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わだつみの姫巫女  作者: 乙羽
迷子の迷子のゴマフちゃん
5/12

1 朝の海

 こつん、と頭がなにかにあたって目が覚めた。まだ半ばまどろみながら、やたらと広くて物のない空間をぼんやり眺めた。

 床に大きな巻貝があるだけの、新鮮な水で満たされた円形のとんでもなく高い部屋は、千夜(ちよ)の寝室だ。寝ているうちに壁にぶつかって怪我をしないよう、天井からとばりが張り巡らされている。豪奢な蚊帳のようだ。

 慣れていないせいか、ただただ寝相が悪いのか、半球形の天井にまで来てしまっていた。天井を軽くひれで押して、下向きに螺旋をえがいて慣性のままゆっくりと降りていく。途中、やはり眠っている黄色いハコフグとすれ違った。ほのかに明るいけれど、城内は静まりかえっている。どうやら、早朝のようだ。

 ううん、と千夜は思いきり伸びをした。真紅の四つ尾がひらひらと揺れる。

「目が溶けるくらい寝た……」

 あの後、つまり大鳥居の外でひと悶着した後、ぞろぞろと帰ってきた一行のなかに西の人魚たちもいたものだから、逃げようとしたり迎え撃とうとしたり、都中が大騒ぎになってしまった。自分が言い出したのだから、ちゃんと説明しなければという気持ちだけはあったが、千夜はとにかくお腹が空いて眠くてしかたがなかった。

 ちなみに、みんなでりんごを食べるのも本気だったが、彼らを王宮に入れることだけは断固反対された。そもそも侍女以外は城内へ入れない決まりらしい。

『言霊をつかわれたから、お疲れなんですよ。たくさん食べて、寝たいだけ眠ってください』

『千夜姫さまは稀にみる強い神力をお持ちだが、まだ、あまりにもお小さい。だから燃費が悪いんだろう』

『彼らのことは、わたくしたちを信じてお任せくださいませ。こうした問題ごとは、本来、大人がなすべきことですわ』

 桃花(ももか)たちの言うことは半分もわからなかったが、とにかく千夜はたらふく食べては眠り、お腹が空いて目が覚めてはまた食べて、こんこんと眠り続けた。

 人魚や魚の寝方はそれぞれに好みがあり、泳ぎながらでないと眠れない魚もいるらしい。撫子は岩のしたに挟まるようにして寝ると聞いて、最初は千夜もヤドカリのように、中央にある巻貝におさまって寝てみた。これまで布団でしか寝たことのない千夜には、そのほうが落ち着くかと思ったのだ。

 けれど、いつの間にか、巻貝どころか寝室から「御座所」と呼ばれる居間へさまよい出ていて、いあわせた桃花を仰天させたり、なんなら窓の外にまで漂流してしまい、くらげ便にお届けされたりした。眠かったので、あまり憶えていないが、とにかく、びっくりするくらい寝相が悪いらしい。撫子が急いで、とばりを二重にして、蚊帳のようにすっぽりとおおってくれたからか、今度はちゃんと寝室で目覚めることができた。

 水のせせらぎが絶えず聞こえる、さえぎるもののない場所で、流れに身をまかせてたゆたい、眠る気持ちよさといったらなかった。

 やはり心地よさそうに寝ているハコフグのトトを起こさないように、そっと垂れ絹をくぐって寝室を出た。居間というより食堂としてしか使っていない気がする御座所には、誰もいなかった。二枚貝はともかくとして、黒檀の机は角があるから、こちらで寝てしまうと危険なのだそうだ。

 千夜が寝ながら流されていったと思われる、戸のない窓には、今は御簾がおろされていた。端を持ちあげて身をのりだすと、わだつみの都を眼下に一望できる。吸い寄せられるように、自然と外へ滑りだしていた。

「きれい……」

 海の底なのに、やわらかな黄金色の光が放射状にさしこみ、青い都を照らしている。太陽の光は届かないと思っていたけれど、わだつみの都が特別なのだろうか。

 まるで、青い宝石の底にいるみたいだ。

 淡い輝きのなかをゆっくりと泳ぎながら、静かな朝の海にゆらめく幟を、石造りの町並みを、朱塗りの鳥居を、泳ぎながら眠っている回遊魚たちを、飽かず眺めた。

 ――ここが、わたしの故郷。お母さんの生まれ育った場所。

 ぽよん、と尾ひれになにかが触れた。ものすごく眠そうな黄色いハコフグが、よたよたと泳いできた。

「トトちゃん、起こしちゃったのね。ごめんね」

 両手でトトを抱いて、千夜は仰向けになった。青空とはまったく異なる、紺碧の海が、頭上にどこまでも広がる。

「……!」

 すこしずつ明るくなっていく水中で背泳ぎしていた千夜が、急に起き上がったため、腕のなかで二度寝していたトトがびくっとした。

 じっと耳を澄ませる。

(きこえる……)

 誰かの声がする。言葉はわからないけれど、必死に呼んでいる。悲しみに満ちた声。

 千夜はくるりと尾をひるがえし、大通りのうえを一直線に泳いだ。南の果てにある大鳥居をくぐり、声がするほうへ、上へと向かう。

 ぴちぴちと跳ね回るトトが、必死に千夜を止めようとしているのがわかったけれど、無視なんてできない。声はどんどん近付いている。

「誰かが泣いているのよ、トトちゃん。ほら、きこえるでしょう?」

 水深が浅くなってくると、陽光がまぶしいほどだ。目を細めた瞬間、海中から窓のようにみえる太陽の光と重なりあって影が飛び込んできた。

「わっ」

 きゅうきゅうと切ない声をあげて、全身で泣き叫んでいる、ふわふわの毛並みをした丸っこくて雪のように白い生き物。

「っか、か、かわいい……!」

 もっふもふの白い動物を、おもわず抱きしめて頬ずりした。

「どうしたの? お母さんと、はぐれちゃったの?」

 つぶらな黒い瞳から、ぶわっと涙があふれだす。トトよりずっと体は大きいが、どうやらこの子は赤ちゃんらしい。

「泣かないで。一緒にお母さんを探してあげる。わたしにも、あなたの声が聞こえたんだもの。きっとお母さんにも届くわ。ね?」

 まだぐずっているものの、何度も撫でているうちに、この世の終わりのような嗚咽はおさまってきた。

「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」

 千夜の両腕がちょうど胴体にまわる大きさといい、ころころとした体型といい、しっくりくる抱き心地のうえに、赤ちゃん体温でほこほこする。だんだん、また眠くなってきた。落ち着かせてあげるつもりが、うっかり千夜が落ち着いてしまったらしい。

「……トトちゃん、なんか膨らんでない?」

 泣き疲れたらしい赤ちゃんと一緒にうとうとしていたので、トトがぐんぐん大きくなる夢でも見ているのかと思った。

 夢ではなかったが、成長しているのではない。四角い体が、空気をふきこんだ紙風船のように、ぱつんぱつんに膨らんでいる。めまぐるしくはためいている小さなひれが、ますます小さく見えた。

「だいじょうぶ? 破裂しない?」

 針でつつけば弾けとんでしまいそうな姿に、千夜ははらはらした。

「姫さま!」

 振り向いたときには、もう黒い尾ひれが上等な薄絹のように千夜を包んでいた。艶々とした黒髪が扇のようにひろがる。

「桔梗さん。おはよう」

「『おはよう』ではありません! またどこへ流されていったのかと思えば……大鳥居の外へは出ないよう、あれほどお願いしたではありませんか」

「ごめんなさい。でもね」

 ハコフグが力尽きたように、しゅうううと萎んでいく。そのままぺちゃんこになってしまったらどうしようと焦ったが、ちゃんと元の姿でとどまった。疲れきった様子で千夜の袖のなかへ入ってしまう。どうやら、トトががんばって桔梗を呼んだらしい。

「それに、海面の近くまで上がってはなりません。船にぶつかれば大怪我をしますし、なにより、人間に姿を見られてはなりません。今の姫さまは人魚なのですよ。悪い人間に見つかったら、つかまえられて見世物にされたり、売り飛ばされたり、ひどいことをされるんですよ」

 だから、母の桜夜(さくや)は、わだつみの都を去るときに、せっかくの尾ひれを足にかえたのかと納得する。母のほんとうの姿は、どんな風だったのだろう。千夜と同じ、真紅の長い四つ尾だっただろうか?

 白いもふもふを抱く手に、きゅっと力がはいった。

「心配かけて、ごめんなさい。あのね」

 ひれまで使って、ぎゅうぎゅうと全身で抱きしめてくる桔梗にいくら叱られても、彼女がそれだけ心配してくれたのだとわかるから、嬉しかった。髪を結う暇も惜しんで、飛んできた――もとい、飛ぶように泳いできてくれたのだ。

「……姫さま。ちょっと大きくなられました?」

 我に返ったように、桔梗が顔を上げた。ようやく、千夜は、腕のなかの真っ白な動物をみせた。

「迷子の赤ちゃんなの」

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