第3羽 方向音痴、ご奉仕される! 黒船襲来、否、黒猫襲来!!
〜カラスのアパート〜
ぎゃあっ
ぎゃあっ
窓の外で2匹のからすがやかましく鳴いている。
差し込む夕陽の眩しさに、俺はベッドの上でうっすらと瞼を開いた。
…………もう夕方かよ。
赤く染まった部屋はどこか薄暗い。
どうやら、あれからずっと気を失っていたらしい。
眩しさに寝返りをうつと、額から何かが落ちた。
濡れタオルだ。
触れるとひんやりとして気持ちがいい。
ぎゃああっ
ぎゃああっ
──は? 濡れタオル?
こんなもの俺は用意していないぞ。
そもそも俺は床で倒れたんじゃなかったか?
なんでベッドの上で、布団まで掛けて寝ているんだ?
……無意識のうちに自分でやった?
そんなわけない、よな。
ぎゃああっ
……トントンッ……
ぎゃああっ
……トントントンッ……
……ボコボコッ……
それになんだ、この音?
最初はからすの鳴き声がうるさくて気づかなかったけど、部屋の中から、なにかを叩くような音が聞こえてくる。それから水が煮たっているような音も。
──ああ。これ、料理の音だ。
包丁とまな板があたる音。
それからぐつぐつと煮える鍋の音。
小さい頃に台所で、母が料理を作っていたときの音に、よく似ている。
調理場で、なにか料理を作っているんだ。
誰が?
目を凝らせば、薄暗い調理場に誰かが居る。
ぼんやりとしか見えないが、黒い髪が揺れていた。
アレは、誰だ?
お隣さんとかでもないだろう。
心配して家に来てくれる友人なんて居ない。
田舎の両親なら来る前に連絡をくれるだろうし、料理をするなら調理場の照明くらいつけるはずだ。
ドクンと心臓が脈打つ。
背中に冷たい汗が流れる。
そもそもアレは──人間なのか?
あんな暗がりで、あんなリズミカルに包丁を振るえるものだろうか?
夜行性の動物じゃあるまいし。
それに本当に俺はこのまま、ここで寝ていてもいいのか?
……トントントンッ……
……ボコボコボコボコッ……
玄関は調理場の向こうだ。
こっそりと外に出ることはできない。
ひとまず音がしないように窓を開けて、いつでも出られるようにしておこう。
俺は上半身を起こし、ゆっくりと窓枠に手を伸ばす。
ぎゃあああアアアぎゃあぎゃあア
「うわ!?」
窓に向かって、からすが突進してきやがった!
驚いて思わずうわずった声をあげる。
…………トン…………。
包丁の音が、止まった。
俺は息を呑む。
起きていることに気付かれてしまった。
調理場に居た人物は、ギシギシと床を踏み鳴らしながら、暗がりの中から姿を現した。
「おはようございますにゃ、ご主人♪ ご気分いかがですかにゃ?」
出刃包丁。
眩しい笑顔。
存外に明るい声色。
夕陽に照らされたその姿は、猫耳裸エプロンの黒髪美少女だった。
「もうすぐご飯の支度出来ますにゃ♪ 無理せず横になっててくださいにゃん」
「あ、ああ。ありがとう」
俺は猫耳少女に布団をかけられ、再び横になった。
なんだ、ただの猫耳裸エプロンの黒髪美少女か。
不安になって損した。
よしもっかい寝──
「──いや、誰!? 誰なの!?!?」
「ど、どうしたにゃ!? ビックリしたにゃ」
「こっちはお前の100倍くらいビックリしているんだが!?」
────
──
10分後。
俺の部屋の粗末なちゃぶ台はベッドの横に動かされ、暖かそうな卵雑炊の鍋が置かれた。それから小皿には梅干しだ。まるで風邪ひいたときの実家の料理だな。
俺もベッドから降りようとしたが、彼女に止められてしまった。
「ええと……つまり話をまとめると、お前は俺に助けられた黒猫で、気がついたら人間の姿に化けられるようになってて、それで俺に恩返しをしに来たと……」
「はいにゃ。あらためまして、あのときは命を救っていただきありがとうございましたにゃ」
三つ指をついて深々と頭を下げる少女。
「ご主人の恩に報いるため、全力でご奉仕するにゃん♥」
うぅ〜〜〜〜〜ん……。
日本昔ばなしならいくらでもある話だろうが、自分の身に起こるとにわかには信じられない。
だが彼女の頭頂部には立派な猫耳が、そして臀部には黒い尾が2本生えており、それらは少女の動きに合わせて動いている。作り物にも見えないんだよな。
それに動物病院に確認したら、いつの間にか俺の預けた黒猫が姿を消したと慌てていた。ひとまず病院には、俺の部屋に来てしまったから預かっていると伝えたけど。
だけど、なあ。
猫が人間に、なあ。
うぅ〜〜〜〜〜ん……。
一番確率の高いのは、コレが全部夢だってセンだな……。
「信じられませんかにゃ、ご主人?」
「悪い! お前が嘘をついてるようには見えないけど、やっぱり現実味がなくて……」
「あ、じゃあこうすればどうですかにゃ!」
「へ?」
首を捻る俺の目の前で、彼女の肉体がみるみる縮んでいく。くしゃくしゃになったエプロンの上に、小さな黒猫が『みゃあ』と座っていた。
黒猫だ。
間違いない、あの黒猫だ。
あの日、皆で必死に守った、小さな命だ。
「みゃあ」
「……ああ、信じるよ」
気がつくと俺は、彼女を抱き上げていた。
「元気になりやがって」
「みゃあっ」
「よく頑張ったな」
「みゃ」
抱き締めて頭を撫でてやる。
ふわふわとしていて、人よりも少し温かい。
よかった。本当に。
この体温は、この感情は、絶対に夢じゃない。
俺はそうしてしばらく彼女を膝に乗せていた。
「みゃあ」
やがて彼女は俺の膝から飛び降りると、再び人間の姿になる。
黒猫のままでも良かったのに──
──って──!?
「これ! これはやく着て!!」
「にゃ?」
俺は彼女に脱ぎ捨てられたエプロンを渡す。
いや裸エプロンもマニアックだけれども!
裸よりはぜんぜんマシだ。うん!
彼女はエプロンを身につけると、卵雑炊をお椀によそう。
「ご主人、食欲はありますかにゃ?」
「ああ、ここのところなにも食べてなくてな。かなりペコペコだ」
普段もカップ麺だけの生活だったからなあ。
熱出してからはカップ麺が気持ち悪くて水しか飲んでなかったし。
おわんに入った卵雑炊が、すごくいい香りだ。
鰹節で出汁をとったのだろう。
それに刻んだネギも乗っている。
彼女は木の匙にひと口分の雑炊を掬う。
「ふーっ、ふーっ。どうぞ、召し上がってくださいにゃ」
「そ、それくらいは自分で食べれるって!」
「ご奉仕、させてくれないにゃ……?」
潤んだ瞳で訴えかけられる。
くっ。そんな顔をされたら断りきれない。
「わ、わかったよ。……いただきます」
「はい、あ〜ん」
「……………………あ〜ん」
口元に匙が運ばれる。
──旨い。
冷えて錆びついた身体の奥底までじんわりと染み渡り、たったひと口で疲れを溶かしてくれるような、そんな味だ。
決して凝った味付けじゃない、だからこそそれがいい。
俺の身体が求めている味だ。
これが巷で噂の『癒し』ってやつか!
「どうですかにゃ、お口にあえばいいんですがにゃ」
「いやほんとうに旨いよ。いままで食べた飯で一番かも」
「にゃるふふふっ♪ お世辞でも嬉しいですにゃ」
お世辞じゃあないんだけどな。
それから俺は鍋の雑炊を半分平らげてしまった。
残った分は彼女が自分で食べるようだ。ネギが入っていてもいいのか聞いたが、猫の姿じゃなければ大丈夫らしい。
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
……猫舌か。
自分は熱いもの苦手なのに、頑張って作ってくれたんだな。
「ご馳走様。──ありがとな」
自然と、口から感謝の言葉が出ていた。
「あらたまって言われると照れますにゃ♥」
「ははっ、いやほんとに感謝してるよ。おかげでちょっと元気出てきたし」
「それはなによりですにゃ♪」
「あとさ、床の上で倒れてた俺をベッドの上に運んでくれたのも、お前がやってくれたんだろ? 濡れタオルもさ、気持ち良かった」
「それくらいどうってことないですにゃ」
「もしかして身体も拭いてくれたりした? 汗、かいてないし」
「にゃるふふふっ♪ ご馳走様でしたにゃ♥」
「え!? なにが!?!?」
食事が終わると俺と彼女は、ちゃぶ台の食器をシンクに運んだ。俺が袖をまくると、彼女は怪訝な顔をする。
「洗い物くらいさせてくれよ」
「いやいや、まだ無理しないでくださいにゃ」
「けど悪いだろ、世話してもらってばっかで」
「そうやって無理してぶっ倒れたんですにゃ? 明日も明後日も看病されたいですにゃ?」
「……う…………」
ぐうの音も出ない正論だ。
「うちとしてはいくらでもお世話してあげますけどにゃ♪ だけどご主人、いまは休むのが仕事ですにゃ」
「──わかったよ。この借りはちゃんと返すから」
彼女のご厚意に甘えることにした俺は、再びベッドに戻る。なんか……甘えっぱなしだ。すっかり立場が逆転しちまった。
けど、不思議と悪い気は────
ぬる
「……なんだこれ?」
ベッドの近くで、なにか湿ったものを踏んだ。
足の裏を見ると草が付いている。
いや、草ってよりは、池とかに浮いてる藻のような感じだ。
……………藻?
藻がなんでこんなところに?
「どうかしましたかにゃ、ご主人」
「うわびっくりした!?」
顔近っ!?
急に覗き込むなって、変な声を出ちゃっただろ!?
「もうっ! ちゃんと休んでなきゃダメにゃ!」
「あ、ああ。わかったよ」
俺は彼女に押し込まれるようにベッドに横になる。
まあ……藻なんてどうでもいいか。
チャンネル登録者数が3日で100万になったり、猫が人間になって恩返しに来るくらいなんだ。
それに比べれば、たかが藻だ。まったく気にするほどのことじゃあないだろう。
さっさと寝よう。
ぎゃああっ
ぎゃああっ
ぎゃああっ
ぎゃああっ
…………からすがうるさくて眠れないんだが。
なんだよ今日に限って。
うち、死臭とかしてないよな……?
まあいいや、横になってテレビでも見てればそのうち眠くなるだろ。
俺は枕元のリモコンに手を伸ばし、スイッチを押した。
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──続いてのニュースです。
今日未明、都内某所の溜池で
5人の男性が遺体で発見されました。
5人はいずれも酒を飲んでおり、
泥で足を滑らせて落水し、
そのまま溺死したと見られています。
溜池の周囲には立入禁止の看板と
簡易的な柵が設置されていましたが、
一時的に動かされた形跡があり、
警察は事件と事故のどちらの可能性もあると見て
捜査を進めています。
亡くなった5人は配信者仲間で、
タイガーアドベンチャーというグループで
活動をしていましたが、問題行動も多く──
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