今更もう遅い俺がそれでも為すべきたった一つのこと
これは一人の愚か者の、意地とプライドをかけた誰も知らない物語。
静寂の闇、茫茫と照る松明を持って男は進む。
嘗て魔王を斃すとしたらこの男だと、伝説の勇者に違いないと讃えられた彼の名はクルエルド。
尤もその栄光も今は昔。
一人の仲間を愚かにも無能と断じ、切り捨ててしまった事から彼はあれよあれよという間に全てを失ってしまった。
パーティを組んだ仲間ももういない。
皆彼に愛想を尽かし出ていってしまった。
「居るんだろう? フェスター! 姿を現せ!」
クルエルドは声を張り上げ、昔日の仲間の名を呼ぶ。
嘗て自らパーティを追放した男であり、幼い頃は親友だった男。
そして真に魔王を倒した勇者と呼ばれし者、フェスターの名を。
『久しぶりだな、クルエルド。元気だったか?』
何処までも続く漆黒の遥か上方から声が響く。
人間とは思えぬ程神々しい、心地良い安堵感すら孕んだ声だ。
全身に怖気が奔り抜ける、身の毛がよだつ。
かつて蔑んだ男が今に為れ果てた存在が如何に強大か、姿を見せずとも声だけで思い知らされる。
それは闇の中、仄かな紅い光を纏って降り立った。
『何の用だ? まさかこの期に及んでなお、パーティに戻ってこいとでも言いに来たのか?』
「流石に俺もその程度の分別はある。魔王討伐のパーティに加えようにも、お前自身がこの様では今更もう遅いことくらいわかる。」
クルエルドは松明を捨て、剣の柄を握り締める。
もう彼にはこれだけが、『デーモンスレイヤー・ムネツグ』と呼ばれる名刀だけが最後の頼みの綱だった。
勝てるのか?――不安で気が狂いそうだ。
はっきり言って今の彼には自信が持てなかった。
嘗ての仲間の今の姿、それは正に闇黒の覇王とでも言うべき威容である。
追放して程なく開化したという力に溺れ切り、己を見失った男の成れの果て。
それは、かつてこの男が討伐した魔王など問題にならない程の畏ろしさを無作為に周囲へ振り撒いていた。
嘘偽りなく言えば、自分もこの男を崇拝してしまいたい。
そうすればどれほど楽だろう。
すべてを忘れ、水に流してもらい、この男の奴隷として永遠を生きられればどれほど……。
だが、彼にはそんなことは許されない、否、許せない。
矮小な自分に備わった精一杯の魔力を込め、蒼白くその刀身を光らせる。
嘗ての彼は今相対する男が勇者と呼ばれることなど認められなかった。
だが現実はそんな彼の嫉妬を一顧だにせず、男の覚醒した才を讃え続けた。
しかしもう、それはいい。
過ぎたことはどうでもいい。
今、俺の思いは一つだ。――クルエルドはフェスターを睨み上げる。
「お前が勇者になるのはもういい。だが、お前が魔王になることは認めない!」
自身をまっすぐ見据える嘗ての仲間、裏切り者の目に不敵に笑うフェスター。
そして大きく後ろに飛ぶと、手を挙げて何者かに合図を送る。
すると彼の両脇から二人の女が現れた。
クルエルドがよく知る二人だった。
「ユリ、ナギ……。やはり完全に魅惑に堕ちている……。」
嘗てのパーティメンバー、賢者のユリと戦士のナギ。
クルエルドに愛想を尽かしフェスターの許へ奔った女達だった。
『魅惑? おいおい彼女たちに失礼だろう。二人は自分の意思で己の至らぬところを恥じ、誠心誠意の謝罪とともにこちらに来たというのに。』
「初めはそうだったろうな。そしてお前にとっては今でも同じなんだろう。だから俺はお前を斃さなければならない!」
『無理だよ、お前には。』
フェスターの言葉とともに、ナギがクルエルドに飛び掛かってきた。
――柘榴石の舞踏――
強力な闘気を纏った拳が矢継ぎ早にクルエルドに襲いかかる。
彼はそれを刀で受け止めるが、名刀であるはずの『ムネツグ』は今にも折れそうにギシギシと軋んでいる。
「何て力だ……。無茶苦茶な魔力でバフ掛けやがって、そっちの躰も保ってないじゃないか……!」
攻撃の度に出血するナギだが、彼女は意に介していない。
否、既に彼女に意思は無かった。
魅惑に堕ちて、最早自我さえも失っているのだ。
「ナギ、すまん!」
――氷命斬――
――錐揉廻転拳打――
二人の刀と拳が交錯する。
着地と共に倒れ伏したのはナギだった。
『久々に見たな。お前の得意技を。』
「ああ。だがいいのか? 仲間が斬られたんだぞ?」
フェスターは横たわるナギに目もくれない。
その無情な姿に、クルエルドは奥歯を強く噛みしめる。
「今の自分が変わってしまったことに、まだ気が付かないのか? お前は俺と違ってそんな奴じゃなかっただろう! お人好しで、俺のようなクズでも追放されるまで献身的に尽くした、仲間思いの男! それが魔法使いフェスターじゃ無かったのか?」
フェスターは彼の言葉に首を傾げる。
堪らずクルエルドは叫び出した。
「無節操に高め過ぎた己の絶大な魔力に呑まれ、闇に堕ちたことにまだ気が付かないのか!!」
彼の声は届かない。
返答はユリが飛ばす無数の魔石であった。
「出たな。如何に頑強な盾や鎧であろうと貫通する、フェスターに強化されたユリの魔石弾!」
敵の属性に合わせ、最適な魔石を高速で射撃する魔法である。
氷属性の剣を持つクルエルドに対しては赤い灼熱の魔石が放たれる。
受けては柄から込めた魔力を大幅に消費してしまうので、走り続けて躱すしかない。
床の敷石に、壁の岩肌に無数の魔石が見えなくなるほど食い込む。
凄まじい威力である。
フェスターによる強化がなければこんな破壊力は出ない。
クルエルドは昔日を回想する。
パーティでフェスターを、魔力の砲台になるべき魔法使いでありながら攻撃魔法が全く使えない彼を無能と断じて次第に理不尽に当たるようになり、遂には追放する愚に至った日々。
あの時は、フェスターという足手まといを切り捨てまともな魔法使いさえ仲間に入れれば実質三人で四人分以上戦っていた自分達は更に上に行けると思っていた。
だが、その実自分達の精強さはフェスターの強化魔法によるバフがあってこそだった。
彼は補助魔法の大天才だったのだ。
――四元素結合作用即ち愛――
ユリが差し出した両手の周りに四色の魔素、火の紅、風の翠、水の蒼、土の黄が集まる。
「来やがったか、俺達の砲台……!」
本来ならばサブオプションにしかならない賢者の攻撃魔法だが、フェスターによる強化が重なれば一流の魔法使いをも遥かに凌ぐ。
躱さなければ命は無い。
世界を終わらせ得る絶大なる魔砲がクルエルドに向けて放たれる。
――女神の為力解放――
極太の光の柱が炸裂する。
それはクルエルドの左腕を容易く持って行ってしまった。
だが、彼は残った右腕で刀を振るう。
――疾空爆裂剣――
瞬く間に剣線が閃き、ユリの体は血潮を噴き出して倒れた。
「はぁ……はぁ……。くそっ、前座で片腕を失うとは……。」
『こちらも驚いた。後で蘇生魔法を使わせて生き返らせないとな。』
フェスターの後ろにはまだ三人の女が控えている。
見た所剣士、僧侶、射手。
恐らく彼女らこそが、フェスターの本来のパーティメンバーだ。
まずい、このままでは最後まで保たない……。――クルエルドに焦りが募る。
「おい、フェスター。」
左脇を絞め止血しながら、不敵で挑発的な目を相手に向ける。
「まだ自分の女が傷付き斃れるのを見たいか? ここからは男らしく、一対一でケリを付けようぜ。」
フェスターの表情に翳りが見えた。
勿論この発言は強がりであり、一人ずつと戦っては大将まで辿り着けないクルエルドのお為ごかしである。
だが、フェスターにはこれを受けるに足る理由がある。
『確かに、このまま仲間をぶつけて蘇生魔法が使えるベビィまで死なれては堪らない。いいだろう相手になってやる。』
相対する二人の男がそれぞれ蒼と紅の光を帯び、魔力・闘気をぶつけ合う。
だがあまりにも巨大な紅の力に比べ、蒼の気は小さく今にも消えそうで頼りない。
クルエルドは十五年前、魔王を斃した英雄となって再会したフェスターの異変に気圧されて逃げ出した時の事を思い出している。
「あの時、俺が命を捨ててお前を止めていれば、お前はこんな怪物にならずに済んだのかな……。ユリとナギもお前と普通の女として幸せな日々を過ごせたのかな……。」
『何を言っている? お前はさっきから何を言っているんだ?』
「そうか、お前にはもうわからないんだな。」
鮮やかに蘇る、彼らがパーティとなる前の仲睦まじかった日々。
元は親友だった筈の男を、こんな為れ果てにまで追い詰めてしまったのはきっと自分である。
逃げ出した先で出会った大賢者、マリアもやたらと色気を放ちながらそう言っていた。
今思えば、彼女が自分を心底軽蔑する目で見たのも当然だ。
パーティの無理強いに応える為、精神が蝕まれる程の魔力を解放する癖がついてしまったフェスター。
それが継続することによって魔力が鍛えられて膨張し、要求が苛烈化するほどに加速度的に凄まじい力を身に付けていった天才魔法使い。
その癖はパーティを抜けてからも消えず、自分の力を知ってからは人の役に立つために一層力を使い続けた。
そして魔王すらも斃した頃には、愈々彼はおかしくなり始めていた。
増幅し過ぎた魔力は、魔法使いの存在そのものを魔族に近づける。
それも単なる魔族ではなく、歴史に名を残す魔王となるレベルの強大な存在になってしまう。
フェスターは自覚無く次代の魔王になろうとしていた。
「フェスター、俺はお前が嫌いだ! 憎んですらいる! この十五年、どんな思いで腕を磨いて来たか……! 全てはここでお前に目に物見せてやるためだ! お前は俺の前に跪いて、無様に泣いていればいいんだよ!!」
クルエルドは片手で剣を構える。
フェスターは無言で右手を前に差し出した。
――魔剣・漆黒の夢魔――
それは正に、闇黒の魔がそのまま剣になったと形容すべき禍々しい姿をしていた。
魔法使いでありながらフェスターの武器は魔法ではない。
ただその異常なバフがかかる強化魔法であらゆるステータスをカンストさせて振るう純粋な暴力である。
軽く振るうその一撃はユリの魔砲ですら圧倒的に凌駕する。
その威力の前では極めた剣技など無意味に等しい。
況して片腕で受け止められるはずがない。
クルエルドは後方に大きく弾き飛ばされた。
「ぐあああああっっ!!」
床に打ち付けられた彼は既に満身創痍であった。
加えて、先程の一撃でいとも容易く『デーモンスレイヤー・ムネツグ』は粉々に砕け散ってしまった。
駄目なのか……。やはり、どう足搔いても勝てないのか。――クルエルドの精神を絶望が包み込んでいく。
「せめて誰か……仲間がいれば……。」
苦し紛れの無いもの強請りである。
それを求めるには彼はこれまであまりに醜態を重ね過ぎた。
フェスターを追放した後新たに加えた魔法使いも既に彼を見限っている。
大賢者マリアも呆れ果ててフェスターに起こる変化を告げただけで彼には期待せず新たな魔王誕生に備え自身の弟子を育てている。
今やこの世界に、彼に仲間も味方も期待する者も一人として存在しない。
次の魔王を誕生させない、フェスターを魔王にしない、という目的のために戦うのはこの世にクルエルドただ一人、何処までも独りである。
「っ……おおおおおっっ!!」
精一杯の声と力を絞り出す。
そうだ、希望を持つな、一人で立ち上がれ。
戦え、愛でも友情でも世界の為でもなく、ただ己の意地とプライドの為に。
頼れるのは己の五体のみ、その五体すら満足でなくなったとしても、残された手足を最後まで酷使しろ。
使えない折れた剣など捨てていけ、今までそうしてきたようにそんなものは誰かから、そこの女剣士から奪い取れ。
戦え、戦え、戦え!!――クルエルドは己を強引に奮い立たせる。
そして疾走。
迎え撃とうとするフェスターの顔面目掛けて刃の破片を投げる。
こんなものが目くらましになるような甘い相手ではないが、それでも迎撃だけでなく防御のタスクが生まれ、クルエルドにとって回避の難易度が下がる。
そして、相手がフェスター以外ならば今の彼にはどうとでもなる。
十五年、壊れスキルの持ち主と戦うために鍛え続けた彼にとって、女剣士から不意打ちで武器を奪うことは難しいことではなかった。
すかさず、三人纏めて瞬殺。
フェスターによる強化が無ければこんなものだ。
『貴様ぁっ!!』
蘇生魔法の使い手である僧侶ベビィまで潰されたフェスターは怒りに燃える。
今、彼は十七年振りに独りになった。
『また奪うのか! また孤独に突き落とすのか貴様はぁっ!!』
「気付いてないんだろうが、とっくに孤独だったんだよお前は。」
怒りに任せてその暴を放つフェスターの猛攻は世界はおろか天上界にすらその破壊の力を届かせる勢いであった。
だが、感情を剥き出しにしている分単調で読みやすく、クルエルドはどうにか致命傷を免れながら回避してフェスターの間合いに入る。
「どれだけ莫迦みたいな力と速さを身に付けようが、所詮は素人剣術なんだよ!」
剣士としての経験値。
十五歳でパーティを組んで旅に出て順風満帆だった三年間、替えの効かぬ人材を愚かにも切り捨て転落した二年間、そして目の前の男を打倒する為に費やした十五年間の歳月で積み上げたものは、確かにクルエルドの血肉となっていた。
だが、それは所詮人間の域の話でしかない。
神の領域に到ったフェスターには恐ろしい奥の手がある。
――撃ち殺せない拳銃・高等光線放射銃撃――
「ぐがっ!!」
クルエルドの動きが止まる。
状態異常『スタン』、そしてあらゆるステータスが赤子同然にまで低下する強力なデバフが掛けられてしまった。
『終わりだ。死ね!』
「お前が俺に命令するなぁっ!!」
薙ぎ払う黒剣を跳び上がって躱す。
だが、両脚の脛が斬られてしまった。
「おおおおおっっ!!」
それでもまだ体は生きている。
右腕と剣は残っている。
既に攻撃態勢、これが恐らくは最後のチャンスだ。
『無駄な足搔きは止めろ!!』
凄まじい速さの切り返し。
強化されたフェスターのスピードならば二の太刀を繰り出すには十分な間である。
最後の希望の綱だった右手も手首から切れ剣は宙空に投げ出されてしまった。
否、投げ出した。
クルエルドは長い経験と勘から追撃が来ることは読んでいた。
だから敢えてダメージが右腕だけで済むように身を捩り、四肢の最後すら捨てて賭けに出たのだ。
柄を口で咥え、歯を食いしばる。
上半身の発条に全霊の力を込めて最期の刃を振るう。
『何っ!?』
それはフェスターの胸に突き刺さり、貫通した。
『馬鹿……なっ!!」
フェスターの体が仰向けに倒れ、邪悪な魔力が消えていく。
辺りは再び闇に包まれ、二人は互いの姿が見えなくなった。
「勝った……。やっと、また勝てた……。」
クルエルドは先を失った両膝を着き、呼吸を乱している。
出血多量、もう助からないだろう。
「クルエルド……クルエルド……。」
フェスターが力なく掠れた声で彼を斃した男の名を呼んでいる。
先程までの神々しさと禍々しさをはらんだ響きも無く、臨終の弱々しい、だがかつての優しく思いやりに満ちた男の声に戻っていた。
「ありがとう。僕を斃してくれてありがとう。」
暗闇の中涙声がする。
姿は見えないがきっと泣いているのだろう。
「礼を言うな。俺はただお前から全てを奪っただけだ。」
「違うよ。お前は僕を助けてくれた。みんなを人形にして気付かない酷い人間になってしまっていた僕を元に戻してくれた。」
「違うのはお前の方だ。お前をそんな風にしてしまった酷い人間は俺だからな。」
それは死にゆく二人の、二十年越しに友に戻った二人の会話だった。
「最後、僕の魔法が効かなかったのは何故だ?」
「お前と戦う上で一番警戒していたのが補助魔法で弱体化させられることだった。だから状態異常加護の魔法を全身の装備に予め掛けていたのさ。」
「止めの一撃、よくあんな芸当が出来たね。」
「お前と戦って五体無事で済むとは思っていなかった。最悪、頭だけで食らいつく技を訓練していた。」
「努力家で用意周到だね。」
「当然の準備だ。お前を打ち負かすことに全てを懸けてきたからな。」
二人は互いに、互いの声が段々小さくなっていく中で終焉の時を感じ取っていた。
「クルエルド。」
「何だ、フェスター?」
「あの世でまた、一緒に冒険しないか?」
「ふっふっ……。」
まさか、相手の方から誘って来るとは。
だが、涙で目を潤ませるクルエルドの答えは決まっている。
「俺にそんな資格があると思うか? 今更もう遅い、遅すぎるんだよ。お前はお前で幸せにやっていけ。」
「はは、まさか僕の方が断られるとはね。」
大の大人一人が崩れ落ち、倒れ伏す音がした。
「クルエルド。」
「何だ、フェスター?」
「君も魔王を斃した。圧倒的な相手に勇敢に立ち向かった君こそが真の勇者だね。」
「莫迦か? だから、俺にそんな資格は無い。」
呼吸音が弱まる。
真の闇が近づいている。
「クルエルド。」
「何だ、フェスター?」
………………
…………
……
逝ったのか。――クルエルドは薄れ行く意識の中でフェスターの死を悟った。
俺もすぐ行く、と言うつもりは無い。
散々述懐したように、二人がともに歩む道はもうないのだから。
友情を回復するには今更もう遅いのだから。
だから、最後に掛ける言葉は一つだ。
「さらばだ。」
その一言の後は、ただ闇が残されるばかりだった。
クルエルドの名が英雄として伝えられることは無い。
あくまで最後の魔王を斃したのはフェスターである。
彼は嫉妬に駆られて最後に勇者を暗殺し、その仲間さえ皆殺しにして英雄譚を悲劇に変えた憎まれ役、ヒールに過ぎない。
闇の中で繰り広げられた二人の戦いを知る者はいない。
お読みいただきありがとうございました。
宜しければ感想、お待ちしております。