出会い
「で・す・か・ら、仮パスワードを郵便で送るので、そちらを使ってください。」
「なんでロックしたのかと言われても、パスワードを5回間違えると、自動的にアカウントがロックされるようになってるんですよ。PCがウイルスに感染して、ハッカーによって壊されたわけではないです。」
「いや、ですから、先程から申し上げている通り、意地悪でアカウントロックなんかしないですって。」
「パスワード教えてくれれば良いじゃんっておっしゃっても、みなさんのパスワードは、システム管理の私でもわからないんですよ。」
「第一、パスワードは郵便以外での取り扱いが社内規則で禁止されています。」
「ですので、郵便で、仮のパスワードをお送りするので、、、ええ。」
「で・す・か・ら、今日中は無理ですって。」
「はい。失礼します。」
この会社で唯一のシステム管理課員である原 達也34歳の月曜日の仕事は「なんもしてないけど、PCが壊れた。」という電話から始まった。
PCが壊れたというから電源がつかないのかというとそうでもなく、15分ほど質問を繰り返した末に「PCが壊れた」という言葉が「社内システムにログイン出来ないこと」を指し示していると悟ったのであった。
仮パスワードを作って、郵送するという仕事が増えてしまったが、せめて、普通郵便で送ってあげることにしよう。茨城本社から盛岡支社までは、普通郵便で3日は必要だから、今日帰るときにポストに投函すれば金曜日には届くだろう。もちろん、速達を使わないのは経費削減のためであって、決して、意地悪とやらのためではない。
「月曜日の朝っぱらから、うっさいな。静かに電話も出来ないのか。君は。」
原の背後から、原の上司である、総務部長の菊川 恵が茶化しながら話しかけてきた。
「無茶言わないでください、1人で情報系の仕事、全部やらされてる身にもなってくださいよ。」
原がそう言いながら振り返ると、菊川の隣には、見覚えの無い若い女性が立っていた。黒髪でショート、リクルートスーツを着ている、まるで就活中の大学生のような。
「んまあ、それもそうだな。そんな君に吉報だ。今日付で第二新卒として入社する佐々木さんだ。配属は情報システム課。1年後に営業に回されると思うが、色々と教えてやってくれ。」
「本日よりお世話になります。佐々木 葵 です。前の会社では、食品関連の営業をしていました。よろしくお願いします。」
「総務部情報システム課の原です。こちらこそ、よろしく。」
「ということで、私は他の仕事があるから、後は原くん頼んだ。若い女性だからってセクハラをしてはだめだからな?」
「しませんって。」
菊川は原を茶化しながら、自分の席に戻っていった。
「さてと、、、とりあえず、机とパソコンは俺の隣のを使ってもらって、入社書類とかは部長に渡した?」
「はい。先程、菊川部長にお渡ししました。あと、この仮パスワード通知書という紙も頂きました。」
「あー了解。んじゃあ、このPC開いてもらっても良い?」
原の隣の机にあるPCを指差しながら、佐々木に椅子に座るように促す。
「そうしたら、Windowsのログイン画面でさっきの通知書に書いてあるIDとパスワードを入れてもらって、勝手にイントラネットが開くと思うから、そうそう。んでパスワードを新しいのに更新してもらって、オッケー。ってか、佐々木さん。この会社が何やってる会社かって説明したほうが良い?」
「はい。面接の時に教えていただきましたけど、そこまで詳しくは無いです。」
「んまあ、そーだよね。うちの会社は、事務用品等の法人向けオンライン販売をやってる会社ってのは知ってる?」
「はい。主に中小企業向けのサービスですよね?」
「そうそう。月額5万円の法人会員になると、ほぼ原価で商品が買えるっていうのがうちの会社の特徴。」
「5万。少し、いえすごく高いですね。」
「その代わり、営業が月に1回くらい訪問したり、訪問時にPCの使い方をレクチャーしたり、電話での注文も出来たりっていうメリットは有るんだけどね。」
「なるほど、、、、。」
「早い話、某オンラインショッピングサイトのAmaz○nと某スーパーのC○stc○を合わせたみたいなビジネスモデルってことだね。法人会員にも、会員登録してるけどほとんど買い物しない、うちだと幽霊会員様って言ってるけど、そういう会社が結構あるから、うちの会社は小売業にしては脅威の営業利益率10%を達成してるんよね。」
「なんか、この会社すごい会社ですね、、、。」
「だよね。僕も入社して決算資料見れるようになってから驚いたもん。んで、そのオンラインショップのサイトの管理と、社内で使われてる業務用のシステムの管理をしてるのが、ここ、情報システム課。今まで1人だったけど、佐々木さんが来てくれて少しは楽になれると安心してる所。そんな訳でよろしく!」
「え。ちょっと待って下さい。今日まで、社内と社外のシステム全部1人で管理してたんですか???」
「そうだね。ちょうど次の4月から中小企業でも60時間以上の残業代が50%以上の割増賃金になるってことで、それなら1人増やしたほうが良いって部長が判断したみたい。」
「、、、、、、、。」
「ん?佐々木さんどうした?」
「いえ、配属を決めた部長をとても恨んでいるだけです。」
「あーまー確かに部署としては激務な方だけど、佐々木さんには俺が仕事を沢山振るようなことはしないし、1年後支社に配属になったときに、元情報システム課員は、すげえ重宝されると思うから、安心してほしい。」
「、、、、、。はい。」
「そんなわけで、会社の説明はこんなもんで良い?」
「はい。知りたくない部分までしれてよかったです。」
「よし。そうしたら、PCで「人事労務給与システム」ってのを開いて、「新規社員登録」ボタンを押してもらって、机の上にあるクリアファイルに入ってる「内定者履歴書」に書かれてる内容をシステムに入力していってもらっても良い?」
「はい。これですね。全部で3枚ですか?」
「そう。んじゃ頼んだよ〜。わかんないところは聞いてね〜。」
1年以上人員を増やしてほしいと言い続け、やっと人が増えて喜んでいる原と、
とても良い会社の、とても悪い部署に配属されてしまったと嘆く佐々木であった。
佐々木を対応し満足してしまった原は、仮パスワードを郵送するという仕事を完全に忘れ、後に菊川の元に苦情の電話がかかって来ることは、このとき誰も知る由がなかった。
次回は、情報セキュリティ講座です。