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わだつみの姫巫女  作者: 乙羽
水の都
1/12

1 生贄の少女

 新月の夜、橋の中央にひとりの少女が立っていた。正確には、橋の外側に立たされ、欄干に縛りつけられていた。両足は踵のあたりしかのっておらず、着物の上から縄をうたれていなければ、たちまち真っ暗な川面へと転がり落ちていただろう。

 少女は待っていた。どきどきしていたけれど、怖いのではなかった。

 白い着物は、けして上等なものではなかったが、少女にとっては綺麗なべべで嬉しかった。これまでは、裄も丈も短すぎる、古くなってしまった布を、どうにかこうにか帯でとめていた。恥ずかしいと思ったことはない。父以外の誰とも会うことはなかったから、からかわれることもなかった。

 それでも、少女ももう九つだ。いい着物をきられるのは嬉しい。白一色なのは、水神さまに嫁入りするからだという。顔を憶えていない亡き母も、こんな姿で父の花嫁となったのだろうか。

 昼も夜もわからない地下の座敷牢で暮らしてきた少女にとって、夜の闇は恐ろしいどころか、近しいものだ。月のない空には、数えきれない星が輝いている。

 なんて、綺麗なんだろう。

 飽かず満天の星空をみているから、待つことはちっともつらくなかった。早春の夜はまだ冷え込みがきびしい。きりっと澄んだ冷たい空気が、肺まで浸透していく。吹きすさぶ風にさらされるなんて久しぶりで、寒さすら楽しい。風邪をひいたら、なんて、心配する必要もない。これは、終わりの始まりなのだから。

 そうして、少女は、村長と父の言いつけどおり、喜んで「そのとき」を迎えた。


 闇が少しずつふくれあがるように、川が水かさを増してきた。ひたひたと迫ってきた水面が、はだしの裏にふれたと思ったとたん、ごうっと水流が体当たりするように橋をのみこんだ。夏に堤防が決壊して氾濫したあと、つくられたばかりの橋は、またしても呆気なくばらばらになって流された。

 欄干も橋桁も崩れたせいか、少女の体をいましめていた縄がほどけた。かわりに、切ってもらう機会もなく無造作にのびた髪がまとわりつく。とっさに瞑ってしまった目を、なんとか開く。目の前に、吸い込まれそうな蒼い光がふたつあった。鋭い一対の両目だ。

 水そのものと一体化していてよくわからないが、大きな牙と、やはり青くきらめく鱗ははっきりと見えた。龍というより、蛇だろうか。蛇というにはとんでもなく巨大な、長い体をうねらせる。きっと、このひとが、村長の言っていた水神さまなのだろう。少女の願いを叶えてくれるひと。

 ひときわ尖った牙が、上下に大きくひらいた。ちっぽけな体をまるのみにしようと迫る相手にむけて、少女は両手をひろげて差し伸べた。無邪気な笑顔で迎え入れた。


 すぐに凍えて心の臓が止まり、苦しむことはないだろうと、白い着物をくれた女性が言っていた。憐むような顔をしていた。

 けれど、すさまじい勢いで流されながらも少女は生きていた。蛇は食べてくれなかったのか、それとも水神さまは別のところにいて、そこへ連れていってくれるのか。あの美しい青い目が揺らいだように見えたのは、気のせいだろうか?

 水は冷たくはあったけれど凍えるほどではなかったし、全身をつつみこむ川は――もしかしたら、もう河口をすぎて海まで流れ着いたかもしれない――やわらかかった。

 と、少女を抱きこむように押し流してきた力が、いきなり消えた。とつぜん水中に放り出されて、ゆらゆらと漂いながら、少女は呆然とした。

 龍のような巨大な蛇はどこにもいない。見捨てられてしまったのだ。水神さまに食べてもらわなければ、生贄としての役目を果たせないのに。村のために、父のために、喜んで人柱に立つと約束したのに。

 どうしよう。どうしたらいいのだろう。欄干に縛りつけられた時も、水流にのみこまれる時も、少しも恐れなかった少女が、不安で心細くて泣きそうになった。

 その時、なにか細長いものが視界のはしをよぎった気がした。さっきの水神さまの尾かもしれない。それは希望がみせた幻に過ぎなかったかもしれないが、少女は追った。

「待って、置いていかないで!」

 四つで母を亡くして以来、外からかんぬきをかけられる座敷牢で育ったのだから、もちろん泳ぐのは初めてだ。それなのに、少女の手足は思いのままに水をかき、ぐんぐん水底へと泳いでいった。外を駆け回ることもなかったため、極端に弱い足は、まるで地面を歩くためではなく泳ぐためにあるかのようだった。水を吸って重たくまとわりつく着物だけが邪魔だったが、少女の軽い体が深くもぐっていくのを助けてもいた。

「お願い、水神さま、わたしを食べて!」

 蛇の尾のように見えたものは、もうどこにもない。歩くように自然に泳ぐことができても、貧しくて満足に食べられず、何年も外へ出ていなかった少女は体力がなかった。疲れはてて、しるべを失ったことで気力まで尽きてしまった。すいすいと自在に水をかいていた手足は頼りなく揺れ、ちっぽけな体は流木のように漂いはじめる。

 行きつく先など、どこにもないのに。水のなかで涙がこぼれた。

 そのとき、光とぬくもりが少女をつつんだ。

「姫さま」

 まぶしくて閉じた目を開けると、三人の女性が手をとりあって少女を囲んでいた。

「だれ……?」

 みたこともない不思議な、ひらひらとした着物をきている。三人とも美しく、身なりがよく、見るからに身分が高そうで、気おくれがした。村長よりも偉い人になんて会ったことがない。

三守人(みつのもりびと)でございます」

「みつの、もり……?」

「姫さまをお迎えに参りました」

「ずっとお探ししていたのですよ」

「ひめ……? あの、違うの、わたしは……」

 色素の薄い長い巻き毛の女性が、そっと少女の唇に指をあてた。

「お静まりあそばしませ」

「詳しくは後ほど……まずは安全なところまでお連れいたします」

 手を引かれ、ふわりと水中を進みだす。漕ぎ出でた舟が流れに乗ったように、なめらかで、速かった。風を切るように、水を切っていく感覚は、とても気持ちよかった。

 きょろきょろと視線をめぐらせていた少女は、三人の女性には足がなく、代わりに魚のひれらしきものがあることに初めて気がついた。最初は顔が近くて、そこまで見えなかったのだ。

(きれい……)

 白、黒、橙色。長さも形も異なる三色の尾ひれが、自在に水をかき、ゆらめく様に見惚れた。びっくりするよりも、羨ましかった。自分の体もそうだったら、こんな風に泳げたら、どんなにすてきだろう。

「姫さま。見えて参りましたよ」

 橙色のひれを持つ、お団子頭の女性が言った。

 晴れた昼間でも陽射しの届かないような海の底に、ぼんやりと光るものが見えた。近付いていくと、おぼろな光は数を増し、等間隔で二列にならんでいるのがわかった。道標の正体は、古い石灯籠だった。ちらちらと揺れる灯りのひとつひとつが、なぜか少女を歓迎してくれている気がした。

 石灯籠のつづく先にある、大きな朱色の鳥居をくぐると、景色が一変した。

「わぁっ……!」

 少女は思わず歓声をあげた。先ほどまでは何もなかったのに、鳥居をくぐった瞬間、眼下に町がひろがったのだ。

「わだつみの都、我らの故郷でございます」

 少女が育った村とはまったく違う、別の国のようだった。都へ行ったことはないので、比べられないけれど。

 中央に大きな道がまっすぐ通っていて、その道にそって立派な家屋が並んでいる。それぞれ幟のようなものが立ち、風にはためく旗のように、水の流れでたなびいていた。

「鳥居のなかは安全ですよ」

 大通りの上を進む四人と並走するように、無数の魚が集まってきて一緒に泳ぎはじめた。小さな魚の群れ、細長い魚、ゆったりと泳ぐ大きな魚、色鮮やかな魚たち。さらに、しゅっしゅっと妙な動きで飛び回るものがいた。よく見ると、二枚貝が殻をぱたぱたと開閉させ、海水を勢いよく噴射することで踊るように移動していた。思わず、くすっと笑った。

「ほたて貝ですわ」

「みな、姫巫女のご帰還を喜んでいるのです」

「わたし、お姫さまなんかじゃないのよ」

 三守人という三人の女性は優しく微笑むばかりで、少女がとまどいながら否定しても、怒ったり責めたりしなかった。

「姫さまは、誰に教わらずとも泳げるでしょう。息継ぎをしなくても平気でしょう。水中でも、こうして喋ることができますでしょう?」

 そのとおりなので、少女はこっくり頷いた。

「すべて、普通の人間にはできないことですわ」

 なにかの勘違いのはずなのに、不思議だった。生まれて初めて訪れた、海にある都は、すべてが目新しいのに、なぜか懐かしい。故郷、と言っていた。水神さまを鎮めるため、贄として死ぬはずだった少女は、もう村には戻れない。

「ふるさと……みんな、ここへ帰ってくるの?」

 帰るべき家、いてもいい場所、それは地下の座敷牢だけだった。娘の存在そのものを、父が隠していたからだ。ゆいいつの居場所だったから、つらくても、さみしくても、我慢できた。薄い布団が寒くても、少しずつかじったおむすびを食べてしまい、ひもじくても、外へ出たいとは思わなかった。出てしまったら、村人に知られてしまったら、もうどこにもいられなくなる。そのほうが、ずっと怖かった。

『騙してたんか! 母子ともに流行り病で死んだなどと嘘をつきおって』

 水神さまが九つの娘を所望されたために、村長がやってきて、地下でひっそり生きてきた少女の存在がとうとう知られてしまった。村には、ほかに九つの子はいなかった。父が額をこすりつけて謝るので、格子のなかから少女もそれに倣った。

 人柱に立ってくれと言われたとき、ほんとうに嬉しかった。父が必要としてくれた。こんな自分でも、村のみんなの役に立つことができる。そうしたら、きっと、村長も父をゆるしてくれる。父は苦しみから解放されて、村で生きていくことができる。ほんとうに、嬉しかった。

 ――でも、わたしには、もう、どこにも居場所がない。そう思っていた少女の手を、巻き毛の人魚が両手で握った。

「ええ、姫さまが帰っていらしたように。みな、あるべき場所へかえるのですわ」

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