モルモット
「おっ旦那」
「プロデューサー。よく会いますね」
その日、店の外に出るとプロデューサーに出会った。この辺りでプロデューサーに出くわすのはもう何度目かになる。近くにあるコンビニによく通っているのだろうか。
「そりゃな。なあ、それより俺の悩み聞いてくれよ」
「なんでしょう」
「やっぱさあ、これより低めの声がほしいなぁって。おっさん攻めおっさん受けとか需要あるしぃ? レパートリー増やして損はないじゃん」
「……はあ」
攻めだの受けだのの意味は僕も多少知っているが、そんなディープな話をされても対応できかねるので反応に困る。
「だから事務所の声優増やそうかなって思うんだ。なんかいいモデルいねえ?」
「声にモデルがあるんですか」
「あるよー。あるある。固定されたイメージがなきゃ声質がぶれるからな」
「じゃあ、プロデューサーがよくやってるあの女の子の声も、知り合いの人とかですか?」
「それな。同級生」
「へえ……」
あんなにかわいい声の女の子が知り合いにいるだなんて、羨ましい限りだ。そうしてプロデューサーと立ち話をしているうちに、メイド喫茶の方へ大きな人影が近づいたのが、視界の端から見えた。
「うわっ……なんだあれ」
それは着物に赤いストール、そして何かの生物を模した着ぐるみの頭を被った人物だった。メイド喫茶を凝視するその姿は不審者でしかない。
「ん。モルモットじゃん」
「知り合いですか?」
「うん。あれも狂餐会の会員だし。よし、ちょっとからかいに行こうぜ」
「えっ、いや僕は……」
できれば関わりたくない。しかしプロデューサーは構わずズンズンとあの人へ近づいていく。ここで僕がしれっと消え去るのも薄情だろうと、仕方なくその後を追う。
「よう隊長。相変わらず図体も頭もデカくて邪魔くせーな」
近くで見るその人は、プロデューサーの言う通りの長身で、大きなきぐるみの頭も含めれば2メートル近くはあるだろう。
「えっ⁉ だ……む、失敬。Pちゃんでござったか。そちらの方は……あっ」
こちらへ振り返ったその人の表情は分からないが、びっくりしたような動作が見てとれる。
「こんにちは。狂餐会の……旦那っていいます」
「どうもお初にお目にかかります。拙者、嬢親衛隊モルモット隊隊長でござる。以後お見知りおきを」
僕が名乗れば、隊長も最初にストールを直すような仕草をしながら、丁寧な自己紹介をしてくれる。会った覚えは無いし、ただこの人の癖なだけだろうか、と不思議に思ったが、何かが引っかかる。
「モルモット隊……って」
「そう。文字通りモルモット。嬢の実験体になる事が我らモルモット隊の本望でござる」
「……そうですか」
見た目も奇っ怪だが、中身も奇人と評するのが適している人物だ。しかし矢張りどうも気になる。先程の仕草と、どこかで聞いた気がするような低くいい声。顔を隠したその人を記憶の中から手繰り寄せる事は出来ないが、数少ない情報から思案する。
「……あれ、隊長……? ってつまり兄貴…取り立ての人…!」
思い出した。教授が言っていた。ここに来た初日にジャンク屋で会った借金取りの人は兄貴と呼ばれていて、隊長という通り名の狂餐会会員でもあると。
「あ、気づいた。アッハッハ! その節はごめんね! ビビらせちゃった?」
隊長は豪快に笑う。中身はあの威圧感を放つ借金取りのはずだが、素はこんなに陽気な人なんだと知った。
「……あの、一つ聞いていいですか」
「なんでござろう」
「叔父さんの借金って結局いくらなんですか? 会長に聞いても大したこと無いからってはぐらかされてて……」
肩代わりして貰った分を用意するにしても、まずその額が分からなければならないのに、会長は幾度尋ねてもそんな感じで答えてはくれない。ならばこの機会に直接この人、兄貴でもある隊長に聞けばよいだろう。
「五百円」
「えっ」
聞き間違いだろうか。桁が足りないと思うのだが。
「喫茶店でコーヒー嗜んだ時にですな、旦那が財布を忘れていて。拙者が立て替えたんでござる。まあ奢ったとも言うでござるが」
「え、だってびっくりするような額だって……!」
「現にほら、若旦那びっくりしてるでござろう?」
それはそうだが、そんな叙述トリックのような話だったなんて、想定しろという方が無茶だ。というか、叔父さんと隊長は一緒に喫茶店に行くほど仲が良かったのかと、そっちの方もびっくりだ。
「いやはや申し訳ない。旦那の血縁ならばと少々からかってみたら、意外とマジにされて引っ込みつかなかったんでござる。そうだ若旦那。うちの事務所来てみては? お詫びに拙者、何でも致しちゃう」
「い、いえ……」
「まあまあ、そう言わずに〜。遠慮しなくていいでござるよ。ね?」
「ぅ……じゃあ、そ、それなら……」
その誘い方がなにか妙に不気味だが、肩をガッシリと掴まれつつ、断っても逃してくれないような圧をかけられ、断りきれずに流されてしまった。
「よしじゃあ決まり! っと、そういえば旦那、拙者この姿では組の敷居を跨ぐ事ができないでござる。ちょいと失礼。しばし待たれよ」
「え、はい……」
そう言って、隊長はあさっての方向へ立ち去っていった。
「……じゃ、俺も行くか。準備しなきゃ。またな旦那」
「はい。また」
プロデューサーは隊長とは別の方へ。結局あの悩みとやらに何も助言出来ていないが、プロデューサーならまた僕に絡んでくるだろうと、気楽に考えることにした。
◇
「おかえりなさいやせ兄貴!」
「あい、お疲れ」
着ぐるみの頭を外したスーツ姿で戻ってきた兄貴に連れられ、棚袴の事務所に入った。所謂「ヤクザの事務所」なのだから、勿論中にいた人もそれらしい。本来なら一生関わらない、出来ればお世話にならないでいたい人達だ。
「お邪魔します……」
「そちらはどなたで?」
「新しい旦那。旦那の甥だって」
僕はおずおずと挨拶をする。一見なのだから当然目をつけられる。兄貴がいるとはいえ、強面の人に注目されるのは生きた心地がしない。
「さ。好きなだけゆっくりしていってね! 色々見てっていいよ。お菓子とジュースも出すから待ってて」
兄貴はいたく歓迎してくれるが、ここに連れ込まれた理由が分からないだけに、その親切心が逆に恐ろしい。ゆっくりしていいと言われても、通された席から動けずにじっとしていた。
「で、若旦那。俺にしてほしい事ある?」
戻ってきた兄貴は飲み物とお菓子の置かれたお盆をテーブルの上に置く。
「いえ……特には……」
「言ったでしょ。何でもしてあげるって。ここは棚袴のホーム。狂餐会のテリトリーじゃないからさ。ちょっと話しにくい事も、ね」
悪巧みをする子供のようにニタリと兄貴が微笑む。僕はその言葉の意図する所を理解した。
「叔父さんの事、何か知ってるんですか」
「何でもは知らないよ。知ってることだけ」
僕ががっつくように食いつくと、兄貴はゆったりと向かい側に腰を下ろした。
「俺と旦那は悪友みたいなもんだったよ。狂餐会の中で一番付き合いが長いのは俺のはずさね。なんたってあのビルは棚袴が貸しているものだから」
確かに最初に会った時、そんなことを言っていた。僕がこうしてこの街にやって来なけれは、いずれあの店と残された物達はオーナーである棚袴組に回収されていただろう。
「いつ頃だったか……旦那が住み始めてから二年くらい……つまり今から七年前かな。いつのまにか旦那の所に少年が入り浸るようになってたのさ。……それが会長だよ」
初耳だ。会長と叔父さんはそんなに前から知り合いだったなんて。
「それからだね。旦那の元に今の狂餐会の幹部クラスが集いだしたのは。それに加えて妙な事件も多発するようになった。そして……狂餐会が作られた。狂餐会は会長が作ったと言われてるけどね。俺は……実際は旦那が発起人じゃないかと思ってる」
「……どうして」
「まあ、勘みたいなものだけどね。あの人さ、そもそもマトモじゃないでしょ? 俺をヤクザと知ってて仲良くしてくれちゃってさ」
それまで静かに語っていた兄貴は、そこでどこか寂しそうな笑顔を見せてから、一息ついて僕の方を見る。兄貴の視線が、鋭く刺さる。
「……どう思う? 若旦那。この街に数多の不審な事件を招き入れたのは。会長か……旦那か」
そんな事を言われて、嫌な連想をしないわけがない。でも本当に、そこまで叔父さんが狂餐会と深い関わりがあったなら。あの手紙に漠然と抱いていた違和感が、いよいよ確かな疑惑へと変わる。
「なーんて。不穏な話はこれくらいにして、次は楽しい話でもしようか」
「はい……ありがとうございます」
思考がごちゃごちゃになって動悸がして、呼吸が乱れた僕を見かねたのか、兄貴は僕に飲み物を渡しながら休息の提案をしてくれた。
「若旦那。赤木やいこちゃんって知ってる?」
「あ、はい。確かプロデューサーの……」
「そうそう。Pちゃんとこのね。俺あの子のファンなんだ。ドラマCDとか出てるし、これオススメ。布教用だからあげるよ。聞いて」
「ありがとうございます」
兄貴は収納庫からCDを取り出してきて僕に手渡した。表面には知らないキャラクター達。裏面を見れば、キャスト一覧に聞いたことがある名前が六つ並んでいる。
「すごいですねこれ……出演者が全員プロデューサーだ。一人六役……」
「え?」
思わず漏らした僕の感嘆に、何故か兄貴が反応する。
「あっ……」
そうだ。もしかしてこの人は知らないんじゃないか。そして僕は言ってはいけない事を言ってしまったのだと、遅れて理解した。
「……全員? Pちゃんて……? 一人六役? どういうこと?」
「え、えっと……」
「正直に話してね」
「は、はい……」
誤魔化す事を許さないような威圧感を放つ兄貴に、僕は赤裸々にプロデューサーの話を暴露する他なかった。
◇
「そんな……俺の好きな声優たち全部Pちゃんだなんて……やいこちゃんも……ゆうかちゃんも! はおと君ちゃんまで! 確かにPちゃん声真似上手いなーって思ってたけど、声優六人を演じ分けてたなんて……まさかそんな……騙された……!」
兄貴は相当なオタク気質があるようで、プロデューサーの演じる声優達を全員把握していて、かつ全員のファンだったらしい。特にお気に入りの声優が実在せず、その正体が性別すら詐称した人物だったと知れば、こんなに悔しそうな反応をするのも無理はない。
「残念でしたね……」
こうなった原因は僕にもあるが、他にかける言葉が見つからない。
「顔出ししてなかった子達はまだ諦めもつく……でもあんなに可愛かったやいこちゃんゆうかちゃんが……いや別に顔ファンなわけじゃないけど……」
「その二人って顔出ししてたんですか?プロデューサーは声優達は顔出ししてないって言ってたんですけど」
「うん。事務所に入ってからはしなくなったね。でもそれ以前はやいこちゃんは元々配信とかしてたよ。ファンが沢山いた人気者でね。ゆうかちゃんは元々カメコで、たまに自撮りを上げてた。写真も綺麗だし本人も可愛いから、ゆうかちゃん自身も人気があったよ」
声優自体は実在しないとはいえ、プロデューサー曰く声にモデルがいたらしいから、それが声帯模写の元になった本来の声の主なんだろう。
「……ん。でもよく考えたらどうやってネカマしてたんだろう。写真ならともかく配信じゃあどうやっても誤魔化すのは不可能のはず…俺が見てたあれは一体……ハッ! 口パクか! という事はやいこちゃんとPちゃんは同室にいた……? ただならぬ関係……ってコト⁉」
「あ、兄貴……落ち着いて……」
兄貴は一人でどんどんと盛り上がる。夢を壊された衝動というのは恐ろしいものだ。
「プロデューサー言ってました。事務所の声優って確かにプロデューサーだけど、声のモデルがいるらしいんです。その赤木やいこって人も同級生だって」
「えっ、じゃあやいこちゃんは実在しないけど実在する……?」
「そういう事ですね」
「なーんだ。それならいいや」
兄貴は先程までの愛憎入り乱れた表情から、一瞬で晴れやかな顔に変わる。しかしやはり腑に落ちないことがまだあるようで、ややあってから唸りつつ腕を組む。
「じゃああの放送主はやっぱりやいこちゃん本人……でも今活動してるのはPちゃん……どうしてPちゃんに代わったんだろうね」
それを聞いて、ふと違和感を覚えた。
「体調不良なのかな。だからPちゃんに会わせてくれって頼んでも会わせてくれないのかも……それならそうと教えてほしいけどね」
もはやどうしても、恐ろしい事を連想してしまう。この違和感の原因、巡査からなら何か聞き出せるかもしれない。――あの事件の事を。