君は叔父――陽平の指示で行動してたんじゃないんだな?」
「さっきも言ったろ? 叔父は関係ねえ、俺個人が受けた依頼の関係で人探ししてたら、たまたまアイツらとカチあっただけだ。てか何で叔父にこだわる?」
「私が陽平にBBの調査を依頼したんだ。だから壊滅したんだよ」
「……」
色々と情報が出過ぎて、頭がこんがらがってきた……。
「さっき人探しと言ったが誰を探してる?」
「しゅ――」
「――守秘義務なんて言うなよ? もしかしたら君の回答、次の質問によってはその行方に答えを出す事が出来るかもしれないぞ?」
「……仙導レナって女を探してる……依頼人は言わねえ……」
「調べろ」
「ハイ」
國塚が返事をして誰かに電話で指示を出してる。
「…………」
「さあ、次は君の番だぞ?」
獅子門に次の質問を促される。
その眼差しは何かを期待している目だ。
まだ俺を試そうってのか……?
…………。
ここで話を一旦整理しよう。
仙導レナは半グレ集団のBBに関係があったor何かしらに関わっていた。
だから首を突っ込んだ俺が襲われた。
辻褄は合う。
だがそもそも、組織自体はすでに壊滅状態だった。2週間前に、組織としての機能も残ってないほどに。
なのに何で俺を襲う?
脅す必要がある?
…………。
ん?
2週間前……?
何だ? なんかスゲー引っかかる……。
2週間前といえば、仙導レナがいなくなった週だ。更に言うなら、俺の学校が始まって始業式した週だ……。
始業式が終わった後に俺はひよりと一緒に叔父に呼び出されて、〈butterfly effect〉ってバーに乗り込んで暴れた週だ……。
BB、ブルーバタフライ。
butterfly effect。
…………。
流石にコレは無視できないだろう。
無関係じゃないはずだ。
もしも全てが繋がってるとするなら。
…………。
これまでのみみっちい質問や疑問じゃ意味がねえ。
これらを踏まえて俺が聞くべきなのは一つだ。
「叔父にBBを調査する事になった経緯を全て教えてくれ」
俺の言葉に満足したのか、獅子門は口角を鋭く上げて笑みを浮かべる。
「素晴らしい……想定以上だ……」
「……そりゃどうも」
「察しがイイとは思ってたが、ここまでとはね」
「ありがとう」
「頭の回転が速いやつは好きだよ」
「あぁ……」
「良かったらウチの組に――」
「――答えは?」
「あっと、すまない。少し興奮した」
ちょっと俺もご機嫌で饒舌になってるその姿に色っぽく見えて見惚れちまったけど……。
「そうだね……どこから話そうか……」
そう言って少し悩んだ獅子門は、おもむろに口を開いた。
36
元々、BBは小さなカラーギャングだったんだよ。
メンバーの大半が女性で、売春行為はその頃から構成員たち自身で行われていた――といっても規模は、この街がせいぜいの今とは比べるべくもないレベルだがね。
あくまでも構成員間の相互扶助を目的としたのがBBという組織だった。
うん?
そんなに知ってるなら、何でその時に潰さないのかって?
相手は毛の生えていないガキだ、大人の出る幕じゃない。それに、いちいちそんな雑魚に構ってるわけにもいかないのさ。
とまあ、そんなこんなで2年くらい前かな? 急激に組織が拡大化。勢力を埼玉や東京方面に広げて、大規模な売春組織になった。
もちろんこの時も無視した。
何故って?
さっきも言ったろ、ガキに興味は無いし、ウチの経済活動とは被らなかったからね。
その段階でも呑気に捨て置いていたらだ。
ここ最近になって、ヤツらは覚醒剤、麻薬密売にも手を出そうとしたんだ。
……そこで怒るのかよって?
ウチの縄張りはシャブ関係は御法度でね。
無条件でアウト案件なわけ。
ただの売春ならガキのオイタで済ましてやるが、違法薬物なら話は別だ。もうガキ扱いはできない。
そうしてようやく重い腰をあげてみれば……素直に驚いたよ……。
組織の規模がウチの想定よりもデカく、内部構造が複雑になり過ぎてた。
末端から追い掛けようにも、間に挟まれた連絡網が巧妙になってて、それ以上の上の追跡が出来ないようになってた。
ただの売春組織と思うだろ? 私もそう侮ってた。
でも実際は違ったわけだ。
そもそもこの売春組織、客層はどこだと思う?
何とまあ、地元の名士連中やらをはじめ、この国の中央の経済界の大物やら政界の権力者たち、果ては治安維持を担う警察組織の幹部連中を相手に商売をしていたんだよ。
そんな彼らメンバーは完全紹介制で会員制度を設けており、顧客情報に関する部分は徹底的に管理されている。
そして“鱗粉”――そのメンバーを相手にサービスする女の子たちの隠語さ。この女性たちは基本的に未成年であり、又は25歳未満の綺麗どころを集めていてその辺のレベルは折り紙付き。
その対象は金銭面で生活に困窮していた子たちを中心にスカウトを担当する班がいて、直接声を掛けてなどで勧誘活動をしていた。
脅迫や恐喝じゃなく、正当な報酬をもって、あくまでも対等な雇用者と被雇用者の関係だ。
どちらからも外部に漏れにくい構造をしている。
恐ろしいだろう?
当然、この街の有力者たちもほとんどが穴兄弟で骨抜きにされてるってわけさ。
そうしてここに来て、行き詰まってしまった。
奴らのケツモチに、権力者たちの後ろ盾はもちろんの事、私らより格がデカい同業者らも控えてたし、下手に表立った手出しが出来なくなってた。
とはいえ私らにも面子がある。
このまま放っておくわけにはいかない。
そこで、君の叔父――陽平に白羽の矢が立ったというわけさ。
……ただの一介の探偵がそんな事を調べられるわけがないだろうって……?
ふふふ、君は陽平を過小評価しているな。
彼の探偵事務所のネットレビューは見たかな? 実際はあの評価よりも彼は非常に優秀だよ? 何たって私らの世界でも評価が高いからね。
とにかく私は彼に依頼を出した。
そして彼はたった1週間で組織の全容を解き明かした。
我々はひと月掛けても何も分からなかったのに……。
そこからは簡単だ。
まずは組織のリーダーを含む幹部連中を全員捕まえて、あとはそのまま芋蔓式に手下連中をほとんど拘束してからまとめて全て処理。
ケツモチの同業者の返しはすでに裏で手を回し、後ろ盾の権力者たちは売春行為の証拠をチラつかせて、そちらからの手出しもできないようにした。
事態はこれで万事解決。とはいえ生き残りの手下連中は未だに残っていたから、陽平にはそいつらの行方の調査も依頼していたわけだ。
それが君もご存知の通り、2週間前の〈butterfly effect〉に続いた。あそこはBBの活動拠点にして隠れ蓑の1つだったと言うわけ。
そしてその一件で、我々はBBが組織として完全に壊滅状態になったと判断して、陽平には依頼完了を伝え、この件から完全に手を引かせた。
ところがだ……。
どっかの誰かさんが、BBの数少ない残党と揉め事を起こしたと耳に入ってね。
……どこでその話をって?
君なら察しが付いてるだろ? もちろん警察だよ。
ウチは地域密着型の組織でね、そういうこの街の情報はコッチにも流れるようにしてるのさ。
ちなみに、警察には君に対してBBの事は黙ってもらって、通り魔的犯行という事で説明してもらってるはずだ。
……ちょっと覚えがあるだろ?
話を戻そう……。
とにかく最初は耳を疑ったよ。
あの陽平が勝手な事をするなんて、てね。
彼に連絡を取ろうにも繋がらないし、調べて行くと彼の甥――君が表に出て動いてるという。
最早、何が何やら訳が分からない。
君が敵なのか味方なのか、陽平が敵なのか味方なのか、誰が敵で誰が味方なのか……。
何もかも分からない以上は本人、つまり君に直接聞き出すしかない。
だから私は國塚たちに命じて事務所で張ってるように指示を出し、ここに連れてくるようにした――手段が手荒だったのは謝るよ。すまない。
そしてそして、あとはご覧の通り、現在に至るというわけさ。
チャンチャン。
37
……。
いや、チャンチャン。じゃねえだろ……。
「じゃあ何か? 俺がぶん殴られて、ここに連れてこられて、そしてまた殴られて、すげ〜怖い思いをしたのは勘違いって事かよ?」
「……うん……まあそうといえばそうだね」
軽く言いやがった。
「クソ無能ムーブじゃねーか」
ヤベ、思わずヤクザに突っ込んじまったよ。
後ろの國塚の視線が痛い……。
「そう言わないでよ。お陰で互いに情報を手に入れて、状況の把握が出来たんだから、Win-Winだろ?」
「いや余計に殴られた俺が一歩負けてんだろうが……」
「だがそれもコレで帳消しだ」
そう言って獅子門は國塚から手渡されたタブレットを一瞥しそのまま俺に差し出す。
「仙導レナだったかな? 彼女の名前が鱗粉として従業員リストに入ってるよ」
「……何だと?」
促されて見ると確かに、仙導レナのページが表示されており、そこに記入された記録は彼女である事を認められる情報だった。
「……BB自体のの構成員リストには?」
「いなかった」
……。
少なくともそこは朗報か……。
いや、て事は……。
「捕まえた構成員は処理したって言ってたよな? その鱗粉たちはどうした?」
「そっちは何もしてない」
「……」
「本当だよ……。調査も追跡もしてない。彼女たちは末端も末端、あくまでも組織に雇われただけの存在だしね」
「……それ関連で何かに巻き込まれたとかは?」
「聞いてないね……」
嘘を吐いてる感じはしない。
もちろん信用はできないが……。
「どうかな? 探偵の助手君?」
……。
個人的にタイプとしても、その人を舐めた笑顔はムカつく……。
「事務所の一発分だな……」
「欲しがるねえ……まだ足りないのかい……?」
「そっちが現状押さえてる、BBの構成員、顧客、鱗粉の名簿リスト、それから構成員間で存在する連絡網やら何やら全部よこせ」
「……流石にその値段は釣り合わないなぁ」
「役に立つって言ったろ? それ使って無能なアンタらの代わりに、搾りかすの隠れた残党たちを炙り出してまとめて引き渡してやる」
「ハハッ! ……大きく出たね」
「どうだよ?」
笑顔が消え、無表情になった獅子門の細い目が更に細く俺を見つめる。
それに対して俺も負けじと睨みで返す。
……。
ここで引くわけにはいかない。
せっかくのボーナスタイムだ。
稼げるだけ稼がせてもらう。
「……分かった……」
「カシラ……」
獅子門の了承に國塚が釘を刺そうと前に出るが、それを手で制した。
タブレットを差し出しながら、
「分かってると思うけど、悪用したらダメだよ? 次は本気で山か海で遊んでもらう事になるから♡」
今日一番の一片の感情の籠らないニッコリとした笑顔で手渡された。
「……任されよ……」
……。
…………。
………………。
無能って言ってすみませんでした……。
マジで怖いですヤクザ。
38
それから後に俺は解放――事務所に送り届けてもらった――事務所に入ってすぐに、来客用のソファにぶっ倒れる俺。
痛みやら緊張やら恐怖やら疲れやら眠気やら、ごちゃごちゃのぐちゃぐちゃになった色んなものがドッと一気に押し寄せてきた。
そんな気持ちに折れないように、とはいえしばらく生きた心地を味わうようにソファをゴロゴロとしながら、よしと気を入れ替えて立ち上がり叔父のチェアに腰掛ける。
時刻を確認すれば、すでに日は回っており、4月25日の木曜日。丑三つ時を過ぎた午前3時。調査13日目。
スマホを確認すると、ひよりからの着信が数件とメールが一件。
『朝7時までに返事が無かったら、ママに言って警察を呼んでもらう。我が愛するロイド』
流石は俺の妹、察しが良くて機転が利く。
『事務所で寝る。愛してるぜマイリトルシスター』
そう返事を書いて返信する。
そしてチェアをゆっくりとクルクルと回転させながら、俺は上を見上げて天井を見つめる。
ゆーらゆら。ゆーらゆら。
日を跨いでしまったが、改めて今日1日を振り返って思い返してみる。
前半はともかく、後半は恐ろしくも濃密な体験だった――そして二度と味わいたくはないが……。
とにかく、あの究極プロダクションでの事や、獅子門たち藤丸組のゴタゴタを経て得られた情報は大いに役に立ったと言えるだろう――情報の良し悪しはともかく、一向に進展の無かった調査が前進することをまずは喜ぶ事にしよう。
と言うわけで、ここいらで話を一旦整理する。
まずは事実。
一つ目。
仙導さんは究極プロダクションの社長である権田原さんから熱烈なスカウトを受けており、そしてそれを好意的に受け取っていた。
二つ目。
彼女は半グレ集団のBBという売春組織に所属していた構成員――正確には客への売春を直接担当する“鱗粉”という末端の立場だった。
水無月さんが以前に言っていた、家計簿に記載されていた正体不明の収入はこの分の事だろう。
三つ目。
そのBBという組織は、2週間前に叔父――陽平と藤丸組の手によって壊滅し、今は形も残っていない状態である。
この新たに判明した事実から、これまでの調べ上げた結果と合わせて全体の流れを推理してみる。
まずはじめに、BBが潰れるよりも少し前、正確には4月2日の火曜日。仙導さんが水無月さんに、5日の金曜日に話したい事があると言って会う約束をする。
《「その時じゃないと駄目なんですか?」
「そうだね……うん、その時なら全部終わってると思うし、その時に話すのが一番だと思うんだ」》
おそらく仙導さんが水無月さんに話したかった内容は2つ。
芸能事務所からスカウトされたという良いニュースと、自らが半グレ集団の売春組織の構成員として働いていたという悪いニュースを伝えようとしていた。
そしてそんな告白をする前に、彼女は組織から足を洗おうとしていた。
それが4月4日の木曜日。
まず最初に本屋の仕事の休憩の合間に、権田原さんにメールで事務所を訪ねることを伝え、仕事が終わった後でBBの連中と接触し、辞めることを伝えた。
それが良くなかったのかもしれない。
なんたってその時にはすでに、組織は潰れかけてたのだ――彼女がキッカケで藤丸組の連中に見つかったら非常にマズイ。
気が気じゃなかっただろう。
生き残りの手下たちは彼女を襲った。
とはいえ殺したとは考え難い、他殺の遺体じゃ警察や獅子門たちが動く、当の獅子門もそれ関連の事件は起きてないと言ってた――ヤクザの言う事は信用も信頼もできないが、今回は受け入れる前提で話を進める。
と言うことは、おそらくどこかで彼女は拘束と監禁されている可能性が高い。
しばらく放置して、ほとぼりが冷めたら始末する流れだった。
そこで第三者の俺らが介入した。
今考えたら理解できる。
最初は壊滅した組織の為に義理立てでもしてるのかと思ったが、そんなんじゃない。
もっと単純だ。
結局は保身のため。
だから脅しのために襲った。
結果は返り討ちにあって、警察に捕まったわけで、奴らにとっちゃまさにとんだ災難だったわけだ。
……大筋としてはこんなものか……。
中々に良い線いってるんじゃないか?
俺にしては珍しく冴えに冴え渡ってる気がする。
名推理、ここに極まれりってね。
……。
…………。
………………。
ほんと、テメェでテメェを褒めることほど馬鹿らしいのはねえな……。
なんて思って自嘲気味に笑う。
とにかくだ。
この推理を前提に次の方針を決める。
今なお、仙導さんが捕まってるなら急がなきゃならない。
だからこその獅子門からぶんどった情報たちだ。
コイツらを生かさない手は無い。
ひよりと水無月さんに俺の得た情報と推理を共有して、全員で手分けして何か手掛かりを見つけ出さねえと――
――そこでちょうど着信音が鳴り響く。
最初はメールを見たひよりか? とも思ったが、掛かってきた番号は登録されていない知らない番号だった――獅子門たちとは一応連絡先を交換して登録してるからそっちでも無いだろう。
俺は最大限に警戒しながら電話に出る。
「……もしもし?」
『――』
「……はい……」
『――――』
「えぇ……」
『――――――』
「………………」
俺はまず電話の相手に驚いた。
まさか連絡してくるなんて夢にも思わなかった。
何の用だと思って話を聞いていると、相手方から聞かされた話は俺の耳を疑うような内容だった。
ドラマとかで衝撃的な話を電話口で受けた時、よくぶっ倒れそうになって姿勢が崩れそうになるシーンとかあるだろ? あんなの本当かよ、嘘だろ。なんて思ってたが、今まさに俺はそうなりそうだった。
伝えられた事実におもむろに立ち上がって、呆然として、意識が遠のきそうになって、倒れそうになるのを気張って耐えて、脳の容量が遂に限界を迎えてようやく出た言葉は……。
「………………ハァッ?」
だった。
39
4月25日の木曜日。
調査13日目。
時刻は午前10時過ぎ。
本日の天気は大雨。
これまでの快晴だった分をまるで取り戻すかのように、大振りの雨粒が地面を叩きつけている。
埼玉県さいたま市の某所にある某病院。
その病院前で、傘を刺した男女2人――王城ロイドと王城ひよりである。
ひよりはしゃがみ込んで雨粒に打たれた名も知らぬ花をジッと見つめ続けており、ロイドは終始病院に対して鋭く睨みつけている。
本来なら今日は平日であり、もちろん学校があるはずだが、どうしてここにいるのかと言えば、無論ズル休みというやつをしたからだ――元々、ロイドもひよりも気分が乗らなければ平気で学校を休む事があるので、特に気にもしていない様子である。
そしてそこに遅れて調査の最中でも一度でも休まなかったのに、人生で初めてズル休みをしたであろう真面目な水無月璃子が駆け寄ってきた。
とはいえ、彼女にとってそんな事は今はどうでもよかった。
今朝、学校に行く前にロイドから受け取ったメールの内容で全て吹き飛んだのだから。
「ロイドさん!!」
「……よお――」
璃子の姿を見て片手を挙げて挨拶しようとしたロイドだが、それよりも前に彼女に阻まれた。
「――本当なんですか!? レナちゃんが見つかったって!!」
「あぁ……」
ロイドは特に気にするでもなく、親指を立てて病院の方を指して言う。
「メールにも書いたがここにいる」
「早く会わなきゃ……」
そう言って中に入ろうとする璃子をロイドが手で制して阻む。
「何するんですか!?」
以前ロイドを引っ叩いた時以上の剣幕で詰め寄る彼女。その睨みに臆する事なく彼は淡々と告げる。
「今は会えない」
「どうして!?」
「今も意識不明で集中治療室にいるそうだ。面会できるのは家族とその親族だけだと……友人だと言ったんだが警備員に門前払いをくらっちまった……」
「……」
そう言われて少し落ち着きを取り戻したのか、璃子は改めて玄関ドアのガラス越しに中を見てみると、複数の警備員たちが集まってロイドの方を睨んでいる。
彼のことだ、彼女のために事前に手を尽くそうとして相当騒いで、大いに揉めに揉めたに違いない。
彼女と同様に彼もまたこの歯痒い状況に苛立っており、それを表に出さないようにしているのだろう。
「……すみません……」
そこまで察して璃子はロイドに頭を下げる。
「ここにいても意味がねえ……移動していいか?」
彼の言葉に頷く彼女。
そこから一行は、病院から少し離れて近くにあった喫茶店に入った。
各々が注文を済ませ、飲み物が運ばれ、一服して落ち着いたところで、ロイドから口を開いた。
「4月4日の木曜日。午後11時半を過ぎた頃、仙導さんはトラックに轢かれたそうだ」
「……」
「急に道路に飛び出してきたのもあって、ブレーキが間に合わなかった。すぐに運転手が通報して救急車でさっきの病院に救急搬送された。懸命な治療の結果、危機は脱したが意識不明状態が今日まで続いてる」
「どうしてレナちゃんは埼玉県さいたま市なんかにいたんですか?」
「……向こうの話では、そこまでは不明だそうだ」
「意識を取り戻す可能性は?」
「五分五分……あとは本人次第だと……」
「…………」
「事故当時、身元を証明する身分証やら所持品が何も無かったそうだ。警察も事件じゃなく突発的な身投げ――自殺未遂だと判断して積極的に身元調査を行わなかった」
「………………」
「事態が動いたのは一昨日、仙導さんの家族が警察に捜索願を出した」
「えっ……?」
ロイドは鼻で笑いながら言う。
「今更って思うだろ? 俺もだよ。向こうで何があったんだか知らねえし、興味もねえが、そのおかげで茨城県警から八重雲県警、そこから周辺に通知がいって身体的特徴のよく似た人物が入院してるって埼玉県警にいって、アイツらにその情報が入って、俺のところに来たってわけだ」
「……何か言ってましたか?」
「全然、さっき水無月さんに話した事をそのまま俺に説明して、あとは好きにしろ、スジは通したぞって感じですぐに切りやがったよ」
流石にぶん殴ってやりたかった、と愚痴をこぼしながらロイドは吐き捨てる。
「………………」
対して璃子はその事実に閉口してしまった。
信じられなかった。
彼らは本当にレナの家族、同じ人間なのだろうかと疑う。到底同じ血を通った生き物とは思えない。
最早怒りを通り越して呆れる他ない。
そしてそれ以上に……。
「2日……」
「えっ……?」
唐突なロイドの言葉に璃子が反応する。
「警察はたったの2日とちょっとで仙導さんの行方を見つけちまった……」
「……」
こっちは2週間掛けても手掛かりすら無かったのにな……と、続けるロイド。
「悪かった」
そう言って彼は深く頭を下げる。
「見つけられなくて、もっと警察に強く頼めばこんな事にはならなかったよな……」
「――それはっ!!」
違います!! と、彼女は強く否定する。
「最終的に判断して依頼したのは私です。それに、私たちが動いてレナちゃんのご家族に話をしたから見つけられたんです!!」
ロイドさんがインターフォン越しに見せていた最近のレナちゃんの画像のおかげで、別れ際に掛けた最後の言葉が彼らを動かしたのだと、そうハッキリと主張する彼女にロイドは素直に礼を言う。
「……ありがとう……」
「……いえ……」
そこから少しして、落ち着いたところで彼は淡々と昨日の究極プロダクションでひよりたちと別れた後から起きた事と、そしてレナの家族から報告を受ける前までに考えていた推理を語り始めた。
それらの事実や推理の内容は、璃子にとってロイドが誘拐された事以上に到底受け入れられないものであり驚いていたが、レナの現状を受けてからのこの話であったため、比較的冷静にそれらを受け止めていた。
その上で彼女は考えてから言う。
「という事はレナちゃんはその日――組織を抜ける事を伝えたところ、襲われて攫われそうになったところをうまく逃げ出したけど、トラックに轢かれてしまったという事でしょうか?」
「その可能性は高い」
「……」
だからこうなった。
まるでそう言われているような、いや言われているのであろう事実に、全員無言になる。
……。
…………。
………………。
長い沈黙、先ほどよりも勢いの増した雨音が喫茶店内のBGMを掻き消して響かせるほどだ。
「……なあ……」
そんな沈黙を先に破ったのはロイドであった。
「はい……?」
「これから水無月さんはどうする?」
「……」
結果はどうあれ、仙導レナは見つかった。
目的は果たされたわけである。
だがあくまで、見つかっただけだ。
本来なら意識のあるレナを見つけ出して対話する筈が、こんな事になってしまったのだ。
単純な話、ロイドにとって璃子がどうするのか、どうしたいのかを確認するために尋ねた。変な意図もない純粋な疑問であった。
「……」
それを受けて彼女は少し考える。
とはいえ、そんなには迷わなかった。
「待ちます」
「目が覚めるまで」
「そしてレナちゃんと面会ができるようになるまで、明日から病院に通い続けます」
「……そうか……」
そしてロイドもこの答えは予想できていたので、驚きはしなかった。
「ロイドさんはどうするんです?」
反対に彼女から問われ、彼は答える。
「俺も付き合う」
「……ひよりも」
そこで初めて口を開いたひよりも同時に答えた。
「良いんですか……?」
璃子は申し訳なさそうに2人を見つめて尋ねる。
「罪滅ぼしってわけじゃないが……ここまで来てハイサヨナラも変だろ……?」
「……ありがとうございます……」
そう言って深々と頭を下げる彼女。
しばらくそのままだったので、ロイドは頭を上げさせようとしてひよりに止められた。
そして気付く。
彼女の方のテーブルの上に、沢山の水滴が落ちているのが見えた。
驚いたのか。
怖かったのか。
呆れたのか。
怒ったのか。
嬉しかったのか。
迷ったのか。
どれだったのか、いや、おそらく全てであろう。
混沌とした感情の嵐に晒され続け、なんとか持ち堪えようとしたが、彼女は遂に限界を迎えた。
堰を切ったように涙が流れ、嗚咽の混じった泣き声が響く。
幸いにも店内に他の客はおらず、店の者も奥に引っ込んでいたため、ロイドとひよりは彼女が自ら落ち着くまでありったけを吐き出させ続けた。
40
「お見苦しいところをお見せして……すみませんでした……」
あれからしばらくして、泣き続けた水無月さんが落ち着いたので、俺らは店を出て徒歩で最寄りの駅へ、それから電車で空巻駅に戻り、今は空巻駅の構内にいる。
目を赤く泣き腫らし、掠れた声で頭を下げる彼女。
「気にすんな。見苦しいって言うなら、前のあの変装姿のコスプレもどきの方が酷かったよ」
「……ふふ、ありがとうございます……」
俺のくだらない返しに軽く笑ってくれるくらいには元気を取り戻してくれたらしい。
「そしたら……また明日ですね……」
「あぁ、お互いに学校が終わったら各自で病院に行って合流しよう。帰りは送ってくよ」
「ありがとうございます……そしたら失礼します……」
そう言って頭を下げ、水無月さんは自分が使っている電車に乗って帰っていった。
すぐにその電車が出発して、それを見送り、ホームが空になったところで俺たちも移動して駅を出る事にした。
改札を出た少しのところ、俺は往来の邪魔にならないところで立ち止まり、メールを打って送信する。
「ろいど」
「ん?」
ちょうど送り終わったところで、ひよりは顔を見上げて俺の方を見る。
「どうする? おうちかえる?」
「そうだなあ……今何時だ?」
「ごごいちじくらい」
「……流石に腹減ったな……先に飯にしよう。……それから後は……ちょっと遊ぶか……」
「……うん」
それから俺たちは適当なところで飯を食い、色々と遊んだ。
カラオケ、ボウリング、ビリヤード、それにゲームセンターやら何やら、ちょこっとずつ摘むような感じで遊び尽くした。
忘れるように、振り払うように。
気付けば午後9時を過ぎており、雨も上がって空もすっかり暗くなっていた。
頃合いだと思い、俺らは自宅に帰宅する。
「……おう、お帰り2人とも」
極普通の一般的な母親なら遅い! こんな時間まで何してた! と叱るべきなのだろうか、特に気にもしなさそうにお袋は、リビングでソファにくつろいだ感じで寝転んだ姿勢でテレビを観ながら、俺らを一目見てそう声を掛ける。
「ただいま」
「……ただいま」
ひより、続いて俺が挨拶を返して、リビングに入る。
彼女はとてとてとお袋に近づいて抱きつき、お袋もそれに応えるように、頭をワシャワシャと雑に撫で回す――ひよりはそれが特に好きなようで、気持ちよさそうに満面の笑みを浮かべている。
「どした? 入らんのか?」
一向にそれ以上リビングに入ってこない俺に気づいたお袋が聞いてくる。
「……悪い、ちょっと出てくるわ……」
「……今から?」
「おん……」
「……」
元々、水無月さんの手伝いを始めたこの2週間弱、自宅で飯を食っている間は、お袋にこれ関連の話題を全て色々と話していた――親に対する相談というよりは、報告。まあもっと軽く言えば、今日はこんな事をして明日はこうするつもりだ。みたいなのを話していた。
話している間は黙って聞いていて、基本的に最後にはいつも『まあ、あんまり無理すんなよ……』と言われて終わっていた感じだ。
今朝、俺がヤクザ連中に拉致られた時の話も顔色変えずに『生きてて良かったな……』ぐらいしか返されなかったのは、ちょっとショックというか唖然としてしまったが……。
そして今日もまた、
「……まあ、あんまり無理すんなよ……」
とお決まりの返事が来て終わった。
……。
別に過保護に心配して欲しいわけじゃないのだが、やはり少し腑に落ちないのは、息子としての当然の心情なのだろうか……。
「ひよりもいく……」
俺らの簡素なやり取りを聞いていたひよりが再びこちらに近づく。
「お前は家にいろ」
と、ひよりの肩を掴んで身体ごと回れ右をする。
「……どうして?」
不服そうに唇を尖らせる彼女に、俺は有無を言わせずお袋の方に押し出す。
「どうしても」
「……」
「……何だよ……?」
俺の眼をじっと見つめる。
相変わらず、何を考えるんだか分からない……分からないが、なんだか自分を見透かされてる気がしてならない……。
そしてこの予感は当たる。
「どうするの?」
何を、と言われなくても分かるよな? そう込められているのがよく分かる。それと同時に、誤魔化すなよ? というのもヒシヒシと伝わってくる。
気付けば、お袋も俺の方を見ている。
……。
…………。
………………。
俺はしゃがんでひよりとの目線を合わせて言う。
「俺なりの決着をつける……」
「どうして?」
「必要だから」
「だれが?」
「俺が」
「なんで?」
「ムカつくから」
「……」
「……」
理解ができないってツラだ。
だよなぁ……。
なんたってコイツは、俺がこの手伝いをすること自体にも納得がいってなかったんだから……。
「前にさ」
「うん」
「この話をなんで引き受けたんだ? って聞いたよな?」
「……うん」
「なんだか放って置けなかったんだ……。あのままだと水無月さんは、何もできない自分を責め続けたかもしれないって思ったらな」
「……」
俺自身もあの時は上手く言えなかったけど……。
「それってなんか――」
「――かわいそう?」
「そうだな……。可哀想だった……。俺なら手伝えるんじゃないか? 叔父さんの手伝いをしてた俺なら役に立てる。そう自惚れてたんだ……」
「うん……」
今なら言える気がする……。
「叔父さんに憧れてたのかもな……」
「あこがれ?」
「あぁ……これまでに何度か手伝いしてたけど、結果っていうか結末? 結局どうなったこうなったそうなったってのは聞いた事なくてな……まあ、興味も無かったってのもあったけどさ」
「でも……」
「そうでも……一度だけ、たまたまだが……。依頼人と叔父さんが最後の挨拶してるところを見てたんだよ。俺も手伝ってた案件だったから、その場に居合わせててな。流れで俺にも依頼人が声を掛けてきたんだ」
「……」
「滅茶苦茶に感謝されたんだよ……。よほど嬉しかったのか顔面を涙や鼻水でぐしゃぐしゃにしながらさ」
「……」
「初めてだった……家族以外の他人から心の底から感謝されるなんて……」
「うれしかった?」
「……嬉しかった」
「……」
今でも覚えてる記憶だ。
何が何やら分からなかったが、あの時俺が何気なくやった行動が功を奏していたらしい。
叔父はそう言ってた。
あの時はまるで俺のことを全て見透かしたように、叔父は『どうだったよ? 純粋に有り難がられるってのは?』なんていやらしい笑顔で聞いてきやがったから、ムキになって『まあ……悪くないね……』なんて斜に構えた態度をとってしまったが。
「それがコレさ」
「……」
「ご覧の有り様。格好つけた結果が……結末がコレなんざ笑えねえ……笑い話にもならねえ」
「でもそれは――」
「――分かってる……。そもそもここまで調べられたのは、これまで信じて行動し続けて来たからだ」
悔いはねえよ、と言って言葉を続ける。
「でもな……やっぱりそれでもムカつくんだ」
「あいてが?」
「俺自身もさ」
「……」
「だからケリを着ける。ケジメを取る」
仙導レナを、水無月璃子をこんな目に合わせた代償を支払わせる。
「……わかった……」
そこまでの俺の覚悟を聞いて、ようやくひよりは納得してお袋の方に戻る。
「ごめんな……」
そう言ってひよりに謝り、俺は玄関口に行く。
再び靴を履いてドアに手をかけたところで――
「――ろいど」
振り向くと、リビングからひよりが顔を覗かせている。
「……どした?」
「おわったら……」
「……おん?」
「あいすかってきて」
「……」
その言葉に思わずフッと笑みを浮かべる。
「何が欲しい?」
「でかいの」
「リョーカイ、帰りに買ってくる……」
「……うん」
「じゃあ行ってくるわ」
「いってらっしゃい」
ドアを開けて外に出て、空を見上げる。
今日の大半が大雨だったのに、それも嘘みたいに雲一つない星空が広がっている。
「……うし」
覚悟を決めて歩き出す。
俺なりの俺らしい決着を。
41
日が変わり、4月26日の金曜日。
調査……は、もういいんだったか……まあとにかく今日が約束の最終日となるはずだった14日目。
時刻は午前12時過ぎ。
場所は、からまき公園のいつもの大通り。
とはいえ、時間が時間なだけに周囲に人はおらず、街灯が照らすのみである。
その通りのベンチに俺は腰掛け、スマホのアプリゲームで時間を潰していた。
どうしてここにいるのかと言うと、ここである人物を呼び出して待ち合わせをしていたからだ。
そのある人物とは――
「――ウェ〜イ、ロイロ〜イ。こんばんばんは〜」
俺から見て左手の方から、チョミさんが初めて会った時と変わらぬ、気さくな笑顔を浮かべながら片手を挙げてやってきた。
「……よお。まさかとは思うけど、ロイロイってのは俺のことか?」
「そだよ。あーしが考えたん、イイっしょ〜?」
「……兄弟よりはマシだな……」
「Hoo〜、ツッキー泣いちゃうから、本人には言わないであげてね〜」
そう言って彼女は拳を突き出す。
「まぁとりあえず、ウェイいっとく?」
「悪いが今回は遠慮しとく……」
「……ふーん……あっそ」
俺の即答に特に残念がる事も悲しがる事もなく、そのまま素直に拳を引く。
「で〜? こんな夜中にうら若き乙女1人を呼び出すなんて、なんの御用ですかにゃ〜?」
「……」
「もしかしてもしかすると、愛の告白ってヤツ? 一目惚れってヤツ? カァ〜〜〜!! アオハルだね〜! あーしにも春だね〜!」
「……残念、ハズレだ……」
「ありゃりゃ残念。てかテンション低くな〜い? ノリも悪くな〜い?」
「元からフラットなんだよ」
「そんな態度は女子にモテないZOI?」
「放っとけ……」
「う〜ん……あーしへの愛の告白でも無いのならさ」
チョミさんはそこまで言って、俺の真ん前、大通りのど真ん中に立つと、
「こんな時間に何の用かな?」
と、真顔で聞いてくる。
その問いに対して俺はゆっくりとベンチから立ち上がって、スマホを目の前で掲げると、
「その前に、ちょっと別件でメール中でな。イジりながら話してもいいか?」
と言った。
最初は目を細めてこちらを見ていたチョミさんも、微笑んで言う。
「……どーぞ。あーしは気にしないから」
「どうも」
「どういたまして〜」
了承ももらったところで、俺は早速スマホを操作しながら話をはじめる。
「……そういや初めて会った時」
「ん〜?」
「俺の叔父の事を知ってたな?」
「……」
「俺が探偵の助手だって言った時だよ」
《「探偵じゃなくて探偵の助手、バイトのお手伝いだ」
「ふーん……じゃあ探偵のおっちゃんは?」
「……長期出張中なんだ」
「ほぇ〜……なるほどね〜」》
「あの時『じゃあ探偵のおっちゃんは?』って言ってたよな? 俺は誰の手伝いと言った覚えはないぜ?」
「えぇ〜? そうだったかにゃ〜? 覚えてないにゃ〜、忘れちまったにゃ〜」
あくまでも惚ける方針か……。
まあ元々、これで追い詰めるつもりはなかったから構わない。
「……俺がアンタの事、ここの顔役なんだろ? って聞いた時、自分でそんな大層なもんじゃないって言ってたが」
「……」
「最初は謙遜してる変だけど良い奴かなって思ってたが――」
「――変って……酷いなぁ……」
「そっちは隠れ蓑、本当は新たな鱗粉探しが目的だった」
「……ハァ?」
笑みを崩さないまま、声を漏らすチョミさん。
「アンタはBBのスカウトを担当する役割だった。こういった場所で交友関係を広げ、当たりの女に目を付けて声を掛ける」
その中で見つけたのが仙導レナだった。
身内の関係は最悪の没交渉。
金銭面でも貧しく、困窮……とまではいかないでも、先の将来を考えれば不安がある生活状況。
友人関係は数少なく希薄そうで、ほぼ孤立状態に見える。
目標としては申し分ないだろう。
「チョイチョイ、ちょっと待っておくれよ」
その辺りを言ってやろうと思っていたところで、向こうから口を挟まれる。
「鱗粉探し? BB? スカウト? 一体全体ロイロイは何を言ってるのさ?」
「……違うってのか?」
「違うとかそうじゃなくて、そもそもの話、それよりも前よ! ロイロイが何を言ってるのかさっっっっっっっっっぱり理解できないんですけど!?」
チョミさんはここに来て初めて声を荒げる。
本気で怒っているという表情だ。
「スゲ〜不快だわ! 不愉快だわ! マヂでさ! てかさ〜! ロイロイはレナッピを探してるんじゃなかったの!? そっちはどうなったのさ!?」
「……見つかったよ……」
……。
それをテメーが聞くのかよ。
しらばっくれてんのか?
「そっか! 良かったね! どこで?」
「病院だ……今も集中治療室にいるよ……」
「……それは御愁傷様……じゃあ見つかったみたいだし、もうこんな事しなくていいよね?」
「……」
「黙ってるって事はもういいのかな? ……じゃあそういう事で! お疲れ〜! もう二度とあーしには話し掛け――」
――不意の着信音。
もちろん俺のじゃない。
怒りで捲し立てながら、この場から去ろうとしていたチョミさんのポケットからだ。
突然の事に彼女の歩みがピタッと止まる。
俺に背を向けている状態であり、そこから微動だにしない。
「………………」
「どうした? 電話に出ねえのか?」
「…………」
「俺は気にしないから出ろよ」
「……」
「出れねえのか?」
チョミさんはポケットから今も鳴り響いているガラパゴス携帯電話を取り出した。
そしてゆっくりとこちらの方を向く。
「これ……ロイロイの番号だよね……?」
「……そうだな」
「どうやってこの番号を知ったのかにゃ?」
「守秘義務だ」
無論、これは獅子門から貰い受けた情報のひとつ。
BBの構成員間で使われていた連絡網。
その中でまだ使用されているであろう電話番号を、この会話中に片っ端から電話を掛け続けていたのだ。
15回目の正直。
15個目の電話番号。
ちょうど良いタイミングで当たりを引いたわけだ。
「あっそ……」
特に興味も無いように切り捨てるチョミ。先ほどまで怒りに満ちていた表情だったのが、嘘みたいな満面の笑みだった。
やはりさっきのは演技だったか……。
食えないヤツだ……。
「ハァ〜……こんなしょうもない手に引っかかるなんて、あーしもまだまだかにゃあ……」
「嘘こけ、ここに呼ばれた時点で察してたろ?」
「まぁね〜、とはいえまさかそんな強行策を取るとは思わないぢゃん? もう少し良い理詰めを期待してたんだけどね〜」
「……五月蝿え……」
「お〜怖っ!」
茶化すチョミを睨みながらそこで電話を切り、自分のスマホをポケットにしまう。
「もう一度聞く。アンタはBBの構成員だな?」
「そだよ」
今度はあっさりと認める。
「仙導レナを鱗粉として雇ったのも」
「あーしが声を掛けた。ああいう子も刺さる人には刺さるんだよね〜」
「……幹部なのか?」
「まさか。あーしは使えない部下と無能な上層部に挟まれた哀れで悲しい中間管理職。会社なら課長か係長? まあまあの主任クラスってヤツ」
「……」
「気付けば泥舟になっちまってたぜい……」
「……随分な言い様だな。テメーの所属してたチームじゃねえのかよ?」
「そうだけどね〜、だってね〜……」
「……麻薬の密売絡みか?」
「おっ? そこまで知ってんだ?」
組織に対する忠誠心の低さと言動。
コイツがこうなる転機が組織内で発生した。
それが何だと総合的に考えれば一つだけだ。
「覚醒剤はダメ〜。クスリは人を根本的に堕落させ、組織どころか全てを腐らせる」
「……」
「2ヶ月くらい前かにゃあ? ボスが急に今後はヤクの密売もやるとか言い出してね〜」
売春組織として活動していた際の、複雑な組織構造や連絡網、及び外部に漏れにくいシステム。
これをそのまま転用すればいいだけだからな。
「最初の現場は大混乱。徐々に密売によって得られる莫大な利益――金に目が眩んで大半が賛成した」
「……その時に説得はしなかったのかよ?」
「ムリムリ! もう目が¥マークになってる連中だよ? 説得とか論外。逆にみんなに殺されちゃうよ」
手で拳銃をつくり、自分のこめかみに当てて、引き金を引く真似をするチョミ。
「だからあーしは水面下で、あーしと同じ数少ない反対派のメンバーを集めて、組織を抜ける手筈を整えて機会を待った」
「抜けようとしたのか?」
「当然ぢゃ〜ん。一緒に死ぬつもりは無いよ」
「……」
「表向きは従うフリをして、今か今かとタイミングを見計らっていた時……」
「ッ! 叔父か?」
「ピンポーン! 大正解!!」
だから知ってたのか……。
「組織の連絡網で、『妙なヤツが探ってるから警戒しろ』って指示が来てね。何度か脅して襲ったそうだけどうまくいかなかったみたい……。あーしは使えると思った」
「接触したのか?」
「うん、あーしが知る限りの全てを教えてあげた」
《とにかく私は彼に依頼を出した。
そして彼はたった1週間で組織の全容を解き明かした。》
いくら叔父が腕の立つ探偵だとしても、流石に早過ぎるだろとは思ったが、こういうカラクリかよ。
だけどコイツもタダじゃ教えない無いはずだ。
という事は……。
「その代わりにお前らを見逃してもらってたのか?」
「ヒューッ!! それも正解!! おっちゃんの甥っ子って本当なんだ……」
チョミは目を丸くして驚く。
やはり正解だったようだ。
「ウチらの構成員リストを渡す時に、反対派のメンバーを削除してもらったってワケ。とまあさてさて、こうしてロイロイのおっちゃんの活躍と、あーしの有力な情報。そして怖い怖いヤーチャンたちのおかげで、BBは完膚なきまでに潰れてしまいましたとさ。めでたしめでたし……とは――」
――とはいかなかった。
「俺たちか」
「そのとーり!!」
彼女は糾弾するように鋭く俺をビシッと指差した。
「おっちゃんの名前を名乗る謎の金髪碧眼少年とその妹とかいう銀髪美幼女とレナッピのマブダチだと豪語する少女! 怪しむなってのがムリな話ぢゃん?」
「……」
まあごもっともな話か……。
「だからあーしは、生き残りの連中に声を掛けてロイロイを襲わせた」
目的は3つ。
脅しと相手の正体とその出方を見極めるため。
「万が一を考えて、襲撃と同時に警察に通報して捕まるように指示もした」
「口封じと手出しをさせないためか?」
チョミは無言で頷く。
「流石にヤーチャンでも警察の、しかも留置場ぢゃキビィでしょ? 襲わせた連中にはそこが一番安全だと言ったワケ。殺されるよりはマシでしょ? ってね」
「……」
「ま〜さか、本当にただの一般ピープルだとは思わなかったし、もう面クラッチマンよ」
だからそれ以上の干渉をヤメタノサ!! と仰々しく言うチョミ。
……。
確かにあの襲撃以降で、こちらを監視するような視線や気配は感じられなかった……。
話の辻褄は合う。
だからこそ、
「一つ解せない。何で仙導さんを襲った?」
そこが唯一の謎にして矛盾。
何たって、叔父との取引で自身の安全は保証されていた――現に俺らが出て来るまでは問題は無かったはずだ。
それなのに仙導さんはああなっちまってる。
この女は喋り方はイカれてるが、内容はマトモだ。
そこまで頭が回ってるのに、急にそこのところでIQが低下してるのはどういう事だ?
俺の言わんとする事を察したのか、チョミはん〜と唸りながら言う。
「……そもそも何だけど……」
「?」
「レナッピが入院ってどういうことさ?」
……。
「……あ?」
《「スゲ〜不快だわ! 不愉快だわ! マヂでさ! てかさ〜! ロイロイはレナッピを探してるんじゃなかったの!? そっちはどうなったのさ!?」
「……見つかったよ……」
……。
それをテメーが聞くのかよ。
しらばっくれてんのか?
「そっか! 良かったね! どこで?」
「病院だ……今も集中治療室にいるよ……」
「……それは御愁傷様……じゃあ見つかったみたいだし、もうこんな事しなくていいよね?」》
さっきまでは、ただすっとぼけてるだけかと思ってたが、この言動といい、この反応といい……。
さっきのはしらばっくれてるわけじゃ無い?
……仙導さんの事故と入院は無関係なのか……?
「……先々週、4月4日の〜〜〜」
俺は相手の反応に注意を払いながら、仙導さんの状況を詳しく説明した。
その間のチョミは、ただ黙って俺の言葉に静かに耳を傾けながら、少し横を見て考える素振りをすると、
「……ふ〜ん……」
と呟いた。
……。
特に今のところ、怪しいところは見受けられないが……。
「なるほどね〜……」
やがて自身で理解、納得がいったのか、笑みを浮かべる。
「……なんか知ってるのか?」
そこを見逃さなかった俺は、すかさず突っ込む。
「ちょい待ち〜、えっとどこだっけ〜?」
そう言ってチョミは自身のポケットをガサゴソとまさぐりはじめた。
「確かこの辺に〜……おっ? あった!」
目当ての物を見つけたのか、チョミはポケットからそれを取り出して、そのまま俺の方に投げて渡した。
俺の頭上の少し高いところにいったが、腕を伸ばせば楽に届いたので、特に苦もなくキャッチする事ができた。
「これは……」
それは先ほどの発信した物とは別の携帯電話――まだ他にも持ってやがったのか……。
「メールボックス見てみ〜」
言われた通りそこを開いて確認する。
そしてすぐに俺は見覚えのある人物名を見つけた。
「!」
紛れもなく、仙導さんからのメール。
日付は4月4日。
時間は権田原さんに送った時刻とほぼ同じだった。
内容は――
「――『今夜会えないですか? お話したいです』ってなってるでしょ?」
「……会ったのか?」
「モチのロンしょ。いくら組織を抜けるにしても、仕事は仕事。こう見えてもあーしは、従業員にはちゃんと対応してる良い上司だからネ」
「何でさいたまで?」
「その後のメールも見てみ。万が一にも顔見知りに会いたくないから、遠くで会いたいって言ってるでしょ? あーしもさいたまで用事があったから、そこで合流したってワケ」
あーしって気を遣える子だからね〜、とか何とかのたまうチョミ。
確かに仙導さんからそういうメールが送られてきている。
「どこで会った?」
「こことは比べるべくも無い小っちゃい公園で」
公園名を聞いて検索すると、搬送された病院の少し離れたところにあったところだった。
「会ったのは何時だ?」
「ん〜、確か11時くらいかにゃ〜?」
……。
仙導さんが事故る前の約30分前か……。
「何の話をした?」
「『辞めたい』ってさ。よくある話だにょ」
「なんて答えた?」
「OKて……」
「良いのか?」
「無理やり働かせるのはダメっしょ?」
確かにそれはそうだが……。
「随分とマトモな組織だったんだな……」
やってる事はガッツリ違法行為だが。
「前まではね〜。あーしもそんな緩いところが好きだったんだけどね〜」
そう言って地面にあった小石を軽く蹴飛ばすチョミ。
「で?」
「うん〜?」
「その後は?」
「その後って……それだけだよ?」
辞めた〜い。
良いよ〜。
ありがとう〜。
いえいえ〜。
さようなら〜。
バイバーイ。
それだけ〜。と、肩をすくめて、話は終わりだと締めくくる。
「本当だな?」
そう言って俺はチョミを睨む。
それに対してコイツは笑みを浮かべながら、全く笑っていない目を細めて、俺を見つめ返し、
「本当だよ? 信じる信じないはアナタ次第です! ナンツッテ!」
と言った。
「………………」
「………………」
茶化しはともかく、嘘を言っている感じはしない。しないが……。
信用はできない。
だが聞けてもここまでか……。
それは向こうも同じようで、
「じゃあまぁ……」
そう言ってチョミは両手を広げ、
「ロイロイも知りたい事が知れたし、あーしとの誤解も解けたようですしお寿司」
パンッ! と一回だけ手を叩き、
「御開きって事で〜」
手締め。俗に言う一丁締めをすると、
「ハイサイナラ〜」
と、フリフリと手を振りながら歩き出そうとし始めた。
「待てよ」
そうはさせんと俺はチョミの後ろから肩を掴む。
「もう〜な〜に〜?」
コチラを振り向きもしないまま、気だるそうに反応するチョミ。
「誰が帰すって言ったよ?」
「……あーしはレナッピと関係無い。だったらあーしはもう用済みデショ?」
「いや……お前に用はまだある……」
「どうするってのさ……?」
「藤丸組にアンタを引き渡す」
「オイオイオイオイ、あーしのお陰でBBは潰れたんだよ? おっちゃんに見逃してもらう取引で、それを忘れたワケじゃ無いっショ?」
「知るか。んなモン」
「ドイヒ〜。血も涙も無いのかにゃ?」
「……俺とも取引しとくんだったな」
「鬼、悪魔、ロイロイ。てヤツかにゃ?」
「やかま――」
――このやり取りの刹那――
――背後から殴りかか――
――それよりも前に、咄嗟にチョミの掴んだ手を離して横に避けた。
「っ……とっ!」
この場にはもう1人いた。
暗闇に乗じて隠れていたヤツが。
気配は殺してたが、視線はどうにもならない。
事務所の件もあった俺は待ち伏せはもちろん、チョミ以外の存在を最大限に警戒していた。
反省し次に活かす。
お陰で釣り出せた。
「ヒューッ!! やるね〜! あの襲撃の時も遠くから見てたけど、それ超能力ってヤツ?」
「……珍しい特技ってやつさ……それより……」
相手の軽口を軽く流しながら、俺は襲われた方を見る。
デケェ。
デカ過ぎる……。
そこには大男がいた。
身長は2メートル……いやそれ以上はある……。
そして体格もスゲェ。
筋肉。ボディービルダーの大会で見掛けるような何もかもがデカい筋肉――顔よりも首が太いとか生まれて初めて見たわ。
服装は黒色ジャージのズボンに、上も同じく黒色のタンクトップ――両方ともパンパンに膨れ上がってて、今にもはち切れて全裸になりそうだ。
「……誰だこのデカブツは?」
「……」
大男は黙って俺を睨みつけるだけ。
先日の國塚というヤクザも中々のイカついものだったが、コイツも相当な顔面凶器度合いであり、悪鬼羅刹も顔を背けるような面構えをしてやがる。
「この子はG」
代わりに答えたのは、コチラをもう見向きもしないチョミだった。
「あーしはゴリッチョって呼んでる。殺しと女子供に危害を加えろとか以外なら、基本的に何でもやってくれる何でも屋さんってヤツ」
とんだ二律背反の何でも屋だな……。
「……護衛代わりか?」
「正解。1人でこんなところ来るわけないぢゃん?」
「にしたってコイツだけで大丈夫なのかよ?」
「あーしが知る限り、前の襲撃した子たちより、ゴリッチョ1人の方がメチャクチャ強いお?」
俺の舐めた発言に、静かに怒るように小さく唸るG。
「じゃあゴリッチョ〜。あとヨロピクね〜」
そして〜、とチョミは続けて、
「ロイロイもお大事に〜」
と軽やかに言って去っていった。
追い掛けたかったが、コイツに無防備に背中は晒せない。
せめて言えたのは、
「のたれ死ねクソが……」
これだけだった。
遠くなっていく足音。
やがて静かになり、俺とGだけが大通りのど真ん中で互いに向かい合う。
……。
…………。
………………。
俺たちを照らしていた街灯が、一瞬、バチッと点滅する。
それが合図だった。
「ッーーーーーーーーー!!!!!!」
およそ人とは思えない、獣のような耳をつんざく大きな雄叫びを上げて、Gは走り出し向かって来る。
人間vs化物。
タイトルとしちゃ申し分ないが……。
……頼むから誰か代わってくれ。
42
Gの戦闘スタイルは正直言って単純だった。
大振りで直線的。
引っ掛けもなく、明らかに自らの体格に頼った闘い方。
ただし、コレに当たればヤバイのは分かる。
直で喰らったら、ただでは済まないだろう。
だが、とはいえ避けるのは容易く、逆に攻撃を入れるのは楽だった。
顔――喉や顎や人中あたり。
身体――腹や特に鳩尾を。
人の正中線、人体の急所とも言われるところを複数回ぶち込んだはずなんだが……。
「ッーーー!!」
全然倒れねえ!!
「どうなってんだよ!?」
思わず口に出してしまうほどにウンザリしていた。
結構イイのが入ってるはずだ。
普通のヤツなら、もうとっくにボロボロ。
終わってるはずなのによ……。
「ッーーー!!」
効いてないってか?
んなアホな……。
有り得ない。
アンビリーバブル。
……。
俺はふと、チョミが呼んでたアダ名の由来を考えていた。
G。
Giant。
ゴリッチョ。
……ゴリッチョか……。
「このクソ巨人がよっ!!」
また腹に渾身の一撃を入れるが、
「ッーーーーーー!!!!」
特に気にもせず反撃してくる。
それを避けて距離を取り、次の攻撃の機会を待つ。
「……チッ」
打破できない停滞した状況に苛立って舌打ちする。
俺はダビデじゃねぇぞ……。
投石器なんか持ってねえし……。
どうしたもんか……。
チョミはもう逃げてるだろうし、ここで戦う意味は無いんだが、コイツはそんなのお構い無しだろうし。
「……なあオイ、もうヤメねーか? 雇い主は逃げ切ったんだしこれ以上は――」
「ーーッーーー!!」
ゴリアテの突進攻撃!
ですよねえ……。
どうする。
どうしたらいい?
いずれは持久力切れでコイツの攻撃を避けるのも限界がくる。
そうなったらもう終わりだ。
あと一撃。
決定的な一撃が欲しい。
そうすりゃ決まるんだが……。
……。
…………。
………………。
仕方ないか。
俺は覚悟を決める。
そして再び距離を取って、改めて最初の大通りのど真ん中にいる俺たち。
両者睨み合い、互いに次を待つ。
……。
…………。
………………。
街灯がまた点滅した。
次に動いたのは俺だった。
全力で駆け出す。
一気に距離を詰め、ゴリアテが咄嗟に受けの構えの姿勢を取るよりも早く近づき、俺は跳躍する。
身体を右回転させ、右足の裏の主に踵部分をヤツの顔面、顎目掛けてブチ込む!!
大抵の相手なら軽く当てても失神させてKOできるその技の名は、俗にこう呼ばれている。
飛び後ろ廻し蹴り――
「――じゃゴラァッ!!!!!!」
俺なりの投石器。
今できる全力で渾身の一撃。
イケる、と思った。
コレを喰らって立っていたヤツを俺は知らない。
知らないんだが……。
今知った。
「嘘だろ………………?」
ゴリアテは立っていた。
真正面から受けたのにも関わらず、微動だにせずに立ち続けていた。
ゴリアテはそこで初めて笑みを浮かべ、右手の人差し指を立てて左右にゆっくりと振った。
「ぐっ!!」
慌てて再度距離を取ろうとして――
――間に合わなかった。
左拳が俺の顔面にめり込んだ。
そのまま後方に吹っ飛び、大通り沿いに生えてる馬鹿でかい街路樹に背中から叩き付けられる。
「ッ!? ガァッ!!」
顔の痛みと、肺にある空気を強制的に吐き出され、酸素不足で意識が途切れそうになる。
何とか立ち上がろうとするが、しかし、受けたダメージはデカく、そのまま街路樹に背中を預けた状態で後ろにズズズと倒れ込む。
ゴリアテは勝負アリと判断したのか、警戒を解いてゆっくりとこちらに近づいてくる。
俺の状態を確認しようとして、髪を掴んで立ち上がらせてきたところで……。
掛かったなアホが!!
先ほどまで虚な目をしていたはずの男が、突如として瞳を輝かせ満面の笑みを浮かべる。
初めて動揺の表情をするゴリアテ。
言いようのない不安に駆られ今度は向こうが距離を取ろうとするが――
――だが遅え!!
肉を切らせて骨を断つ。
さっきの蹴りこそ囮。
俺の狙いはただ一つ。
それは人体の急所にして、男ならそこをやられたら死ぬほどツライ場所、どんなタフな大男でもここは鍛えられないであろう場所、コレが試合なら俺は即反則負けだが、ここは反則無しの実戦。
「悪いな!!!!!!」
股間。
金的。
睾丸。
金玉。
ヤツのGOLDに拳を叩き込んだ。
「ッッッ!?!?!?」
変な呻き声を上げ、ゴリアテは白目を剥く。
かのゴリアテは投石器によって放たれた石を額に受け昏倒したのちに、自らの剣で首を刎ねられて絶命したらしいが……。
俺は寛大で慈悲深いのでトドメを刺さなかった。
巨人は両手で股間を押さえ少しずつゆっくりと、まずは膝立ちし、そして前のめりに静かに倒れていく。
これが俺のGiantKilling。
よろめきながら、ゆっくりと自力で立ち上がり拳を掲げる。
誰もいない大通り。
歓声を上げる観客もいない、試合終了を知らせるゴングも鳴り響かない、誰に対してかも分からない勝利のポーズ。
だが、確かに成し遂げたと無言の意思表示だった。
43
意気揚々、とはいかなかった。
結局のところ、今回の仙導さんに関する黒幕であるチョミにはまんまと逃げられたのだから。
決着がついたとは、何なら素直に勝てたとは到底言えないだろう。
あの後、俺は気絶したままのゴリアテを放置して、事務所に戻っているところだった。
本当はチョミを追い掛けたかったが、流石にこっちも敢えてとはいえ受けたダメージがデカい、何にしても仕切り直す必要がある。
満身創痍の身体を引きずって歩きながら、チョミとの会話を思い出して整理する。
俺のケジメはともかくとしてだ。
ようやくパズルが完成目前までできた。
仙導さんの失踪前にあった一連の発言と行動。
その周辺で発生していた様々な動き。
俺たちが動き出した事による周囲の反応。
その全てに理由が、事実があり、理解のできる真実があった。
だが一つだけ、納得のできない事実がある。
それは仙導さんの事故だ。
本当にただトラックに轢かれただけなのか?
……いや……ありえない……。
そんな筈はない。
なんて言ったって、見過ごせない部分がある。
何故、仙導さんは事故当時、所持品を一切持っていなかった?
スマホも財布も身分証も。
何もかもだ。
俺はこの事実を最初は、チョミのヤツがBBを抜けたいと言い出した仙導さんに脅しを掛けた際に、所持品を奪い取って走っていたトラックに突き飛ばしたのだと思ってた。
だが、チョミは違うと言う。
アイツの言う事を全て信じるわけじゃないが、だけど嘘を吐いてる感じもしなかった。
さっきの会話の流れで、チョミの性格というか本性はある程度推し量れる。
あの女は平然と嘘を吐くタイプというより、嘘も吐くが何よりも『深く聞かれなかったから答えなかった』タイプ。
だから今更だが、俺があの時もう少し事故のことを問い詰めていたら、正直に喋っていた自信がある。
そこを見切れなかった俺の落ち度だろう。
「クソッ……」
なんてボヤいたところで仕方ない。
……。
とにかく、これだけは言える。
俺は何かを見落としてる。
最後のピースを見つけられないままだ。
その何かが分からないまま、気付けば事務所のあるビル前まで戻って来ていた。
そのまま上に上がろうとするが、そこでビルの真ん前にいつも利用しているコンビニを一目見て立ち止まる。
時刻は午前1時過ぎだが、24時間営業のコンビニに関係は無く、店内の煌々と明るく照らす照明の光に、先ほどまで頼りない公園の灯りに慣れ切っていた俺は目を細める。
……そういえば、ひよりにアイスを買う約束をしてたのを忘れてた……。
俺はコンビニに入り、比較的容量のデカいバニラアイスと患部を冷やすためのロックアイス、それとジュースをカゴに入れてレジに向かう。
会計を済ませ、店を出て、ようやく事務所に向かおうとしたところで、ふとビルの外壁に貼られていたポスターを見つける。
それを見たのは、つい昨日――誘拐された例の廃工場で見掛けた顔があったからだ。
我が街の市長様の御尊顔。
ポスターの内容としては、振り込め詐欺に注意と警戒を伝えるためのよくあるやつだ。
……。
改めて見てもしっくり来ないツラだ。
政治に興味が無いのもあって、特に感じることも無い。
獅子門が呆れるのも無理ないか……。
そんな自身のイマドキな感性に鼻で笑いながら構わず歩き出そうとして、急ブレーキを掛けてもう一度見る。
……。
…………。
………………。
じっと見つめる。
顔が気になったわけじゃない。
振り込め詐欺でもない。
俺が見ていたのは――
「――ッ!?」
それを見て、俺は慌てて事務所へと全速力で戻る。
明かりを点け、買ったやつを袋ごと全部冷凍庫にぶち込み、俺は獅子門に手渡されていたBBに関するタブレットを操作しながら、これまでの調査結果を記入していたホワイトボードに向かう。
「どこだどこだどこだ……!」
ボードとタブレットの画面を見比べながら、
「違う……違う……違う……!!」
目当ての部分を探す。
そうだ。
そうだった。
嘘吐きがいた。
俺たちの質問に真っ当に答えなかったヤツがいた。
確かソイツは……ソイツの名前は……。
「………………」
見つけた。
見つけた、見つかったという事実に安堵した。
何故なら、最後のピースが見つかった。これでパズルが本当に完成したからだ。
俺はすぐさま電話を掛ける。
相手は3コールもしない内に出た。
『……何か分かったかい?』
出た瞬間だというのに、まるで全てを見透してるような言い方。
掛けた相手は獅子門だ。
「報告と『取引』だ」
『……『取引』?』
そっちは予想外という風に聞き返す。
「あぁ……まずは〜〜〜」
俺は最初にチョミとの一連の出来事を報告し、その後、見つけ出した最後のピースから導き出した真相に対する推理を説明して、それらを踏まえた上である取引の内容を伝えた。
『なるほどね……そういうことだったのか……』
「……どうだ?」
『悪くない話だ』
よし。
話には乗ってきた。
ここまではいい。
『だがーー』
――そうだが……、
『我々にリスクがあり過ぎる……』
やはり、そこを突っ込むよなぁ。
『そこまでやってやるメリットが無いね……』
「……」
とはいえコッチは想定内だ。
俺は伝家の宝刀。
最後の切り札を伝える。
それを聞いた向こうはしばし無言になり、
『……本当にやるのかい?』
「あぁ……」
『言っておくけど、この世界じゃ吐いた言葉は取り消せない。……もう戻れないよ?』
「どんと来いだ……」
『……』
再び無言。
かなり無茶な取引だ。
だが……あっちも言ってたように、悪くない話のはずだ……。
無限にも思える時間が経過したような気がして、
『良いだろう』
遂に了承した。
「取引成立か?」
『そうだね……』
よし……。
『用意が出来たら國塚を迎えに寄越す。それで構わないかな?』
「問題無い」
『よろしい、ではまた』
通話が切れ、俺はスマホをポケットにしまい、冷凍庫に突っ込んでいたロックアイスを右眼に当て、ジュースを取り出してそれを一気に飲み干す。
最悪な話だ。
何たって悪魔と取引をしたんだ。
俺もマトモじゃいられないだろう。
だがこれしか無い。
これで本当に終わらせる。
とにかく今はゴリアテに受けた傷を癒やしながら、しばし待つとしよう。
44
親父はクソだった。
世間じゃ、街の英雄だ救世主だ聖人だと持ち上げられているが、俺からしたらクソ以下の存在だと断言できる。
直接的な暴力を振るわれた事はないが、何か失敗すればネチネチと執拗に叱責してくる、言葉の暴力を振るってくるようなヤツだった。
しかも女癖が非常に悪く、俺らの前で平気でよその女を連れ込むようなどうしようないクソ野郎。
それらのお陰で母さんは家を出て行った。
ただし離婚はさせなかった。
親父の職業柄、そういったマイナスイメージは非常にマズかったからだ――さっきの直接的な暴力を振るわれなかったのも、そこが要因だと言える。
アイツの口癖は昔からひとつ。
『俺になれ』
随分と傲慢な野郎だ。
これで救世主は笑わせる。
絶対にコイツにはなりたくないと思った。
俺は普通に大学を出て、普通に就職して、普通に生活をして、俺だけの人生を歩む。
そう思って必死に勉強していたが、どれもこれも上手くいかなかった。
どうやら親父から受けた仕打ちの数々に、自分でも気付かない内に心が疲弊していたらしい。
まずは、段々面倒臭いと大学の講義をサボるようになった。
そんな不真面目な自分に嫌気が差して、酒とパチンコに逃げるようになった。
親父と同じ家には住みたくなかったから、アパートを借りて暮らしていたが、自堕落な精神から産まれるのは、酒瓶とゴミが散乱する室内だった。
どうにかしようにも、どうにも出来ず。
とはいえ暮らすには金が必要だ。
アイツに助けを乞うのは嫌だったから、面倒ながらも適当に、外ヅラを取り繕ったお陰で採用された本屋で働いた。
そこで仙導レナと出会った。
見た目はイカついが、誰にでも優しく接して、しかも外見に反して仕事ができる。
一目惚れだった。
あの人の事を考えると、腐った心が元に戻り、正常以上に心拍が上がる気分だった。
とはいえ、話し掛けようにも緊張してしまい、いつも簡単な世間話をして終わるだけ、特に仲が進展することもないままの日々を過ごしていたところで、兄貴から連絡があった。
兄貴は要領が良かった。
親父に上手く適応したと言えるだろう。
俺自身はよくやるもんだと思いながらもそこそこに尊敬していた。
何たって俺がこんな自由な生活ができるのは、長男たる兄貴が頑張ってくれていたからだ。
そんなもんで俺と兄貴自体の仲は親父という存在もあって、非常に良いものであると断言できるだろう――喧嘩だって一度もしたことも無かったくらいだ。
連絡の内容はこうだった。
『良いところに連れてってやる』
曰く、母さんが実家に帰ってからというもの、1日に最低でも1人は女を抱いていないと眠れない程に性欲を持て余していた親父は、とある方法で女を漁っていた。
曰く、それは非合法なお店であり、親父がそれを利用するのも非常にマズイはずなのだが、それを大変お気に召した親父は兄貴にも薦めて紹介した――俺になるのなら色情を知れとの事で、帝王学の一環としてだそうだ――聞いてて反吐が出る。
曰く、兄貴もまた大層お気に入りになったらしく、これは可愛い弟にも是非とも誘ってやらなければバチが当たると思って俺に声を掛けたと。
流石は遺伝、蛙の子は蛙、俺もまた親父の子ということか。親父ほど盛ってはないが、まあまあそこそこ人並みに性欲のあった俺は、その素晴らしい誘いに大変に心惹かれるものがあったが、先立つものが無いと伝えて最初は泣く泣く断りを入れたが、兄貴は心配するなと胸を張り、実は今や家の家計の管理は自身に一任されているようで、支払いなどどうとでもなると言うのだ。
その日、俺は心の底から兄貴を尊敬した。
基本的な流れはこうだ。
まずはその女を紹介してくれる組織が経営している、紹介制兼完全会員制のバーに入店する。
聞けば、こういった店が埼玉や東京にもあるらしく、俺たちが入ったのはそのうちの一つで、『butterfly effect』というバーだった。
そこの店員からその日出勤しているキャストの顔写真が入ったメニューを手渡されるので、そこから好みの女の子を指名する――その女の子たちは、ほとんどが未成年で、歳上でも20代前半と限定されており、且つ、綺麗どころを揃えていてレベルはそんじょそこらの風俗店よりも高いものだった。
その際、店員にどこで待ち合わせするのかの指定をするそうだ――兄貴曰く、この組織を利用する者たちは親父と似たような人種が多くおり、基本的にはホテル等で合流するのが普通だそうだ。
後は先に合流先のホテルで待機して、指名したキャストを待つ。
そして無事に合流できたら、あとはお好きなように、という事だ。
多少緊張しながらも兄貴に連れられ、メニューを見ている際、俺はその子を見つけてしまった。
最初はまさか? だった。
ありえない、とも思った。
何でこんなところにいるんだ……。
他人の空似?
いや、いくら何でも似過ぎている。
俺は確かめる意味を込めてその子を指名した。
兄貴からは『お前、そんな子がタイプなのか?』と揶揄われたが、気にしてる余裕もなかった。
ホテルに移動し、兄貴とは別室で分かれ、部屋の中で待機する。
俺は終始自分の予想を否定していた。
違う。
そんな筈はない。
ありえない。
お前の見間違いだ。
彼女がこんなところで働いているなんて事。
だけど。
だけども……。
もし、
もしも。
本当に彼女だったら?
――チャイムが鳴らされる。
来た…………。
俺は拙い足取りでドアに向かう。
そしてドアの前に立ち、呼吸を整える。
そうだ。
彼女がこんなところで働くなんて。
見間違えだったんだ。
ありえないはずだ。
違うに決まってる。
意を決してドアを開けると――
『――『レイ』です。どうぞよろし――嘘……』
仙導レナが普段とは全く違う格好で、俺の前に立っていた。
彼女は責任感が強かった。
最初は驚いていたものの、すぐに『仕事は仕事だから』と振り切って『アタシを抱きたいか?』と問われた。
どうしようかとも思ったが、一目惚れした弱みと、正直言って溜まっていた性欲に押し負けて俺はそのまま彼女を抱いた。
しばらくして行為が終わり、俺はピロートーク代わりに『どうしてこんな事を?』と尋ねた。
そうして話を聞けば、彼女の人生はかなり過酷だと言える。
両親との絶望的な不仲な関係。
地獄のような家を抜け出したのは良いものの、本屋だけでの収入ではやっていけず、その際にここの組織にスカウトされたそうだ。
それ以来、昼は本屋の店員で、夜はこうして娼婦として働いているのだと
彼女の身の上話をベッドの上で聞いて、俺は真っ先にこう思った。
この人は俺だ。
俺と同じ人間なんだ。
家族に愛されない境遇の持ち主。
俺と同じ可哀想な人間。
同情を感じるとは、こういうことを言うのだろう。
俺が助けてあげなくては。
その後、俺は兄貴に必死に頼み込んで、兄貴からの紹介という事で会員メンバーとなった。
パチンコを辞め、酒を断ち、兄貴から横流ししてもらった金と自身で働いて手に入れた収入のほとんどを使って、可能な限り彼女を指名した。
抱いた後は彼女の日頃の愚痴などを聞いてあげて、慰めてあげるわけだ。
一方で、本屋では彼女のことを気遣って、周囲に怪しまれないように極力接触しないようにしてあげた。
そんな生活の中で俺は優越感に浸り、自尊心が満たされていた。
彼女の誰も知らないであろう一面を唯一知っているのはこの世界で俺だけなのだと。
彼女を救えるのは俺だけなのだと。
そう思い込んでいた。
その組織には会員特典の一つに、『専属』という制度がある。
同じキャストを指名し続けて、一定の額を納めていると、お気に入りの嬢として独占して囲うことができる、というモノだ。
俺が全てを注いで通い詰めていたのは、その制度を利用するためであった。
彼女は俺の物だ。
俺だけが彼女を癒してやれるのだ。
それは俺にとって『運命の日』。
4月4日の木曜。
遅番の仕事が終わり、そのまま直接店に出向き、遂に『専属』を利用しようとしていたその日だった。
『困りますにゃあ〜。お客さま。あーしへの直接連絡はルール違反ですにょ? お話ならお店を通してもらわにゃいと……』
大体、どこであーしの電話番号を知ったんだか……と、嗜めようとしてくる女の話を俺は遮る。
『うるさい! 兄貴に頼んで調べてもらっただけだ!』
『それ自体が十分にペナルティ案件なんですがそれは……』
『俺の親父はこの街の市長だぞ? お前らへの貢献度は高いはずだ。ゴタゴタ抜かすな!!』
『……』
『それより、レナさ……じゃなくて、レイが『専属』できないと言われた。どういう事だよ?』
『ですから、店員にも言われたはずですよ。そういったご説明はできないと……』
『それで納得できるわけがないだろう!』
『そう申されましてもにゃあ……』
『大体、もしも他の会員に『専属』が先に利用されていた場合は事前に説明が入るはずだろう? 何でここに来て『何も言えないが、専属は利用できない』になるんだよ!?』
『そりゃあーた、そんなの一つしか無いでしょう?』
『……どういう意味だ……?』
『だーかーらー』
心底面倒臭そうに女は告げる。
『レイは今日付で辞めるので、『専属』は利用できないんですにょ』
当然わかるでしょう? とか何とかのたまう女。
『………………ハァ?』
俺はそれを聞いて呆然とした。
辞める?
彼女が?
どうして?
そういえば、今日はレナさんの本屋での様子が少しおかしかった気がするのを思い出す。
どこか取り繕っていても上の空というか、仕事に珍しく集中できていなかったような……。
いや、それよりもだ。
『……何、で……?』
『そりゃあーた、こんな仕事永遠に続けるわけにはいかないでしょうに。辞めたいって言うなら、辞めさせてあげるのが人情ってヤツですにゃあ。ウチはそこんとこしっかりさせてますんで』
『…………お、俺は聞いてないぞ?』
『ンなもん知らんがな』
必死に絞り出した言葉を一蹴される。
何で……。
何で俺に何も言わないんだ?
俺はあんなに彼女を助けてあげたのに。
話を聞いてあげてたのに……。
彼女と直接会って話したいが、連絡先も知らない上に昼は不干渉。夜だけの関係が災いして、何もできない。
こうなると明後日の土曜が彼女が早番で出勤しているはずだから、その時に問い詰めるしか無いが、しかし急にこちらから迫ったら……。
『レイに会いたいですか?』
黙り込んでいた俺を見兼ねたのか、今度は向こうから急に話を持ち掛けてきた。
『……会えるのか?』
『実は今日この後、彼女と面談するんですにょ。あーしとの話が終わった後で良ければですが……』
『………………』
『どうします?』
無論、断る理由が無かった。
場所と時刻を聞いて、俺はその公園に向かった。
そこに着くと、ちょうど彼女たちがまだ話し合っていたところだったのを見かけて、陰からその話に耳を傾ける。
レナさんから語られた数々の話は、俺を心底驚かせた。
彼女の路上ライブという趣味。
そこで出会った友だちと知り合いたちの話。
とある芸能事務所へのスカウト。
本当は歌手になるのが夢だった事。
全部が初耳だった。
どれもが誰よりも数多く夜を過ごした俺に話した事が無い内容だった。
彼女の事を知っているはずの俺が知らない彼女の一面。
訳が分からない……。
しばらくして、彼女たちの話が終わり、レナさんだけが公園に残っていた。
こうしてはいられない。
俺は彼女の前に飛び出す。
『えっ? ……何で君がここに……?』
『どういう事っすか? レナさん?』
彼女の疑問に答えず、俺は一方的に話し掛ける。
『辞めるって……』
『……うん……』
『どうして……どうして、この前会った時に言ってくれないんすか?』
『どうしてって……』
『俺とレナさんの仲じゃないっすか……』
『ちょっと待って、急に何なの? 怖いんだけど……』
『アンタは!!』
俺の突然の怒声に、彼女は驚き黙る。
『俺と! 俺と同じだろうが!!』
『俺が!! 俺に救われるんだろうが!!!!』
勝手に自分で助かろうなんて、救われるなんてありえない。
怒り。
恐れ。
絶望。
色々な負の感情が噴出し、俺はいつの日か親父にブッ刺してやろうと思い、常日頃から隠し持っていた折り畳み式ナイフを取り出して突き出す。
それを見て彼女の表情は恐怖で歪み、
『嫌っ!!』
と、その場から逃げ出そうとする。
よほど取り乱していたのか、彼女は所持していたスマホやら財布やらを投げつけるが、俺は当たっても構わず追い掛ける。
殺す気は無かった。
ちょっと脅かして、辞めさせるのを思いとどまらせようとしたかっただけだ。
俺の気持ちに気づいて欲しかっただけだ。
そうしてくれたらナイフを仕舞おうと思っていた。
だけど、
彼女はトラックに轢かれた。
俺の目の前で。
『あ……えっ? ……えっ……?』
俺と彼女の間に少し距離が空いていたのもあり、慌てて降りてきたトラックの運転手は俺の存在に気付いていなかった。
運転手が誰かに電話をしだして、周囲を見回そうとしたところで俺は慌ててその場から逃げ出した――念の為、レナさんの所持品を全て回収してから全力で走った。
その後はあまりよく覚えていない。
気付けばアパートに戻っていて、そのまま布団にくるまって怯え震えていた。
その日は一睡もできなかった。
全部、夢だと思った。
悪い夢だと。
そう思い込んでしまいたかった。
でもレナさんのスマホと財布は俺がしっかりと握りしめており、これが現実である事を嫌というほど認識させられた。
ほぼ1日分の時間が経過して、4月6日の土曜となり、俺はふと今日はレナさんが早番で出勤しているはずだったが、どうなったんだろうと思った。
何を言ってるんだと思う。
支離滅裂。
とうとう頭がイカれたかと思った。
いや、イカれたのだろう。
もはやその時、正常な判断が下せないほどに気が狂っていたのだ。
俺はフラフラと本屋に向かい、何気ない風を装って店に入る。
案の定、レナさんが出勤しているわけもなく、店内は混乱していた。
ドタバタとしていたパートのおばちゃんが俺を見かけ、何でここにいると問われる。
俺は咄嗟に自分の次のシフトの時間をド忘れしてしまって、たまたま通りがかったから、確認しにきただけだと誤魔化す。
俺はできるだけ平然に、何かあったんすか? と聞くと、レナさんが無断欠勤して店が大変なんだと言われた。
………………。
ここでようやく正気に戻った。
これは現実であり、夢ではないのだと。
そしてまさか、代わりに出勤してくれと頼まれるとは思わなかった……。
そこから俺がやったのは、まずは回収したレナさんの所持品の始末だった。
スマホを壊し、とはいえ捨てるわけにもいかず。
財布と一緒に押し入れの奥にしまった。
そこから数日間は、周囲に気取られないようにできるだけ平然を装って過ごした。
最初は警察が家や店に来るんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、そんなことはなかった――身分証関係は俺が全て回収していたのだから、もしかしたら捜査自体が難航しているのかもとそのうち納得した。
店の連中にさり気なくレナさんの話を振ってみたが、誰もその後がどうなったのかは知らないらしいし、何より店側は単に無断欠勤をしているだけだろうと結論付けたようだ。
そんな中で兄貴からまた唐突に連絡が来て、例の店が潰れたらしいから、今後は利用できないと言われた――事故とはいえ、店の元キャストを傷つけたのだから、何かイチャモンを付けられるかもとそちらの方も怯えていたのだが、そちらの心配をする必要はなさそうだろう。
俺にとって都合がいい状況になってきて、ようやく心の底から安心していたところだった。
レナさんの友だちとか言う少女たちが俺に声を掛けるまでは……。
妙な連中だった。
少女はともかく、外国人っぽい見た目の青年の男と幼女が異様に目を引いた――それでいて日本語をペラペラと話すのだから、どうにも対応するのがギクシャクしてしまった。
話を聞くと、自分たちはレナさんの友だちであり、彼女と急に連絡が取れなくなり、家にも帰っていないとのことで、とても心配になりこうして探しているらしい。
その一環で、彼女の職場であるここに同僚である俺たちの話を聞きに来たそうだ。
変に断ると怪しまれると思った俺は、快くそれに応じて喫茶店で話を応じることにした。
とはいえ、ボロを出すわけにはいかなかったので、正直に話せるところは全て話して、変な事を聞かれないように意識を集中する。
そうして最後の質問、『何か彼女に対するトラブルだったり、失踪するような心当たりがありますか?』と聞かれた際には、できるだけ怪しまれないように『知らない』と答える。
最初は平然と答えたつもりだったが、しかし男の鋭い眼光にビビってしまい、思わず組織の女と会う約束をしていたようなものを聞いたと、咄嗟に嘘を吐いてしまった――幸運にも男たちがそっちに喰らい付いていたので、その時は正直言って助かったと思った。
そこから先はしばらく平和だったと言える。
相変わらず警察の人間がウチに来ることはなかったし、店も最初は一部の人間たちがレナさんを心配するような事を言っていたが、それも日々の仕事の中で忙殺され、誰も彼女のことを話題にすることも無くなった。
そうしてようやく久しぶりの平穏を取り戻した俺は、もうキッパリと彼女のことは忘れて、心機一転、新たに生まれ変わった俺として人生を生きて行こうと決意した。
そうだ。
あれは全て悪い夢。
悪夢だったのだ。
手痛い失恋を味わったと思おう。
これもまたいつかは苦い青春の1ページとして俺の記憶の中で刻み込んでおこう! と。
そこから俺は学業に真面目に取り組み、バイトに精を出し、新たな女性との運命の出会いを期待して積極的に学内や学外でコミュニケーションを取るように努力していったのである。
そんなNew俺として、これからの人生を満喫するために頑張って日々を謳歌しようとしていたある日――今日の事だ。
それは妙な連中からレナさんの話を聞かれたちょうど2週間くらい後、4月26日の金曜日である。
俺はこの日、同じ大学の経済学部で一緒に学ぶ友だちたちと一緒に飲み会をしていた。
前までなら、レナさんに収入のほとんどを使っていたせいで断っていたのだが、今はもう違う。
そっちにお金を使う必要も無くなったし、酒もパチンコもやめたから今の俺には余裕があったので、心良く快諾したわけだ。
色々と心労が吹っ切れたのもあり、終電が無くなり深夜の真っ最中まで飲み続けたのち、酒の弱い友だちが1人ダウンしたので、そこでお開きとなった。
各々好き勝手に解散という流れとなり、俺は1人でゆらゆら最高の気分になりながら帰路につく。
拙いステップを踏み、陽気に鼻歌なんか歌いながら歩いていたところで――
『――っとと……』
そこの道路の街灯の明かりが頼りないのもあったのか、そもそも泥酔していてあまり前が見えていなかった事もあったのか、目の前に立っていた人にぶつかってしまった。
『あっ、サーセン……』
一言謝り、避けようとしたが、ぶつかった人物は避けた俺の前に出てきて進路を塞いできた。
どういうつもりだ? と思いながら、その人物の顔を見ようと顔を上げると……。
顔に傷のある男が、仏頂面で俺を睨んでいた。
『………………えっ?』
なんだ? と思うのも束の間、俺は背後から別の人物に黒い布? みたいな物を頭から被せられ、首元に何かを押し当てられて、バチッ!! という音と同時に痛みが走ったと思ったら、そこで意識が途切れた。
次に意識が目覚めると、真っ暗な空間にいた。
「……あれ? えっ……?」
どうやらまだ布を被せられたままだったらしい。
何も見えない……。
えっ。
えっ?
どういう事だ?
その時点で酔いはすでに醒めていた。
冷静になり、今の状況に混乱しそうになったところで、顔を覆っていた布を取られた。
「うぇええっ!? えっ!?」
急にそんな事をやられたから驚きの声を上げると、意外に声が響く――室内? ではあるようだが、どうやら広い空間のようだ。
布を取られても、相変わらずその景色は暗いまま、ほとんど視界が効かない状態である。
そこで初めて自分がパイプ椅子っぽい物に座らせられ、後ろ手に縄で縛られて拘束されていることにも気づく。
な、なんだ……?
……なんなんだ一体?
訳がわからない。
どうして自分がこんなところにいるのか、こんな目に遭っているのか。
「だ、誰か! 誰かいないかーーー!?」
恐怖で思わず叫んだところで、明かりが点いた。
急な照明の光に目が眩まされる。
「!! ……うぅ……!」
下を向き、照明の光に目を慣らし、ようやく慣れてきたところで顔を上げる。
どうもここは工場か倉庫、みたいなところらしい。
てっきり室内の全てに灯りがついたのかと思ったが、あくまで俺がいるところだけにしか明かりが無く、ここ以外は全て暗闇のままだった。
「…………?」
辺りを必死に見回してみたが、全然見覚えのない場所だ…………。
「何処なんだよココ……?」
そう呟いた瞬間、前方から足音が聞こえる。
「!! だっ、誰だ!?」
前の方に向かって声を掛けるが返事は無い。
しかし、ゆっくりと足音が近づいて来る。
「……おい、誰なんだよ……?」
あまりに怖くなって仕方がなかったので、恐る恐る話し掛けてみても、それでも返事は無かった。
「………………」
足音はさらに近くなり、そして俺を照らす照明の円の範囲の縁から足元がまず出てきて、そしてゆっくりと全体が入ってきた。
俺はその人物の顔を見て驚く。
「どうも……笹森芝次さん……」
確かコイツは2週間前、レナさんの行方を探していると言って俺に声を掛けた妙な連中の1人。
ハーフなのか、外人っぽい見た目の金髪の男。
確か名前が――
「――王城ロイドです。俺のこと覚えてますか? 2週間くらい前に喫茶店でアンタからお話を伺って以来ですよね?」
そうだ。
確かそんな名前だった。
王城ロイド……。
「まさか、ウチの街の笹森市長の御子息様だったとは……。知らなかったとはいえ、一応以前の失礼な態度と言動をお詫びします。まあでも堪忍して下さいよ? こちとらまだ年端も行かないガキで、学のない下々の者ですから……」
……でもコイツが何で?
訳が分からず何も言えないでいる俺を完全に無視して、王城という男は話を続ける。
「……あぁそうだ、そろそろ本題に入らないと……。本当はこんな機会なんて滅多に無いでしょう? だから推理ドラマみたいにじっくりと格好付けてやるのが夢だったんですが、この後のスケジュールもあって巻きでやれって言われてるんで、流れというかお約束というか……お決まりもクソも無いんですが……」
軽薄そうに笑みを浮かべながら話していたはずの男。
その微笑が少しずつ変わっていく。
まるでゴミや排泄物、吐瀉物を見るような、いや、そんな目じゃない。
とても同じ人間を見るような目じゃ無い。
無。
虚無の表情。
そしてそんな表情から、
「……お前だろ? 仙導レナをあんな目に遭わせたのは……?」
男はゆっくりと俺に告げた。
45
獅子門に電話をしてから、数十分後。
國塚が事務所にやって来て、『準備ができた。来い』と、仏頂面で言ってきた。
彼の車に乗り、案内されたのはつい先日俺が拉致された場所の廃工場に到着した。
そのまま中に入ると、すでに全ての準備が完了してお膳立てがされていたようだ
『だ、誰か! 誰かいないかーーー!?』
俺とは少し離れた位置にいる目的の人物がタイミング良く目を覚ましたらしい。
その大声を合図に点灯された照明の真下には、その人物――笹森芝次が俺とほぼ同じ状況のように椅子に縛られていた。
笹森芝次は、恐怖と困惑した表情で周囲を必死に見回しているが、暗闇の中にいるこちらは見えていないようだ。
『そろそろ丑三つ時も過ぎる』
いつの間にか俺の背後に控えていた獅子門。
向こうに悟られないように小声で話してくれてるようだが、それは流石にビビるわボケッ!
『悪いがあまり時間が無い……できれば急ぎで済ませてくれよ……?』
『……わぁってるよ……』
俺は短く一呼吸し、ゆっくりと歩き出した。
『!! だっ、誰だ!?』
思ったより足音が響くようだ――その音に気付いた芝次がこちらの方に視線を向ける。
俺はできるだけコイツに恐怖を与えたかったから何も言わずに近づく。
『……おい、誰なんだよ……?』
怖過ぎて仕方ないってツラだ……。
いい気味だぜ。
俺は一定の速度を保ちながら歩き続け、ついに奴の目の前に現れる。
『どうも……笹森芝次さん……』
ようやく人の姿を認めた事で安堵したのも束の間、見知った人物に驚きの表情を浮かべた芝次。
……。
急かされてるし、とりあえずこっちから話し掛けるか……。
『王城ロイドです。俺のこと覚えてますか? 2週間くらい前に喫茶店でアンタからお話を伺って以来ですよね?』
笑みを浮かべ、気楽な感じで話し続ける。
『まさか、ウチの街の笹森市長の御子息様だったとは……。知らなかったとはいえ、一応以前の失礼な態度と言動をお詫びします。まあでも堪忍して下さいよ? こちとらまだ年端も行かないガキで、学のない下々の者ですから……』
恐怖。
困惑。
混乱。
俺の事は分かっちゃいるが、色々とあり過ぎて脳がパンクしてるようだ。
まあそっちの方が都合が良くて助かる。
『……あぁそうだ、そろそろ本題に入らないと……。本当はこんな機会なんて滅多に無いでしょう? だから推理ドラマみたいにじっくりと格好付けてやるのが夢だったんですが、この後のスケジュールもあって巻きでやれって言われてるんで、流れというかお約束というか……お決まりもクソも無いんですが……』
これまでは軽快に話していたが、それを徐々にやめていく。
これだけは言いたかった。
これだけは言ってやりたかった。
最初に聞かせたかったことはもう決まっていた。
『……お前だろ? 仙導レナをあんな目に遭わせたのは……?』
俺はこのクソ野郎に罪を告げる。
最期の審判が始まった。
46
「……あっ……えっ……はっ……?」
クソ野郎の反応は鈍く、まだ脳の処理がうまくいってないらしい。
まあだからって話を止めるつもりもないが……。
「思えばこの2週間、アンタ含めて色々な連中に仙導さんの話を聞いてたんだがな……」
「……よくよく思い返してみるとさ。アンタとチョミだけ言い方が違ったんだよ……」
「俺はこれまで全員に、ある質問を最後にしたんだ。何だと思う?」
「俺の聞き方にちょっとした違いはあるが、基本的にはこう聞いたんだ。『仙導レナの行方不明に関して、何か心当たりとかトラブルとか覚えはありますか?』ってな。大体はこう答えた。『分からない』ってな」
「だけどな……アンタとビッチは違ったんだ……。『知らない』って答えたんだ」
「何のことやらって思うだろ? 何の話だって思うだろ? ……そりゃそうさ。答え方は違えど、意味はほぼ一緒だからな。……でも……俺はそれが気になった……」
「気になってはいたが、これまでは特に気にしなかったんだ」
「笹森芝行市長の名前を知って、顧客リストを調べるまでは……」
「アンタの名前も入ってたよ」
「スゲーな。ほぼ固定の常連客。仙導さんしか指名してないじゃねえか」
「あ、そこが悪いわけじゃねえぞ? 俺も男だし、そっちに関しては否定しないから安心しろ。……まあとにかく続けるけど、非合法とはいえここの組織は結構運営がガチっぽくてさ。危なげなヤツはブラックリスト化されてたんだが、そっちにアンタの名前は載ってなかった。節度は持って遊んでたんだな?」
「……まあコレは言えないわな」
「黙ってるのも仕方ないし、疑われるのも嫌だから咄嗟に『仙導さんが誰かと会う約束をしている電話をしていた』とか嘘吐くよな?」
「何で嘘だとバレたかって? ここにアンタを連れてきた連中に事前に調べてもらったんだよ。仙導さんがバイトの休憩時間中に、誰かと通話した記録が無かったからだ」
「まあでもよ? これは理解できるし納得できるよ」
「でもよ………………」
「これだけ材料が揃っちまったら、疑うなってのが無理な話だろ?」
「で、この組織の制度の一つ。『専属』だっけ?」
「その辺りを聞いた時、色々と考えたよ。めちゃくちゃ考え込んで頭から湯気が出るほど考えてよ」
「そのおかげで、ようやく『流れ』が読めた」
「アンタ、仙導レナに惚れてたんだろ?」
「自分のモノにしたかったんだろ?」
「……独占したかった……」
「でもできなかった」
「何たってその日で彼女が組織を辞めるからだ」
「諦めきれないアンタはビッチからその日会うことを聞き出してあの小さな公園で待ち伏せした」
「あんのビッチが……それを知ってたのに黙ってたわけだクソが……!!(超小声)」
「悪い……こっちの話だ……」
「とにかく、どういう会話をしたんだか知らないが、アンタは仙導さんが自分のモノにならないと知って脅したんだろ?」
「追い詰めて追い詰めて、そしてアンタは走ってる車に突き飛ばして――」
「――ちょ、ちょっと待ってくれよ!!」
ここに来てようやく理解が追いついてきたのか、クソ野郎がようやく口を開いた。
「お、俺は確かに嘘を吐いたけど……でも……でも、彼女とは合意だったし……いやそもそも……〜〜」
何から言えばいいのかってツラで、モゴモゴと混乱しながらも口を開く。
「あんな目に遭わせたって何だよ!?」
「……しらばっくれんなや……」
「知るか!!」
「お前が突き飛ばしたんだろ!!!!」
「トラックに突き飛ばしてねーよ!!!!!!」
「………………」
あぁ、言いやがった。
こういうヤツは、とにかく厳しく問い詰めたら余計な事を口走るタイプだと思ってたが、こうも引っ掛かってくれるとは思わなかった。
俺はクソ野郎の胸ぐらを掴む。
「お前今何つった?」
「…………ハァッ…………?」
「『トラックに突き飛ばしてねーよ』?」
「……だからなん――」
「――俺は一言もトラックって言ってねえだろうがよ…………!!」
「……ッ!!」
クソ野郎の顔がみるみる青ざめていく。
もうどんな言い訳もできない事を自覚したのか、ゆっくりと脱力してこうべを垂れる。
そしてポツポツと呟き出した。
耳を澄まして聞いてみると、自分の半生というか、なんかこれまでの心情やらを自動的に語り出した。
その内容は実に聞くに堪えないモノだったと断言できる。
これ以上コイツの独白を聞いているのが嫌だった。
耳が腐るってのはこういうことを言うんだと思った。
この人は俺だ?
俺が助けてあげなきゃ?
俺に救われるべき?
悪い夢?
手痛い失恋?
何がNew俺だよボケが……。
コイツは、このクソ野郎は自分勝手の自己中野郎。
どうしようもないクズ。
……もういい……。
自白もさせたし、さっさと次に行こう。
俺はコイツに背を向けて、照明の範囲から消える。
「〜〜〜〜…………?」
急に離れ出した俺に視線を向けるゴミ。
意識がこっちに向いたのを確認して、俺は口を開く。
「お前……ハンムラビ法典って知ってるか……?」
「…………へっ?」
突然の話題変更に全く分からないってツラだ。
「ウル・ナンム法典、リピト・イシュタル法典、エシュヌンナ法典に次いで、完全な形で残っている世界で4番目に古い法典なんだってよ!」
少しずつ距離が離れていくため、できるだけ声を張りながらちゃんとクソ野郎の耳に入るように話を続ける。
「ようは昔の法律……正確には法律ほどでは無いらしいが、まあそんなのがあってよ……!! その中の内容の一つに、罪刑法定主義の起源とされているのが記されていて、同害報復……タリオと呼ばれる規定があってな!! 俺はその文句が好きなんだ!!」
「………………??」
届いてるかはわからない。
だが構わねえ、聞かせたいわけじゃないし、どうでもいい。
「日本語じゃこう言うらしい!!!!」
向こうは暗闇で見えてないし、俺は距離ができてしまって良くは見えないが、構わずにクソ野郎の目っぽいところを見てウインクする。
「『目には目を、歯には歯を』!!!!!!」
そう言って俺はそれに乗り込む。
助手席には國塚が待機しており、俺は隣で指示を受けながらエンジンを掛ける。
凄まじい轟音。
振動が内部を震えさせる。
エンジンを盛大に噴かし、工場内を響かせる。
そして俺はライトを点灯する。
そこに来てようやくコチラの意図に気付いたクソ野郎は何か叫んでるようだ。
残念ながらその叫びは聞こえない。
慌てて逃げようにも、椅子に縛られ固定されてるからどうにもできない。
しきりに大声で叫んでいる。
「……聞こえねえよバーカ……」
俺は乗り込んだトラックのアクセルをベタ踏みした。
急発進し、一気にクソ野郎との距離を詰める。
仙導レナが轢かれた事故当時の速度を維持しながら真っ直ぐ向かっていく。
近づくにつれヤツの表情が見えてくる。
涙と叫びで顔中がぐちゃぐちゃになっていた。
俺はできるだけヤツの最期の脳裏に焼き付けたかったので、満面の笑みで応えてやった。
この日、俺は初めて運転して人を初めて轢いた。
無免許だったのが幸いだった。
47
エンジンを切り、トラックから降りる。
それと同時に工場内の全ての照明が点灯された。
ほぼ同時に車から降りていた國塚がクソ野郎の方に近付いていく。
「どうだ?」
いつの間にか俺の後ろにいた獅子門が声を掛ける。
……それやめろや……。
「生きてます」
國塚の言葉に獅子門は頷くと、
「そうか。連れて行け」
と言った。
「ハイ……おい……」
そう返事をして、國塚は他に連れてきていた部下たちに適当に指示を出して、テキパキと手早く手短に芝次自身を轢いたトラックに載せていき、そのまま運び出そうとしていた。
いつの間にか俺の右隣に移動し、獅子門は声を掛ける。
「おめでとう……人殺しにはならなかったようだね……」
何とも嬉しいんだか、それとも嬉しくないんだかわからない褒め言葉だったが、
「俺は人なんて殺してねえよ。ただのゴミ掃除だろうが……」
と、答えておく。
俺の言葉が強がりだと思ったのか、獅子門は微笑を浮かべ、こちらを横目に見ながら言う。
「……その一線は自分で越えるようなもんじゃないよ……」
「それも『経験則に基づく真理』ってやつか?」
「…………」
減らず口がとか、フフフッと鼻で笑われるかと思ったら、無言で返されたんだけど……。
なんか言えや。
分かんなあ。
気付けば俺と獅子門以外は誰もおらず、2人だけになる。
………………。
ダメだ、別の話題を振ろう。
「それで?」
「……ん?」
「アイツはどうなる?」
もうこの場にいない芝次の話をする。
「……安心しなよ。治療が完了して完治したのち、君のご希望通り、『この先一生、陽の光を見る事なく永遠に生き地獄を味わわせる』ところに連れて行くからさ……」
そう言って獅子門は、さっきまでの気まずさなんて無かったみたいに、ただ貼り付けたような笑みを浮かべる。
「……参考までに、どこに連れてくのか教えてもらってもいいか……?」
「気になるかい?」
「……まあ一応……」
「東南アジアのとある富豪とコネがあってね。その人がちょっと特殊な癖があって、何でもあんな感じのクソ男のケツを色々と掘り掘りヤッて啼かせてやるのが大好きなんだってさ。ヤラレた奴は全員最後には『殺してくれ』って懇願するんだけど、むしろその言葉を聞いて絶頂するような人らしい。いつだったか自殺しようと失敗した奴を『罰ゲーム』って言って、そいつのアナ――」
「――OKわかったありがとう! もうその話はいいや……」
「……ここからだよ?」
「朝飯が食えなくなりそうだから遠慮します……」
聞くんじゃなかった……。
まさしく、苦虫を噛み潰したような顔をする俺。
「まあとにかく、コレで君との『取引』は完了した事になるかな?」
そんな俺を尻目に、獅子門は改めて確認を取るように訊いてきた。
「………………」
そう。
事務所にて俺が獅子門に電話をした際、報告と共にある『取引』を持ち掛けた。
その取引の内容は、『仙導レナに対して殺人未遂を行った笹森芝次の罪をネタに、父親である笹森芝行に脅しでも何でもいいから金をできるだけぶんどれ』といったものだった。
そしてその獲得するであろう莫大な利益の半分を元手に、俺は3つの条件を出した。
1つ、このクソ野郎に俺なりのケジメをつけさせた後で、もしも死んだら死体の後始末。生きてたら『この先一生、陽の光を見る事なく永遠に生き地獄を味わわせる』こと。
2つ、今回の一件で被害を被った仙導レナに対して一定の補償をすること。
3つ、これらの取引と前2つの条件を成立させるための事前準備として、笹森芝次を俺の時のように拉致してこの廃工場に連れて来てお膳立てをすること。
最初は俺の説明に理解を示していたが、とはいえ納得はいってなかったようで、
《『我々にリスクがあり過ぎる……』》
《『そこまでやってやるメリットが無いね……』》
と、拒否されようとしていた。
無理もない話だ。
何たってその時は物的証拠があるわけじゃないなく、あくまでもこれまでに集めた情報を分析して、状況証拠にも満たないような不確かな複数の事実を俺の頭の中で辿り着かせた推理の帰結だ。
早とちりに攫ってきて、全然違いましたごめんなさいで許されるわけがない。
だが俺には自信があった。
これが真実。
これが真相だ。
だから伝えた。
万が一にも間違っていたら、俺自身の身柄でもってそちらの損失分の補填を行うと。
要は、俺が藤丸組の使い走りをするというわけだ。
今の時代、本来ならヤクザなんて警察の監視や暴対法で自由が利かなくなって動きづらいだろう。
成り手も少ないとも聞く。話した感じ俺のことを少しは買ってくれてるようだし、俺自体に価値があるならそこに賭けるしかない……。
《『……本当にやるのかい?』
「あぁ……」
『言っておくけど、この世界じゃ吐いた言葉は取り消せない。……もう戻れないよ?』
「どんと来いだ……」
『……』》
《『良いだろう』》
こうして悪魔との取引が成立した。
そうして博打の結果は、俺の大勝ちだったわけだ。
だが、獅子門の言葉にはまだ同意できなかった。
「いやまだだろ? 仙導レナに対する補償はどうする?」
まだ2つ目の条件が満たされていない。
これで終わりだとは言わせない……。
「そこなんだけどね……」
わざとらしく言いづらそうなツラをして、獅子門は続ける。
「これから市長とは本格的な話し合いになるんだけど……どう採算を見積もっても……う〜ん……その子に対する補償の分は届かなそうだ……」
「オイ……話が違うぞ?」
俺は思わず詰め寄る。
「おいおい怒るなよ。むしろここまでお膳立てしてやって後始末も付けてやったんだ。お釣りが欲しいくらいだぞ?」
対して細い目が更に細まる獅子門。
…………。
「まぁあれだ……コレで充分だろう……? 君なりのケジメは着いたし、ケツも拭いてやったんだ。これ以上は高望みし過ぎだぞ? あまり騒ぐなら君も処理しなくちゃならなくなるよ?」
先ほどの笑みから一転、冷たい表情をする。
その辺のゴミを見るような眼だ。
コイツ……一人勝ちするつもりか……。
「…………ふざけんじゃねぇぞ…………」
「じゃあどうする? 芝次の身柄は我々が預かってる。ここから君が何をしても意味は無い。……それとも駄々でも捏ねるかな?」
「………………」
忘れてた。
コイツらは汚い大人たちの一角。
この国の悪党としちゃ最上級に位置する存在だ。
信頼も信用もしちゃならない。
クソッタレ…………。
こっちが何も言わなくなったのをもう諦めたと観たのか、獅子門は俺を一瞥してその場を離れようと歩き出す。
…………――…………。
だがその一方で確信した。
向こうが数歩ほど歩いたところで、
「なあ」
彼女の後ろ姿に俺は声を掛ける。
獅子門はゆっくりと振り返り、コチラを見つめる。
「一つ訊いても?」
「……どうぞ……」
俺は一歩進む。
「アンタ……俺をだしに使ったな……?」
「…………」
無言で無表情だったが、ほんの少しだけ眉がピクリと動いた気がした。
それが動かぬ証拠だ。
「誘導したろ? こういう風になるように……こういう結末になるように俺を動かした……大した物書きだ……」
「何を言ってるのかな? ひょっとして、何もできない無力感から悔しくて変な妄想に囚われ――」
「――俺をここに拉致した日」
「……」
「テレビ観てたな? ニュース番組だか何だかの市長のインタビュー映像」
「…………」
「なんで俺が目覚めるタイミングで観てた? 俺の頭に印象付けたかったか?」
「………………」
「BBに関する情報を渡したのは何故だ? 普通は有り得ねえだろ。こっちはただの素人でガキだぜ?」
「……………………」
「そういやひとつ思い出した。仙導レナの家族が急に捜索願を届けたのも引っ掛かってた。アンタらが裏で手を回したんだろ? 俺に現状を把握させる為に」
俺はもう一歩進む。
「ヤクザの用語で『画を描く』って言うらしいな? こういう策略とか陰謀とか計画のことを……まだ長くなるがいいか……?」
「……続けてくれ」
「よし、流れはこうだ。アンタはBBを潰した後。手に入れた顧客リストを使って、会員メンバーから恐喝をしようとしたが、それは上手くいかなかった。当たり前だよな? この街がせいぜいの弱小ヤクザがそんな大仕事を出来るわけがねえ。出来たのがせいぜいリストを盾に『返し』をさせないくらいだった。本来なら金のなる木、金の卵を産むガチョウのはずが、無用の長物となりかかっていたところで、俺らが現れた」
「……」
「BBの残党と揉めた俺たちの存在を知って、その裏で色々と調べた。俺と叔父の関係や、俺の水無月璃子も調べ上げて仙導レナに繋げ、最終的に笹森芝次に辿り着いた。そうさ、アンタは事前に全ての真実に気付いていた。そしてこう思ったはずだ。俺は使えるってな。良い『看板』が見つかったと……」
「…………」
「俺を今回の舞台の主役に抜擢したわけだアンタは。その目的のために着々と準備を進めた。まずは仙導レナの家族に捜索願を出させ、少しして俺が事務所に帰ってきたところを拉致してこの廃工場にて接触を果たした。その際に市長を印象付けるための小細工と、肝心の俺らが知り得ないBBの情報を渡すのも忘れずに……。……今思えば……アンタと会ってから続けざまに怒涛の展開で驚いたよ……」
「………………」
「あとは待つだけだ。今回の仙導レナの件の真相に辿り着かせ、俺が全ての決着をつける為にアンタを頼るであろうと確信して、ひたすらに待ち続けた。…………そしてご覧のとおり。こうなった」
俺は更にもう一歩進む。
「笹森市長的には、俺は舞台で輝いて見えたろうな? アンタも箔をつけてくれたんだろ? 『ヤバイヤツがいる』『我々以外に市長の秘密を知った者がいる』『それどころか馬鹿息子がとんでもない事をしでかしたらしい』『俺は今にもその事実を持って、警察やマスコミどころかあらゆる媒体を使って暴露しようとしてる』ってな……」
「……」
「そこで真打登場。アンタの出番だ。『安心しろ。我々が何とかしてやる』『ソイツはこちらで処理しよう』『その代わり次男坊は捨てて、我々に対する厚い支援を……』」
「…………」
「どうだ? こんな筋書きなんだがよ?」
「………………」
ただ黙って微動だにせず見つめてくる獅子門。
俺は最後に一歩進む。
距離はほとんど間近であり、軽く手を伸ばせば触れ合えるほどだ。
「なんか言えや?」
「…………仮に」
そこでようやく相手が口を開く。
「君の今の話が全て本当だったと仮定してだ」
顔を見上げ、細く薄い目が開いて、ここで初めて俺は獅子門の瞳を見る。
吸い込まれそうなほどにドス黒い眼をしてやがる。
「だからどうした?」
なんて平然と言い放った。
「…………」
「それが分かったところでどうする? 今の君に何ができる? どうするって言うんだ?」
畳み掛けてくる獅子門に、俺は目の前でソレ――預かっていたタブレットを見せつける。
「……これが何だ? これ持って警察にでもチクるのか? 無駄だよ、そんな物を持ってる君が疑われるだけだ……」
「いや……他の会員メンバーに会ってくるわ……」
どうにもならないなら、精一杯の抵抗、何もかもを引っ掻き回すしかない。
「……何……?」
貼り付けた微笑でも無表情でも無く、不可解なものを見るような顔つきになった。
反対に俺の表情は満面の笑みで応えてやる。
「今度は俺が箔つけて紹介してやるよ。『藤丸組の若頭さんが近いうちにアンタのところに来て、色々と支援を要求してくるかも』ってな。『笹森市長は散々搾り取られたそうだけど、アンタはどうする?』って、『要求に応じて搾取され続けるか? それとも抵抗するか?』って……」
会員メンバーの顧客リストには優に100人を超えた人数が記録されていた。その中で3人か2人、最悪1人でもいい。俺のこの警告にとびきり良い反応を示すはずだ。
それこそ、コイツらより格上の連中と仲良しこよしな奴もいるかもしれない――いや、いるはずだ。
何たってコイツ自身が言ってたんだ。
《奴らのケツモチに、権力者たちの後ろ盾はもちろんの事、私らより格がデカい同業者らも控えてたし、下手に表立った手出しが出来なくなってた。》
そうなりゃ後はお祭り状態。大変に面白いことが起こるだろうさ。
「……君もタダでは済まないぞ……?」
「上等だよ……アンタも道連れにしてやるからよ……」
そりゃそうだろう……。
何たってこれは『肉を切らせて骨を断つ』。テメーの血も流さないで、コイツらに傷を付けられるとは最初から思っちゃいない。
俺は耳元まで顔を近づけて囁く。
「…………お互い楽に死ねたら良いな…………」
だが確実にコイツらの方が割を食うはずだ。
向こうさん的に脅威的なのはコイツらの方なんだから……。
「……………………」
ゆっくりと元の位置に戻り、相変わらず無表情の獅子門に対してバチバチに睨みを効かせながら、
「yippee-ki-yay……ざまぁみろ……!!」
ドスを利かせた声で凄んで言う。
……。
…………。
………………。
「「……………………」」
互いに沈黙が続く。
「……ふぅ……」
先にそれを破ったのは獅子門だった。
随分と気の抜けた吐息を漏らすと、
「分かった」
と言った。
「何が分かったんだ? どうするんだ? どうしてくれんだ?」
敗北を認めたであろう相手にすかさず今度は俺が畳み掛ける。
獅子門は仰々しく両手を挙げて『降参』のポーズを取りながら言う。
「『今回の一件で被害を被った仙導レナに対して一定の補償をすること』を約束しよう……」
「……本当だな?」
「言ったろ? この世界じゃ吐いた言葉は取り消せないんだよ。必ず履行する事を誓う……」
…………よく言うぜ…………。
もう話は終わりだと、俺は獅子門に向かって無言でシッシッと手を振って追い払う仕草をする。
その態度を見た獅子門はいつもの人を舐めた笑みを浮かべ、ゆっくりと振り返って歩き出す。
「まったく、君ってやつは大した男だよ」
そのままコチラを見向きもせずに、
「ヤクザ相手に『脅し』をするなんざ。末恐ろしい堅気さんだ……」
なんて皮肉なんだか、それとも賛辞なんだか、よく分からない言葉を送られた。
「…………」
俺はただ黙って獅子門が居なくなるのを見届けた。
……。
…………。
………………。
……………………。
そうしてしばらくして、完全に俺1人だけになり、その場にへたり込む。
一度深呼吸する。
精一杯息を吸い、全力で肺の中の全ての酸素を吐き出す。
吐き出しすぎて咽せて、咳をしながらも徐々に呼吸を整えてから、
「…………シンドかったぁ…………!!!!」
隠していた心底の想いを甲高く叫ぶ。
仰向けで四肢を投げ出し、大の字に寝転ぶ。
死ぬかと思った。
下手うって殺されるかと思ったわ。
えっ? 俺まだ生きてるよな?
改めて身体をまさぐり無事を確認する。
生きてるって素晴らしいィイイ……!!
そしてただ茫然と汚い天井を見つめる俺。
しばらくして落ち着き、ポケットからゆっくりとスマホを取り出して、ひよりからのメールを確認する。
用件は一件。
『大丈夫? 我が愛するロイド』
………………。
『終わったよ。朝になったら帰る。愛してるぜマイリトルシスター』
そう返事を書いて返信する。
終わった…………。
ようやくそう実感して、俺は日が昇るまで廃工場で時間を過ごした。
全ての気分が晴れたわけじゃないが、多少はモヤモヤが解消されたのか、その日見た朝陽は、何だか久しぶりに良い光景だった気がする。
そんな気がした。
48
親が嫌いだった。
アタシのすることを全て否定して、親の言う事は全て正しいから全て聞きなさいと平然と言うような、とんでもない毒親? と、言うのだろうか? よく分からないがそういう存在だった。
良い大学に入れと言う。
良い就職先に入れと言う。
良い男性を見つけて結婚しろと言う。
良い子どもを作って良い家庭を築けと言う。
その為にも勉強しろと言われた。
毎日言われた。言われ続けた。
だから勉強してテストで良い点数を取ったけど、褒められたことは無かった。
一度も無かった。
だから疑問に思うのは必然なのだと思う。
この人生が。
この生き方が。
この在り方が正しいのかと考えた。
自身の在り方を見つめていた時に、アタシは『音楽』を知った。『歌』を知った。
そんなに売れたバンドでは無かったが、たった一度だけ何万枚も売れた曲だった。
歌詞の内容は、世界は素晴らしく人生は豊かで楽しくて輝いていて、とにかく何でも良いから派手に生きてみろみたいなことを言っていたような気がする。
調子の良い言葉の羅列。
夢を見過ぎた言葉の羅列。
現実的じゃない言葉の羅列。
でも…………でも…………。
衝撃だった。
圧倒された。
心に響いた。
たまたま数少ない友だちに紹介されたソレはアタシを変えた。
親の強要する『良い人生』よりも、アタシには我武者羅に生きる『その人生』の方が魅力的に思えた。
そこからは親の全てに反抗した。
勉強を辞めた。
親の言う事を聞かなくなった。
とにかく逆らうようにした。
そんでアタシはバンドの影響をモロに受けて、髪を染めてピアスを開けた。
そんな事を続けていたら、両親ともアタシを避けて無関心になった。
少し寂しかったが、スッキリもした。
そこから高校時代は必死にバイトして金を貯めて、卒業する前に家を出ていく事を伝えると、親からは『好きにしろ。だが金輪際コッチにはもう関わるな』とほぼ完全な絶縁宣言をされた。
その頃には、アタシも両親をすでに見限っていた。
そうして八重雲県の空巻市に引っ越した。
ここに住むと決めたのは、もちろん理由がある。
この街の一番デカい『からまき公園』で、一部の人間たちに語られている都市伝説の存在だ。
ここで路上ライブをしていた人が、たまたま音楽系の敏腕プロデューサーの目に留まって、プロデビューをしたとか。
アタシもその噂を信じてやって来た1人だった。
最初のうちは、ほぼ毎日やって来てはギターを掻き鳴らして、自分で製作した歌を披露していた。
立ち止まって聴いてくれるような人はほとんどいなかったが、それが分かっていても楽しくてしょうがないくらいに毎日が充実していたのを覚えている。
その過程で音楽の趣味が合った月島と、その月島をツッキーというアダ名で呼んでいたチョミさんと知り合った。
『仙導レナさん……うん、じゃあ『レナッピ』だね! ヨロピク、レナッピ! ウェ〜イ。空巻に来たばっかりナンショ? じゃあ何か困った事があったら、あーしに相談しな。そこそこ役に立つと思うからサ!』
気さくではあったが、どこか人が読めないところと胡散臭さのある人物だなというが最初の印象だった。
そこからしばらくは、駅ビルの本屋で働きながら、仕事終わりや休みの日に時間がある時は公園に通い、演奏するのが日課だった。
情熱が続いたのは……1年くらいだったか……。
キラキラしていた目で『夢』を見ていたアタシの日常に、少しずつ『現実』が追いついて来た。
最初のうちは、こちらのことを誰も彼も気にする素振りもなかった。とはいえ、まあこんなものか。なんて思っていたが、それだってずっと続けばモチベーションを維持するのは難しい。
こんなに一生懸命に頑張っているのに、相変わらず誰も気にしない、何も報われないのが苛立つし、そんなの当たり前だ、どうしようもないと自覚していても、やはり心はモヤモヤするもので、でもどうにもならないからとよく分からない焦燥感が募るばかりだった。
ほとんど欠かさず毎日来ていた公園にも、数日に一度になり、気付けばひと月に片手で数えられるくらいにしか行かなくなっていった。
そんな感じで、公園での演奏が『本気』から『趣味』みたいになっていったところで、ちょうど空巻に引っ越してから2年目の節目に、2度目の大きな変化が訪れた。
現実を知ったせいか、これまで無意識に無理をしていたであろう身体が、更に教え込ませるように肺炎に罹ってしまった。
しかもタイミング悪く時期的に、アパートの更新料だとか色々と出費が重なってしまい、高校時代に貯めていた貯金が底を尽きかけてしまったのだ。
…………。
あんな親たちに頼るわけにはいかない。
頼れるわけがなかった。
しかし、本屋だけの収入では生活を維持するのも難しい。
散々に迷った末、アタシは正直言って、胡散臭いと不審に思っていたチョミさんに相談した。
『任せて〜! レナッピにちょうど良い『仕事』があるからさ!!』
たぶん、いやアタシは間違いなく馬鹿だ。
もっとよく考えれば、ちゃんと探せばマトモな別収入の仕事だって探せたはずなのに、その時のアタシはこんな『仕事』しか無いんだと思い込んでいたのかもしれない。
それからのアタシは、昼は本屋で働き、夜は裏の仕事で働き、たまに自分の現在の境遇の苛立ちを吐き出すように、公園で八つ当たりみたいな演奏をして感情の鬱憤を晴らすように生活していた。
裏の仕事は、あまり考えないようにした。
考えたくなかったし、考えても仕方ないと思ってたから、だから客の事やその時間で過ごした記憶は奥深くに仕舞い込んで、全力で見ないフリをした。
とはいえ皮肉なことに、本屋だけで働いていた時より、収入が増えて生活が安定するようになると、何故なのか変な余裕ができて、それに慣れている自分がいるのだ――アタシ自身の都合良さに、それはそれで腹が立つが……。
そんな二重(?)生活をしばらく続けていた去年の冬ごろの事だ。
その日のアタシは、何だか満たされていた。
落ち着いていたというか、気分が良いというか、ここに引っ越した当初の純粋な気持ちが急に蘇っていたというか……とにかく、これまで無我夢中に弾いていた時より、怠惰で惰性的に弾いていた時より、八つ当たり気味のヤケクソに弾いていた時より、何だか自分のやりたかった理想としていたような弾き方ができていた気がする。
周りも気にせず、ただ自分が楽しむために、ひたすらに演奏して歌って、終わったところで――
――初めて拍手の音が鳴り響いた。
『す、凄いです! 凄かったです!!』
たった1人の観客である水無月璃子との初めての出会いだった。
最初は戸惑って『ど……どうもッス』みたいな変な返しをしていたような気がする。
『次はいつ来るんですか? もっと聴いてみたいのですが!!』
グイグイ来るので面食らってはいたが、あまりに褒められたので久々に気分が良くなって、数日後にまた来るよと伝えて来たら彼女がまたいた。
しばらくは演奏して、彼女と話して、また後日公園で会う約束をするようになり、少しずつ親しくなっていった。
今でも自分でも信じられないが、親しくなり過ぎてまさか合鍵を渡すとは思わなかったが……。
何というか、璃子とは気が合った。
『おはようございます! レナちゃん!』
『えっ? そんなに自炊されないのですか? じゃあ私に任せてください! 最近はママに料理を習ったりしてるので!』
『…………何で焦げるんです?』
居心地が良かった。
『こんにちはです!』
『今日は一緒にアメドラを観ます!』
『ナニコレ? って、『突貫野郎ジェイソン・タンク』です! 知らない? 凄く格好良いですよ!! コレを観なきゃアメドラは始まらないんですから!』
彼女がそばに居てくれると安心できる自分がいた。
『こんばんは!』
『私……酢豚にパイナップルは邪道だと思うんですよね……』
『……おやすみなさい……レナちゃん……』
………………。
まあ少し変わってる? というか面白い子というか、……うん、確実に言える事はただ一つ。
アタシの日常に璃子がいるのが当たり前になった。
たぶん、この頃が生活も趣味も一番充実していたような気がする。
最初ほどがっついてなくて、前ほど腐りながらやっていなかったから、楽しく過ごしていた感じだ。
そんな感じで毎日ではなかったが、公園に通う頻度がほんのちょっと少しずつ戻るようになって、璃子以外に立ち止まって聴いてくれる人がチラホラ出てくる時になってきたところで、
『少し、宜しいかな?』
変なオッサンと出会った。
話を聞くと、自分は新たに立ち上げた芸能事務所の社長兼プロデューサー兼マネージャーなのだとか、怪しさ全開でアタシも当初は警戒心全開だったが、名前を聞いて調べてみると、確かに実績のある人物だったので度肝を抜かれたのを覚えてる。
何の用だと聞いたら、アタシにその気があるならその腕を磨いて、プロとしてデビューしないかと言われた――……まさか、あの都市伝説がアタシの元に来るとは……本当だったとは思わなかった……。
とはいえ、最初はもちろん信じられなくて、鼻で笑って追い払っていたが、アタシが来るたびに何度も声を掛けてくるので、次第に絆されるのは時間の問題だった。
だがそこまで来ると、裏の仕事の存在がチラつくようになった。
無論、いつまでも続けるようなものでは無いと思ってはいたから、どこかで区切りはつけるべきだと考えはじめていたのも確かだ。
だからこそ、とっくにこの身体が汚れていて、アタシにはそんな夢のような資格が無いといつだったかオッサンに零した事があった。
それを聞いたオッサンは、今度は向こうが鼻で笑って言った。
『資格が無いのならば、これから手に入れればいい。過去など何も問題など無い。これまでに何も無いのならば、これからの未来で資格を有するべきだ。違うかな?』
璃子といい、この変なオッサンといい、これまでのアタシには無い新しい考え方と接するのが増えたような気がする。
だからアタシは決意した。
まずは璃子に金曜に全てを話す約束をして、オッサンにはメールで会う約束をして、そしてチョミさんにもメールをして今夜会う約束をした。
『良いよ〜』
揉めるだろうなと思っていたのに、案外すんなり辞められたことに驚いた。
『止めないのかって? ウチは来るもの拒まず、去るもの追わずのスタイルなのでネ! あっでも、あーしらの事は警察に言っちゃヤーヨ? 流石にそれは困るし〜』
得体の知れないチョミさんは、最後の最後までそれを貫いたままだった。
本当に読めない人だ……。
とにかく良かった。
無事に因果を一つ断ち切る事ができたのだから、さて後は……。
そこから先は記憶が朧げだ。
チョミさんと少し話して……そう話して別れてから……ダメだ、その後がどうしても思い出せない。
そんな不確かな記憶の中でただ唯一、怖かった、というのは憶えている気がする……。
目が覚めたら知らない天井だった。
ゆっくりと目を開けて、機械にでも繋がれているようで、身体全体が動かせないことに気付いて、目をキョロキョロとしていると、看護師らしき人がアタシの顔を覗き込んできて、慌てた様子でどこかへと駆けて行って、そこからしばらくして当直の医師とかいう人が来て事情を簡単に説明してくれた。
アタシはトラックに轢かれてから、こうして目覚めるまでの約ひと月――今日の深夜まで意識が無かったらしい。
…………。
訳が分からない……どうしてそうなった……?
とにかく詳しい話は、明日――もう今日だが、朝に担当の医師が来て詳しい話を聞かせてくれるそうだ。
そう言われて今は休みなさいと言われて、その時に遅れて疲れやら眠気が襲ってきたので、素直にそのまま眠った。
そこから朝が来て、アタシも目覚めて、担当の医師が来て詳しい説明がはじまった。
まずは事故の時の状況説明から、簡単に言うとアタシが急に道路上に飛び出してトラックに真正面から衝突事故してグシャアしたそうだ――医師にはその時前後の記憶が全く憶えていない。思い出せないのだが、これはどうしたらいいかと相談したら、それはおそらくは事故当時の衝撃で受けたものだから、この後ある日突然思い出すかもしれないし、このまま思い出さないかもしれないが、ある種人体の作用のひとつだそうで、そこまで問題では無いらしい。
で、その事故の際なのか、それとも前からなのか、アタシの私物――身分証を提示できるようなものやスマホの類を一切所持していなかったため、しばらくは身元不明者として扱われていたそうだ。
しかし、それも少し前にご家族から警察に捜索願が届け出をされて、調査の結果、アタシだと判明する事が出来たのだとか……。
……。
どういうつもりなんだか……――その後は向こうに詳しい事情を説明したいからこっちに来てくれないかと頼んだら拒否されたというのだから、あの人たちは本当によく分からない……。
…………。
そしてアタシ自身に行われた施術の話題になった。
専門用語が多く、何を言っているのかアタシも馬鹿なのでよく分からなかったが、まあとにかく結論として、アタシの身体は事故当時はかなりボロボロであったが、手術自体は奇跡的に上手くいったようで、意識がこうして無事に目覚めたのであれば、このまましばらくは安静にして検査してちゃんとリハビリもすれば、楽観視はできないが特に酷い後遺症も残らず退院できるかもとのことだそうだ。
………………。
それは朗報でとても良いお知らせではあったが、アタシ的に一番気になっていたのは、その高そうな手術費や入院費などはどうしたらいいか? という現実的な話をすると、医師の代わりにアタシを轢いてしまったトラックの運転手の弁護士だと名乗る人がいつの間にか出てきて、その疑問を答えてくれた。
曰く、今回の事故で発生した全ての費用はこちらで全責任を持って支払ってくれるとのこと。
曰く、更にこの入院中に得られるはずであった本屋での仕事の収入分を賠償し、口座に振り込んでくれるとのこと。
曰く、医師の話では大丈夫だと言われているが、もしも今後の生活で万が一にも後遺症が発生するような事があれば、全力でその補償に当たってくれるとのこと。
……………………。
至れり尽くせり、と言うのだろうか? そこまでやってくれてありがたいはありがたいが、若干の不安というか、怪しさがある――まあここまでの事故を受けたのが初めてなのだし、弁護士さんにこういうものなのですか? と問うてみたら、
『……ハイ、こういうものです……』
と、無愛想な表情で言われてしまった。
……うーむ、この弁護士さん。顔に傷があって怖そうな雰囲気が漏れ出ているのだが、本当に弁護士なのだろうか……?
何だか医師も看護師の人も、この人に対してオドオドしながら接しているのだが……。
………………。
まあ、あれだろう。
見た目に関して、アタシが何か言う権利は無いし、こういう弁護士もいるんだろうと思う事にした。
…………。
色々と小難しい話がようやく終わり、一度その場にいた人たちが全員退室して、アタシは引き続きベッドで安静にしていることになった。
……。
何というか、目覚めてから怒涛の展開過ぎて、正直言って脳みそがその展開に追い付いてないのがハッキリ分かる。
自分の事なのに、自分の事じゃ無いというか、まるで夢でも見ている気分だ。
まあ、身体の痛みというか鈍み? みたいなのは感じられるから現実だと認識してはいるのだが……未だに反応が……どうもボーッとしてしまう……。
…………あっ…………!!
そこでようやく璃子のことを思い出した。
マズイ……。
金曜に話そうと約束していたのに、約1ヶ月も放置してしまったなんて……アタシ自身色々とあったとはいえ……というか医師や弁護士さんにその辺りの周囲というか、周辺の状況をちゃんと聞いておけば良かったと後悔する。
あぁでもアレか、今のアタシは連絡手段が無いからどうしたらいいか……あー、でも璃子の番号は覚えてるから自分のじゃなくてもいいのか……。
というかアレか? この感じだと璃子は何も知らされてないよね? 知らないよねコレ? マズイよマズイ非常にマズイ……。
……璃子……怒ってるかなぁ……。
アタシはその後様子を見に来た看護師の人に恐る恐る声を掛ける。
大切な友人に連絡を取りたいのだが、ご覧のように身体が動かせないこんな状態なので、代わりにお願いしたいのですが……と伝えると……。
『あぁ……水無月さんですかね……?』
合点がいった感じで看護師さんが承諾してくれた。
?
璃子を知ってる?
何故……?
詳しく話を聞くと、その看護師さんは当事者ではないため、あくまでも又聞きだそうだが、アタシが事故ってから2週間後くらいに彼女とその友人だと名乗る人たちが押し掛けて来たんだとか。
基本的に、親族以外は面会謝絶らしく断ってはいたのだが、その女の子だけはそれからも毎日この病院に来てはアタシの様子を聞いてきたらしい。
『必死に探してくれてたんでしょうね……』
『あんなに欠かさず毎日来て、仙導さんの事をだいぶご心配されていたそうですよ』
『あっ! そうでした……。お目覚めになられたらご伝言をお預かりしてるんでした』
『『約束の話、待ってます』だそうです』
『……良いご友人をお持ちですね……』
『では、お目覚めになられた事をお伝えしてきますね』
と言って病室から出て行った。
…………あぁ…………。
素直に嬉しかった。
アタシのことを心配してくれて、探してくれて、目覚めるまで待っててくれたんだ。
嬉しくて涙が出るなんて生まれて初めてだった。
ありがとう。
いや、感謝するだけじゃ到底足りない。
でも、ありがとう……。
………………。
早く璃子に会いたい。
会って璃子と色々と話をしたい。
全て告白して、本当のアタシを知ってもらって……軽蔑されるかもしれないけど……嫌われるかもしれないけど……でも何故だろう。
璃子なら認めてはくれないだろうけど、分かってはくれるかもしれない。
これで終わりなんて事にはならない気がするのだ。
いつものように、笑い合える日常が戻ってきてくれるような気がする。
そう確信している。
アタシは璃子に救われた。
色々と話したい、色々と伝えたいが、これだけは絶対に何度でも言うんだ。
※後日談に続く
申し訳ございません。
あとほんの少しだけ後日談があります。
次回で完結となりますので、よろしくお願いします。