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わだつみの姫巫女  作者: 乙羽
迷子の迷子のゴマフちゃん
8/12

4 海に咲く花(中)

「なるほど。たしかに、この辺りはゴマフアザラシの生息域ではありませんね」

 彼らは作業の手を休め、桔梗も重そうな風呂敷包みを置いて、広場の岩にそれぞれ腰を落ち着けた。

「もっと北の海にいるはずだな」

「そうなの?」

「普通は流氷のうえで出産するんだ。赤ん坊が真っ白なのは、そのためだ」

 ますます首をかしげる千夜に、アロウが説明してくれた。

「流氷は白いので、アザラシも白いと見分けがつきにくくなるでしょう。保護色といって、天敵から見つかりにくくするため、白い体毛で産まれてくると考えられます」

「すごいねえ。お母さんに守られてるのね」

 すりすりとゴマフアザラシに頬ずりをする。と、蓮が意地悪そうな笑みを浮かべた。

「だから、その見た目は今だけだぞ。お前の気に入っている白い毛はすぐに抜け落ちて、大人と同じになるんだぞ」

「ええっ!? 真っ白なふかふかじゃなくなっちゃうの!?」

 思わず、もふもふもふもふしながら顔をうずめてしまう。こんなに可愛いのに、あっという間に大きくなってしまうなんて。

「殿下……大人げない」

 大きくため息を吐いたアロウに、「いつもはガキ扱いするくせに」と蓮がかみつく。

「でも、いいの」

 ふわふわから顔を上げて、千夜は自分に言い聞かせるように首をふった。

「どっちにしても、わたしはゴマフちゃんの今の姿しか知らないでお別れするもの。すぐにお母さんのもとへ帰してあげるんだもの」

「……なぜ、そうも一生懸命なんだ?」

 まっさらな、あどけない丸い瞳で千夜を見ているアザラシの頭を、やさしく撫でる。

「お母さんが急にいなくなるとね、真っ暗で、なんにもなくて、なにも聞こえない、果てしなく広いところに、ぽうんと放り出されたような気持ちになるの。足元がなくなって、どこまでも沈んでいくの。わたしにもお母さんがいないわ。何年も前に死んでしまって、もうどうしても会えないの。でも、ゴマフちゃんはまた会えるでしょう。だから、力になりたいの」

 静寂がおち、アザラシが甘える鳴き声だけが響く。

「それでは、我々が鳥居の外で捜索してきましょう」

 沈黙をやぶったのはアロウだった。蓮がちらりと意外そうな顔で見やったが、口出しはしなかった。

「我らは外の世界に慣れておりますから、問題ありますまい。母親を見つけられたら最善ですが、そうでなくとも、有力な情報くらいは得られるかもしれません」

「ありがとうございます、アロウさん」

 赤ちゃんを抱っこしたまま、ぺこりと千夜が頭をさげる。

「おやめください、姫巫女殿。お困りであれば尽力すると、我が主が約束したことです。我々を受け入れてくださったご恩返しにもなりませんよ」

 アロウは穏やかに笑っただけだった。では、とアロウが蓮のほうを向く。

「急ぎ行って参ります。殿下も怠けませんように」

「うるっさいわ。いちいち、ひとこと多いんだよ」

 先日、鳥居の外で揉めたのは、全員ではなかったらしい。二十人ほどの人魚たちが一斉に、花火を打ち上げるように出発した。

「レン、壊すことの逆もできるって言ってたのに、できないの?」

「あれは言葉のあやだ」

「嘘ついちゃいけないんだよ」

「嘘じゃない、お前はもうちょっと力の加減をまなべ。いちいち倒れるぞ」

「レンはいくつ?」

「十八。ひとの話を聞いてるのか」

 ふいに、千夜の体が、ふわっと浮いた。千夜がお腹にゴマフアザラシをかかえているように、桔梗が千夜を後ろから抱きあげたのだ。

「……姫さま」

「桔梗さん?」

「千夜姫さまには、わたしがおりますよ。撫子も、桃花もいます」

 千夜がアザラシをあやしていたように、千夜を抱いたまま、桔梗はゆらゆらと波のように泳いだ。千夜は声を上げて笑った。

「もっと大きくしてー! ぶらーんって、ぶうーんってして!」

 ねだられるまま、振り子のように揺らして遊んでくれる。水中なので、うっかり手が離れても、泳げる千夜が怪我をすることはないが、桔梗はしっかり支えてくれた。きゃっきゃとはしゃぐ千夜につられたのか、ゴマフアザラシの赤ちゃんもご機嫌だ。

 千夜がぶらぶらしてもらっていることで風のように生まれる水流をうけて、トトがひっくりかえった。水の抵抗をうけやすい、四角い体をしているため、ハコフグは泳ぐのが苦手らしい。

「千夜。ちょっといいか」

 窓にすだれをかけた家のところで、蓮が手招いていた。

 塀らしきものは崩れているが、石造りの家屋はどれも頑丈そうだ。桔梗の話から、つい廃墟のような場所を想像していたが、千夜が住んでいた村よりも立派な集落跡は、じゅうぶん新たな住まいになりそうだ。そういえば、ここには海中にゆらめく幟がない。

「お前に会いたがってるやつがいるんだ。行かせることもできないから、ちょうど良かった。会ってやってくれるか?」

 蓮がすだれを巻きあげる。くぐろうとした千夜を、桔梗がおしとどめた。先になかへ入ってから、千夜に手を貸してくれた。もちろんトトも付いてくる。

「お邪魔します」

「なにしに来たーっ!」

 招かれたと思ったのだが、怒声に出迎えられた。と、思った瞬間、

 ――パァンッ!

「おぶっ」

 鋭い平手打ちをうけてコツメカワウソが飛んでいった。あまりの剣幕におののいて、思わず千夜は桔梗にしがみついた。

 ひっぱたいたほうもコツメカワウソで、申し訳なさそうな顔をして、小さな両手をやわらかそうな寝床についた。

「アイビー、お前も懲りんやつだな。デイジーの希望だろ?」

 慣れているのか、蓮は驚きもしなかった。

「デイジーもちょうど出産の時期だったんだ。こいつらは海の生き物ではないから、落ち着ける場所を探して焦ってた。悪かったな」

 妻だというデイジーは喋らないようだが、千夜を歓迎してくれているのはわかった。すすっと短い手で奥をさししめす。

「うわぁっ……かわいい……っ」

 水草を敷きつめた盥のなかで、ぴったりと寄り添い、重なり合って、五匹の赤ちゃんがぐっすりと寝ていた。千夜のてのひらくらい小さい。灰色のおはぎを積んだみたいだ。

「可愛いねえ。よかったねえ」

 盥の横に寝そべって、間近に見つめる。赤ちゃんたちの真似をして、千夜が腹這いになり、背中にゴマフアザラシをのせてみた。

 珍しいらしく、桔梗も身をのりだして相好を崩した。母親のカワウソは誇らしげだ。

「コツメカワウソって、どこにいるものなの?」

「川とか沼とかだな」

「どうして、ここなら大丈夫なの?」

「わだつみの都は、結界に守られている特別な空間でございます」

 桔梗がかわりに説明してくれた。

「独立した環境なので、人魚も、淡水魚も、水陸両方を必要とする生き物も、支障なく暮らせるのです」

「だからだったの」

 千夜はひとり何度もうなずき、部屋の隅からしゃーしゃーと威嚇しているアイビーに目を向けた。

「奥さんと赤ちゃんたちのために必死だったのね。いいお父さんね」

「姫さま。石を投げられたことを忘れてはなりません。大怪我をなさったかもしれないのですよ」

「ふん、人魚のくせに鈍くさい」

 開き直っているアイビーを、デイジーと桔梗とが睨みつけた。桔梗はともかく、妻には強く出られないらしく、気が荒いわりに小心者の夫はささっと棚の陰にかくれた。

 デイジーは恐縮しきった様子で頭をさげてから、お団子の山の上段にいる子に手をおいた。

「一匹だけ雌が産まれたんだ。詫びと感謝の気持ちをこめて、お前に献上したいと言っている」

「えっ?」

「私は反対だ!」

「ややこしいからお前は黙ってろ。……言い方が悪かった、千夜の考えたようなことじゃない。このアイビーが俺の眷属だから、その子供も自然と俺に属することになる。わだつみの都に住むものたちが、千夜に属しているのと同じだ。せっかく女の子が産まれたから、お前に仕えさせたいそうだ」

 黙りこんでしまった千夜を、蓮は意外そうな顔で見下ろした。

「やたらアザラシを気に入っているから、もっと喜ぶかと思ったが」

「だって、赤ちゃんはお母さんのところにいないと、だめ」

 こんな風に、安心しきって熟睡しているのは、両親がすぐそばで守っているからだ。引き離すなんて、絶対にできない。

「ゆくゆくは、ということでいいんじゃないか?」

「トトのようになるということですよ」

「お友達になってくれるの?」

 ぱぁっと顔を輝かせて、千夜は両手を天にむけた。

「じゃあ、また会いにきてもいい?」

 母親のコツメカワウソは、嬉しそうにうなずいた。よくない、という父親のぼやきは全員が無視した。

「千夜。お前が名前をつけてやれ」

 淡々としていた蓮の口調がやわらいだ。

「いいの?」

 名前は、とても大事なものだ。命として生まれ、初めてもらう贈り物。

「……コウメちゃん」

「早いな、短絡か!」

 くわっと牙をむいたアイビーを、胴体をしならせたデイジーが長いしっぽで打った。

「うぎゃっ」

「あのね、桔梗さんたちは、みんな、お花の名前でしょう。わたしのお母さんも桜がつくのよ」

 ゴマフアザラシをおぶったまま、手をふって懸命に説明する。

「梅の花は、いい匂いのする、とっても綺麗なお花なのよ。まだ寒い時期に咲いて、春がきたことを教えてくれるの」

「小梅か。いいんじゃないか?」

 アイビーは不服そうに恨みがましい目をしていたが、それ以上は言わなかった。

 騒がしかったのか、お腹が空いたのか、コツメカワウソの赤ちゃんが目を覚ました。一匹が起きると他のきょうだいも起きるらしく、きゅうきゅうと高い声でしきりに鳴く。まだ目も開いていない子供たちの世話をデイジーがはじめたので、千夜たちは家を出た。

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