22 モアが死んだ世界での数年後のイェル
誤字報告ありがとうございます。
「イェル、今日は姉の命日だ。墓へ行くか?」
「えぇ、もちろんです。アルフ兄さん」
僕は今年で十八歳になりようやく成人を迎えた。本当に、今まで色々あった。母さんは死んでしまったけれど、僕は感謝している。
五歳の時に僕の人生が大きく変わった。
あの日、それまでずっと眠り続けていた母が目を覚ましたと聞いて僕は嬉しかったんだ。父と一緒に逸る気持ちを抑えながら母の部屋へ入った。初めて起きている母を見て僕は言葉が出なかったんだ。
美しい人だなと思っていたけれど、目覚めた母はとても美しくて優しい声をしていた女神様のように思えて自分から母に声を掛けるのが恥ずかしかった。
父もそんな母を見てとても喜んでいたのだと思う。時々、母の寝室へ行って声を掛けているのは知っていたけれど、こんなに笑う父は久しぶりに見た。
母は幾つか僕に質問をしてきたんだ。今でもはっきりと覚えている。
「イェルはいつも何をしているの?」
「えっとね、この間、お祖母様と一緒に娼館?っていう所へ行ってきたよ!綺麗なお姉さん達が一杯いてね、一杯可愛がってくれるんだ」
この言葉に母の顔が歪み、泣きそうな顔になっていたのを今でも忘れない。
当時の僕はそれが当たり前の生活だったから何も疑問に思っていなかった。そんな僕を母は微笑みながらギュッと抱きしめてくれたんだ。嬉しくて天にも昇る気持ちになった。けれど……。
「イェル、母は、いつまでも貴方を大切に思っていますよ。貴方の人生に影が纏わりつきませんように」
耳元で囁くように母はそう言うと、僕の目や腕を傷つけた。痛みと混乱が僕を襲った。
父は僕を抱きとめて止血してくれている。その横で、母は、叫び、自らの命を断った。
母の言葉は父を憎んでいるような言葉だった。
こんなに優しい父を憎むほど父は悪い人間なのだろうか?
反対に父は血を流す母を必死で繋ぎとめようと名前を叫びながら抱きしめている。『死ぬな、死ぬな』と。僕は片手で目を押さえながらも呆然と立ち尽くしていた。
その後は従者達が部屋へなだれ込んできてすぐに医者が邸へとやってきた。父は血だらけのまま動こうとせず、医者が『離れて下さい』と無理やり離すまでギュッと母を抱いていた。
医師は母の状況を見て頭を横に振った。その後、立ち尽くしていた僕を見つけてすぐに治療に当たった。幸い、母は力が無かったので眼球は少し傷が付く程度で済んだけれど、視力はかなり落ちた。
そして腕は思いのほか悪く、動かす事は出来るけれど、手に力を入れたり、細かな作業は出来ない。顔には大きな切り傷が出来て、腕も使えない。まだ利き腕ではなかったのが良かった。
けれど、僕が思っていたより祖父母は大いに悲しんでいた。『あの女のせいで跡取りを失った』と。
当時の僕には分からなかったけれど、今なら理解出来るし、母に感謝している。
あの事件の後、母は病死という事で葬儀をした。母の実家であったウルダード伯爵は父や祖父母に怒鳴り、会場から連れ出されていた。父はというと母の死から心此処にあらずといったような、魂が抜けてしまったような状態だった。
僕はというと、祖父母からお前は後継者から外すと言われてそれまでの生活とは一変し、使用人のような生活を強いられた。僕の部屋は下級使用人達の相部屋に移された。やる事といえば毎日邸の掃除。粗末な食事。助けてくれる者なんていなかったし、父はただ生きているだけで僕に会いもしない。
なんで僕だけ?
全部母が悪いんだ!
母のせいで父が壊れ、僕は怪我をして使用人と同じ扱いにされた。
こんなのはおかしい、絶対おかしい!くすぶる思いに蓋をして毎日過ごしていた。
一年が過ぎた頃、どこからか祖父母は若い女を邸に招き入れた。父は反対する様子はない。かといって父と若い女が仲良くなるという事もないみたいだった。僕から見た父は祖父母に言われるがまま動く人形のようでその女と過ごし、翌年には弟が出来た。
腹違いの弟。どうやら次のクリストフェッル家の跡取りは彼のようだ。まだ幼い弟。どうやら僕の二の舞いは御免だ、スペアが必要だと祖父母は騒いでいた。
その翌年も女は子供を妊娠。産んだ子は男児。
これで本当に僕はこの家から必要とされない存在となった。僕は泣きたくなった。誰からも必要とされていない、母からも父からも愛されない存在なんじゃないかと。
使用人達が僕を心配し、可愛がってくれたおかげで僕の心が壊れずにすんだのだと思う。




