第51羽 方向音痴、愛しい殺人猫を想う
〜ハラジュクダンジョン中層・ボスの居たフロア〜
クロネが去った後。
俺は地面を這うニニを放っておくわけにもいかず、担ぎあげてやった。それから半ば自暴自棄でダンジョンを当て所なく彷徨っていたが、しばらくすると中層ボスの居たフロアに戻ってきていた。
「お帰りなさいませ、お嬢、カラス殿」
「…………。」
「…………。」
「お二人とも酷い怪我ですよ。まずは治療しましょう」
「…………。」
「…………。」
なにか言い返す気も失せていた俺達はその場でメイの治療と、ポーションぶっかけ祭りと水分補給などを済ませた。それから彼女が携帯していた味気ない簡易栄養食をモソモソと食べた。
「申し訳ありません。よもやクロネ殿がひとり逃走するとは思わず」
「じゃあどういうつもりで暴露したんだよ……」
「私達もカラス殿を殺しかけたわけですからね。いわば殺人未遂です。こちらのテープレコーダーで、その件を口止めとしてもらうつもりでした」
「………………ああ、そう」
最初から誰かに言う気もなかったのに、相談してくれればと、メイやニニに腹を立てても仕方がない。
いまさらあれこれ文句を言っても、もはやすべては後の祭りだ。
それに。
クロネが俺に隠れて人殺しをしていたなら。
いつかはこういう日が来ていたんだ。
「それともうひとつ。私達だけが真実を知っている状態ですと、クロネ殿に命を狙われ続ける事になるでしょう。私達の口を封じる為に。そういう意味でも、クロネ殿の前でカラス殿にお伝えする他なかったのです」
「…………。」
否定の言葉が出てこない。
クロネはそんな子じゃあないと、そう言いたいのに。
"あれは邪魔にゃ"
"いなくなった方がいいと思うにゃ"
優しいクロネの顔と、人殺しのクロネの顔がダブって、頭がぐちゃぐちゃになる。
「俺は、なにも知らなかったんだな。クロネのこと……」
あらためて言葉にすると、胸の奥を鷲掴みにされたように苦しくなる。2人の手前、強がってはいるが泣きそうだ。
「……女性ですもの。好きだからこそ知られたくない秘密のひとつやふたつ、ありますわ」
「なんだよ、ニニ。慰めてくれんの?」
「べっ、別にそんなんじゃありませんわ」
ニニのいう通りだ。
クロネが俺に殺人者の顔を隠していたのは、きっと、俺のことを思っての事だろう。
それでも。
いや、だからこそ。
クロネの事を、俺が誰よりも一番知っていたい。
会いたい。
会いたい。会いたい。
クロネに、会いたい。
今すぐに、会いたい。
会って、ちゃんと話をしたい。
「……俺、もう行くわ」
「行くって、どこ行くんですの?」
「決まってるだろ。探しに行くんだよ、クロネを」
俺は立ち上がり、荷物をまとめて歩き出す。
この広く暗いダンジョンで、小さな黒猫を探す。それがどれほど途方もない行為かは理解しているつもりだ。
それでも俺に、諦めるなんて選択肢は、ない。
「バカラス、そっちに行っても腹黒猫は居ませんわよ」
「そんなのわかんねえだろ。あと次に腹黒猫って言ったら殴る」
「はあ? 腹黒猫の残り香は下層に向かってるじゃありませんの。あっちに向かいなさいな」
ニニは鼻をひくつかせながらそう言うと、下層への道を顎でしゃくる。
────────えっ、どういうことだ?
クロネの残り香──??
予想外のニニの言葉に、俺は足を止める。
クロネの匂いを思い出す。彼女といると、いつも、なんともいえない温かくて良い匂いがした。
ニニの真似をして、ふんふんと鼻から息をする。
……やはり、なにも感じない。
「お嬢の嗅覚は常人より遥かに優れています。私が隠していたお客様用のお菓子をめざとく見つけて食い荒らしたこともありましたからね」
「いまそのエピソードの暴露要ります??」
「要ります」
本当なのか?
本当に、クロネの匂いがわかるのか?
だとしたら、暗闇で俺を追ってこれたのも説明がつく。ニニは、俺の匂いの跡を辿ってきたのだ。
オレはニニの両肩を手で掴む。
「ニニ!!」
「きゃんっ!?」
「頼む! クロネを探すのを手伝ってくれ!!」
「えっ………………嫌ですわ!? 嫌ですわ!? わたくしアイツに殺されるところでしたのよ!?」
予想通りの返答。
だが、ここで引くわけにはいかない。
「そっちが勘違いで俺を殺しかけたことはチャラにしてやるから!」
「な──わたくしも腹黒猫に殺されかけましたし、貴方にも思いっきり蹴り飛ばされたでしょう!?」
「アレはお前が魔導砲とやらを2回も撃とうとしたのが悪いんだろうが!」
「えっ?」
「えっ?」
あのときのニニのポーズを再現して見せる。
右手の指を開いて、手のひらを前に突き出していた。
こうするとちょうど、射出口が相手の方を向く。
「そ、それは"止まってください"のポーズですわ!」
「えっ……」
嘘だろ。いや、けど言われてみれば手を前に出すポーズは"ストップ"の意味にもとれる。
「いやいやいや、紛らわしい真似するんじゃねえよ!? てっきり撃つつもりなのかと思っただろ!?」
「じゃあ勘違いじゃないですの! わたくしのも勘違いなんだから、それでチャラですわ!!」
「うぐっ…………!!」
手厳しい反撃を受けてしまった。確かにあのときは、クロネのピンチとはいえ俺も頭に血が上っていた気がする。
「悪かったよ……ごめん」
「……いえ、わたくしも、その…………わ、悪かったとは思っていますわ」
「それで、その、クロネの捜索の件だけど──」
「それとこれとは別ですわ!」
「そこをなんとかっ!」
誠心誠意、頭を下げる。本気でクロネを見つけたいなら、もう他に手はないのだ。
「頼む! お前だけが頼りなんだよ!」
「こんな状態で探索をしろと!? 危ないじゃないですの!!」
「どんなことがあっても、絶対に2人の事は護るから!」
「だっ、だいたい、わたくしにメリットないじゃありませんの!」
「じゃあ! 協力してくれたら、お前の言うこと、なんでもひとつ聞いてやるから!」
「う〜〜〜〜〜…………んんんんん…………」
ニニは眉間に皺を寄せて、かなり悩んでいる。
俺は静かに、祈るように返答を待つ。
やがて、おもむろに唇を開いた。
「…………ホントですのね?」
「ホントだって」
「二言はありませんわね?」
「おう。俺も男だ。約束する」
「チャンネル削除しろ、とかでも?」
「するよ」
「豚のモノマネは?」
「やるよ。全裸で」
「ぜんらッ!? いえそこまでは──いやそれもいいですわねぶぇへへ……」
「他にはあるか?」
「あ、じゃあ──わたくしの下僕になれ、とかでも?」
「ああ、なるなる」
思ったより食いつきがいいな。
……もしかして軽率だったか?
いやっ、クロネのためだ! これくらいのリスクを負えないでどうする!
「ではその、例えばですが、わたくしの愛玩動物になれとかは……? いえ、例えばですが」
「お嬢、気色悪いのではやく決めてください」
「気色悪──!? ああもうっ、わかりましたわよ! 手伝えばいいんでしょう、手伝えばっ!!」
メイドの最後のひと押しで、ついにニニは首を縦に振った。
「………………バカラス。約束、忘れるんじゃありませんわよ」
「ありがとう、ニニ」
「ふんっ」
「……ありがとう」
感謝の握手……は難しいので、軽くハグをする。少し驚いた顔をするが、嫌がってはいなさそうだ。
これで、クロネを探しに行くことができる。
「お嬢が行くなら私も行きますが」
「ああ。悪いな、メイ」
「その前にカラス殿に確認を」
「な、なんだよ……」
すこし身構える。メイはずけずけと核心をついてくるところがあるようで、少し怖い。
「クロネ殿に会うのはいいですが、その後はどうするのですか? 警察に引き渡して、法の裁きを受けていただく気ですか?」
その場合、ニニがしでかした事も警察に言わなければならない。メイが心配しているのは、そのことだろう。
「…………クロネは、猫だぞ。警察に連れてったって仕方ないだろ」
「私も同意見です。あんなテープレコーダー証拠にはなりませんし、弱体化した警察組織ではクロネ殿を拘束しておくのも無理でしょうね」
ダンジョン出現以降、警察の力は弱まっていると聞いている。だが、そんなことは今どうだっていい。
そもそも俺に、クロネがやったことを責める資格なんてないだろう。俺だってタイガーアドベンチャーやカミテッドの連中に暴力を振るった。凶器ピエロには、ボスモンスターを殺せる蹴りを本気で放った。
俺も、クロネも、そんなに違わない。
だいたい俺はそんな正義とか、法だとか、義憤に駆られてクロネを追うわけじゃない。俺がクロネに会いたいのは、もっと個人的で、我儘で、身勝手な理由だ。
「人殺しでも、なんでもいい。俺は、ただ、クロネに側に居て欲しい。クロネの側に居てやりたいんだ。──それを、クロネに伝えに行く」
「美しい主従関係ですね」
「主従関係じゃねえよ。俺とクロネはもっと──」
相棒だと、パートナーだと、家族だと思っていた。
だけど、それだけじゃない。
居なくなってハッキリとわかった。
俺にとってのクロネは──
「もっと甘ったるい感じですよね」
「甘ったるいとか言うな」




