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わだつみの姫巫女  作者: 乙羽
迷子の迷子のゴマフちゃん
9/12

5 海に咲く花(下)

「みんなが、わだつみの都では安心して暮らせるのね。カワウソちゃんも、トトも、わたしも」

「ええ」

「わたしがほんとうに姫巫女なら、なにかの力を持っているなら、都のために、わたしにもできることはないかしら。わだつみの都を、ここで暮らすみんなを、守りたいの。ずっと安心して過ごせるように」

「……もちろん、ございますよ」

「ほんとう?」

 期待をこめて桔梗を見上げる。岩のある広場へと戻る道すがら、桔梗は千夜の手をとり、つないで泳いでいた。

「姫さまがお健やかで、お幸せでいらっしゃることです。そのために尽くすのが、我ら三守人」

「それだけ……?」

「千夜姫さま。すくすくと大きくおなりあそばせ」

 平たい岩に千夜を座らせると、桔梗は足元にかがみ、真紅のひれをとって口付けた。神聖な儀式のように、そっと、おごそかに。

 それから、桔梗は、すっと体を起こした。

「――西の王子」

 改まった口調で、蓮にむきなおる。

「姫巫女さまをお迎えするまで、主不在の都をなんとしても守らなければと思った。お迎えしたら、千夜姫はまだ幼くていらっしゃるから、信用できない者をわだつみの都へは入れられないと思った。……結局、わたしは事情を知ろうともせず、話を聞こうともしていなかった。悪かった」

「姫巫女の側近としては、それが正しいだろ。お前が謝ることじゃない。……誰かの安全をおびやかして得るのは、真の平穏じゃない。お前の言ったことは正しい。最初から対話を求めるのでなく、いきなり攻撃をしかけた俺たちに非がある」

 神妙な顔つきで交わされる、まじめな会話を、ぎゅるぎゅると鳴る千夜の腹の虫がだいなしにしていた。ゴマフアザラシが、その振動でいちいち、ぶるぶるしてしまう。

 たっぷりと余韻をもたせて、虫が最後の音をぞんぶんに響かせる。数秒ののち、二人がふきだした。

「お前、そのでかい荷物に食い物はないのか」

「すべて昼餉です」

「ぜんぶかよ」

 それぞれ岩に腰かけ、桔梗が風呂敷をほどくと、黒漆の五段重があらわれる。

「そろそろ食ったらどうだ」

「だめっ」

 桔梗が一番上の蓋をあけようとするのを、慌てて止めた。

「なぜです?」

「アロウさんたちが帰ってきたら、みんなで食べるの。お弁当はみんなで一緒に食べたら、もっと美味しいの。ね?」

 ぐうきゅるるる、と抗議してくる腹をおさえる。ひときわ大きな音だったので、アザラシがびくっとした。

「では、おむすびをひとつだけ召し上がりながら待たれては?」

「だめなの」

「なんでだ」

 今度は蓮が問う。真剣な面持ちで千夜はこたえた。

「いちど食べ始めたら、止まらなくなっちゃうからね。わたし、ぜんぶ食べちゃうの」

 蓮が声をあげて笑った。容貌が整っているぶん鋭い目つきに迫力があるうえに、ぶっきらぼうで、だいたい不機嫌そうな顔をしている蓮が、笑っている。

 ゆゆしき問題なのに、どうして、そこで笑うのか。千夜はぽかんとして、楽しそうな蓮を見上げていた。




 無事に、千夜が餓死する前に、アロウたち西の人魚が戻ってきた。姿がみえる前から、千夜はそれを感じることができた。

 桃花お手製の弁当を、みんなで囲んだ。

「残念ながら、ゴマフアザラシを見つけることはできませんでした。母親も、仲間も」

「そうなの……どこかに流されちゃったのかしら」

「それは…………」

 言いさして、アロウは蓮をうかがった。

「ここで話せ、アロウ、千夜を子ども扱いするな。ひろってきた責任もある」

 お気に入りの昆布ともずくの甘辛まんじゅうを口いっぱいに頬張った千夜を、茶色の瞳がまっすぐに見た。

「魚たちが、不審な船を見かけたようです。おそらく、密漁か密貿易の類ではないかと」

「なるほど。それで、北から来たのか」

「推測ですが、さらわれてきた赤ん坊が落ちたか、乗せられていたのは母親のほうで、逃がしたか。どちらかでしょう」

「どちらにせよ、母親を見つけるのは至難の業だな。別の群れもこの辺りにはいないだろうし」

 アロウの言うことは難解だったが、すっかり千夜になついているゴマフアザラシを、母親のもとへ返すのは難しいというのはわかった。

「そう……ごめんね、ゴマフちゃん。探してあげるって約束したのに、ごめんね」

 まるっこい体を抱きしめて、もっふもっふと撫でる。

「お役に立てず、申し訳ありません」

「いや、有益な情報だ。ありがとう。協力に感謝する」

 そう言ったのは桔梗だった。すっかり落ち込んでしまった千夜の肩を抱き寄せる。

「姫さま。もしも母親がみずから逃がしたなら、場所を覚えているでしょう。もしかしたら、いずれ探しにくるかもしれません。あるいは、別の仲間とめぐり会うかもしれません。それまで、姫さまがそばにいてさしあげてはいかがでしょうか」

「――いいの? おうちに連れて帰ってもいいの?」

「千夜姫が『おうち』と言ってくださるとは、嬉しいことですね」

 高い高いをするように抱き上げて、千夜はゴマフアザラシのつぶらな瞳をみつめた。

「千夜たちのおうちに来る? お母さんたちと会えるまで、ここで一緒に暮らす?」

 アザラシは黒い鼻先を千夜の頬におしつけて、甘えた声で鳴いた。

「では、この子にも名前が必要ですね」

「それなら決まってるわ」

 ぬくぬくとした体温を、大事に両腕につつむ。ちょん、とその腕にトトも乗った。

「ゆき。雪柳のユキちゃんよ」

 雪が降り積もったかのように、たおやかに垂れる枝先に咲く無数の小花。可憐な白い花たちが、ゴマフアザラシの頭上に、こぼれるように咲いた。

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